週末は宝探し
第1話
今日は取材が思ったより早く終わった。伊織は腕時計を見る。午後5時、烏鵲堂はまだ開いている。先日は伊織が携わる日中交流雑誌の発売日だった。伊織が記事を執筆した中国茶特集を掲載した号で、烏鵲堂にも並んでいるはずだ。売れ行きを聞いてみたい。
1階の書店は学生や仕事帰りのサラリーマンの姿があった。奥のレジを覗き込めば、エプロンをつけた高谷が接客をしていた。
「ね、すごくかわいいでしょ」
「彼目当てでつい立ち寄っちゃうのよね」
学生と思しき女性が3人、会計を済ませて嬉しそうに小声で囁きながら店を出て行った。
伊織の顔を見つけた高谷は笑顔で手を振る。
「こんにちは、伊織さん」
「うちの雑誌、売れ行きはどう」
「俺がいる間にも結構出てるよ、カフェにも置いてるからもっと売れてると思う」
“永久保存版!!よく分かる中国茶 烏鵲堂店長のインタビューもあり”なんて上手いPOPを高谷は器用に作ってくれて、入り口正面の目立つ位置に雑誌を平積みで置いてくれている。カフェの帰りに手に取ってくれる人も多いようだ。
「嬉しいな」
「俺も読んだけど、わかりやすいね。一冊買ったよ」
「ありがとう、瑛さんが原稿を書いてくれたんだよ」
伊織にも曹瑛にそんな才能があるとは知らなかった。初心者向けと伝えていたのだが、ちゃんと読者層を考えた文面になっており、ほぼ修正なしで使わせてもらえたのだ。
カフェの営業は終わっているが、曹瑛はまだ片付けと仕込みをしているだろう。伊織は2階への階段を上がる。カフェスペースのテーブルに劉玲の姿があった。テーブルに本を積んで、神妙な顔をしている。
「お、伊織くんや」
伊織は挨拶をして、劉玲の正面に座った。
「それは」
「ああ、中国古典文学の全集や。これめっちゃ貴重やで」
見れば随分古い本だ。大事に扱われていた、もしくは押し入れの奥にでもしまい込んであったことが窺える。
「書店に寄贈したいと持ち込まれたそうや。これを欲しがる蒐集家は多い。それで俺が持って帰ろと思てな」
日本に残っている古い中国書籍は貴重なものが多く、中国のインテリ層に人気が高いらしい。
「で、これなんやけど」
劉玲が古びた羊皮紙を広げている。見れば、墨で書いた手書きの地図のようだった。
「なんです」
「この本に挟まってた」
本の持ち主がしおり代わりにメモ用紙を挟んでいたのだろうか。
「これな、大事なもんがここに埋められてるんやないかと思てる」
劉玲が羊皮紙に書いてあるバツ印を指さす。伊織はまじまじと羊皮紙を見つめる。山脈と、手前に低い山、その麓にバツ印。空には星を表わす光のようなものが書かれている。それと民家。絵は非常に稚拙で、子供の落書きと相違ない。
伊織は視線を上げて劉玲の顔を見た。その目の輝きを見ると、どうも本気らしい。
「あのう、これ本気で宝の地図だと思ってます?」
「せや、山に川、ここに家があって、バツ印。これは宝の地図に違いない」
劉玲は腕組をして鼻息も荒く力説している。曹瑛がグラスに淹れたジャスミン茶をテーブルに置く。
「兄貴、まだ考えてるのか」
曹瑛は劉玲がずっとその地図に向き合っているのを見ていたらしく、半ば呆れている。
「大体、それでは場所がわからないだろう。山に川、そんな地形はどこにでもある」
「そうだね、ヒントがなさ過ぎるよ」
劉玲は口をへの字にして頭をくしゃくしゃとかく。書店の片付けを済ませた高谷と、店に立ち寄った榊もやってきた。2人も地図を覗き込む。
「劉玲が書いたような地図だな」
榊の言葉にそう言えば、と皆が同意する。以前、獅子堂に渡した烏鵲堂への地図がひどすぎて、獅子堂はたどり着く事ができなかったのだ。困った獅子堂をたまたま通りがかった伊織が助けた。
「確かに、どこが起点なのか分からない」
「それに何があるのかもこれには書いてないですね」
曹瑛と高谷の言葉に、その地図らしきものの意味がどんどん失われていく。劉玲は肩を落としている。伊織が中国古典文学全集を手に取って捲ってみる。すると、巻頭にサインが入っていた。他の本にも同じ名前が書かれている。
「これ、所有者のサインみたいですね」
この名前を聞いたことある、と伊織が呟く。皆が伊織に注目する。
「あ、思い出した。この間雑誌で特集した中国文学者だ」
岡崎勝正という名前を榊がスマホで検索する。戦後に活躍した中国文学者で、詩や古典文学の翻訳などで功績があり、8年前に死去。出身は長野県安曇野市とあった。
「この全集は岡崎はんのものやったんや。きっと、この地図が表わしているのは安曇野というところや」
劉玲が目を子供のように輝かせて興奮している。
「しかし、あまりにも確証のない話だな。この地図も岡崎という文学者が書いたものかも分からないだろう」
「俺は信じるで」
何をだ、皆心の中でツッコミを入れたが、宝の地図を見つけて喜んでいる劉玲に水を差すのが悪いと気を遣って微笑ましく見守っている。
「安曇野か、東京から車で3時間ほどやな」
劉玲はスマホで場所を確認しはじめた。完全に行く気満々だ。この地図を携えて。
「あのう、劉玲さん」
「伊織くんは週末休みか」
伊織も連れて行く気だ。
「安曇野か、今の時期は紅葉が始まっていいだろうな。お、温泉もあるな。山の中のログハウスに泊まるのが人気のようだ」
榊も行く気になっている。もちろん宝の地図ではなく温泉が目的だ。高谷がタブレットで温泉に近いログハウスを調べている。榊も一緒に画面を覗き込み、温泉の近くだぞ、と条件を指定している。
「曹瑛は週末店があるな」
榊が振り向けば、曹瑛は達筆な字で週末臨時休業のお知らせの張り紙を書いている。店を閉めて行く気満々のようだ。
「伊織、安曇野は何がある」
「そばが美味しいみたい。それからおやきかな」
何がある、と言われただけで食の話題と理解している伊織と曹瑛はまさに阿吽の呼吸だ。伊織はおやきについて説明し、曹瑛は興味深く聞いている。
「孫景はんもいま日本やな。声かけたら来るやろ」
「6人で泊まれるコテージがありましたよ」
高谷がタブレットで画像を見せてくれた。森の中の一軒家といった風情ある木造コテージだ。広いポーチがあり、ウッディな室内には綺麗なキッチンやベッド、トイレも完備されている。
「よっしゃ、予約や」
気が付けば劉玲のペースに巻き込まれてしまったが、宝の地図、温泉、食欲、それぞれの思いを胸に1泊2日の週末安曇野旅行が決まった。
出発の土曜日は快晴だった。晴れ渡る秋空は高く澄んでいる。烏鵲堂に集合した面々は劉玲が手配した黒のフルスモークのアルファードに乗り込む。九龍会に依頼すると必ず怖い人が乗る車が用意されるが、慣れてしまった。
運転手は榊だ。助手席の高谷はナビを務める。
「へー安曇野に行くのか、トレッキングでもするのか。は?宝探しだと?」
走り出した車内で繰り広げられる会話に、劉玲が孫景に集合場所と時間しか伝えていなかったことが分かり、伊織は苦笑した。適当にも程がある。
都内から中央自動車道、長野自動車道へ乗り継ぎ、安曇野まで約230キロ、3時間半のドライブだ。途中立ち寄ったサービスエリアから眺める冠雪の山々は雄大で、伊織は思わず感嘆のため息をついた。
都内を抜けてからは渋滞もなく、スムーズに長野県に入った。高速道路を下り、昼食の買い物を済ませてコテージへ向かう。細い道を森の中へ分け入り進む。金色に輝く白樺に囲まれて緑色の屋根のコテージが見えてきた。
管理人小屋で鍵を預かり、扉を開けると濃密な木の匂いが香る。静かな森の中の丸太造りのコテージは温かみのある雰囲気で、都会の喧噪を忘れさせてくれる。ツインの部屋が3つ、それぞれに荷物を置いて昼飯の準備にポーチに集まった。
バーベキューセットを借りて炭火で肉を焼く。炭火焼きの肉は風味が格別だ。
「酒が欲しくなるな」
榊の言葉に伊織と曹瑛以外は激しく同意している。信州はワインが美味い。3本買って冷蔵庫に入れ、夜の楽しみにしている。
「酔っ払っては宝探しはできひんからな」
劉玲の言葉はある意味酔狂だ。このあと、あの超適当な地図を持ってどこに行こうと考えているのだろう。
途中で買った野菜入りのおやきも焦げ目をつけて食べると薄皮がパリパリになって美味しい。
「信州は高菜が名物なんだよ」
おやきの具材に入っていた高菜について伊織が曹瑛に説明している。
「中国でも似た野菜がある。雪菜という名だ。漬物にして、炒飯に混ぜてたり、キクラゲと炒めて食べる」
「日本も同じだね。帰りに高菜買って帰ろう。高菜炒飯ができる」
あれだけ買っておいた肉とおやきはあっさり男たちの胃袋に収まった。曹瑛に榊、孫景はタバコを吹かしている。高谷がキッチンでコーヒーをドリップしてテーブルに並べてくれた。
もうこのまま昼寝をしても良い気分だが、劉玲はこれからが本番と張り切っている。どこに行くかあてはあるのだろうか。
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