DEATHBLOW デスブロウ

奏村 尚

第1話



 午前十一時、東名高速道路下り線のサービスエリアは閑散としていた。春の休みだというのに行楽の家族連れも観光客の姿もまばらだ。休憩中の観光バスの団体客さえ、数人の老人が降りては活気のない売店をうろうろと冷やかすばかりである。四月の麗らかな日差しはまるで墓場を照らしているようだ。

 観光バスから少し離れた駐車場の片隅に、やや小型の目立たないバスが一台駐車している。フロントガラスには乗客の団体名も行き先もないが、乗降口の前にスーツ姿の屈強な男が立ち、辺りを睥睨へいげいしている。静かなサービスエリアの中、そのバスの周りはとりわけ空気が重くこごっていた。

 「皆さん、お揃いですか。ではそろそろ」

 バスの前に立っていた男が乗り込んで声をかけ、車内を一通り見回すと運転手に指図をした。バスはゆっくりと走り出し、高速道路本線への合流部へ進んだ。

 『無事に帰れるだろうか』

 三島零時みしまれいじは虚ろな眼差しで車窓からサービスエリアの様子を眺めていた。物寂しい情景が心をさいなむ。車が進むにつれ胸のざわめきが高まっていくのを感じる。東京からの長い移動は、何か良くないことが起こるまでの時間をただ費やすばかりかという漠然とした不安を募らせた。


20XX年、世界は蔓延する悪に疲弊していた。三年ほど前、先進数カ国において犯罪者達の蜂起が突如として起きた。殺人や強盗などの凶悪犯罪が同時多発的に発生し、間もなくそれら以外の国や地域にも類似の事象が拡大した。

 日本も例外ではない。予測不能な犯罪の連鎖に国民は萎縮し、経済活動が著しく停滞して過去に類のない不況に没した。

 無論各国の警察組織は治安の維持に威信をかけて臨んだが、湧き出るうじのように続発する無数の暴力を制することはできなかった。

 この状況の裏に存在を疑われた既存の過激派組織やテロリストグループは例外なく相次いで関与を完全に否定した。実際、これらの犯罪者達に宗教的な主義主張や社会体制批判を行う者は皆無だった。彼等はただ各々の欲求に従って暴力や破壊に没入しているかに見えた。しかし暴動の始まりから一年を経た頃、それまで関連も規則も見出せなかった個々の犯罪に方向性らしきものが現れ始めた。犯罪者達は小さな離合集散を繰り返し、次第に国境を越える大規模な集団を形成した。それに伴って犯罪の形態は従来のテロ組織などの例に近い、資金の調達と思しい金銭強奪と社会の混乱を図った破壊活動へと変移した。

 そして、対峙する各国警察はこの者達のある共通性について否応なく気付かされることとなった。超人的な身体能力である。

 疲れを知らず、攻撃を恐れず、悪鬼の形相で立ち向かってくる。殺すか行動不能にせぬ限り制圧が難しく、恐れをなして職を去る警察官が後を絶たない事態となった。

 やがて、この犯罪者集団は撃たれても倒れぬ者の意で『UNFALL CRIMINALS』もしくは『THE UNFALLSアンフォールズ』という呼称で世界にその存在を恐怖を持って認識されるようになった。

 「零時さん」

 明るい声に呼ばれ、三島は憂鬱さに捕らわれて車窓の風景が眼に入っていないことに気付いた。頬杖を外して振り向くと、美園真理みそのまりが席の横に立っていた。

 「お腹空いたの?」

 屈託のない笑顔を向ける真理に比べ、怯えを感じている自分が意気地なく思われ、三島はぶっきらぼうに平静を装った。

 「いや、別に」

 バスは霞ヶ関の警視庁本庁舎から静岡県浜松市へ向かっていた。そこは日本の各都道府県警察が合同で執り行うUNFALLS対策会議が行われる場所である。会議は半年に一度、テロを避けるため場所を固定せず各県警が持ち回りで議場を用意して開催する。今回は浜名湖畔の県立多目的ホールが会場だ。浜名湖を背にし、湖が一望できる開けた高台にあるその建物は警備上好適だからだ。

 三島は東京都を管轄する警視庁の代表に随行する学術顧問団の一員である。彼は国立世界歴史研究所の准教授で、歴史考古学者だ。バスには会議に出席する警視庁代表が三名、顧問団は三島の他、犯罪学、社会学、生理学の研究者の四名、そして警護の警察官が五名乗車している。

 名乗りもせず目的も明かさない謎の犯罪組織の解明に苦慮した政府と警察はあらゆる分野の研究者に協力を求めた。今回は欧州が起源と推測されるUNFALLSの成り立ちと日本へ進出するまでの経緯を読み解く鍵を西洋史の中に求め、三島が招集されたのだった。

 「懐かしいわね。子供の頃みんなで浜名湖へ行ったよね」

 バスは高速を降り、浜松市郊外を走っていた。真理は空いていた三島の隣に腰を下ろし、幼い日の思い出を呟いた。彼女は警視庁組織犯罪対策部第一課警部である。代表一行の警護係の一人として警視庁より派遣され同乗している。父親同士が親友で幼馴染みの真理は兄弟のいない三島には妹のような間柄だ。

 三島は十歳の時に両親を交通事故で亡くし、祖父母に育てられた。長じて私学の名門と言われる慶鷹志塾大学へ進み、ドイツへ二年の留学の後大学院を修了して国立歴史研究所に研究員の職を得た。現在は歴史考古学特にヨーロッパ史において若手研究者の最先鋒と目され、三十の若さで既に教授の座も近いとの評を集めている。

 三島を学術顧問団へ推挙したのは、彼の属する学会ではなく真理だった。彼女の父親、美園志郎は次期警察庁長官への就任を控える警察庁次長である。真理は志郎に顧問団に加える歴史学者は三島が適任と直訴した。兄のように慣れ親しんだ人物であることなどは考慮の範疇になく、真摯な学究姿勢や独自の鋭い考察で史学に新たな見解を示す才を理解していたからだ。

 しかし、志郎が顧問団に三島を呼び込んだのは娘の強い推薦や親友の一人息子という理由からのみではない。彼もまたその能力を公正に評価してのことだった。

 だが警察の全国会議への招集は三島を困惑させた。暴力や犯罪とは無縁の生活を送ってきた自分に犯罪組織の成り立ちを解明しろとはお門違いではないか。これまでの研究がテロ対策に役立つなど考えたこともない。逃げ出したいとすら思った。されど父母を失ってから陰で幾度も力となってくれた志郎おじさんのたっての依頼と必ず護るとの力強い言葉を前にして、拒むという選択は取り得なかった。

 「もうじき到着よ。会場に着いたらお昼御飯食べながら打ち合わせして、一時から会議だから。頑張ってね」

 バスはいつの間にか街中を通り抜け、湖を遠目に見ながら走っていた。到着早々ワーキングランチに続いて会議とはせわしいことだと三島は思ったが、しかし忙しくしていた方が片時でも不安を忘れられるだろうと考え直し、黙って頷いた。

 「ねえ零時さん。折角だから浜名湖の鰻食べていかない。帰りにお弁当買いましょうよ」

 観光気分で真理がこんなことを言うのではないと三島にはよく解った。心中を察して気遣ってくれているのだ。

 真理は東京大学を卒業後、愚直に社会正義を行う父の背を追うように警察官の道を選んだ。優秀なキャリアでありながら市民の近くで働くことを望み、進んで一線に立つのも若き日の父譲りだ。

 三島はこの天より二物も三物も与えられた幼馴染みに秘かなコンプレックスを抱いていた。恵まれた家庭、秀抜な知性、そして何より三島が持たぬ強さを彼女は心に具えていた。刑事の激務を細い肩に背負いながら、真理はしなやかな美しさを失わなかった。優しい微笑みを向けられるたび、三島は真理の強靱さを見て圧倒される思いがした。

 この会議の顧問団警護に彼女は志願し派遣された。三島を推挙した責任感からだろう。真理の篤志を思い、恐怖で利己的になっていなかったかと三島は自省した。

 「そうだね。どこかの売店で」

 笑顔を作って応えかけたとき、バスが急停車した。何事かと外を見ると、パトカーが車道を塞ぐように斜めに停まっていた。その前にはもう一台一般車両が見え、傍らで若い男が牛乳の紙パックに似た形状の物体を振り回して叫んでいる。三島はガラスに耳を近づけてみた。来るなと言っているようだ。対して、パトカーの警官だろうか、やめろ、落ち着けという声も聞こえる。すると突然最前列にいた警官が立ち上がり、落ち着いて席を立たないでくださいと車内を制した。運転手が青ざめている。何かが起きてしまったと悟った途端、三島の身体は硬くなった。背と腹が小さく震える。

 男は興奮状態で叫び続けているが、もう何を言っているのか三島には解らなかった。警護役の車内の男性警官が全員スーツの下から拳銃を抜いた。最前列の警官は男を、他の三人はそれぞれ車外の各方向を睨んでいる。銃口はまだ下に向けたままだ。車内に押し殺したどよめきが起こる。凍りついたかの如く動けなくなっていた三島の腕を真理がぐっと握った。その力で生気が戻ったように感じた三島は、凜々しい横顔の幼馴染みをそっと見た。左手を三島の腕に添えたまま、右手をスーツの内側へ差し込んでいる。真理も役目上銃は携行しているのだろう。三島は真理が頼みとなることに安堵しつつも、忸怩じくじたる念を覚えずにはいられなかった。

 そんな思いも束の間だった。激昂した男は絶叫し、説得を続けていた警官に向けて手の物体を投げつけた。それはパトカーのボンネットに当たり、バスの方へ転がった。男を注視していた警官が車内に向けて叫んだ。

 言葉は乗客達の耳に届く前に大音響にかき消された。バスは煙に包まれ、それまでの世界から隔絶されたようだ。三島の車窓が砕け散った。バスが激しく揺れている。ガラスのなくなった窓は三島を飲み込もうとするように何度も迫ってくる。煙の渦巻くその口が遂に三島を捕らえた。身体は座席を離れ、静かに飛んで窓をくぐった。三島は頭を下げ、脚越しに振り返った。真理が驚愕と悲嘆の表情で必死に手を伸ばしているのが見える。恐れはなぜか消えていた。ただ真理を初め残していく人々への哀惜が募った。

 『真理ちゃん、志郎おじさん、おじいちゃん、おばあちゃん、ごめん』

 三島は煙の中へ吸い込まれていった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る