第3話
「用は済んだな、俺は帰る」
曹瑛が切り出す。ふて腐れてコートのポケットに両手を突っ込み、踵を返す。榊が曹瑛の腕を掴んだ。
「自分だけ逃げようなどとそうはいかんぞ、曹瑛」
縁なし眼鏡の奥の瞳が鋭い光を放つ。
「逃げるだと。そもそもライアンとお前の問題だろう。俺は毎回巻き込まれていい迷惑だ」
曹瑛の言葉には一理あり、榊は言葉に詰まる。いつも榊による巻き込み事故で曹瑛はろくな目に遭っていない。トラウマがフラッシュバックして曹瑛は頭を振る。
「私のためにケンカは止めてくれ。美しい獣同士、傷つけ合うなんて悲しいじゃないか」
ライアンが肩を竦めて困り顔で二人を宥める。確かに、ライアンのせいで毎度大人げないケンカを繰り広げているのは否めない。二人は不満げな顔で押し黙る。
「話がある、少し歩くぞ」
つい先ほどまで帰ろうとしていた曹瑛が歩き出す。目線で二人に行く先を示す。その眼光はプロの暗殺者のそれに変わっていた。曹瑛の意図に気付いた榊とライアンも訳を聞かず、その後を追う。曹瑛は人気を避けて庭園のはずれの松林へ分け入っていく。
殺気を放つ影が松林を囲みはじめる。三人は立ち止まった。
「ライアン、お前の客人か」
曹瑛が目線を走らせながら尋ねる。
「そのようだ、彼らを招待したつもりは無かったのだが」
ライアンも周囲を警戒する。黒いトレンチコートの男たちが三人の包囲を縮め始めた。胸元からサイレンサーつきの銃を取り出す。
「おいおい、本気らしいぞ」
榊は額から脂汗が流れ落ちるのを感じた。しかし、口元には笑みを浮かべている。
***
「三人ともどこにいったのかな」
離れて様子を伺っていた伊織と高谷は、三人の姿を見失ってしまった。若い女性がライアンと別れたのを遠目で見た。その後、松林の方へ歩いていったようだが。
「伊織さん、あれ変じゃない」
高谷が指さす方を見れば、黒服の男たちが松林に立ち入り禁止の黄色いテープを貼っている。
「公園スタッフじゃないみたいだ」
雑にテープを張り巡らせると男たちは松林に消えていった。中で何か起きている。伊織と高谷は足早に松林に向かった。
遊歩道から奥に入ると、黒いトレンチコートの男たちが曹瑛と榊、ライアンを囲んでいるのが見えた。
伊織と高谷は姿勢を低くして様子を伺う。手には銃を持っているようだ。コートの男たちは八人いるのが確認できた。
「これって・・・ヤバいよ、どうしよう」
伊織は身体中から一気に血の毛が引くのを感じた。高谷も黙り込んでいるが、動揺を押し隠しているのが伝わってきた。
「榊さん・・・曹瑛さんもきっとこんな奴らにやられないと思う。けど、あの至近距離であれだけの銃に狙われたら、ただでは済まないと思う」
高谷は冷静に分析しているようだが、声が震えている。
「助けよう」
伊織は緊張に汗ばむ拳を握り込んだ。
「うん。でも、どうやって」
伊織は周囲を見回す。園の奥に倉庫があるのを見つけた。
「あそこに役に立つものは無いかな」
「行ってみよう」
伊織と高谷は目で合図を交わし、走り出す。
***
「ライアン・ハンター、ガードも連れずに散歩とはのんきなものだな」
トレンチコートの男がイタリア鈍りの英語で話しかける。
「君たちはジュリアーノの手下か。ここは日本だ、私はそのような無粋な真似はしないのだよ」
榊はライアンの口からその名を聞いて眉を顰める。ジュリアーノファミリーはニューヨークマフィアの中でも残虐で手段を選ばない無法者と聞いたことがある。ライアンの属するファミリーとは敵対関係だ。
黒い帽子の男が榊に銃口を向ける。
「お前には凄惨な死をくれてやる。その前にお前の最愛の男を目の前で殺してやろう」
男は歯茎を剥き出しにしてクックッと笑う。曹瑛が帽子男を静かに睨み付けている。その殺気に帽子男は思わず息を呑む。
「お前もライアンの恋人か、その目が気に入らねえな。お前から殺してもいいんだぜ」
曹瑛は奥歯をギリと噛みしめ、怒りに震えている。
「恋人ではない」
「お前、今更そんなことを言って助かろうと・・・」
茶色の巻き毛が曹瑛に銃口を向ける。
「恋人ではない、ただの知り合いだ」
曹瑛の恐ろしい剣幕に巻き毛は押し黙った。榊は思わずプッと吹き出した。曹瑛は榊を睨み付ける。
「何でもいい、この男から蜂の巣にしてやる。血の海に沈む恋人を見て涙しろライアン」
榊を5つの銃口が狙う。ライアンと曹瑛のこめかみにも銃が突きつけられている。
曹瑛は瞬時にシミュレーションを始めた。自分の横に立つ男から銃を奪い、走りながら三人の腕を撃ち抜く。残りの二人は力業でねじ伏せる。榊が何とか避けてくれれば致命傷は免れるだろう。しかし、背後から二つの銃口が狙っている。自分も無事ではないだろう。
曹瑛は榊の目を見た。榊は小さく頷く。重心を移動させ、攻撃態勢を取る。ライアンも曹瑛が何か仕掛けようとしていることに気がついたようだ。
「英臣、曹瑛、私は君たちを心から愛している」
ライアンが叫ぶ。曹瑛は唇をへの字にしながら呆気に取られた巻き毛の銃を奪い、走りながら榊を狙う男たちの腕を撃ち抜いた。三発の銃声が響く。
「ぎゃああ」
叫び声と血しぶきが上がり、男たちは腕を押さえて倒れ込む。慌てて曹瑛を狙おうとした坊主頭の腕を蹴り上げ、銃を弾き飛ばした。自分に銃口を向けていた帽子男が慌てた隙をついて、榊は男の銃を持つ手を押さえ込んだ。
「このホモ野郎が」
帽子男は口汚いスラングで罵倒する。榊は帽子男の顔面に渾身の拳を食らわせた。男は吹っ飛び、松の木にぶつかって気絶した。だらしなく開いた口から折れた歯が二本こぼれ落ちた。
「ゲス野郎に言われたくないぜ」
榊もスラングで返したが、白目を剥いた男の耳にはもう届いていないだろう。
腕を負傷した黒服三人がよろよろと立ち上がり、銃を向ける。
「この悪党!」
伊織と高谷が作業用の梯子を持って勢いよく走ってきた。そのまま梯子を高らかに掲げ、黒服の上に思い切り落とした。
「うおおおっ」
黒服は梯子の隙間にすっぽりとはまり、身動きが取れなくなった。まるでコントのような光景だ。
「や、やった」
伊織は高谷とハイタッチする。
「こんなにうまくいくとは思わなかったね」
ライアンに銃口を向けていた男は、首を絞め落とされていた。残った一人が榊に銃口を向け、震えている。ライアンがゆっくりと近づいてくる。
「英臣を傷つけたら、お前を殺す。お前だけでなく、お前の大事な家族も、親戚も、ペットの犬も、お前の子供のピアノ教師までもお前に関わるものはすべて殺す」
ライアンの静かな声に、男は震え出す。穏やかな笑顔の中に恐ろしい怒りと憎悪が渦巻いている。こいつはやはりマフィアだ、榊は思った。ライアンの気迫に男は銃を取り落とし、崩れ落ちた。そして命乞いを始めた。
ライアンが曹瑛と榊に向き直る。
「英臣に曹瑛、君たちには面倒をかけたね、そして伊織に結紀もありがとう。君たちの勇気は素晴らしいよ」
ライアンは目を細めて笑っている。そしてスマホを取り出し、部下に片付けを指示した。
「君を初めて見たのはこの茶屋だった」
ライアンと榊は池の畔に立つ。
「君は鳳凰会の若頭としてボスの護衛に来ていた。君のその目を見て、私は恋に落ちた」
ライアンは眩しそうな目で遠くを見つめている。
「ライアン、俺はお前をビジネスパートナーとして認めている。お前は有能で、仕事に広がりを持たせてくれた。それは感謝している。だが、それ以上でもそれ以下でもない」
榊はライアンの目を見つめ、静かな、しかし確かな口調で思いを伝えた。ライアンは目を細めて小さく笑う。
「お前は何も分かっていない」
ライアンが榊の手首を握る。その力が思ったより強く、榊はライアンを怪訝な顔で見る。
「なんだと」
「私は欲しいものは必ず手にいれる主義なのだよ。英臣、私は絶対に諦めないよ」
ライアンが榊の手を取り顔を寄せる。榊は口を引き結んだまま硬直した。
「エゴイストプラチナム、私の愛用の香水だ。君は普段、ブルガリソワールをつけているだろう。今日は私に会うからこんな趣向を?」
「ち、違う。これには深い理由が」
慌てる榊の手にライアンが口づけをする。その温かい唇の感触に榊は白目を剥いた。
「天罰だな」
その様子を腕組をしながら離れて見ていた曹瑛はニヤリと笑う。
「榊さんに、そんなに嫌なら曹瑛さんを巻き込まずにハッキリ気持ちを伝えたらって言ったんだけど、裏目にでちゃったな」
高谷もライアンから逃げ惑う榊を呆れて見ている。
「伊織に高谷、さっきは助かった」
おそらく、梯子が無くても曹瑛に榊、ライアンなら奴らなど敵では無かっただろう。余計なことをするな、と怒られるかと思っていた伊織は曹瑛の言葉にホッと胸を撫で下ろした。
「あ、お腹空いた」
伊織の言葉に曹瑛も頷く。
「烏鵲堂近くのナポリタンが食べたい」
この間、すずらん通りでみつけたレトロな喫茶店の濃厚なナポリタンを思い出す。
「店長がサボってるって噂されるよ」
伊織は冗談めかして笑う。今日は烏鵲堂を臨時休業にしてここにやってきたのだった。
「構わない」
曹瑛は全く気にしていないようだ。芝生に座っていた高谷も立ち上がる。
「俺も行く」
レトロな喫茶店の狭いテーブルに男たちが並んでナポリタンを食べている。
「これは、日本独自の味だね。ナポリにナポリタンという料理はない。このケチャップの飾らない味がなんとも素朴で、癖になりそうだ」
榊と曹瑛は嫌な顔をしたが、ライアンも結局ついてきた。先ほどまで命を狙われていたのに平然と笑顔でスパゲティを啜る姿は、さすがNYの裏社会を生き抜いてきただけはあると思わせる。見た目は優男なのに、曹瑛や榊よりも冷酷な一面を持っている。
曹瑛も念願のナポリタンが食べられて満足そうだ。特盛りを注文してもくもくと食べている。
「しかし、お前も有名人なんだからガードくらいつけて歩けよ」
榊の言葉にライアンは微笑む。
「ふふ、君たち以上のガードはいないよ」
やぶ蛇だった。榊は頭を抱えた。曹瑛も関わりたくないと目を逸らしている。
「このお店はクリームソーダも美味しいんだよ」
空気を読めない伊織が定番メニューを勧める。曹瑛がクリームソーダとは何か伊織に尋ねている。そしてテーブルに鮮やかな緑色のクリームソーダが並んだ。
「美しい色だな、子供の頃を思い出すよ」
ライアンも喜んでいる。無邪気な笑顔を見れば、悪い男には見えないのだが。
曹瑛の口元にクリームがついているのをめざとくみつけたライアンが拭いにかかったので一騒動あったが、概ね平和で楽しいランチだった。
「君たちといると飽きないよ、とても楽しかった。また会おう」
ライアンは迎えにやってきた白いベンツに乗り込み、颯爽と去って行った。
それから1年後、アメリカンマフィアと日本の極道、中国人暗殺者が活躍する本格ハードボイルドアクション小説が話題となる。女流作家のデビュー作で、リアルなアクション描写、ストイックでハンサムな三人の男たちの熱い友情はもはや恋愛を超越したと絶賛する言葉が帯に踊った。
現役のアメリカンマフィアが監修していることが噂されている。
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