第6話

 黒のジェットスキーは夜の海を滑るように走る。海の上は路上とは勝手が違うものの、榊はすぐに勘をつかんだ。走りが安定してくるのを曹瑛も感じ取っている。

「奴らはどこだ」

「あの岩陰から出てくるはずだ」

 曹瑛が目の前に突き出た岩場を指さす。低いエンジン音が近づいてきた。白い小型ボートが岩場から猛スピードで飛び出す。


「いたぞ、あそこだ」

 榊はジェットスキーの進行方向を変え、ボートと距離を取りながら併走する。急激な方向転換に、曹瑛は榊の腰を掴み、体重移動でバランスを取る。

「お前ら、取引をメチャクチャにしやがって、ぶっ殺してやる」

 ボートには松井と真蛇の姿があった。仲間を置き去りに自分達だけ逃げる気である。松井は榊に対して怒り心頭だ。島から持ち出したサブマシンガンを手にジェットスキーを狙い、躊躇いも無く乱射する。

 撃ち込まれる銃弾に水面が跳ねる。榊はハンドルをきって銃撃をかわす。


「すばしこい奴らだ」

 松井が舌打ちをする。真蛇が不気味な笑みを浮かべている。その手には丸い鉄の玉を握っている。手榴弾だ。

「こいつで木っ端微塵だ」

「そいつはいい」

 真蛇はピンを抜き、ジェットスキーを狙って手榴弾を投げる。手榴弾は海面に落ちる寸前で破裂し、爆音が轟き派手な水柱が上がった。


「あいつらメチャクチャやりやがって」

 派手に水しぶきを浴びた榊は頭を振り、舌打ちをする。曹瑛も頭から海水をかぶり、不機嫌な表情でボートを睨み付けている。

「反撃するぞ」

 曹瑛がサーフスーツの胸元から銃を取り出す。榊はジェットスキーを駆って手榴弾の水柱を避けながら、高速で進むボートに近づいていく。


「どうだ、奴らくたばったか」

「いや、爆発した様子はない。しかし、あの爆風の中ついて来れる訳はない」

 松井と真蛇は顔を見合わせて笑い合う。突如、水柱を突き抜けてジェットスキーが飛び出した。曹瑛の銃がサブマシンガンを持つ松井の上腕を撃ち抜く。

「うぎゃっ」

 松井が腕を押えて痛みに悶絶する。もう一発は真蛇の肩口を掠めた。

「なんてしぶとい奴だ」

 真蛇は唇を歪める。


「ボートの後ろに回れ」

 曹瑛の指示で榊はジェットスキーのスピードを落とし、ボートの背部についた。榊は曹瑛の考えが読めた。エンジンを狙っているのだ。

「お前も加勢しろ、銃はここだ」

 曹瑛は榊の肩に手を回して、サーフスーツの正面チャックを下ろす。榊はスーツに隠してあった銃を取り出した。曹瑛と榊でボートの背部を狙い、銃撃する。真蛇がサブマシンガンを拾い、ボート後部に走ってきた。

「まずい、一度離れるぞ」

 榊はハンドルをきり、ボートから距離を取る。背部から黒い煙が細く立ち上っているが、ボートを止めるほどのダメージではないようだ。


―その頃、ドック内


 猿ヶ島の沖から何度も爆音が響いてくる。曹瑛と榊が戦っているのだ。そして、危険に晒されている。伊織は意を決してドックに停泊していた漁船に飛び乗った。子供の頃、地元の海でじいちゃんに船の運転を習ったことがある。もちろん、船舶免許はない。

 古い型の漁船で、これなら何とか動かせそうだ。伊織は漁船のエンジンをかける。黒い煙が上がり、ディーゼルエンジンが始動した。懐かしいオイルの匂いが伊織の記憶を呼び覚ます。


「おお、どないするんや、伊織くん」

 劉玲が驚いている。

「瑛さんたちを助ける」

 伊織の真っ直ぐな目を見て、劉玲はニヤリと笑う。行くなと言っても聞かないだろう、その瞳には友を助けたいという強い意志が宿っていた。

「おお、そらええ心意気や。俺も行くで」

 片付けはよろしくと孫景と獅子堂に手を振り、劉玲はひょいと漁船に飛び乗った。


「お、俺もいきます」

 高谷も慌てて飛び乗る。兄を助けたい心に迷いは無かった。ドックを出て船のスピードを上げる。漁船は波に乗って星空の広がる海を突き進んでいく。思うほどスピードが出ないのがもどかしい。前方に高い水柱が見えた。

「あそこだ」

 伊織はスロットルを全開にする。


 榊と曹瑛がジェットスキーで白いボートを追っている。ボートに長い筒状の武器を肩にかついた真蛇が姿を表わした。

「あれはロケットランチャーや、俺らも危ない」

 劉玲がボートから距離を取るよう指示する。伊織は舵を切る。高谷は榊と曹瑛の姿を祈るように見つめている。

「砕け散れ」

 真蛇がロケットランチャーを撃つ。弾頭が海面に着弾し、爆風と大きな飛沫が上がる。

「瑛さん、榊さん」

 伊織が叫ぶ。高谷は血の毛の引いた顔でうねる海面を見守っている。ジェットスキーが炎と煙幕の中から飛び出した。

「2人とも生きてる」

 伊織が叫んだ。劉玲もさすがに緊張していたようだ。額から汗が流れている。


「くそ、あいつら何でも持ってやがる」

 榊が煙に咳き込みながら毒づく。

「榊、銃は」

「弾切れだ」

「マガジンがまだある」

 曹瑛はサーフスーツからマガジンを取り出し、手早く交換する。榊が曹瑛の胸元に手を入れる。

「どこだ」

「もう一つある」

「見つからないぞ」


「さ、榊さん・・・ッ」

 その様子を見た高谷が目を見開いて固まっている。榊が曹瑛の大きく開いたサーフスーツの胸元に手を突っ込んでいる。

「あったぞ」

 榊は曹瑛の胸元からマガジンを取り出した。高谷は漁船の縁に顔を乗せ、暗い瞳で榊を見つめている。榊はそれに気が付いていない。曹瑛はサーフスーツのチャックを引き上げた。


「榊さん」

 伊織が叫ぶ。榊は漁船にジェットスキーを幅寄せする。

「伊織、お前船を運転できるのか」

 榊は伊織の意外な特技に驚いている。

「うん、無免許だけどね。奴らをあっちの方向へ誘い出せるかな」

「わかった、やってみよう」

 榊は頷き、親指を立てる。伊織は緊張した面持ちで頷き、額から流れる汗を拭った。

「曹瑛、これ」

 劉玲が曹瑛に手榴弾をいくつか投げて渡した。曹瑛がそれをキャッチしたのを確認し、榊は漁船から距離を取る。


 ボートを追い、伊織の漁船と榊のジェットスキーで挟み撃ちにする。

松井と真蛇がサブマシンガンでジェットスキーを銃撃をするが、からかうようについては離れて命中しない。

「そろそろこっちの番だ」

 曹瑛が手榴弾のピンを抜き、榊に合図する。ジェットスキーはボートの前方に躍り出た。曹瑛が手榴弾を投げる。船体のすぐ脇で爆発し、ボートは大きく揺れる。

「くそっ、ちゃんと避けろ」

 松井が運転手に向かって叫ぶ。しかし、小回りの効くジェットスキーの攻撃を避けるのは至難の技だ。


 曹瑛が続けて手榴弾を投げる。

「右いっぱいに舵をきれ」

 その放物線を確認して、真蛇が方角を指示する。船は進行方向から東へ逸れて走り出す。漁船からは劉玲が手榴弾を投げてくる。真蛇の手元には投擲武器は残っていなかった。あとは逃げに徹するのみだ。

「スピードを上げろ」

 松井が声を荒げる。ボートの前方で破裂音がした。目の前を煙幕が流れていく。

「くそ、発煙弾か」

 真蛇と松井は煙に咳き込む。煙幕は途切れず、ボートは視界を失う。


 ガガガッと何かが引っかかる大きな音がして、スピードを出していたボートの船体が跳ねた。大きな衝撃に、松井と真蛇はデッキに転がる。

「何だ、何が起きた」

 松井は痛む腰をさすりながら立ち上がる。真蛇は詰襟の運転手をこの下手クソ、と小突いた。ボートは停止していた。エンジンから黒煙がもうもうと立ち上っている。

「こ、これは」

 ボートの後部を見れば、プロペラが網を絡め取り、動かなくなっていた。この海域には網が入っていたのだ。


「よっしゃ、やったな伊織くん」

 劉玲と伊織がハイタッチをする。伊織は猿ヶ島に渡る船から一列に並ぶブイを見ており、この周辺で網で漁をしていることを知っていたのだ。

「畜生がっ」

 松井と真蛇は悔しさに地団駄を踏む。劉玲の顔を見た真蛇は怯え始めた。真蛇と松井は顔を見合わせ、ボートから海に飛び込む。伊織は漁船を操舵して2人を追い、劉玲と高谷で漁船に乗っていた網を放った。真蛇は網に絡み取られてとうとう観念した。


 網に絡め取った2人はボートの柵に縛りつけた。しばらくして、沖合から小型船の明かりが近づいてきた。劉玲の呼んだ九龍会関東支部の男たちだ。松井と真蛇を海から引き上げて去って行った。


***


 翌朝も快晴だった。グランピング施設のウッドデッキで朝食を囲む。頭上にはヤシの木が揺れ、照りつける真夏の太陽に輝く青い海、まるで南国でバカンスをしているような気分だ。

 施設に用意されていた朝食は、海岸沿いで人気のパン屋さんのサンドイッチだった。海老とアボガド、生ハムサラダ、黒胡椒つき肉厚ベーコンと具材がリッチで、パンは香ばしい。海鮮サラダにゆでたまご、ドリップコーヒーに新鮮なフルーツ、ヨーグルトが並ぶ。


「ふああ、眠い」

 伊織が大きく伸びをする。武器密輸犯を確保してテントに戻ったときには、空が白み始めていた。せっかくの高級ホテルのベッドも無駄使いになってしまった。

「みんなのおかげで仕事がはよ終わった。今日はバカンスして帰ろ」

 劉玲は嬉しそうにマグカップにコーヒーを注ぐ。孫景がそわそわしているのは今日の朝一番の船便で千弥がやってくるからだ。電話で猿ヶ島にいると口を滑らせたところ、何で連れていってくれなかったのかと散々怒られたらしい。


 高谷の隣で榊はタブレット画面に何やら入力している。

「榊さん、何してるの」

「ライアンに施設のモニターとして招待されたからな、使い勝手を報告する。ついでに掃除もしておいたとな」

 律儀な榊は仕事をしていた。武器密輸犯壊滅作戦の話を聞いたら、ライアンはきっと参加したかったと悔しがるだろう。高谷が画面を覗き込めば、“温泉があれば尚よし”と書きこんであった。


 伊織はパラソルの下でマルボロを吹かす曹瑛の隣に座った。

「瑛さん、昨日は活躍だったね」

 曹瑛は何も言わず、美味そうに煙をくゆらせている。

「お前の機転が無ければ奴らを逃がしていたかもしれない」

 伊織は嬉しくなり、にんまりと笑みを浮かべた。曹瑛はその顔をチラリと横目で見ている。

「だが、船の操縦はもうやめておけ。危なくて見ていられない」

 曹瑛が意地悪な笑みを浮かべる。

「あっ、ひどい」

 伊織が渋い顔をする。奴らを捕まえるまでは高谷も気が張っていたようだが、島へ帰るときにはひどい船酔いで目を回していた。確かに、げっそりした高谷は相当気の毒だった。


 朝早くから、昨日助けた漁師2人がお礼にと魚介類を差入れに持って来てくれた。金髪はじめ4人輩たちも頭を下げにきたので、劉玲がジェットスキーのキーを返してやった。

「すみませんでした」

 4人の輩は漁師に深々と頭を下げる。極道やマフィアに囲まれ、理不尽な暴力を目の当たりにして自分たちの行いを反省したようだ。


「さて、俺はもう一泳ぎするか」

 榊が水着に着替えて海に向かおうとするのを高谷がちょっと待って、と止めた。

「みんなで記念撮影しよう」

 タブレットをテーブルに置いて、タイマーをセットする。水着にパーカーを羽織った榊、ハンモックに揺られる曹瑛、ビーチチェアで居眠りする伊織、浮き輪を持ってピースサインする高谷、アロハシャツの劉玲と孫景、獅子堂はテーブルでビールを開けている。白い水着姿の千弥は、麦わら帽子をかぶって照れくさそうに笑っていた。


「楽しい夏の思い出だ」

 高谷は満足げに微笑む。それから一人、遊歩道を歩いて展望台へ向かった。小高い丘からは青い海が見渡せる。高谷は首にかけたネックレスを外した。羽のチャームが一つだけ

揺れている。

「秋生、俺と兄さんを助けてくれてありがとう」

 高谷は銀色の羽を握りしめ、口づけをする。そして、空に放り投げた。太陽の光を反射して羽は空に舞い、やがて海の光の中へ吸い込まれていった。

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