ドラマ撮影裏舞台

第1話

 残照が割れた窓ガラスから射し込む廃倉庫の中。いかにも探偵といった風貌のトレンチコートの男が複数の黒スーツの男たちに囲まれている。そのうち2人は銃を持ち、コートの男に狙いを定めている。

「お前は知りすぎた」

 黒スーツ集団のリーダーと思しき男が低い声で語りかける。サングラス越しの冷たい視線が探偵を射る。


「くっ・・・」

 探偵は絶体絶命だ。ここで最期か、と唇を噛んだとき、倉庫入り口のシャッターに長身の男が姿を現わした。黒いロングコートにサングラス、日本刀を手にしている。

「お前は、子墨」

 コートの男に視線が注がれる。


「はいカット!いいよ~、いい絵が撮れた」

 ブルゾンを着た髭面の男が拍手をする。周囲のスタッフは監督の上機嫌の声にホッと胸をなで下した。次のシーンの撮影でドタバタとセッティングが始まる。


「すごい、ドラマの撮影現場なんて初めてです」

 伊織は興奮気味に隣に立つ王麗鈴に話かける。王麗鈴は日本と中国の文化の橋渡しをコンセプトとする情報誌の編集長で、伊織の上司に当たる。北京出身で日本勤務が長く、日本語はペラペラ、40代のエネルギッシュな女性だ。

 今日は記事の取材で中国から来日している俳優、鍾陽のインタビューのために撮影現場にやってきたのだ。


 通常であれば人気俳優への直接インタビューなど小さな雑誌社には許可が下りないところ、王麗鈴がこれまで培った人脈を駆使して実現できたのだった。

 撮影中のドラマは日本で有名な探偵シリーズで、最近の中華俳優ブームに乗って鍾陽のゲスト出演が決定した。今回は異例の来日で、撮影の合間に手短にインタビューを受けてくれるということだった。


 鍾陽は36才で、20代中盤まで不遇の時代を過ごした。しかし、落ち着いた男の色香を漂わせるルックスと深い役作りや観客を魅了する迫真の演技が話題になり、今では人気俳優の一人に数えられるようになった。真面目な努力家という定評がある。

 本国では人気小説が原作の大型中華時代劇に出演することが決まっており、今回の取材はその話題によるところが大きい。公開されれば、日本でもファンが増えることを見越しての記事だ。


 間近に見る鍾陽はすらりとして身長が高い。横に並ぶ日本人スタッフより頭一つ分飛び出ている。曹瑛と同じくらいか、と伊織は思った。撮影時の真剣な表情と、オフのときの温和な笑顔のギャップにこれがプロの俳優か、と驚嘆させられる。

 派手な殺陣のシーンの撮影が無事終了し、拍手が起きた。少しの休憩を挟むことになり、鍾陽はインタビューを受けるために席についた。


「日本のドラマ出演は初めてですね。今回はどんな役なの?」

 王麗鈴がメインのインタビュアーを務める。音声は録音だが、何か聞き出せそうなことがあれば伊織も質問する、というサブの役割だ。会話は中国語で進むので、伊織は聞き取りに集中し、頭をフル回転させる。

 本来であれば王麗鈴が一人で対応できる案件だが、経験のためと伊織を連れてきてくれてたのだった。


「日本にやってきた中国人の暗殺者の役だよ。とても冷静で、非情な男だが主人公の探偵と目的が共通することから影で彼を助けるという役割だ。とても良い配役だよ」

 中国の暗殺者か、伊織は曹瑛を思い描いた。鍾陽は暗殺者の役を気に入っているようだった。日本には短い滞在になるが、美味しいものを食べ、スカイツリーに登ってみたいと観光も楽しみにしていると語ってくれた。


 突如、撮影現場が騒がしくなった。鍾陽と共に駆けつけるとスタッフが集まっている。黒いコートを着た長身の男が足を押さえていた。その顔は苦痛に歪んでいる。

「これは折れているかもしれないな」

「命綱はどうした、チェックしてなかったのか」

 スタッフの怒号が飛ぶ。鍾陽の演じる暗殺者、子墨のスタントで怪我人が出たようだ。倉庫内に詰まれたコンテナからのジャンプの最中に命綱がぷっつり切れてしまったという。スタッフの車でスタントマンが病院へ運ばれていく。


「困ったな、スタントの場面は・・・こんなに残っているのか」

「代理のスタントマンを手配しますか」

「彼の様な長身でスタイルも似ている者がすぐに準備できるのか」

 監督とスタッフが苛立ちながら交わす会話の内容によれば、代理のスタントマンの手配に難渋しているらしい。

「私が演じましょうか」

 鍾陽が進み出る。しかし、契約の問題で危険な撮影は不可能ということだった。


「伊織くん、彼はどうなの」

 王麗鈴が伊織に耳打ちする。

「彼って」

「ほら、ブックカフェの店長さん。曹瑛よ」

「えっ」

 伊織は目を見開く。曹瑛にスタントを任せられないかというアイデアだった。本当に危ないところはカットしてもらえば、という妥協案だ。

 伊織は頭を抱えて唸る。曹瑛ならきっと難無くこなすだろう。しかし、スタントをやってくれと頼んで、来てくれるはずがない。


「スタントなしか、アクションの見栄えが落ちるができる範囲でやるしかない」

 スタッフの話ではそのような方向になったようだ。鍾陽は残念そうに肩を落としている。

 伊織はスマホを取り出し、曹瑛の番号をクリックした。今日は烏鵲堂が休みのはずだ。気が向けば電話に出てくれるだろう。

「あ、もしもし瑛さん。あの・・・おいしい天丼屋があるんだよ。行ってみない」

 つい食べ物で釣ってしまった。

「天丼か、いいだろう。どこに行けばいい」

 予想外に素直に乗ってきた。伊織は撮影現場の場所を伝えた。


 20分ほどで黒いNinjaが撮影用の倉庫街に到着した。その爆音に現場のスタッフたちが振り向き、Ninjaから降り立った長身の男の姿に注目している。ヘルメットの下のモデルのような整った顔立ちにどよめきが起きる。

 曹瑛はそれを気にも留めず、伊織の方へ大股で歩いてくる。

「仕事は終わったのか、行くぞ天丼屋」

「瑛さん、来てくれたんだね」

 王麗鈴が事情を説明し、スタントの手伝いを頼みたいことを伝えると、曹瑛は伊織の襟首を掴み上げ、マジギレ寸前だ。


「え、瑛さん、苦しい」

「伊織、俺は嘘が嫌いだと知っているだろう」

 曹瑛は低い声で凄む。

「この後天丼食べに行こうよ。本当に近くにおいしいお店があるんだよ」

 それを聞いた曹瑛は手を離した。咳き込む伊織の背中を王麗鈴が撫でてやる。

「来てくれて良かった、無理のない範囲でいいから手伝ってもらえると嬉しいわ」

 じゃあこれから次の取材があるから、と王麗鈴はあっけらかんと去って行った。


「宮野さんの友人ですか、おお、とても男前だ。本当に助かるよ」

 鍾陽がやってきて、握手を求める。曹瑛は憮然としながらもそれに応えた。鍾陽は礼儀正しく頭を下げ、曹瑛に感謝を伝えた。

「瑛さん、騙したのは謝るよ。でも、助けてもらえないかな」

 伊織の言葉に曹瑛は小さく舌打ちをする。


「背格好も彼に似ているし、申し分ない」

 曹瑛の姿を見たアクション監督は大喜びしている。早速スタッフがスタントの保険やスタント料の話を曹瑛に伝えている。

「保険も金も必要無い。顔は絶対に映すな」

 ロングコートにハイネックのセーター、パンツにブーツと普段から黒づくめの曹瑛はコートだけ衣装係が用意したものを着て、そのままスタントをこなすことになった。日が暮れかけている。撮影スタッフも気が急いているようだった。


「これが脚本です、まずコンテナの上から飛び降りる場面で・・・」

 命綱が切れたせいでスタントマンが骨折してしまった場面だ。曹瑛は脚本に目を滑らせると、軽々とコンテナへ飛び乗った。

「アクション!」

 監督の声に、曹瑛がコンテナから飛び降りる。一段下の角を蹴り、地面に降り立った。その軽やかな動きに周囲が一瞬沈黙する。そして拍手が起きた。

「今の、命綱無しだったぞ」

「すごいな、体操選手なのか」


「瑛さん、すごい」

 伊織も思わず拍手をする。

「次はどこだ」

 次の場面は2階の渡り廊下へ飛び移る場面だ。スタッフが渡り廊下の柵に手が届くよう高台を用意しようとしていたが、曹瑛はそのまま飛ぶという。

 曹瑛はジャンプして雨樋に手をかけた。そこから2階の渡り廊下の鉄柵を掴む。もう片方の手も鉄柵に手をかけ、渡り廊下へ飛び移った。また大きな拍手が起きた。日が落ちたので、スタントの撮影はここまでということになった。


「曹瑛、ありがとう。素晴らしい動きだった。感激だよ。また明日以降もお願いできないだろうか」

 鍾陽は感激して曹瑛にハグをしている。そして、連絡先だと名刺を持たせた。

「天丼屋に行くぞ」

 曹瑛は面倒から解放されてスッキリしたという顔をしている。伊織にヘルメットを投げ、Ninjaの後部座席に乗るよう促した。


 撮影現場の倉庫街から駅前の商店街へ、その裏路地に隠れ家のように老舗の天丼屋はあった。カウンターに並ぶ2人の前にご飯が見えないほど豊富な具材の乗った上天丼が置かれた。穴子にキス、海老は2匹、かぼちゃんにしいたけ、にんじん、大葉が乗っている。

「うまい」

 曹瑛は機嫌が直ったのか、嬉しそうに海老にかぶりついている。

「瑛さん、今日は本当にありがとう。鍾陽さんは良い俳優だと思うよ。日本での撮影も成功させてあげたくて」

「誰かは知らないが、面倒なことに巻き込まれているな」

 本国で有名なはずだが、曹瑛は全然知らないようだった。興味が無いのだろう。


「面倒なこと?」

 伊織は箸を止めた。

「命綱、あれほどしっかりしたロープ、そうそう切れるものではない。切り口を見たが、人為的に切れ目を入れてあった。それに、2階の渡り廊下、最初に掴んだ鉄柵は力をかければ折れる仕掛けになっていた。知らずにしがみつけば、バランスを崩すようにな」

 曹瑛の言葉に伊織は青ざめる。

「それって、鍾陽さんが誰かに狙われてるってこと」

「そのようだな」

 曹瑛はお吸い物をすする。曹瑛のスマホにメッセージが入った。兄の劉玲からのようだ。

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