年末の大掃除

第1話

 BMWのフロントグラスが曇り始め、榊は空調を操作する。ディスプレイの表示は外気温2度となっている。夜10時、思ったより帰りが遅くなった。首都高速を降り、品川の自宅マンションへ。年末とあって、通りには車が少ない。榊はアクセルを踏み込んだ。


 11月末に川越の古民家カフェのオープンに携わった。店長からは雑誌の取材が3件もあり、評判だと喜びの電話があった。ぜひ来て欲しいと言われていたが年末の忙しさになかなか時間を作れず、やっと訪問できたのが今日だ。


 店内は梁や柱など、古民家の内装はできるだけそのままに、レトロモダンな雰囲気に統一した。店長は脱サラした50代男性で、妻とともに喫茶店を構えることが夢だったらしく、繁盛していると聞いて嬉しい限りだ。

 信号待ちで榊はフィリップモリスを取り出し、手に馴染んだデュポンで火を点ける。窓を開けると冷気が流れ込んできた。信号が青に変わる。


 不意に、BMWにバイクが横付けされる。ライダースーツを着込んだ2人組だ。体型からして男だろう。

「妙に近いな」

 榊は不快感を露わにする。しかも、車のスピードに合わせて流してくる。前を見据えるフリをして、横目で気配を覗う。後部座席の男が何か長いものを取り出した。バールだ。それを振りかぶり、窓ガラスを割る気だ。


 榊はリアミラーで後続車が無いことを確認し、急ブレーキを踏み込んだ。バイクは走りすぎ、バールを空振りした男はバランスを崩して運転手にしがみつく。そのまま30メートルほど進み、方向転換をした。榊はドアを開け、車の外に立つ。街灯の明かりに黒光りするバイクがこちらを向いている。後部座席の男は再びバールを構えた。車のフロントガラスを狙う気だ。

「ふざけた奴らだ、お仕置きが必要だな」

 榊の切れ長の目に鋭い光が宿る。


 バイクはアクセルを二度、吹かした。そのままスピードを上げてこちらに向かってくる。榊は車の横に立ち、微動だにしない。フルスピードのバイクが迫る。開けておいた窓から手を入れ、ライトをハイビームに切り替えた。車検ギリギリラインのハロゲンランプだ。眩しさに運転手が怯み、一瞬速度が落ちる。

 榊はコートを脱ぎ、バイクの正面に放った。視界が完全に遮られ、運転手はハンドル操作を誤り派手に転倒する。後部座席の男もその衝撃で、車道脇の茂みの中に突っ込んだ。榊はコートを拾い上げ、砂を払い落とす。


「うぐ・・・」

 榊は立ち上がろうとした運転手のヘルメットを蹴り飛ばし、踏みつける。運転手は道路に押さえつけられ、身もだえしている。

「何故俺を狙った」

 運転手は答えない。榊は足に力を込める。背後から後部座席に乗っていた男がバールを手に忍び寄る。振りかぶったバールを振り下ろされる前に受け止め、腹に拳を叩きつけると、男は呻いてしゃがみこんだ。


 榊は手にしたバールで道路に転がした運転手のヘルメットをこじ開けるように脱がせた。20代半ばか、まだ若い。バールを鼻先に突きつける。

「答えろ」

 榊の鋭い眼光に怯えている。

「誰でもいい、高級車に乗ってる奴を狙っただけだ」

 背後でバイクのエンジンを吹かす音がした。運転手の男は榊の隙をついてヘルメットも拾わずにバイクの後部座席に跨がる。そのままバイクは走り去っていった。


「逃がしたか」

 榊は小さく舌打ちする。強盗を働くつもりだったのだろう、手荒な奴らだ。警察に届けようにも証拠はヘルメットしかない。しかも、被害に遭った証拠がなければ動かないだろう。

 榊は小さなため息をつき、ヘルメットを拾い上げた。側頭部にドクロに蛇が絡んだシンボルがついている。榊は車に乗り込み、助手席にそれを放り投げた。


 ***


 ―深夜0時

 孫景は首都高速を都心に向けて車を走らせている。日夜渋滞し、道の狭い日本では軽四が便利だ。燃費も良いし、小回りが利く。助手席では座席を思い切り倒し、ダッシュボードに足を置く劉玲が大きな口を開けてあくびをしている。

「日本は年末か、俺たちには関係あらへんけどな」

 1月1日は中国でも一応新年ということになるが、本当の新年は旧暦の正月である春節だ。春節のお祝いの方が断然盛り上がる。


「日本と中国を行き来してたら2回新年があって、楽しいなと思てたけどな、やっぱりこっちの大晦日はいまいちピンとこおへんなあ」

 間延びした声だ。眠いのだろう。ハンドルを握る孫景もひとつ大きなあくびをした。首都高速を降りて、一般道へ入る。

 リアミラーで見れば、先ほどからイライラした様子の白いベンツが車間を詰めてきている。信号待ちで停車すると、ベンツが無理矢理前に割り込んできた。

「こんな夜中に何を急ぐのやら」

 孫景は気にも留めない。中国ならこのくらいの割り込みは日常茶飯事だ。


 窓の外をバイクが通り過ぎるのをぼんやりを眺めていた。すると、バイクが白いベンツの横で急停止し、後部座席に乗った男がバールでフロントガラスをかち割った。

「おいおい、なんの冗談だ」

 孫景は目を丸くする。劉玲も足をダッシュボードから下ろし、様子を見守る。ベンツから男女が降りてきた。男は白いジャンパーを着ており、恰幅が良い。女性は明るい茶色にゆるいウェーブの髪、赤色のコートを着ている。


 黒のライダースーツの2人がベンツの男女に何か話かけている。男が首を振れば、バールを持った男がドアを殴った。怯えた2人は言いなりになるしかなく、手にしたバッグを男たちに渡す。男たちは軽四をチラリと見る。

「どうするかな」

 孫景が伸びをしている。このまま走り去っても追ってはこないだろう。軽四に乗るおっさん2人が金を持っているとは思えないからだ。

「せやなあ、まあ、孔子先生も“義を見てせざるは勇無きなり”というてたしな」

 劉玲はにやりと笑う。

「日本には“触らぬ神に祟りなし”ということわざがあるんだぜ」

 孫景はそう言いながらもドアを開けた。


 軽四から2人が降りたってきたのを見て、ライダースーツの2人はヘルメットの中からこちらをじっと見つめている。

「儲かりまっか」

 劉玲が飄々と話かける。男たちは動かない。

「せっかくのデートが台無しだな」

 孫景の言葉に白いジャンパーの男が苦い表情を浮かべている。近くで見れば、化粧の濃い女だ。怯えた顔でこちらに助けを求めるような上目使いの視線を送ってくる。香水の匂いが鼻をついた。


 ライダースーツがバールを振り上げる。もう一人もバイクにつけたサイドバッグから木刀を取り出して近づいてくる。

「お、やる気か」

 劉玲は楽しそうだ。劉玲にバールが振り下ろされる。それを軽やかなバックステップで避ける。横からは木刀が襲う。劉玲は木刀を受け止め、男の横膝に蹴りを入れた。男は呻いて膝をつく。ヘルメットの側頭部にドクロに蛇が絡みつくシンボルが見えた。

 劉玲は木刀を奪い取り、バールの攻撃を受ける。跪いた男の頭を蹴り飛ばし、バール男に向き直った。


「お前ら、こんなん使うてスマートやないで」

 劉玲は木刀を軽く振って見せる。男はバールを右に左に振り回す。劉玲はそれを軽いステップで避ける。大ぶりに振り下ろした隙をついて劉玲の木刀が男の腰に入った。

 男はバールを落とし、よろめいた。しかし、次の瞬間劉玲を背にして走り出し、バイクのエンジンをかける。倒れていた男もふらふらと後部座席に跨がった。そのままバイクは走り去ってしまった。


「ほらよ」

 孫景が拾い上げたバックを呆然と立ち尽くす男女に手渡す。

「すまなかった」

 男は気の毒なほど項垂れる。無茶な追い越しをして、格好をつけたところにこんな目に遭い、面子は丸つぶれだ。女はバッグから電子タバコを取り出してふてぶてしい顔で吹かし始めた。こういうときは女の方が肝が据わっている。


「年の瀬に道路工事と強盗が多いのは、どこも同じやな」

「違いない」

 吐く息が白い。孫景と劉玲は肩を竦めながら軽四に乗り込んだ。

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