第4話

 曹瑛は女性客には目もくれず、メニュー表と真剣ににらめっこをしている。その真剣な眼差しに二人は恍惚の表情を浮かべている。これもツンな演出なのかと勝手に思い込んでいるようだ。

「私は歩実あゆみ、こちらは陽菜ひなよ」

 歩実と陽菜は普段丸の内でOLをしており、この近辺のホストクラブには時々気分転換で顔を出すらしい。この店は以前来たときに雰囲気が良く、リピートしたそうだ。指名はせず、その場だけの時間を楽しんでいるという。

 曹瑛が顔を上げてボーイに扮した高谷を呼び止める。


「鉄板ナポリタンとチーズハンバーグ」

 曹瑛の子供のようなチョイスがかわいいと歩実と陽菜はクスクスと笑っている。

「お飲み物はいかがいたしましょう」

 高谷のボーイ姿は板についている。榊がオーナーを務めるバーGOLD HEARTで人手が足りないときに手伝っていたこともあり、水商売のバイトは慣れたものだった。

「ブランデー、彼には烏龍茶」

 榊が割り込みを入れる。高谷はかしこまって注文を受け、カウンターの奥へ引っ込んでいった。


「やだ、彼烏龍茶なの、かわいい」

 歩実と陽菜はすっかりご機嫌だ。周囲の女性客が今のセット時間が終わり次第、榊と曹瑛を指名できないか目を光らせて狙っている。

 ブランデーと烏龍茶が運ばれてくる。曹瑛は突き出しの枝豆を黙々と食べている。その間、榊はテンションが上がって口数の多い歩実と陽菜の聞き役に徹していた。面倒くさいという感情を全く表に出さない榊の対応は見事だ。


「お二人とも、休みの日はどんなことしてるんですかぁ。趣味とか」

 陽菜が榊に訊ねる。曹瑛は会話に入らず鉄板ナポリタンを黙々と食べている。

「温泉は好きだ」

 榊の答えに今度一緒に行きたい、と歩実と陽菜は勝手に盛り上がっている。曹瑛はチーズハンバーグにナイフを入れる。とろとろのチーズがはみ出して鉄板の上でジュッと音を立てる。


「亀を飼っている」

 ペットは、と聞かれて榊は明美の話を始めた。子供の頃、大雨の降る土手で明美を見つけたこと、それから大事に育てて毎年冬眠させてやっていること。

「自然界の環境に合わせてきちんと冬眠させてやるのはなかなか大変だ。だいたい11月から3月、冬眠中は体力を使うからそれまでにしっかりエサをやることが必要だ」

 榊の口調は冷静だが、説得力のある語りは熱を帯びている。大して興味のない話題のはずなのに、歩実と陽菜は榊の表情を見つめながら聞き入っている。


「冬眠中に起こすことは御法度だが、2週間に一度くらいは観察する必要がある。環境が悪いと死んでしまうこともあるからな。3月になり、気温が上がると起きだしてくる。春が来たと実感できる瞬間だ」

 榊の話はマニアックだったが、二人は相づちを打ちながら真剣に聞いている。

「抹茶パフェ、それと烏龍茶をホットで」

 曹瑛が高谷に追加注文をする。


「お酒、全然ダメなんですね~。強そうに見えるのに」

「ちょっとくらい高いお酒頼んでも大丈夫ですよ」

 テーブルの会計はお客持ちだ。酒に強いキャストは高い酒をどんどん頼んで売上げを上げていく。凜久はそうやって売上げトップに躍り出た。歩実が曹瑛の顔を覗き込む。曹瑛は彼女を一瞥して抹茶パフェに手をつけ始めた。

「こいつは全く飲めないんだよ」

 榊の言葉に、曹瑛はスプーンを持つ手を止める。突然、榊のブランデーグラスを取り、口に含もうとする。


「あ、馬鹿野郎、よせ」

 榊が曹瑛の腕を掴み、慌てて止めに入る。曹瑛はかたくなにグラスを離そうとしない。

「誰が飲めないと言った」

 曹瑛はビールをコップ半分で前後不覚になるほど酔っ払う超下戸だ。ここでブランデーなど口にすれば、瞬時に気絶すること間違いなしだ。しかし、曹瑛は榊に張り合おうとしているのか、強引にグラスを口につけようとしている。


「やめておけ、誰がお前を背負って帰るんだ」

「俺は一人で歩いて帰れる、離せ」

 曹瑛がフンと鼻を鳴らし、そっぽを向く。

「いい加減にしろ」

 榊と曹瑛がグラスを奪い合い、攻防している。男二人がもつれ合う様子に歩実と陽菜は目を奪われ、胸をときめかせていた。

 見かねた高谷が横からブランデーグラスを取り上げる。曹瑛は高谷を睨み付ける。


「こちらモヒートです」

 高谷が爽やかなライムドリンクにミントを乗せたカクテルを曹瑛の前に差し出す。曹瑛はチッと舌打ちをしてモヒートを口に含み、勝ち誇った表情を浮かべる。

「結紀、ナイスだ」

 榊が高谷に目配せする。高谷が出したモヒートはアルコールが一滴も入っていないノンアルコールカクテルだ。榊はブランデーを一気に飲み干した。


「ちょっとゴメンね」

 凜久が千弥の席を立つ。そして別の女性が座る席に堂々と腰を下ろした。耳元で何かを囁き、何かを手に握らせた。彼女は震えながら泣き出した。凜久は彼女を見下げて鼻で笑い、席を離れていく。

 彼女の手にはブランドものの高級時計があった。凜久が欲しいとねだったものだろう。それを突き返したのだ。


「常連で来てくれていた悠花さんだ・・・凜久はお客に貢がせて冷たく突き放す、優しくしてまた貢がせる」

 蓮人が唇を噛む。悲しい思いをさせるためにこの店に来てもらっているのではない。凜久の命令か、それまで隣にいたキャストが席を離れた。悠花は一人で惨めな気持ちに打ちひしがれている。


「俺行ってくる」

 花柄スーツで店内の失笑を買っていた伊織が悠花の横に座る。

「あのう、俺でもいいですか」

 控えめに声をかける。

「えっ、ちょっと何そのスーツ、やだ、そんなのどこで売ってるの」

 悠花は伊織の花柄スーツを見て、目を見開いた。そして次の瞬間、吹き出して爆笑し始めた。


「これ、俺の友達がね、ぜひ着て欲しいってわざわざ用意してくれたんだよ」

「それにしてもヒドイセンスね」

 悠花は息も絶え絶えだ。

「その人はさ、本気で似合うって思ってて、もう全然悪気がないんだよ。本当に参るよ」

「きっと友達思いなのね」

 伊織の穏やかな口調は悠花の気持ちを落ち着けていた。その生真面目な印象もあって、悠花は仕事で上司にキツく当たられてホストクラブ通いにハマってしまったこと、凜久に貢いで捨てられたことを話した。


「俺もね、以前働いていた会社では空回りばかりで、売上げもイマイチ、上司にも疎まれててさ。クビになっちゃったよ。でも、いろいろあって今は好きな仕事に就いてるんだ」

「そっか、夢を叶えたんだね」

 悠花の表情もいつしか穏やかになっていた。


「うん、たまたま出会った友達が人生を取り戻そうと一生懸命頑張る姿を見て、俺も腐ってられないぞって」

 伊織の脳裏にはありし日の曹瑛の姿が浮かんでいた。曹瑛は伊織に背を向けて無言で抹茶パフェを食べている。

「君ならナンバーワンホストになれるよ。ありがとう、話を聞いてくれて」

 悠花は会計を済ませて笑顔で店を出て行った。

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