第5話

「ごめんね、待たせちゃった」

 ヘラヘラ笑いながら凜久が千弥の席に戻ってきた。千弥の演技もあり、凜久の中では千弥はすでに自分に惚れたことになっている。酒に酔わせて前後不覚にするつもりが、千弥はうわばみだ。このままでは自分が急性アルコール中毒になってしまう。そこで作戦を切り替えることにした。


「ねえ、ちょっと刺激的な体験をしてみない?」

 凜久が千弥の肩に腕を乗せ、耳打ちする。

「何かしら」

「もっと気分がアガるお薬だよ」

 千弥の目が光る。すぐに怯えた目で凜久を見つめる。

「それ、違法なんじゃない」

「合法だよ、気分がリラックスするだけ。今持ってるんだけど、試してみる?」

 凜久はスーツのポケットから小さなガラスボトルに入った白い粉末をちらつかせた。


「だめ、怖いわ」

 千弥はそう言って突っぱねた。俺に逆らうのか、凜久は一瞬顔を歪ませたが、また作り笑顔を浮かべる。

「そっか、残念。無理強いはしないよ」

 物わかりの良い振りをした凜久だが、客待ちをしていたカイトに目配する。カイトはすぐに千弥の横に腰掛けた。

「この間も来てくれたよね、俺を指名してくれなかったの寂しいよ」

 千弥は誰だったかと本気で首を傾げる。似たように髪を逆立てた男はたくさんいて見分けがつかないのだ。


 カイトが千弥の気を引いている隙に、凜久が千弥のグラスに白い粉末を溶かした。カイトはそれを見て、席を立つ。孫景が踏み出そうとしたとき、高谷がそれを止めた。

「待って、俺が行く」

 高谷が千弥のテーブルに近づく。

「おしぼりを交換します」

「おう、頼むわ」

 凜久はなんで今来るんだよ、という迷惑そうな顔を高谷に向ける。新顔のボーイが、気が利かねえなと聞こえるように舌打ちをした。高谷はテーブルにおしぼりを置いて立ち去る。


「じゃあ、乾杯」

 千弥がグラスを上げる。凜久もグラスを手にして薄い琥珀色のシャンパンを飲み干した。もう少ししたら目の前の女の目が蕩けて、意識が混濁してくる。仲間と一緒に女を連れ出して、裏通りにある廃ビルに連れ込めば簡単に弱みを握ることができる。


 凜久は恍惚とした表情で笑い始める。ここで笑うとバレてしまう、しかし、笑いが止まらない。女の唇が妖艶な笑みに歪んでいる。

「何だ、何か変だ・・・」

「“リラックス”してきたんじゃない」

 千弥の言葉に、凜久は目を見開く。しかし、視界がぼやけて焦点が合わない。


「くそっ、お前、グラスをすり替えたのか。俺がバイニンなのを知ってやがったんだ」

 隙を見てグラスをすり替えたのは高谷だ。カイトとリョウタは凜久の異変を察知してテーブルにやってきた。

「女を連れ出せ」

 朦朧とする意識の中、凜久が二人に命じる。カイトはステーキナイフを千弥の脇腹に突きつけた。

「黙って言うことを聞け、さもないと刺す」

 カイトは必死だ。千弥は無言のまま促されるとおり席を立つ。孫景と高谷に目配せをして、そのまま店の外に出て行く。店の人間にはホストの見送りに映っただろう。誰も騒ぐものはいない。凜久も取り巻きと共に店を出て行く。


「あいつら、好き放題しやがって。これはもう警察を呼ばないと」

 蓮人がスマートフォンを取り出す。高谷はそれを止めた。

「奴らの根城を見つけ出すよ、そこに証拠があるはずだ」

 高谷と孫景は二人の後を追って店を出た。伊織も慌ててついて行く。


「悪いな、俺たちは本当はキャストじゃない。飲み食いした分は俺たちで払っておく」

 そう言って榊と曹瑛も席を立つ。歩実と陽菜は口をポカンを開けて二人を見上げる。

「えっ、もう会えないの」

「ああ今夜限りだ」

 颯爽と去っていく榊と曹瑛を名残惜しい目で見つめている。

「素敵だったわ、ホストクラブであんないい男と出会えるなんて」

「まるで夢のようだったわね」

 歩実と陽菜は深く頷き合った。


 千弥とカイトは“レディ・シンデレラ”の階段を降りて表通りに出る。カイトは千弥にナイフを突きつけたまま、店のビルの脇から裏路地へ入って行く。高谷と孫景、伊織は千弥の後を追う。ビルの裏手を抜けて、歌舞伎町の最奥へ突き進んでいく。この先はかなり危険な場所で、カタギの人間はほとんど寄りつかない。

 カイトは薄汚れたビルの裏口のドアを開け、千弥と共に中へ消えていった。隠れて様子を伺うと、凜久とリョウタ、その後に人相の悪い柄シャツやジャージ姿の男たちが五人、ビルへ入っていく。


 バチッと火花を散らして蛍光灯が灯る。ビルの中はそれでも薄暗く、埃っぽい空気が漂っている。壁際を見れば、段ボール箱が乱雑に積まれていた。蛍光色のパッケージの小袋がはみ出ている。あの趣味の悪いデザインは違法なドラッグだ。こんな場所に隠してあったのか。千弥は目を細める。

「お前の目的はこれか、もしかして今日いた新顔もグルか」

 ミネラルウォーターをがぶ飲みして、何とか意識を回復させた凜久はまだ目が据わっている。


「悪事の証拠は揃っているわね、警察に行きましょう」

 千弥は毅然とした態度で凜久を指さす。周囲の取り巻きたちが下卑た笑い声を上げる。

「お前一人で何ができる」

「警察になど行かせるものか」

 細身の坊主頭が千弥の腕を掴んだ。千弥が坊主頭の手首を押さえて腕を回転させると、坊主頭は軽々と吹っ飛んだ。

「何だ、何をしやがった」

 男たちは慌て始める。ソフトモヒカンの白ジャージが千弥に突進する。千弥はそれを受け流すと見せて、相手の手首を掴んで上に振り上げた。ソフトモヒカンはステンと床に転がった。


「このアマ、舐めやがって」

 一際大柄なレスラー体型の黒ジャージが千弥に襲いかかる。千弥が避けようと身体を反らすと、背後からナイフを持ったカイトが突進してくる。

 黒ジャージの動きが突然止まった。千弥は隙を見せたカイトの腕を取り、捻り上げた。

「うぎゃああ、痛え」

 カイトは泣き叫ぶ。千弥は腕をさらに捻り、手首の骨を砕く。そして頸動脈に手刀を叩き込んで気絶させた。

「千弥さん、すごい」

 柱の陰で見守る高谷と伊織は目を見張る。女性の敵だけに、容赦はしないらしい。

 孫景は千弥を襲ったレスラーに怒りを燃やしていた。首根っこを恐ろしい握力で締め付けている。


「ひぐっ」

 孫景の手が離れ、レスラーは慌てて呼吸を整えた。

「なんだ貴様は」

「俺は店の用心棒だ、臨時のな」

「あの店は俺たちがみかじめをもらうんだ、勝手な真似をするんじゃねえ」

 レスラーは孫景に殴りかかる。勢いは良いが、鈍重な動きは孫景にひらりとかわされる。孫景は足をひっかけると、レスラーはあえなく転倒した。


「くそったれ」

 レスラーは飛び起き、今度は両手で掴みかかってくる。孫景とレスラーは取っ組み合いになった。二人の腕に力がこもり、上腕の逞しい筋肉がピクピクと震えている。

「孫さん、やっちゃえ」

 千弥がエールを送る。

「そう簡単に言うなよ、結構バカ力なんだぜこいつ」

 孫景の額から汗が流れ落ちる。レスラーも唇を噛みしめている。孫景が後ろ足を踏ん張った。そして、不意に両手の力を抜いた。急に手応えを失い、レスラーはバランスを崩す。

 孫景は隙を突いてそのまま巨体を背後に放り投げた。レスラーがスチール棚に激突し、棚が大きく変形する。受け身を取れぬまま背中を激しく打ち付けて、レスラーは白目を剥いて気を失った。


 残りの柄シャツ三人が一気に孫景に襲いかかる。黄色の顔面にストレートパンチ、赤色の腹にボディーブロー、黒色の背中を蹴り飛ばすと、三人は無様に床に転がった。

「この役立たずが」

 凜久が叫ぶ。組の若い衆を呼ぼうとスマートフォンを取り出した。その手に闇から飛来した銀色のナイフが突き刺さる。

「ギャッ」

 スマートフォンは手から滑り落ち、高谷がそれを拾い上げた。この中には取引の証拠や悪事が詰まっているはずだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る