第2話

 カフェスペース閉店後の烏鵲堂にいつもの面々がたむろしている。ここに来れば誰かいる、そんな溜まり場になっており曹瑛もそれを邪魔に思ってはいない様子だ。

 階段を上がってきた榊がハンガーにコートをかける。先客の伊織と同じテーブルに座って足を組んだ。


「榊さんは仕事納め済んだ?」

 伊織は温かい茉莉花茶を飲んでいる。開きかけのジャスミンの花と茶葉を寝かせて香りをつけたものだ。香りつけを何度も行ったものがより高級品という。これは香りつけ“印花”を7回繰り返したものだと曹瑛が教えてくれた。

「ああ、昨日でな。伊織も休みか」

 元極道の榊はバーや画廊を経営し、店舗やオフィスの総合プロデュースをする個人事業主として活躍している。伊織と同じ年だが、その豊かな商才には頭が下がる。


 1階の書店を店じまいした高谷が階段を上がってきた。曹瑛に売上を報告して榊の隣に座る。オープン当初から烏鵲堂の書店を手伝い、通販サイトも構築した。劉玲のルートでマニアックな中国書籍を扱うことも可能で高額な本の販売が多く、利益を上げている。


「結紀、これ調べられるか」

 榊がスマホの画面を見せる。黒地にドクロ、そのドクロに蛇が絡みつく禍々しいシンボルデザインだ。

「画像送ってくれる」

 高谷はタブレットで受信した画像を検索する。画面をするするとスワイプし、テーブルにタブレットを置いてみせる。

「凶暴化して半グレ集団になったチーマ―みたい」


「チーム名はヘルスカルか、構成員の年齢は10代から40代まで、頭は小学生のようだな」

 榊が頬杖をつきながら画面をスワイプする。高谷が検索した闇サイトには悪事を自慢する書き込みが並んでいる。その中には高級車を狙った強盗も含まれていた。ただの車上荒らしでは面白くない、高級車に乗っているクソセレブを脅すのは最高だと物騒な書き込みがある。

「うわあ、北斗の拳みたいだ」

 革のジャンパーにモヒカン、チェーンを振り回している男がいる。伊織にはまるで別世界の出来事のように思えた。都会はやはり怖いところだ。曹瑛も興味をひかれたのか、背後から画面を覗き込んでいる。


「こういう奴らは集会が好きだからな、根城を持っているはずだ」

 バイクや柄の悪い男たちがたむろする写真がアップされており、その背景から都内のどこかということは分かるが根城の特定はできない。榊は唸る。伊織と高谷もつられて唸っている。

「お、集まってるな」

 劉玲がやってきた。その背後には孫景もいる。

「なんやそれ、マッドマックスか」

 劉玲がタブレットの画面を覗き込む。しかし、蛇の絡みつくドクロのシンボルを見て目を細めた。


「こいつらと何かあったんか」

「ああ、昨日襲われかけてな」

 平然と答える榊に伊織は驚いている。

「バイクに乗った2人組だ。長物を持って車を襲っている」

 劉玲は無精髭を撫でる。

「ほう、そら奇遇やな。俺らも似たような奴らを見たで」

 劉玲が口角を上げて笑う。曹瑛は劉玲の顔をチラリと見る。何かまた下らないことを考えている顔だ。


「みんな揃てるし、“百花繚乱”行こか」

 劉玲の一声で烏鵲堂の隣にある中華料理店へなだれ込む。高谷が孫景に千弥も誘えば、と耳打ちする。

「忙しいんじゃないか」

「孫景さんが誘うなら絶対に来るよ」

 高谷の言葉に、孫景はスマホを取り出し千弥の番号をクリックする。

「獅子やんも呼ぼ」

 劉玲は獅子堂に電話をかけている。


「え、突然ね、でも今日は先約があるのよ」

 電話口の向こうの千弥は言い淀んでいる。

「そうだよな、急だからな」

 孫景は頭をかきながら笑う。電話の向こうで男の声がする。会話をしているようだ。

「あの、もう一人連れていってもいいかな」

「おお、いいぜ歓迎するよ」

 円卓に3人分の空席を用意して、宴が始まる。

 本格的な四川料理が円卓に並ぶ。キュウリと豚のニンニクソースあえ、渡り蟹のチリソース、定番の麻婆豆腐に辣子鶏、沸騰魚。唐辛子をふんだんに使った真っ赤な皿から湯気が上がる。花椒の香りが独特で、本場の雰囲気を感じさせてくれる。


「辛いけど癖になる」

 麻婆豆腐に入っていた大きな唐辛子を噛んでしまった伊織は、目を白黒させて水をお代わりしている。曹瑛は隣に座る劉玲が烏龍茶を飲んでいるのを怪訝な顔で見つめる。

「今日は休肝日や、なんてな。車なんや」

 飲酒運転はあかんやろ、と劉玲はあっけらかんと笑う。


 中華風の屏風から千弥が様子を伺うように顔を出した。

「おお、千弥ちゃんやないか、よう来たねここ座り」

 劉玲が孫景の隣の席を指さす。親戚のおっさんのような気さくな様子に千弥は思わず微笑んだ。

「こんばんは、お誘いありがとう」

 パンツスーツ姿の千弥の背後から艶やかなブロンドが見えた。オーダースーツを隙無く着こなしたその顔を見て、榊は飲んでいた紹興酒を吹きそうになる。曹瑛は手にした渡り蟹を皿に落とし、固まっている。


「今日はライアンと食事しようって約束してたのよ、それで一度は断ったんだけど彼がせっかくだから一緒に行こうって言ってくれて」

「やあ、誘ってくれて嬉しいよ。ありがとう」

 ライアンは千弥と自分のコートをハンガーへかけ、颯爽とした仕草で千弥の隣に座る。その隣の榊は警戒して唇を引き結んでいる。ライアンは表情を凍り付かせる榊に柔和な微笑みを向けた。


「劉兄、急に何かと思えば忘年会か」

 獅子堂が屏風の上から顔を覗かせる。革のジャケットにレザーのパンツ、白いシャツの胸元にはトライバルのアクセサリが揺れている。

「おお、獅子やん」

 劉玲が手を振る。

「お前、また用件言わなかったのか」

 横にいる孫景が呆れている。劉玲の呼び出しは用件がないことが多い。本人は全く悪気はないのだが、集合してみれば突然宝探しに行くぞと言い出すのは止めて欲しい。

「場所を教えてくれないのは勘弁してくれ」

 獅子堂は困り顔だ。劉玲がとりあえず店に来てや、というので烏鵲堂に来てみたら明かりが落ちている。もしやと思って百花繚乱を覗きに来たらしい。


 円卓では笑いが絶えない。つい先日の箱根の宝探しの話題では、行きたかったとライアンと千弥は残念そうだった。夜9時をまわったところで、解散になった。会計は劉玲がいつの間にか済ませていた。


「伊織、俺は一服して帰る」

 店の外に出て、曹瑛は先に帰れという。そして榊に目配せした。榊は無言で頷く。ライアンがその様子を目聡く見つめていたが、空気を読んだのか気付かないふりをした。

「英臣、初詣はどこに行く」

 満面の笑みを浮かべたライアンの言葉に榊は顔をしかめる。年始からセクハラは勘弁してほしい。

「お前はクリスチャンだろ。教会へ行け、悔い改めろ」

 榊は面倒くさそうに言う。

「曹瑛も一緒に行こう、結紀と伊織も」

 ライアンは勝手に話を進めている。

「中国では春節に祝事をする、1月1日に大挙して寺を詣でるしきたりはない。榊と行ってこい」

 曹瑛はそっぽを向いた。


 誘いが急なことなので、千弥はライアンを乗せて車で来たという。ライアンを滞在先のホテルへ、高谷と伊織をそれぞれの自宅まで送ると提案する。獅子堂はバイクで帰るという。

 曹瑛と榊は烏鵲堂脇の路地でタバコに火を点けた。ここはいつしか喫煙スペースになり、灰皿が常設されている。暗闇にタバコの火が灯る。先客に孫景がいた。

「お前らモクモクとようやるな、来年は禁煙しいや。タバコは身体に悪いで」

 劉玲が眉をしかめて煙を手で仰いでいる。


「で、あの骸骨野郎だ」

 榊が煙を吐き出す。白い息とともに煙が立ち上る。

「アジトを見つけたで」

 劉玲が円卓でときどきスマホをいじっていたのは、それを調べていたのだ。上海九龍会のネットワークは広い、そして情報伝達も早い。

「湾岸の廃倉庫に勝手に居座ってるらしい」

 スマホの画面を見れば、地図上に場所が特定されていた。

「腹ごなしに行くか」

 孫景がタバコを揉み消す。

「いきなり乗り込んだら俺らが悪者になるやないか」

 劉玲が不敵な笑みを浮かべる。


 ***


 夜10時、新橋のオフィスビル街はすっかり人通りが途絶えている。青白い街灯の下を一台の白いレクサスが静かに走り抜けていく。信号が赤に変わり、レクサスはゆっくりと速度を落として停まった。

 その背後から2人乗りのバイクが近づいてくる。ライダースーツに黒いヘルメット、側頭部にはドクロに蛇のシンボル。後部座席に乗る男の手にはバールが握られていた。


 レクサスにバイクが横付けされる。男がバールを構えた。窓ガラスをブチ割ろうという気だ。

「ぐっ」

 後部座席の男が呻いた。バールが道路に転がり、甲高い音が響く。振り向けば、背後のバイクがライトをハイビームで照らしている。腕に痛みを感じた。恐る恐る見れば、刃渡り15㎝ほどのナイフが突き刺さっている。柄に加工のない、投げることに特化した刃物だ。

 男はボタボタと落れ落ちる血液に驚いて慌てふためく。


 ハイビームのバイクがアクセルを吹かす。静かなオフィス街を揺るがすほどのエグゾーストだ。すぐ横のレクサスの窓が空いて、無精髭の男がこちらを見てニヤリと笑う。

「お前ら骸骨組の奴らやな。本気で逃げんと、また飛んでくるで」

 ヘルスカルの2人組はその言葉に怯え、急発進した。背後から黒いバイクが追い立ててくる。相手も2人組だ。


 邪魔をするものが無い一直線の道路、運転には自信があった。しかし、背後のバイクはすぐに追いつき、横に並んだ。黒のカワサキNinjaだ。運転手はライダースーツに黒のヘルメット、後部座席の男はスーツに黒いコートをはためかせ、木刀を肩にかついていでいる。男は鋭い目つきでこちらを見据えている。

 ヘルスカルの後部座席の男がサイドバックからバールを取り出す。それを横に薙いだ。男の動きが大きく、運転手は気を取られて運転が安定しない。


「やる気か、いいだろう」

 榊はニヤリと笑う。走るバイクの上で、木刀とバールの打ち合いが始まる。鋭い切り込みにヘルスカルの男は押されている。重心が傾きハンドルを取られて車体が左右に振れ、スピードは否応なく落ちていく。

 榊は木刀を振りながらも重心を安定させているので、黒のNinjaはまっすぐに走り続ける。木刀の一撃でバールが男の手から離れた。


「なんだこいつら、只者じゃねえぞ」

 逃げるしかないと悟ったヘルスカルの二人組は、運転に専念しスピードを上げた。向かう先は有明埠頭だ。

「奴ら、根城に逃げ帰るようだ。曹瑛頼むぞ」

 榊は木刀をサイドバックにしまい、曹瑛の腰に手を回す。Ninjaのハンドルを握る曹瑛はひとつ頷き、アクセルを吹かした。

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