第6話 商権
ヤンたちが売人の後をついて30分ほど歩くと、一軒の馬房が見えてきた。屈強でガラの悪そうな護衛たちの横を通って中に入ると、馬が2頭並んでいる。予想以上に馬の管理がしっかりとされているようだ。
「どっちにする?」
「……こっちね」
ヤンはぐるりと2頭を見て、少し考えた末、馬体の小さな方を選択した。そして、すぐさま売人に小銀貨3枚を手渡す。そこでふとイルテスが不思議そうな顔をしていることに気づいた。ヤンは笑顔で質問を促すと、イルテスは「なぜそっちを選んだのだ?」と問われた。
「どちらでもいいと言うことは、同じ評価だと言うことです。一般的に馬体の大きな馬の方が高い値段で取引されます。それなら、小柄な方が小回りが効く分得であると思います。同じ値段なら、一般的に価格が高い方を選ばないのがコツです」
まあ、あくまで感覚ですけどね、とヤンは笑いながら頭をなでる。イルテスが「なるほど」と真剣に頷く様子がまた可愛い。そのまま抱きしめてスリスリしたい衝動に駆られたが、変態だと思われても困るので、ヤンは必死に自制した。
「嬢ちゃん、なかなか物の道理をわかってるな。俺はバクセン。貧民地区だけじゃなく、この周辺では手広くやってる。また、困ったことがあったら言ってくれ」
「私も驚いた。人相の悪さにしちゃ、まっとうな商売をする人ね」
「いつか、商権を得て、町でまっとうにやりたいんだ」
バクセンはどこか照れくさそうに答える。商権とは、商工
「仮に、将来商権を得られる可能性があるとしたら、どうする?」
「そりゃ是非とも乗っかりたいが、そんな方法があんのかい?」
バクセンは落ちついた様子で尋ねた。ヤンは、さらに大胴貨1枚を手渡して、説明をする。
やがて、天空宮殿の捜査士が自分たちを探しにくるはずだと。その時に、我関せずを貫いて欲しいと。
「て、天空宮殿……あ、あんた何やったんだ!?」
「聞かない方が身のためよ。それより、私たちが帝都を離れたら、この場所に行きなさい。言う通りにしてくれれば、更に報酬がもらえるような手はずになってる。続けていけば、商権を譲る商人を紹介する。一時的な懸賞金より、こっちのが得よ」
そう答えて、ヤンは紙に地図を書いて手渡す。バクセンは、受け取ったそれを注意深く眺めるが、下半分が空欄であることに気づく。
それが、何かと少し考えた末、『方筆じゃねぇか』とつぶやいた。方筆は、契約者しか読むことができない特殊な墨で書くことができる筆である。
「ついてるわね。その幸運、大事になさい」
ヤンは身を翻して、イルナスを抱きかかえて馬に乗った。そして、馬の両脇を足で叩き走り出す。なかなかの快走で、ヤンは思わず胸をなで下ろした。自分の見立て通り、小銀貨2枚ぐらいの値段だろう。
「バクセンは信用できるのだな?」
「……五分五分というところでしょうか」
ヤンは少し考えてそう答えると、イルナスはギョッとするような瞳を向けた。不安がる童子を安堵させたい気持ちにも駆られるが、嘘を言っても仕方がないとヤンはため息をつく。
あの短いやり取りの中で、すべてを見通すのは不可能だ。だが、大金じゃなく商権を得たいという発言は、まっとうな商売がしたいという現れだ。
「それ自体が嘘だという可能性もあるではないか?」
「もちろんあり得ます。しかし、商権を購入する機会は通常貧民にはあり得ません。どれだけの金を用意したとしても、許可を出すのは貴族ですから」
餌は十分だったと思う。あとは、バクセンの志を信用するしかない。
定期的に彼らと落ち合う場所は教えられたので、後はそれをつなげる人材が必要だ。それでもイルナスが不安な表情を浮かべているので、ヤンは優しく童子の頭をなでた。
「イルナス様、時間がないのです。策を練るだけの時間と手間があれば、いくらでも危険を減らすことはできます。しかし、それでは追っ手に捕まり本末転倒です。多少危険を冒してでも、味方を作っていくことが重要なのです」
もちろん報酬を小分けすることで、裏切られるリスクは分散した。確かな保証と継続することの報奨。そして、自分たちが誰も手つかずの先き物であることも示した。
バクセンがこの状況で手を出さないのならば、そもそも商売人の才能がないので付き合う価値はない。
ヤンはそこまで考え終えて、思考を完全に切り替えた。目下重要なのは、まず帝都を抜けること。
今は深夜なので、誰も気にする者はいないが、陽が出てくれば、平民が馬に乗っていることをいぶかしむ者も出てくるだろう。それまでに、なんとしても塀の外までは抜けないといけない。
黒髪の少女は、再び強く両足で馬の脇腹を叩いて速度を速めた。
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