第2話
マンションから新宿駅へ、山手線で秋葉原へ向かう。元旦から初詣に出動する若者や家族で車内はごった返している。思えば、伊織が東京にやってきて元日に都内の初詣に出掛けたのは初めてだ。通勤電車をさらに上回る勢いの乗車率に目眩を覚える。
「新年から役得だね」
車内に押し込められた榊は容赦ないおしくらまんじゅうのために、ライアンと向かい合わせになった。
「この状況を見ろ、仕方ないだろう」
榊は嬉しそうに微笑むライアンを睨み付けた。曹瑛は顔色一つ変えずに仁王立ちしている。
秋葉原駅に到着し、電車を降りる。改札を出ると湯島明神への初詣と、秋葉原の初売りで人の波が別れ、混雑は少し緩和された。
「エキサイティングだね。ニューヨークのサブウエイでもこんなに混雑はしない」
ライアンは涼しい顔でラフに下ろした前髪をかき上げる。コートの下は白のアーガイル柄のニットにグレーのスラックス、茶色のフェラガモと休日も洗練された装いだ。セレブが好き好んでこんな混雑する山手線に乗る気がしれないが、それを楽しんでいるようだった。
湯島明神の立派な赤い門が見えてきた。東京でも大きな神社の一つで、初詣客が多い。ここは近くに初売りをやる大型店も多いので参拝してすぐに帰る人も多く、実は穴場なのだ。
「この門には四神が彫刻されている」
榊が指さす方向をライアンが見上げる。
「四神とは4つの方角を司る霊獣のことだ。東に青龍、南に朱雀、西の白虎、北に玄武」
中国神話が発祥であり、曹瑛が説明を付け加える。
「おお、ファンタスティックだね」
ライアンは門の造形を眺めて感動している。門をくぐり、境内へ進む。少し並んだがすぐに神殿前にたどり着いた。緑色の屋根の権現造で、赤色の鮮やかな柱に金色の装飾が施されている。
以前、浅草寺に行ったこともあり、ライアンも神社の参拝方法は知っているようだ。お賽銭を投げ入れ、それぞれに祈りを捧げる。
これで正月の行事が終わった、と伊織は目を閉じてホッとする。地元にいると初詣から帰れば親戚が押し寄せてきて宴会になる。田舎ののんだくれオヤジの相手は苦痛だった。
「普段大してお参りなどしないのに、正月にこぞって神社に殺到する、日本の風物詩だな」
参拝を済ませ、神殿の脇でポケットに手を突っ込んだ榊が皮肉を言う。
「ここは縁結びの神もいるのだろう、私はしっかりと祈っておいたよ」
笑顔を向けるライアンに何をだ、と敢えては聞かない。曹瑛も目を逸らしている。
「伊織はどうした」
曹瑛が周囲を見回す。
「そういえば、さっきからいないね」
高谷も先ほど参拝していた神殿前を探してみるが、見当たらない。だんごでも買いにいったのか、と榊ものんきに構えている。しかし、しばらく経っても戻ってくる様子がない。スマホで連絡を取ろうろしたそのとき、榊は神殿の脇にいた伊織と目が合った。
「探したぞ、伊織。どうした?その格好は、お色直しか」
目の前の伊織は見事な紋付き袴を着ている。いつの間に着替えたのか。伊織は榊の顔を見るなり、青ざめて逃げだそうとする。
「おい、どうした」
榊が手を伸ばす。それを振り払い、伊織は走り出そうとした。しかし、腕をがっしりと掴まれ動けない。腕を掴んだ曹瑛が冷たい表情で伊織を見下ろしている。
「やめて、痛い・・・!」
伊織の情けない声に、高谷が心配して曹瑛の肩を叩く。
「どうしたの、曹瑛さん。伊織さん痛がってるよ」
「こいつは伊織じゃない」
その言葉に榊と高谷、ライアンが曹瑛と伊織を驚いて交互に見た。
「誰だお前は。伊織はそんな不甲斐ない目をしていない」
曹瑛の自分を睨み付ける鋭い視線と低い声音に、紋付き袴を着た伊織に似た男は怯えた目を向ける。
「よく似ているが、そう言えば雰囲気が違うな」
榊が伊織のような男の顔を覗き込む。射貫くような視線に伊織のような男はまた怯えている。
「何者だ、伊織はどこにいった」
ライアンがマフィアモードになって上から見下ろす。3人の強面に囲まれて伊織のような男は泣き出しそうだ。
「ちょっと、可哀想だよ。話を聞いてみない?」
高谷がフォローを入れる。元プロの暗殺者と元極道、現アメリカンマフィアに囲まれたら泣くしかない。
「初詣に来ただけですよ、ほっといてください」
伊織のような男は俯きながら弱気な声で呟く。
「お前は何かから逃げている」
曹瑛の指摘が的を得たのか、伊織のような男は挙動不審に目線を泳がせる。
神殿の裏手から黒スーツに黒いネクタイ、サングラスの男が3人走ってきた。ケンカ慣れしている体格だ。榊は元同業者とすぐに気付いた。
「若!こんなところに」
小走りに駆けて伊織のような男に近づく。
「早く戻りましょう、式が始まります」
伊織のような男はそれを見てまた逃げだそうとした。曹瑛がひょいと足を伸ばす。男は見事に引っかかってコケた。
「貴様、若に何しやがる」
「許さんぞ」
曹瑛は2人に向き直る。
「伊織はどこだ」
曹瑛の顔には表情がない。
「何だ、伊織って誰だ」
血気盛んな黒服はそう言いながらも曹瑛に殴りかかる。曹瑛はその腕を軽々受け止め、捻り上げた。もう一人も曹瑛に殴りかかろうとする。ライアンが横から蹴りを入れる。髭の黒服は吹っ飛ばされて壁に背中を打ち付けた。
「もうやめろ」
構えを取った最後の一人を榊が諫める。腕自慢の武闘派二人が簡単にのされてしまったので、諦めるしかない。
伊織のような男はその様子を見て、怯えて逃げ出そうとする。高谷が腕を掴んだ。
「あんた、往生際悪いよ」
アイドル顔負けの可愛い顔をした若者に睨まれて驚き、力を失ってその場に立ち尽くした。
―その頃
式典の場である湯島会館で伊織は強面の黒服に囲まれていた。無理矢理着せられた紋付き袴を見て唖然としている。
「若、もう覚悟を決めてください」
「オヤジも若くないんです。うちの組は若しか頼れる人間はいないんですよ」
強面が頭を下げる。
「ああ、はあ・・・」
どうやら誰かと間違われているらしい。参拝を終えて皆のところへ行こうとしたら逆側から手を引かれ、あれよあれよとここに連れてこられてしまったのだ。
「あの、この式典って」
伊織がおずおずと尋ねる。
「鳳凰会本宮組組長交代の儀やないですか、若しっかりしてください」
これがしっかりできるか、伊織は目眩を覚えた。本宮組の組長に代わる“若”と間違えられているらしい。これは他人とバレたら殺されてしまう。伊織は青ざめる。しかし、ここで騒いでも仕方がない。落ち着いて逃げるチャンスを覗うことにした。
伊織は正月早々面倒な目に、とため息をつきながら周囲を見回す。紋付き袴に着替えさせられたここは控え室だ。おそらく、本会場に連れて行かれ、何か儀式を行うのだろう。強面が自分を見張っている。ここから走って逃げ出すのは難しい。
「しかし、若、決心がついたんですね」
髭面がこちらをじっと見据えている。口元にはほんの少し笑みを浮かべて。
「逃げても仕方が無いからね」
「若、あんなに嫌がっていたのに、見上げた心構えです。その目は覚悟を決めた男の目ですよ」
「え、そうなの」
伊織は渋い顔をした。確かに今は逃げられないと腹は括っているが、このまま極道の儀式に参加するつもりはない。
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