第25話 熱烈なスカウト

 曹瑛は身体を鞭のようにしならせて瞬時に起き上がる。アイザックは曹瑛が体勢を立て直す前に、心臓目がけてコンバットナイフで突きを繰り出す。曹瑛は辛うじてバヨネットで打ち返す。

 アイザックは下段攻撃で曹瑛の大腿を切り裂いた。布地が避け、白い肌に赤い筋が浮かび上がる。深手には至らないが、アイザックの攻撃は確実に曹瑛を追いつめていく。

「詫びを入れたら助けてやってもいい」

 アイザックは攻撃の手を止め、曹瑛に向き合う。緩んだ目元に人懐こい笑みを浮かべているが、青みがかったグレーの瞳は鋭い光を放っている。


「勝ったつもりか、笑わせるな」

 曹瑛は面白くもなさそうに口をへの字に曲げている。大口を叩くだけあって、アイザックのナイフの腕は確かだ。周辺に張り巡らされている糸の結界から抜け出さねば、動きが封じられてしまう。

 アイザックは自分の仕掛けたトラップを把握しており、動きに制約が無い。これでは相当不利だ。曹瑛は思案する。


「俺はお前を殺したくない、お前の腕は超一流だ。そうだ、俺と組まないか」

 アイザックは大仰な身振りで曹瑛を勧誘する。

「断る、本業が忙しい」

「そうか、お前ほどの腕だ、殺しの仕事も引く手数多なんだろうな」

 とりつく島もない曹瑛の態度に、アイザックは心底残念そうだ。何やら勘違いしているようだが、曹瑛は訂正するのも面倒なので黙っておくことにした。


「仕方無い、お前が泣いて命乞いをするところを見せてもらうとしよう」

 アイザックが再び殺気を放ち、コンバットナイフを構える。アイザックが大きく踏み込んだ。曹瑛はアイザックの攻撃を引き付けてかわし、背後に回り込む。おもむろにアイザックのミリタリージャケットのフードについているファーを毟り取った。

「おおっ、何しやがる。これ気にいってんだぞ」

 アイザックは曹瑛が手にした無惨なファーの塊に目を見開く。曹瑛はファーをじっと見つめたかと思うと、細かくちぎり始めた。


「お、お前よくも」

 怒り狂うアイザックを横目でチラリと見て、曹瑛は無心でファーをちぎっている。そして、突然それを投げ捨てた。一体何がしたかったのか、アイザックは眉根をしかめる。しかし、すぐに曹瑛の意図を理解し、コンバットナイフを握りしめた。

 曹瑛の放った細やかなファーは宙を舞い、木の幹に張り巡らされた糸に絡みついている。これで糸の位置がつかめた。曹瑛はバヨネットで糸を切断し、退路を確保した。そのまま凍てつく森の奥へと駆け出す。


「待てっ」

 アイザックは慌てて曹瑛を追う。鋭い氷槍と化した木の枝や雪に足を取られ、思うように走れない。曹瑛も同じはずだ。しかし、その距離はどんどん引き離されていく。雪山のゲリラと戦ったときにもこんな奴は見たことがない。一体どんな訓練をしたらあれほどの身体能力が身につくのか。

 気が付けば、曹瑛の姿を完全に見失ってしまった。しかし、攪乱されて読みにくいが、足跡が正面にある太い幹の方へ続いている。


 アイザックは息を潜めて木立に身を隠し、背後から回り込む。黒いコートの端が見えた。アイザックは口元を緩める。曹瑛はきっとあの幹の後ろに隠れているに違いない。曹瑛の背後を捉えた。

「もらった」

 コンバットナイフを突き出すが、手応えがない。バヨネットで幹に縫い付けられた黒いコートだけがふわりと揺れている。

「なっ」

 アイザックは目を見開き、周囲を見渡す。しかし、曹瑛の気配はない。目の前の雪が異様に盛り上がっていることに気がついた。雪の上に赤い血が滲んでいる。まさか、あの雪の下に潜ったというのか。アイザックは警戒しながら盛られた雪の方へ近付いていく。

 不意に頭上に冷たいものが落ちるのを感じた。ハッと上を見上げると、木の上から何かが振ってくる。


「うおっ」

 完全に虚を突かれたアイザックは体勢を崩した。曹瑛だ。着地の瞬間に木の幹に刺したバヨネットを手に取り、アイザックの背後に回り込んで首を締め上げる。アイザックの首筋には月明かりに鈍い光りを放つバヨネットが突きつけられていた。

「観念しろ」

 アイザックは抵抗を試みるが、このまま踏ん張ったところで曹瑛に絞め落とされるか喉元をかっ切られるだけだ。アイザックは両手をだらりと下げて降参した。


 曹瑛はアイザックのフードから紐を抜き取り、両手首をぐるぐる巻きにして縛り上げる。

「ったく、俺のジャケットを何だと思ってる」

 アイザックはふて腐れてため息をつく。

「ロッジに戻る」

 曹瑛はアイザックに前を歩くよう促す。アイザックは腕を縛られたまま肩を竦めて歩き出した。アイザックは歩きながらチラチラを曹瑛を振り返る。


「なあ、どこの組織だ」

「かつては組織に所属していたが、今は個人事業主だ」

 曹瑛は面白くなさそうに答える。

「へえ、じゃああんたを雇おうと思えば雇えるのか」

 アイザックが楽しげに振り返る。

「俺は足を洗った」

 曹瑛はアイザックを睨み付ける。踏み抜いた朽ちた木の枝がバキッと音を立てる。


「だが、マフィアの御曹司と一緒にいる。もう一人の眼鏡の男も裏社会の人間だろう」

 アイザックは榊の目を見たとき、瞬時にそう直感した。あの鋭い眼光は生き死にの世界で覚悟を決めた者だけが持つ。

「友達だ」

「なんだと」

 アイザックは間の抜けた声を上げる。曹瑛は至って真顔だ。

「お前は命をかけて友達を助けに来たというのか」

「ライアンは傍迷惑で面倒で、榊はとことんいけ好かないが、悪い男ではない。伊織はああ見えて気骨がある。高谷もなかなか性根が据わっている」

 曹瑛は口の端に笑みを浮かべていることに自分でも気が付かなかった。アイザックはフッと小さく笑う。

「良い友達だな、羨ましいよ」

「早く歩け」

 曹瑛は気恥ずかしくなったのか、アイザックの背中を押した。


 ロッジに戻ると、ミハイルとニコライが仲良く柱にロープで括り付けられていた。アイザックもその仲間入りを果たすことになる。

「貴様ら、覚えていろよ」

 ミハイルが額に血管を浮かせて吠える。ニコライは意気消沈し、アイザックも観念したのか、大人しくしている。

「宝石を山分けしよう、だからこのロープを解いてくれ」

 ミハイルが交渉を持ちかける。

「盗品に手を出すか、バカ野郎」

 榊が吐き捨てた。曹瑛はキッチンを漁り、勝手に温かい紅茶を淹れてテーブルに持って来た。椅子に足を組んで座り、一息ついている。


「英臣、手錠を外してくれないか」

 ライアンは後ろを振り返り、手錠をかけられた手を見せる。

「そのままにしておきたいところだが、仕方が無い」

 榊はキッチンの引き出しを物色して、クリップを見つけた。クリップの先端を真っ直ぐに伸ばし、針金代わりにして手錠の鍵穴に差し込む。カチャリと音がして、右手の手錠が外れた。左手も解錠し、手錠を取り外す。

「ありがとう、助かったよ」

 ライアンが満面の笑みで両手を広げ、榊に喜びのハグをしようとする。


「うおっ、わかったからよせ」

 榊は反射的に大きく飛びのいてライアンから距離を取る。思わず振り払った手が曹瑛のティーカップを持つ手にぶつかった。

 -カチャン

 軽い金属音がして、榊は恐る恐る自分の手を見る。自分の手首と曹瑛の手首が手錠で繋がれていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る