前
田舎過ぎてホテルは中々見当たらなかった。夜通し走って死ぬほど眠い、休んだあとはこいつに運転させるか、免許証があるんだから運転できるだろう、ああくそ眠い、思考があちこちに散らかってどこにも集中できないが、俺を疲弊させた張本人は後部座席から窓の外を呑気に覗いて朝焼けをぼんやり眺め続けていた。
ようやく見つけたホテルは廃墟で思わずハンドルに突っ伏した。雑草が生え放題の駐車場だったスペースに車を一旦押し込んで、振り返り様に清瀬の頭頂部を拳で叩いた。乾ききっておらず湿っていた、更に腹が立った。
「もう運転できねえよ、車内で寝る」
「え」
清瀬は頭をさすりつつ、一旦車外へ出て行った。運転席を開けられたので、わざとハンドルを切って事故を起こしたりはするなよと言い含めてから、運転を変わった。隣に座りたくないため後部座席に乗り込んだ。
「高速道路のランプ付近まで行ければ、なにかしら宿泊施設はあるやろ」
「……あー……あるな」
バックミラー越しに視線を合わせる。静かに微笑まれて相変わらず不気味だった。後ろから運転席のシートを蹴り付ける。
清瀬は無言で発進した。車の振動が一気に眠気を誘ってくる。ほとんど休憩せずに走り続けたせいだった、つまり清瀬隆のせいだ。
横方向に重力を感じ、逆らわないまま座席の上に横たわる。瞼を下ろすとすぐ睡魔に飲まれ、次にはっと目を開けたときには清瀬に覗き込まれていた。
「つきました」
「……どこに?」
「ホテルですよ、ラブがつきますが、他にないので」
あんたが金を出せと吐き捨て、覗き込んだままの顔を押して退かせる。ふらつきながら車を降り、案外と車が停まっていることに無言になれば、清瀬が鞄を肩にかけながら、田舎やからな、と呟いて入り口へと歩いていった。
淡々と入室処理をする清瀬の姿を、眠気と戦いながら観察する。死にそうな声で電話をしてきて死体のような姿で転がっていた時に比べれば元気そうだった。演技か? と疑いつつ、一瞥をくれてからエレベーターに向かう背中に続く。
清瀬が精算機を操作している間にベッドに倒れ込んだ。限界だった。朝陽さん。遠くのほうで呼ばれるが返事をする間もなく意識が飛んだ。
「私の元彼の話? 本当に聞きたい?」
どうしても聞きたいわけではなかったが、行為後の気だるく甘い雰囲気に任せて、現在の恋人の過去を多少知ろうかと思った。そりゃ気になるよ、加奈子くらい美人で俺が初めてなわけはないだろ。俺の言葉に加奈子はくすくす笑って、ホテルのやわらかい布団を両腕で抱き締めた。
「そうだなー、弟みたいな子かな」
弟?
「うん、あーでも、ペット? うーん……そんなこと言ったらあの子に失礼だもんね」
年下の男を可愛がってたってことか。
「ふふ。大輝くんも年下でしょ」
まあ、聞いたときはびっくりしたけど。
「またまたー! うん、でも年下が好みなのかも。大輝くんとその子は全然タイプが違うけど」
ふうん?
「案外仲良くなれるかもしれないよ、紹介しよっか?」
なんでだよ、今の彼氏に元彼紹介する彼女がいるかっての。
「あはは! でも本当に、……ふふふ、いつか会わせたいな、そのうち」
まあいいけど、そいつの前で今は俺の彼女です、って顔してやるよ。
「うわー、大輝くん酷いなー」
加奈子のほうが酷いだろ、元カノに今彼紹介されたら俺ならブチギレる。
加奈子は含み笑いをして、枕に顔を埋めながら何かを呟いた。なんだったのかは永久にわからない。
でも、会話の「元彼」は、清瀬隆のことなのだろうと、今はわかる。
わかったところで、これは夢か、と気付く。
「加奈子」
声をかけると加奈子はぱっと顔を上げ、静かな微笑みを向けてきた。
「お前さ、清瀬隆、わかるだろ」
加奈子は何も言わずに笑っている。
「あいつ最高にめんどくせえ、お前の教育の賜物だよどうしてくれんだ」
ねえ大輝くん、もう一回しよう。ゴムつけなくていいから。
「迷惑してる。さっきも長距離を飛ばすハメになって、毎日毎日部屋に来て、いらねえつってんのに料理作って」
私はどうして部屋に入れてくれなかったの?
「お前が死んだあとに来て加奈子の旦那だなんて言われりゃあ上げるしかねえだろ。ちっ、締め出せばよかったあのときに」
今日はお部屋連れてってよ、大輝くん。
「連れて行かない。生きてたとしても絶対に」
なんで?
「清瀬隆に会ったからだよ」
加奈子は口を閉じて、再び枕に顔を沈ませた。そのまま徐々に埋もれていって、輪郭が解けるようにぼやけ始めた。おい、待て、加奈子。消えてゆく体に触れようとするが、伸ばした腕は空を切った。けれどなにか固いものには触れていた。そこで自分の目が覚めた。
腕は清瀬の体に乗っかっていた。ばらけた長髪が顔に被さって表情は見えない。しかし寝息は聞こえた、慎重に腕を退けてからゆっくり上半身を起こす。
数分、何も考えずに呆けていた。疲れが取れ切ってはいないが、多少は回復したのか、少しずつ脳が動き始める。
シャワーでも浴びようとベッドを降りたが、服を後ろから引っ張られて数歩よろけた。
「置いて帰るなや」
起きてるなら言え、と思いながら腕を払い、
「金を払わせるから置いては帰らない」
そう告げれば清瀬はもぞもぞと動いて布団を深く被った。つい舌打ちが出る。こいつのせいでほとんど癖になってきた。
「……来てくれてありがとうございました」
浴室に入る手前、ようやく感謝を述べられた。なにか罵倒してやろうかと思ったがやめてシャワー室に入り、夢を思い返しながら熱い湯を浴びた。
きっちり髪を乾かしてから部屋に戻ると清瀬がなにか機械を弄くっていた。近付いて覗き込みながらサンドイッチ的なものがあるか問い掛ける。驚いた顔で見上げられた。まとめられていない髪はぼさぼさだ。
「メニュー表の端末やって、ようわかりましたね」
「は? ……あー、そうか。あんたこういうとこ入ったことないか」
「……カラオケはありますよ、似た端末が」
「めんどくせえ、張り合うな」
清瀬は眉を寄せながら、カレーにしたるわ、などと言って勝手に注文を押した。無言で睨めば、いつものように静かな笑みで返されて、苛立ちをそのまま拳に乗せて肩口を殴った。
数分後にカツカレーとハンバーグカレーが届いてキレそうになった。清瀬はさっさとハンバーグの方を取り、部屋のソファーに座って凄い勢いで食べ始める。ちょっと驚いて眺めていると、なんれふか、とリスみたいになりながら聞いてきた。
「あんた、食い方汚いな……」
よくみると髪の毛を一筋食っている。若干引いた。指を伸ばして食っている髪を取ってやると、左腕が差し出された。手首には黒い髪ゴムがはまっている。
背中を膝で蹴ってから髪ゴムを引き抜いた。わがまま大王かよ、と思いながら全力で適当に髪をまとめてやる。それから仕方なくカツカレーを手に持って、清瀬からは離れてベッドに座った。匂いを嗅げば腹が鳴り、ほぼ飲まず食わずでの運転だったこともあって、気付けばかなりがっついて食べていた。
「朝陽さんやって食い方汚いですよ」
結ぶのも下手やし、と言いながら清瀬は口元を備え付けのティッシュで拭いた。
カレーを食べ切りセットでついてきた水を飲んでから、煙草を吸おうとポケットを探ったが期待の感触はなく、車のドリンクホルダーに突き刺したまま放置していたと気付いて一気に苛立ちが込み上げたところに、いつの間にか寄ってきた清瀬が一箱差し出してきた。
「ドリンクホルダーに刺さってました」
「……どうも」
大人しく受け取って一本咥える。清瀬は灰皿も持ってきたらしく、俺の隣に座ってから、間の空間にそれをぽんと置いた。
無言で一本潰しつつ、何をまったりしているんだと内心考える。腹が膨れてまた眠くなっていた、相当疲れているようだ。短くなった煙草を捨ててベッドに仰向けに寝転がると、眠気はゆっくりと全身に広がった。
清瀬はベッドを一度降り、鞄を持って戻ってきた。眠るか眠らないかのまどろみを楽しんでいると、朝陽さん、と穏やかな声で呼んでくる。
「頼みごとがあります」
「あ……? 頼み聞いて来てやったのに、まだ何かあんのかよ……」
うんざりしながら聞き返すと、清瀬は謝罪を挟んだ。そして鞄から、見慣れない容器を取り出した。
「加奈子の骨壷です」
がばりと身を起こした。凪いだ表情の清瀬を凝視してから、両掌で抱えている物体に視線を落とす。
逡巡して、蓋に手を伸ばした。開いて覗き込み、底に小さな、コンクリート片のような細長いものがあることを認めてから、少ないんじゃないか、と嫌な予感を覚えながら問い掛ける。
清瀬は頷いた。そして今までのことを話し始めた。
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