第4話 箱根へ出発

 黒のエルグランドが東名高速を西へ向かっていた。運転席でハンドルを握る二宮省吾はどこか落ち着かない様子で、バックミラーをチラチラと何度も覗き見ている。その隣にはダッシュボードに足を乗せながらタバコを吹かす加瀬健二が座っている。

二宮は30代半ば、黒髪をアップバングで七三に分けている。箔をつけようと生やしている口髭がどことなく浮いており、滑稽な印象を与えていた。加瀬は二宮よりやや年上で、アッシュグレーに染めたベリーショートを逆立てており、若作りを意識しているようだ。先ほどから落ち着きのない二宮を横目で見て、大きなため息をついた。


「おい、何をそんなにキョドってんだ」

 加瀬が二宮に苛立ちをストレートにぶつける。

「これヤバいっすよ」

「お前まだそんなこと言ってんのか」

 銀座の組事務所を出発して東名高速に乗る1時間ほどの間に、二宮はヤバい、ヤバいと繰り返してはソワソワしていた。

「いい加減腹をくくれってんだ」

 兄貴分の面子を見せて強がってはいるものの、加瀬も内心かなりヤバいことを任されたという認識はあった。


 二人は銀座に事務所を構える麒麟会系神宮寺組の組員だ。つい3日前に若頭の岩城に呼び出されて、荷物を所定の場所へ運べと命じられた。若頭の命令は絶対だ。逆らうことなどできない。二宮と兄貴分の加瀬は訳も分からぬまま押忍、と景気の良い返事をした。

 組が用意したエルグランドのキーを渡され、積み荷を決められた時間に箱根のホテルへ運ぶという仕事だ。


「積み荷に手出しするような馬鹿な気を起こすなよ、こいつを待っている客は上得意だ。絶対にしくじるな」

 ド派手なピンストライプのスーツを着た強面の若頭に、二人は頭が上がらない。若頭の脅しもさることながら、何より積み荷の正体に怯えていた。加瀬と二宮は組事務所を離れ、立体駐車場にエルグランドを停めた。周囲に誰もいないことを確認し、トランクを空けてみた。そこにはスキー道具などのカモフラージュのガラクタとともに、存在感のある黒いボストンバッグがひとつ。日時指定なら宅配便でも使えばいいのに、と加瀬がぼやきながらバッグを空けた。そこに入っていたものを見て、二宮は思わず目を疑った。


 そして今、東名高速を箱根に向かって走っている。

「おい、そこに寄るぞ」

 加瀬がタバコを挟んだ指で窓の外に流れる看板を示す。海老名サービスエリアまで1キロの案内看板だ。

「そんな呑気なことしてていいんですか」

「バカ野郎、待ち合わせの時間は夜10時だろ、時間は有り余ってる」

「そうですね、コーヒーでも飲みたいですわ」

 緊張で口の中もカラカラだ。二宮は汗ばむ手でハンドルをきった。

週末とあって、海老名サービスエリアの駐車場はかなり混み合っていた。たまたま店舗に近い場所が空いたので、二宮は駐車スペースにエルグランドを停めた。


***


 同じ頃、榊の運転で曹瑛、伊織、高谷はライアンの案内で東名高速道路を箱根へ向かっていた。ライアンのもてなしで、リノベーション予定の古い洋館に宿泊することになっている。この時期は箱根の高地は雪が降っているだろう。車はスタッドレス仕様にした黒のアルファードをライアンが用意した。

都心を出て1時間ほど走り、東名高速の名物サービスエリアへ立ち寄ることにした。


「ここは曹瑛のNinjaに乗ってやってきた場所だ。とても思い出深い」

 ライアンは贋作ギャラリーの悪行を暴くために箱根に向かう途中、海老名サービスエリアへ立ち寄ったことを覚えていた。曹瑛は思い出したくないようで、眉間にしわを寄せ唇を引き結んで顔を背けている。ほくそ笑む榊を高谷が生ぬるい目で見つめている。

「メロンパンはどこだ」

「あのパン屋さんだよ」

 曹瑛は海老名サービスエリアで食べたメロンパンが気に入っているらしい。伊織は箱根ベーカリーに曹瑛を案内する。


「このお店の隠れた人気商品があるらしいんだけど、ああこれだ」

 伊織が選んだパンに曹瑛も興味を示した。

「これ、カレーパンなんだって。面白い形だよね」

 パリパリのコーンフレークの衣にエビフライが乗っている不思議な形のパンだ。

「面白いな、俺もひとつ」

「では、私も」

 榊とライアンもカレーパンを食べてみたくなったようだ。高谷はメロンパンを選び、フードコートで休憩がてらパンをかじる。


「このパリパリが美味しいね」

 パリパリのコーンフレークの食感に、マイルドなカレールウ、揚げたてのエビフライは身がプリプリだ。

「カレーはスパイシーだがほどよく甘みがあっていい」

 超セレブなライアンが混雑するフードコートでカレーパンを食べているのは奇妙な光景だ。今はラフなスタイルで前髪を軽く下ろしているが、艶やかなブロンドに優雅な佇まいは人目を引いていた。曹瑛もお目当てのメロンパンにありつけて満足そうだ。


 腹具合が良くなったところで、駐車場に停めた車のところへ戻ると二人組の警察官が車の周辺に立っている。

「どうしましたか」

 榊が先手を打ち、警察官に声をかける。若い制服警官は榊の顔を見て、思わず警戒心を剥き出しにする。黒いコートに白のハイネックセーター、縁なし眼鏡の奥に光る目はカタギに見えなかった。もう一人の年輩の警察官がやってきた。

「都内で強盗事件がありまして、容疑者の乗っていた黒のバンを探しているところです。西へ逃走したという情報がありましてね」


 強盗事件、と聞いて榊は銀座の宝石強盗の話を思い出した。

「そうですか、俺たちに何の関係があるんですか」

榊はポーカーフェイスのまま訊ねる。曹瑛は無表情のまま警官を見つめている。

「すみませんが、捜査に協力願えますか」

「いいですよ」

 榊はアルファードのトランクを空けた。中には全員分の荷物が詰まっている。警官は車内に手を触れずに見回したあと、ボストンバッグを指さした。

「差し支えなければ中を見せてもらえませんか」

 若い警官がランダムにバッグを指さす。年配の方はじっと動作に怪しい点が無いか監視している。榊は中を空けて警官に示してみせた。


「ご協力ありがとうございました」

 榊の堂々とした態度に疑わしいものが無いとわかると、警官は愛想良く頭を下げた。背後で見守っていた伊織と高谷はホッと胸を撫で下ろした。皆が車に乗り込んだところで、伊織がトランクから荷物を取り出したいと言う。

「この先寒くなりそうだから、マフラーを出してくる。ちょっと待ってて」

 伊織は車から降りてトランクを空け、自分のボストンバッグを開けてマフラーを探し始める。


 アルファードの後ろに停めていた黒いエルグランドに警察官が注目している。そこへ戻ってきた二宮と加瀬は飛び上がるほどに驚いた。

「アニキ、マジでヤバいっす」

「落ち着け、二宮」

 そう言う加瀬もかなり動揺していた。警察官はエルグランドの運転手が戻ってくるのを待っている。車の周囲を歩き回りながら離れようとしない。二宮は膝がガクガク震え、顔から血の気が引いていくのが分かった。加瀬は意を決して、エルグランドの方へ歩き出した。

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