第2話
「ツイスターは赤、青、黄色、緑の円が等間隔に並んだマットの上で行うゲームだ。左右の手足を指定された色の円に置かなければならない。最終的にバランスを崩して転倒した方が負けというわけだ」
榊の説明を聞きながら、曹瑛は地面に広げられたマットを見つめている。
「これね、お店の飲み会でやると盛り上がるのよ」
「この間、薫は狙ってたエリートリーマンと対戦してラッキースケベをかっさらったのよね」
「やだ、もう榊ちゃんの前でバラさないでよバカ」
麗華と薫は酒の勢いもあってかゲーム開始前から盛り上がっている。榊はオカマバーのツイスターという阿鼻叫喚の状況を想像して頭を抱えた。
色を指定するルーレットはこの場に無いが、二人ずつなら互いに色と身体の部位を指定しあって進行できる。
麗華がメモ帳にあみだくじを作った。一番手は伊織と薫の組だ。
「伊織君ね、よろしく」
伊織より背が高く、いかつい体格の薫がしなを作る。
「よ、よろしくお願いします」
マットの向こうからブランドものの香水の匂いが顔ってきて、伊織は冷や汗をぬぐう。取って食われそうな勢いだ。じゃんけんで伊織が勝ち、先攻になった。
「じゃあ、右足を青」
伊織の指示に、薫は一歩踏み出して黄色の円に右足を置く。
「ふふ、簡単。優しいわね、あなた」
薫は妖艶な笑みを浮かべる。
「左手を黄色」
薫の指示で伊織はしゃがみこんで左手を黄色の円に置いた。曹瑛はゲームの進行を真剣に見守っている。
「左手を緑」
薫は黄色に足をついたまま、一番右端の緑のラインに左手を置いた。
「じゃあ、左足を黄色」
伊織は黄色のラインに左手、左足を着くことになる。この先の展開が厳しくなりそうだ。
「右手を青」
薫は青い丸に手をついて、女豹のような体勢になり、伊織を見つめる。伊織は思わず青ざめて息を呑む。
「シンプルだが、戦略性のあるゲームだ。相手のバランスを崩す体勢に持ち込むのがミソだ」
そんなこと真面目に解説しないで欲しい、と高谷は渋い顔で榊を見上げる。隣に立つ曹瑛をみれば、腕組をしたまま真顔でマットをじっと見つめている。曹瑛は本気で戦略を考えているようだ。
「伊織君、やるわね」
八手進んだときには、伊織は震えながらブリッジをしてその上を薫が跨ぐ格好になっていた。
「お、伊織頑張ってるな」
榊が顔を真っ赤にした伊織を見てからかう。
「この体勢めちゃくちゃきついよ、なんでこんなになったんだ」
伊織は泣き言を言いながらぜえぜえと息が荒い。
「右手を赤っ」
伊織の指示に、薫が伊織の顔の上を越えて赤色の円に右手を追いた。
伊織の鼻腔をキツい香水の香りがくすぐる。それだけでも萎えそうなのに、薫の黒髪が伊織の鼻を物理的にくすぐった。
「へ、へくしょん」
伊織はくしゃみとともにバランスを崩し、仰向けに倒れた。薫が勝ち誇った顔で観客の方を見上げる。
「良い勝負だったわね、伊織君は優しいのよ。いかに相手を追いつめるか、考えなきゃ」
薫は両手を腰に当てて胸を張っている。伊織は鼻を啜りながら荒い息を整える。
「これ、結構体力を使うよ、もっと体幹を鍛えなきゃなあ」
それなら私とジムに行きましょうと薫に強引に誘われて、伊織は冷や汗たらたらだ。
「次の対戦は、あら、榊ちゃんと曹瑛さま」
麗華はメモ帳のあみだくじを辿り、二番手の組み合わせを発表する。
「イイ男対決じゃない、眼福」
薫と麗華は二人の対決にテンションが上がり、女子高生のようにはしゃいでいる。
曹瑛と榊はスタートラインに立つ。
「榊ちゃん頑張って」
「曹瑛さまも応援するわ」
薫と麗華の野太い声援に、榊は愛想笑いで手を振る。正面を向き直ると、静かな殺気を漲らせた曹瑛がじっとこちらを見据えている。
「貴様が相手か、無様を晒すのを見届けてやる」
曹瑛は完全に本気の対決モードだ。先ほどまで呑気に構えていた榊も射貫くような視線で曹瑛を睨む。
「パーティゲームに本気になるとは、片腹痛い。いいだろう、貴様をこのマットに沈めてやる」
高谷は嫌な予感がした。曹瑛はツイスターをゲームと捉えていない。真剣勝負を挑むつもりだ。そして、喧嘩を売られて元極道の榊が黙っているはずはない。最悪のカードが揃ってしまった。
じゃんけんにより、榊が先攻となった。榊は口許を吊り上げてニヤリと笑う。
「右手を赤」
曹瑛はふて腐れた表情で赤色の円に右手を置く。
「左手を緑」
カラフルなツイスターマットの上で二人の殺気がぶつかり合う。こんな剣呑なツイスターゲームは見たことがない。先ほどまではしゃいでいた薫と麗華も思わず息を殺して真剣な眼差しで見つめている。
「貴様は楽な姿勢ばかり選んでいる」
六手進んだところで、曹瑛が榊を見上げる。曹瑛は仰向けの状態で両手を背後につき、右足を折り曲げ左足は伸ばした姿勢だ。かなり負荷がかかっているように見える。
「何だと」
榊が曹瑛の挑発に反応する。榊は足をクロスさせてはいるものの、両手は頭の先について、安定した姿勢を保っている。
「貴様は安全牌しか選んでいない。とんだ小心者だ」
曹瑛は見るも厳しい姿勢だが、顔には余裕の笑みを浮かべている。
「これって、難しい姿勢を競うものなの」
伊織が真顔で高谷に訊ねる。
「ううん、家族や友達と楽しく盛り上がるパーティゲームだよ」
高谷は力無く首を振る。榊は曹瑛の挑発に、頭に血が昇って躍起になっている。
「右手を赤」
曹瑛の指示に、榊は曹瑛の腰を飛び越えて赤い円に腕を伸ばす。曹瑛に覆い被さる格好になり、榊はニヤリと唇を歪める。
「曹瑛さんが身動き取れないよう攻める作戦に出た」
高谷は榊の大胆な行動に、息を呑む。
「確かに、あれでは瑛さんは身動きが取れない」
伊織も手に汗を握っている。曹瑛の額からすっと汗が流れ落ちた。余裕な表情を見せていても不安定な姿勢でバランスをとり続けており、疲労が蓄積されている。
「今すぐ降参してもいいんだぜ」
「寝言は寝て言え」
曹瑛と榊は互いに譲らず、睨み合う。薫と麗華は腕を胸の前で組んで、唇を尖らせて見守っている。
「左手を黄色」
榊の指示に、曹瑛はギリと唇を噛む。かなり厳しい体勢だが、左手を黄色の丸に移動させることにより、さらに安定感を欠くことになる。曹瑛は無言で左手を内側に移動させる。見て分かるほどに体幹が震えている。曹瑛は微かに目を細める。
「いい加減に観念したらどうだ」
曹瑛を見下ろす榊もやや息が上がっている。曹瑛は唇を挽き結び、榊を睨み返す。
「お前こそ限界じゃないのか、左足を青」
榊は思わず口ごもる。足の位置が近づき、バランスの取りにくい格好になる。しかも、曹瑛の大腿を跨ぐ格好でなければ水色に移動できない。
「曹瑛、捨て身の勝負に出たか」
榊は腕に重心を預け、左足を青色の円に慎重に移動させる。
「捨て身だと、笑わせる。俺はまだこの体勢で堪えることができる。吠え面をかくのは貴様だけだ」
曹瑛は口許に笑みを浮かべるが、我慢の色が見え隠れしている。
高谷は吐く息も荒くギリギリの体勢で睨み合う二人を見て卒倒しかけている。
「ああもう、見ていられない」
思わず目を逸らすと、桜の木の根元で日向ぼっこをしていたはずの亀の明美の姿がない。
「明美さんがいない」
高谷が叫ぶ。
「何だと」
榊はそれを聞いて動揺し、思わずバランスを崩す。厳しい体勢でブリッジをしていた曹瑛は榊とともにマットに倒れ込んだ。
「ぐっ、重い。そこをどけ」
「悪い、曹瑛」
榊に押しつぶされた曹瑛は不機嫌全開の表情で榊を押しのける。榊は体勢を立て直し、木の根元を見渡す。しかし、明美の姿は見当たらない。
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