第3話

 劉玲の部下が何勇宝らマフィア組を縛り上げて、倉庫から引き上げていった。遠くパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。

「あとはお上に任せるかな」

 木箱には証拠が充分すぎるほど詰まっている。劉玲に孫景、獅子堂は顔を見合わせて笑った。

「ええ運動やった」

 劉玲は両腕を上げて伸びをしている。

「ところで獅子、それは何だ」

 孫景が見れば、獅子堂が立派なジュラルミンケースを持っている。日本のヤクザが用意した武器の代金だ。

「寄付にまわす。汚れた金だが、金は金だ」

「獅子やん、意外性の塊やな」


 波止場に戻り、孫景が軽四のエンジンをかける。

「乗らないのか?」

「獅子やんとちょっと流して帰るわ。ほなまた、孫景はん」

 劉玲は獅子堂のハーレーの後部座席に跨がった。重低音が腹に響く。獅子堂は孫景に手を振り、アクセルを吹かした。バイクは走り出す。深夜の湾岸の風は冷たいが、ケンカで火照った身体を覚ますには心地良い。

 獅子堂の運転は安定しており、体重移動の呼吸もすぐに合った。街の灯を映して輝く海を眺めながら走る。

「宿はどこだ」

「横浜や、なんや走りたい気分や。適当に流してや」

 これが上海九龍会の幹部か、面白い男だ。獅子堂は前を向いて笑っていた。


 夕暮れ迫る神保町。帰宅ラッシュから解放され、地下鉄を出た伊織は棒立ちする背の高い男を見つけた。アッシュゴールドの髪に革のジャケット、パンツ。身長も頭一つ分高い。紙切れを見つめて困っている様子だが、怖すぎて誰も近づけない。


「あのう、どこに行きますか」

 伊織は勇気を出して声をかける。男は無言で伊織を見下ろした。鼻筋の取った精悍な顔立ちだ。男はオレンジ色のサングラスを外した。整った眉に、切れ上がった眦、黄昏時の薄闇の中に光る瞳はブルーだ。日本語が通じるのだろうか、伊織は瞬きをして思わず唇を引き結んだ。その風貌は正直、怖い。

「ここに行きたい」

 男が渡した紙切れには癖のある字で“烏鵲堂”と書いてあった。そして地図らしきものが描かれているが、適当すぎて全然分からない。


「あっ、俺も今から行くんですよ、一緒に行きましょう」

 伊織の言葉に男はニッコリと笑った。

「中国茶が好きなんですか」

 伊織は男と並んで通りを歩く。強面長身の金髪と平凡な青年の組み合わせが異様に映るのか、通り過ぎる人は奇異な視線を送っている。

「茶のことはよく分からない、待ち合わせをしている」

 男はぶっきらぼうな物言いだが実直な印象を受けた。


「烏鵲堂は俺の友達のお店なんですよ」

「そうか、店長の名前は」

「曹瑛さん」

 男は何がおかしいのか笑い出した。

「瑛さんのこと、知ってるんですか」

「ああ」

 気が付けば、烏鵲堂の前だ。カフェは閉店時間で、最後の2人連れの女性客と階段ですれ違った。テーブルを片付けていた曹瑛が階段に目を向ければ、見覚えのある色の髪が見えた。曹瑛は瞬時に殺気を身に纏う。

「獅子堂・・・!」


「伊織、そいつから離れろ」

 曹瑛が胸元から取り出した赤い柄巻のナイフ、バヨネットを構え臨戦態勢になる。伊織は真っ青になり二人を見比べる。

「伊織というのか、ここまでの道を教えてもらっただけだ。お前の兄に呼ばれた」

「何・・・」

 劉玲が獅子堂をここへ呼んだことを知り、曹瑛は怪訝な表情を浮かべる。

「あのう、瑛さん、この人悪い人じゃないと思う」

 曹瑛は伊織を睨む。だからお人好しなんだ、とその視線で訴えている。

「お前の友達に手を出す気はない」

 獅子堂の言葉にも曹瑛は警戒を解く気はない。獅子堂は困った顔をして頭をかいている。


「おー、来たか獅子やん」

 階段を上がってきたのは劉玲と孫景だ。その後に榊と高谷もいる。

「劉兄、孫兄」

 獅子堂の言葉に、曹瑛が複雑な表情になる。

「瑛さん、大丈夫そうだよ」

 伊織が苦笑いを浮かべる。曹瑛は伊織を一瞥し、大人しく厨房へ引っ込んでいった。


 皆で店の片付けを手伝い、隣の中華料理店百花繚乱へなだれ込んだ。男たち7人で円卓を囲む。

「昨日の深夜、晴海埠頭で銃の取引が摘発されたそうだな。押収されたのは拳銃にサブマシンガン105丁、現場にいた原本組の若頭以下15名全員逮捕か。組長は使用者責任でもろともお縄だな」

 榊の言葉に、曹瑛は劉玲をチラリと見る。昨日、突然店にやってきて、的当ての練習をしたいからスローイングナイフを貸してくれと5本ばかり持っていったのだ。

「それで、的当ては上手くいったのか」

 曹瑛の言葉には皮肉がこもっている。置いて行かれたのが不満らしい。

「おお、見事全部的中やで」

 劉玲は悪びれもしていない。


「5年前、横浜の組を一人で潰して出奔した男がいたという。確かその名を獅子堂といった」

 榊が獅子堂のグラスに青島ビールを注ぐ。

「忘れた、そんな昔の話」

 獅子堂は榊のグラスに返杯して笑う。グラスに酒が注がれ、盛大に乾杯をする。曹瑛だけは烏龍茶だ。

 テーブルには湯気の立ち上る四川料理が並ぶ。麻婆豆腐に回鍋肉、宮保鶏了、エビチリとスパイスの香りに食欲がそそられる。中央には陰陽の形をした鍋が置かれた。

「火鍋、久しぶりだ」

 ハルビンで食べた火鍋が懐かしく、伊織は思わず笑顔になる。あの時、真剣に就職に悩んでいたのが懐かしい。


「四川の火鍋はめちゃ辛いで」

 盛りだくさんの具材で大きな鍋がすぐにいっぱいになった。独特の薬味の匂いが鼻をつく。辛いものに酒が進む。ビールから紹興酒、白酒にエスカレートしていく。伊織と曹瑛を除き、酒豪揃いだ。獅子堂も頬が赤くなっているが、素面と変わらない喋り振りだ。 

 劉玲が獅子堂に白酒を注いでいる。曹瑛はその打ち解けた様子を見て、獅子堂にはもう危険はないことを悟った。


「ところで、この地図はひどいぞ劉兄」

 獅子堂がテーブルに出した手書きの地図に、その場の皆が爆笑した。烏鵲堂の文字と、適当な横線と縦線が2本ずつ。かろうじて店の位置が書いてあるが、出発点も分からない。

「ほんまにうろ覚えやってん」

「伊織がいなければ辿りつけなかった」

 獅子堂が地下鉄の出口で地図を眺めて10分は経過していたらしい。その風貌に誰にも声を掛けられなかったところ、伊織が初めて助けてくれたのだった。考えても無駄な地図に悩むこと10分、忍耐強いと言えばそうだが、島育ちの獅子堂には案外のんきなところもあるらしい。


 河口湖での戦いの話から、獅子堂も暮らしていたハルビンあるある、最後にはいつか獅子堂の故郷沖縄に行こうと盛り上がって散会した。ところで、これは一体なんの会だったのか帰り際に劉玲に聞けば、銃の密売を潰した打ち上げだったという。伊織は苦笑いを浮かべるしかなかった。

「獅子堂さんの歓迎会みたいだったね」

 伊織と曹瑛は並んで地下鉄神保町駅までの道を歩く。辛い料理にじんわり汗ばんでいたが、夜風が心地良い。

「飲めるなら理由はなんでもいいのだろう」

 面倒な奴が増えた、と曹瑛は言う。伊織がちらりと横を見やれば、曹瑛は穏やかな表情を浮かべていた。

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