無計画すぎる誘い

第1話

 夕闇迫る晴海埠頭。紫色に染まる空の下、対岸の高層ビル群が光を放ち始める。海を渡る冷たい風が頬に吹き付ける。愛車の白い軽四にもたれて孫景はラッキーストライクを吹かしていた。風が強いので紙タバコは燃え尽きるのが早い。冷たい風に孫景はフライトジャケットの前を合わせる。


「タバコは身体に悪いで」

 風向きが変わり、副流煙をまともに食らった劉玲が文句を言いながら、コンクリートの防波堤に軽々飛び乗った。腰に手を当てて夜景を眺めている。

「上海外灘もええけど、東京の夜景もなかなかええなあ」

 劉玲は九龍会の本拠地である上海と日本を行き来している。幹部なのに側近も連れず、身軽なものだといつも孫景は感心している。


 遠くから重低音のエグゾーストが響いてきた。

「お、来よったな」

 劉玲が音のする方を額に手をかざして眺める。ヘッドライトの明かりが一つ、こちらに近づいてくる。

「本当に協力する気があるのか、奴は」

 孫景は腕組をして怪訝な顔を劉玲に向ける。タバコは車の灰皿で揉み消した。劉玲は笑って防波堤から飛び降りた。

「大丈夫や、ええ奴やで」


 軽四の前でハーレーが停まった。眩しいライトが2人を照らす。バイクの主はエンジンを切り、ライトを消した。大型バイクを易々とまたぎ、劉玲と孫景の前に立つ。

 男はかなり上背があった。孫景がやや見上げるくらいだ、190センチは越えている。


 アッシュゴールドの髪を逆立てて、レザーのノーカラージャンパーにパンツ、首からはシルバーのアクセサリーをぶら下げ、シンプルな白いシャツには引き締まった筋肉の陰影が浮かび上がっている。ヘルメットを脱ぎ、オレンジ色のサングラスを取れば、切れ上がった眦のブルーの瞳が現れた。強い力の宿る瞳だ。


「よう来たな、獅子堂はん。こっちは孫景はん。ブローカーをやってる」

 獅子堂は孫景を一瞥し、目を細めてニヤリと笑う。孫景も片手を上げて挨拶に代えた。

「日本にまだおると聞いて、一仕事手伝ってもらおうと思ってるんや」

「ほう、それは初耳だ」

 獅子堂は顔色を変えずに首をかしげる。

「劉玲、お前何も説明してないのか」

 孫景は呆れている。

「俺、メール苦手やねん」

 劉玲は悪びれる様子もない。


 劉玲の話によれば、上海九龍会の末端組織が廃棄予定の質の悪い武器を横流しして日本に持ち込み、ヤクザに売ろうとしているらしい。そんな粗悪品を売ることは組織の面子を潰すことになる。ヤクザものが粗悪品と知っているかどうかは問題ではない、この取引を潰し、首謀者を上海に連れ戻す、というのが目的だ。

「まあ、要はウチの尻拭いや」

 劉玲はあっけらかんと笑う。

「九龍会の部下に任せたらいい話じゃないのか」

 孫景の言葉はもっともだった。幹部自ら手出しする程の案件ではない。

「部下も呼ぶで、奴らをふん縛ったあとに連れて帰ってもらうためにな」

「やっぱり、お前が暴れたいだけか・・・」

 孫景はため息をついて、獅子堂を見る。口の端をつり上げて面白そうに笑っている。


「そういう訳や。付き合うてや、獅子やん」

「わかった」

 獅子堂は即答する。少しは考えないものか、孫景はズッコケそうになった。

「おお、ええな!ノリがええ!」

 劉玲は嬉しそうに獅子堂と肩を組んだ。

「もちろん報酬は払うで」

「いらない、腕が鈍っていた。ちょうど良い運動だ」

「お前も同類のようだな」

 孫景は呆れて肩をすくめた。


 積み荷が運ばれるのは夜8時。コンテナヤードに到着し、埠頭内の倉庫で検分が行われるという。劉玲と孫景、獅子堂は倉庫の隅でコンテナの到着を待つ。

「しかし、お前背が高いな」

「そうか、島の人間はこのくらいでは驚かれない」

「島って、そういえば出身は日本なのか?」

 獅子堂に興味津々の孫景があれこれ質問している。

「沖縄の、宮古島だ。親父はアメリカ軍人、母ちゃんは日本人だ。オヤジはもう国へ帰ったきり、戻って来ない」

 この上背の高さと目の色に納得がいった。


「八虎連にいたらしいな」

「そうだ、日本から新天地を求めて中国へ渡った。放浪先の八虎連で用心棒として雇われ仕事をしていたが、捨て駒にされた。腹いせに幹部をぶん殴って飛び出した」

 それにハルビンは寒かった、俺には合わなかったと獅子堂は豪快に笑っている。口を閉じていれば強面だが、屈託の無い笑顔はどこか無邪気ですらある。

「面白い奴だな」

 孫景も獅子堂を気に入ったようだ。

 コンテナが開き、武器が入っているであろう木箱が運び出される。合計5つ。黒い詰襟の男たちが倉庫内へ運び込んでいく。3人は倉庫に潜り込む。コンテナが積み上げられ、表から死角になる場所に木箱が置かれた。


 コンテナによじ登り、上から取引の様子を伺う。日本側の買い手も集まってきたようだ。黒いスーツの強面たちが続々と並ぶ。合わせて総勢30人はいるだろうか。九龍会の末端組織の親分らしき人物は白い長袍を身につけており、一際存在感がある。

「役者は揃うたようや。しかし、ホンマ悪そうな奴らやなあ」

 劉玲がしみじみ呟く。一番の大物が何を言うのか。

「どちらをやればいい?」

「せやな、チャイナ服は全員連れて帰る、抵抗すればスーツ組も返り討ちにするしかないな」

 劉玲の無計画極まりない言葉に、獅子堂は笑っている。物怖じしない男だ。


 黒い詰襟により、木箱が空けられた。中には自動小銃やマシンガンが入っている。

「ほう、銃器のお買い得セットやな」

 劉玲が無精髭のある顎をしごきながら様子を眺めている。

「おい、あっちは銃を手にしたぞ、箱を空ける前に倒した方が良かったんじゃないか」

「証拠を掴む前にのしたら言い訳されてまうやろ」

 劉玲の言い分ももっともだが、孫景は頭を抱えた。獅子堂はそのやりとりを微笑ましく眺めている。


 パン、と乾いた破裂音が響く。黒スーツの一人が木箱から銃を取り出し、試し撃ちしたようだ。

「粗悪品だが弾は出るらしいな」

「これでモデルガンの売り込みじゃないってことが分かったな」

 劉玲の言葉に獅子堂がニヤリと笑う。

「ほな、いこか」

 劉玲が胸元からスローイングナイフを取り出す。

「曹瑛に借りたんやけどな、上手く投げられるかな。俺は投げは専門外なんや」

 ぼやきながら、劉玲は天井から吊されたハロゲンランプを撃ち抜く。一つ、二つ、頭上の光源が消えていく。心許ないと言いながら、劉玲のナイフはすべて命中した。倉庫内は薄闇に包まれる。コンテナ下は突然の暗転に騒然としている。


「どういうことだ、停電か」

「いや、順番に消えた、誰かいるぞ」

 中国語と日本語が入り交じっている。男たちは木箱の中から銃を取りだし、構える。しかし、狙うべき敵の姿が無く、右往左往している。倉庫の入り口から漏れるコンテナヤードのオレンジ色の光だけが頼りだ。

「うぐっ」

 くぐもった声がして、重いものが地面に落ちる音がした。男たちは音のした方を振り向く。そこには黒い詰襟の男がコンクリートに倒れていた。

「襲撃か」

「どこにいる?」

 姿の見えぬ敵に男たちは怒号を上げる。

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