第2話 馴染みの店

「さて、晴れて自由の身となったのはいいんだけど……」


 魔王国の首都にしてに魔王城がある魔都市天獄から飛竜で四日程の位置にある商業都市『ウリマチ』。多くの魔族が訪れるこの巨大都市を彷徨い歩きながら、フラウダは頭を抱えていた。


「発作的に止めちゃったから、今から何をしようか凄く悩むな。あ~あ、軍を辞める前はやりたいことがめちゃくちゃあったのに、何で自由になった途端に暇を持て余すかな? マジで謎だよ。ねっ?」

「え? いや、貴方誰ですか?」


 偶々通りかかった通行人は突然肩に手を置かれて、酷く迷惑そうな顔をして去っていった。


「はぁ。何だか酷くお喋りしたい気分。……よし、ひとまずゲステン君のお店にでも顔を出してみよ」


 フラウダは賑やかな表通りから外れて、妖しい雰囲気が漂う裏道へと入る。すれ違う魔族の顔付きの多くが一般人ではなくなり始めた頃、彼(あるいは彼女)は首を傾げた。


「……何だか今日はよく見られているような?」


 魔族の最高戦力だけあって名前こそ有名なフラウダではあるが、式典などの行事を面倒臭がって欠席する為、他の三魔の四天王に比べてその顔はあまり知られていない。だというのに裏通りを歩き始めて明らかにフラウダの顔を凝視する者が増えた。


「なんだろ? 今日はお肌のノリがいいのかな?」


 フラウダは男とも女ともつかない、されど誰もが美しいと評するであろう中性的な美貌を両手でこねくり回す。


「……まっ、いっか。こんにちわ~。ゲステン君いるかい?」


 古びたドアに備えられた鈴がカランカランと音を立てれば、店の奥から一魔のオーガが出てきた。


「グッヒッヒッヒ! これはこれはフラウダ様、ようこそいらっしゃいました」


 魔族の中でも高い戦闘能力を持つオーガに相応しい筋肉に覆われた巨体。されど猫背になった上半身と、ニタリと浮かんだいやらしい笑み、そして服の下まで見透かそうとしているかのような粘着質な視線がオーガの纏う雰囲気を根本から変えていた。


「久々に来たけど元気そうで安心したよ。何か面白いもの置いてないかな?」

「グッヒッヒッヒ! さて、面白いものと一口で申されましても。ただ、面白いネタであれば仕入れてございまする」

「へー。どんなの?」

「それがですね、先日魔王軍が新たな賞金首を発表したのですが、その相手が人間ではなく魔族なのです」

「ふーん。珍しいけど、ない話じゃないよね?」

「左様で。しかしその額が過去最高を記録しまして。賞金の引き渡し条件として生け捕りが必須とされていることからも、魔王軍の軍団長クラスが脱走兵になったのではないかと専らの噂でございまする」 


 ゲステンはフラウダの男とも女とも付かない体を舐め回すように眺めると、懐から一つの紙を取り出した。


「へ~。同族に最高額の賞金をね。あっ、これがその手配書? ヤダヤダ。本当に物騒な世の中だよ……って、これ僕じゃん!?」

「グッヒッヒッヒ! やはりそうでしたか。しかし迂闊ですな。軍を抜ければ追手が掛かるのは明白なことでしょうに。情報が早くから回るこの街を訪れるとは」

「いや、そうは言うけどさぁ。僕を捕まえられる実力者なんてそうはいないし、かといって人間との戦いが激化している今、不用意に部隊を投入するとは考えられない。だから表向き僕は怪我でも負ったことにして、その裏でフレイアナハスに僕を捕まえさせようとしてくるだろうと読んでたんだけど……。魔王の奴はいつも僕の読みを外させるよね」


 ここに来るまで大勢に向けられた視線の意味を理解して、フラウダは頬を膨らませる。まず間違いなく追手が掛かったことだろう。


「グッヒッヒッヒ! あらゆる魔族を畏怖をもって従える。それ故の魔王なのですよ。大地の支配者と謳われる貴方様であっても、その理からは逃れられないということですかな。グッヒッヒッヒ!」

「あー。もう、魔王の奴。そのうちマジでブン殴ってやる。……それでさゲステン君、モノは相談なんだけど」

「なんですかな?」

「これから先、魔王国で買い物をするのも難しくなるかもしれないから、生活用品や本などの娯楽品、あるだけ売ってくれないかな?」

「グッヒッヒッヒ! 魔王軍から直々に高額の賞金をかけられている貴方様にモノを売っては、私めが叱られてしまいます」

「そこをなんとか。ほら、僕だと気づかなかったって言えば大丈夫だよ」

「さすがにそれは無理が……。ですがそうですね、私めのお願いを聞いてくだされば考えないこともありませんよ」


 欲に濁った瞳を前に、フラウダは花のような笑みを浮かべた。


「え? なになに? 何でも言ってよ」

「それでは僭越ながら、これを着ていただけませんか?」

「何これ? 執事服とメイド服?」

「左様です。執事服のほうは男の姿で、メイド服の方は女の姿でお願いします」

「このスケスケの下着は?」

「衣服姿、下着姿、そしてありのままのお姿を記録に残させていただければと」

「え? それってゲステン君の趣味? それとも販売するの?」

「両方、でございます。フラウダ様は知名度こそ他の三魔の方々に比べて高くありませんが、それでも元四天王でございます故、一部の魔王軍関係者に需要が。かくいう私もこの機会にフラウダ様の珍しくも美しい肢体を堪能できればと。グッヒッヒッヒ!」


 欲情に上気したオーガの口元から涎が溢れる。明け透けな欲望の対象にされても、この星の至るところに命を芽吹かせる植物の支配者は向けられる性欲かんじょうに涼しい顔をしていた。


「う~ん。僕としてはそれくらいのこと構わないけど」


 期待にオーガの鼻がプクリと膨らんだ。


「おおっ!? それでは早速」

「いやいや、ちょっと待ってよ。そもそもそんなに悠長なことしてたら軍からの追手がくるよね? だからここは僕が手っ取り早く君のことを気持ちよくさせてあげるから、それで勘弁してくれないかな」

「グビッ!? フ、フラウダ様が直接? それは願ってもないことですが、その、よろしいのですか?」

「アハハ。何言ってるんだいゲステン君。忘れたの? 僕は植物の支配者だよ。気ままにとんで、好きな所に根を貼るのさ。相手が誰とか、そんなの特に気にしないよ」

「おおっ、この気高くも質の悪いビッチめが。ささ、奥に、奥にどうぞ」

「いや、ここで大丈夫だよ。それにしてもちょうど良かったよ。先日友達に使って思いついたこの使用方法を早速試せるんだから」


 フラウダの周りから成人男性の手首程の太さの蔓が無数に生える。その植物を一言で言い表すならば触手だった。


「あ、あのフラウダ様、これは?」

「安心して、スイナハに嫌らしいと言われてから僕も試してみたけど性的に満足できること間違いなしだよ。いや、正直まだまだ改善点はあるけど、それでも気持ちいいことは保証するよ」


 ニョロニョロと蠢く触手それは猫背で筋肉隆々のオークへと狙いを定める。


「い、いえ、私めにそのような特殊な趣味は……。普通に、普通が一番でございます」

「何だいゲステン君。君ともあろう者が食わず嫌いかい? いいから試してみなよ。絶対気にいるからさ」

「や、やめ……ぬほぉおおおお!?」


 無数の蔓に襲われたオークから絹を裂くような悲鳴が上がり、それは賞金首の情報を得た軍魔達が駆けつけるまで消えることはなかった。


 そしてこれが後に人魔問わず恐怖に陥れることになる緑の触手事件、その始まりだったのだ。

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