第36話 エピローグ

 ここが、ここが際なのだ。今からとる我々一人一魔の行動でこの大陸の覇者が決まる。

 真に栄えるべきなのは獣か、我らなのか。その判決が下されるのだ。

 故にこれを読む全ての者よ、立ち上がれ。今こそ人と魔族の垣根を越える時。

 この考えに同調する者は皆等しく彼女の旗の元へと集え。彼女こそは神代より蘇りし獣を打ち倒せる我らの救い主。人と魔を導く者なり。

 新時代のリーダー。彼女の名前はーー



                           終末戦争録・ギルドの公布より一部抜粋。





「ねぇ、ママ。お腹痛いの治った?」

「ん? そうだね。もう大分いいよ」


 畳張りの一室、布団の上で横になっている母親に心配そうに問いかける幼子の頭をフラウダは優しく撫でた。


「ホント? もうどこも痛くない?」

「もちろんだよ。そうだ、何ならママと少し散歩に行く? ニアも屋敷に缶詰で退屈だったでしょ?」

「でも、今はお外が大変だから出ちゃダメってみんな言ってるよ?」


 幻獣の大規模侵攻があってまだ数日。村は重苦しい緊張感を維持しており、子供達は外出を禁じられていた。


「ママが一緒なら大丈夫さ。お姉ちゃんも誘って外でご飯食べよう」

「ホント? ならお姉ちゃん呼んで来るから、ママはーー」

「ダメよ」


 パァン! と勢いよく襖が開いて、部屋の中におかゆを持ったクローナが入ってきた。


「お母さんは最低でも後一週間は外出禁止。ニア、お母さんが外に出ようとしたら止める約束でしょ」

「……ごめんなさい」

「まぁまぁ。僕ならもう大丈夫だから。ほら、全然痛くない」


 貫かれた腹部を軽く叩いて見せるフラウダ。クローナはおかゆを置くと、そんな母親をギロリと睨んだ。


「強い魔力を帯びた攻撃は治りが遅いだけじゃなく悪化することもあるんだよ? 再生能力の高いお母さんが未だに包帯外せないのも思うように回復できないからでしょう?」

「あらやだ賢い。流石は僕の娘だね」


 フラウダに頭を撫でられたクローナの顔がほんのりと赤くなる。


「そんなこと言っても誤魔化されないんだからね」

「そんなつもりはないんだけど……」

「ねぇ。ねぇ。ママ。ママ。私は? 私は?」

「ん? ニアもその可愛らしさ、流石は僕の娘だね」

「えへへ」

「ちょっと、ニア。お母さんは今からご飯なんだから邪魔しちゃだめよ」

「はーい。……ねぇママ、今日はここで寝ていい?」

「いいよ。クローナも一緒にどう?」

「わ、私は別に一魔で大丈夫だけど、お母さんとニアだけだと心配だから……い、一緒に寝る」

「お姉ちゃん、お顔が真っ赤だよ?」

「き、気のせいよ!」


 赤らんだ顔を自分から背ける姉を見て、ニアは不思議そうに首を傾げる。


「入るぞ」


 唐突に聞こえてきたその声に、幼子二人の顔が一瞬で険しいものへと変わる。


 襖が開かれた。


「ふん。思ったよりも元気そうだな。相変わらずしぶとさだけは大したものだ」

「お前、ママに近づくな!!」

「やめなさいニア、この魔族は一応お母さんを助けてくれたんだから。……一応」


 部屋に入ってきた真紅の美女ーーフレイアナハスへと敵意を向けるニアとクローナ。四天王はそんな幼子達を前にポケットから二つの飴玉を取り出した。


「食うか?」

「いらないもん!」

「いりません!」


 即答する幼子達はそのまま魔王軍にその名を轟かせた女傑を睨み付ける。そしてーー


「「え?」」


 改めて見る真紅の美女、その姿を見て何かに気が付いたかのように幼い双眸が見開かれる。


「あ、あれ? ママと……」

「お母さん? この魔族ひょっとして……」


 双子の視線がフレイアハナスと自分達の母親の間を何度も往復する。そんな子供達の行動にフラウダはクスリと笑った。


「貰ったら? フレイアハナスは無駄に高級嗜好だからあの飴玉多分すっごく美味しいよ」

「え? でもこの人ママを……」

「ママは気にしてないよ。ほらせっかくの機会なんだから頂いちゃって。自分が楽しめる一時を逃すのはとっても損なことだよ?」

「う、うん」


 母親に促されて真紅の美女の掌から飴玉を拾うニア。最初の威勢はどこに行ったのか、自分のことをジッと見下ろして来る視線から逃れるように、ニアは布団の上で上半身だけを起こしている母親の背中へと隠れた。


「ニア? 何かを頂いたらなんて言うんだっけ?」


 フラウダの背中から小さな顔がひょこりと出てくる。


「あ、ありがと」

「気にするな。お前はどうする?」


 問われたクローナは素直に飴玉を受け取った。


「……ありがとうございます」

「ふむ。どちらもそこの愚図には勿体のない子らだな」

「何なの? わざわざ嫌味を言いに来たわけ?」


 子供達に向ける優しい笑みから一転して、元四天王はうんざりしたような顔をして見せた。


「貴様ではあるまいにそんな暇があるか。用件はこれだ」

「何これ?」


 投げて渡されたのは一枚の封書だった。


「辞令だ。貴様は今からこの幻想山脈一帯を管理しろ。目的は三つ、銀色の獣の生存確認。山脈に住う幻獣の駆除。そして銀色の幻獣がどのような経緯で生まれたものなのかの調査だ。兵と物資の追加援助は可能だが基本的にはその書類に書いてある範囲で行え。分かったな」

「ちょっ、ちょっと待ってよ。僕はもう魔王軍にはーー」

「いいのか?」

「え?」

「あの獣の生死が掴めん以上、生きていることを前提で動く必要がある。神代の獣かなんか知らんが、もしもあれが帝国の生物兵器なら放ってはおけん。これから辺境の地には多くの兵が派遣されることになるだろう。仮に私がここの担当になれば前任者である軍団長がどうなるかは分かるな?」

「そ、それは……」


 人と協力関係にあるなどと軍に知れればグラシデアはよくて懲役、最悪死罪もあり得るだろう。フラウダの葛藤はそれほど長くは続かなかった。


「分かった。でもこの山脈に関わる兵についてはその処遇に至るまで全て僕の一存で決めさせてもらうからね。それと今後はこの山脈に関係のない任務は引き受けない。それでいい?」

「前者は好きにしろ。後者に関しては知らん。それはパパ……魔王様がお決めになることだ。私は余程のことが無い限りこの山脈に関わるつもりはない。……貴様もここの者達が大切なら私を関わらせないようにせいぜい頑張るのだな」


 真紅の美女はそれだけ言うと、もう用はないとばかりに部屋を出て行こうとする。


「ま、待って!」

「……何だ?」

「えっと、その……」


 咄嗟に呼び止めたフラウダは、彼女(あるいは彼)にしては珍しく、酷く言いにくそうに何度も口籠るとーー


「そ、その、今回は色々とゴメン。それといつもありがと……フレイアハナスお姉ちゃん」


 生まれた時からずっと傍にいる己の片割れへとお礼を言った。


 真紅の美女が顔だけ振り返る。その視線はフラウダの近くで自分達の会話に耳を傾けている、髪も瞳も雰囲気も色彩なにもかもが違うのに、でも鏡のようにそっくりな幼子達へと向けられていた。


「双子……か」


 それは在りし日を慈しむかのような、そんな囁き声だった。


 ニアが不思議そうに首を傾げる。


「ママ、この人ママのお姉ちゃんなの?」

「ん? そうだよ。だからニアにとっては……おばちゃんだね。フレイアナハスおばちゃん」 

「なに? おいその呼び方は……」


 嫌そうに顔をしかめるフレイアナハスに、母親の背中から出てきたニアがおずおずと近づく。


「……なんだ?」

「ニアのおばちゃんなの? 悪い人じゃないの?」


 無垢な瞳に見上げられた四天王は溜息を一つ付くとーー


「もう一つ食うか?」


 ポケットから取り出した飴玉を姪へと渡すのだった。

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植物使いの四天王、魔王軍を抜けてママになる 名無しの夜 @Nanasi123

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