第3話
久々にハンドルを握る伊織は緊張していた。教習所よろしく両手でハンドルを握る姿に助手席の曹瑛も思わず力が入る。しかし、だんだんと勘を取り戻したのかリラックスして運転もスムーズになってきた。30分ほど走り、市街地に入る。市営駐車場に車を停めた。
「美観地区といって、古い街並みが残るエリアだよ」
伊織も来るのは久々だという。柳の木が立ち並ぶ川の両端に白壁と瓦屋根の町並みが続く。川には観光客を乗せた小舟が行き交っている。曹瑛は和風レトロな町並みが珍しいようで、立ち止まっては建物を眺めている。
「とてもいい」
曹瑛は穏やかな表情を浮かべている。晴れ渡る青空に白い壁が映える。石橋を渡り、川の向こう側へ。裏路地を覗き込めば、石造りの道に白壁が並ぶ情景がどこかノスタルジックだ。
江戸時代に建てられた豪商の屋敷や美術館をのんびりと巡って、気が付けば正午を過ぎていた。
伊織のおすすめだというデミカツの店に向かう。観光地からやや離れている寂れた商店街の中にあるが、店内は満席で賑わっている。
定番のデミカツ定食を注文する。細切りキャベツの上に載ったデミカツは皿からはみ出るほど大きい。ツヤツヤの白いご飯に味噌汁、漬物がセットになっていた。
揚げたてのカツは衣はサクサク、肉は軟らかくジューシーで、秘伝のデミグラスソースは深いコクがある。
「甘めのソースが合う」
曹瑛は満足そうにカツを頬張る。
「この肉厚がたまらないよ」
伊織もほくほく顔だ。
古い街並みに地元の民芸品や特産品を販売する店が並ぶ。曹瑛は倉を改装した店で売っている帆布製品が気になったようだ。
「倉敷帆布といって、すごく丈夫な布地だよ。使い込んだらさらに味がでるんだ」
曹瑛はモノトーンのショルダーバッグを選んだ。もう一つ探しているので何かと聞けば、烏鵲堂の店番で世話になっている高谷に買ってやるということだった。
曹瑛の意外な心遣いに伊織は感心した。チョイスしたデザインもきっと気にいるだろう、高谷の趣味をよく理解しているようだ。
買い物に満足した曹瑛は次の目的地に向かって歩きだす。古い町家を改装して作られたカフェで、レトロモダンな内装になっている。新鮮な地元のフルーツをふんだんに盛ったパフェが人気の店だ。
席に通されると曹瑛はメニューを真剣に眺めている。悩み抜いた結果、桃のパフェに決まった。注文を取りに来た若い女性店員が曹瑛の顔を二度見していた。
運ばれてきたパフェは透き通ったグラスに大きな白桃が盛り付けられ、てっぺんには生クリームが載っている。桃は甘い香りが強く、口の中でとろける食感に思わずにんまり頬が緩む。
「伊織の故郷の桃は白いのか」
「そう、この辺は白桃がメジャーだよ。東京に来たとき、桃が黄色だったからカルチャーショックだったよ」
「秋は梨にいちじくか…里帰りするときは必ず教えてくれ」
曹瑛が強い眼差しで伊織を見据える。季節ごとにこの店に来たいということだろうか、相当気に入ったようだ。
美観地区を満喫して車に戻る。曹瑛は駐車場でマルボロを吹かし始めた。美織の車の中で吸うのは控えたのだろう。
伊織はエンジンをかけ、車を発進させ旧二号線を岡山市街方面へ向かう。
「これから行くのは、後楽園といって江戸時代の日本庭園だよ」
「日本の庭は好きだ」
曹瑛は普段から物静かだ。心を落ち着けて向き合えるものを好むようだった。スポーツやアクティビティなどで体を動かすことが好きな人間だとこの観光コースは退屈かもしれないが、言葉少なに曹瑛は楽しんでいるようで、伊織はホッとする。
旭川の河川敷に車を停める。チケットを購入し、後楽園の門をくぐれば広大な芝生が広がっており、遠景に城が見えた。園内には小川が流れ、中央には大きな池がある。カーブを描く遊歩道に沿って散策する。
「遠くに見える山も庭の景観に取り入れられていて、借景というんだ」
年始には鶴を飛ばす催事があり、宮野家は一家で訪れるのが恒例になっているという。
「茶畑では茶摘み、田んぼでは稲刈りと年中行事があるんだよ。蓮の花が開くときには早朝からたくさんの人が集まるよ」
青空を移す池を眺めながら茶屋の軒下で休憩することにした。
曹瑛は大きな抹茶碗を手にして抹茶の深い香りを楽しむ。冴えた美しい緑色の茶を口に含めば、豊かな緑茶の風味と仄かな苦みがある。
「よい香りだ、味もいい」
曹瑛は抹茶を気に入った様子で、味わいながら飲んでいる。中国茶とはまた違う作法にも興味を持ったようだ。
日が傾き始め、園内を散策する人たちの影が長くなってきた。薄闇の庭園に優しい灯りが点り始めた。池にはライトアップされた木々の影が映り、幻想的な雰囲気に包まれる。
「もう一周しよう」
曹瑛はこのまま帰るのが惜しい気持ちになったようだ。昼間とは全く違う景観の庭を歩く。行く道に和傘や灯籠のディスプレイがあり、足を止めて眺めた。
宮野家に帰れば、夕食の準備ができていた。昨日にも増して曹瑛をもてなそうと、下津井のたこ飯に山盛りの海老天、刺身の盛り合わせ、唐揚げ、海藻サラダとテーブル一杯に料理が並んだ。
今日どこに行ったのかから始まり、今度来たときのプランまであれこれ話題になった。美織は曹瑛にどうやったらそんなに綺麗な肌を保てるのか真剣に聞いていた。
「伊織が東京に出るって言い出して家族みんな心配したけど、もう8年。どうにかなるものやね。久々に帰ったらちょっとはしっかりしたんかなあ」
「そう言えば、アニキ顔つきがしっかりしたね」
龍神を巡る戦いの話をしたら家族は卒倒するだろう。目の前にいる曹瑛は元暗殺者だし、友達に元ヤクザや闇ブローカー、上海マフィアがいることは黙っておくことにした。
「伊織に瑛さんみたいな友達ができて良かったわ」
母親は柔和な笑顔を曹瑛に向ける。友達、という響きに曹瑛は気恥ずかしそうに小さく微笑む。
翌朝、曹瑛は日が昇る前に目を覚ました。ふとんからはみ出して眠る伊織を揺さぶり起こす。伊織は寝ぼけまなこでのろのろと半身を起こした。最終日に約束をしていた場所に行くためだ。
服を着替えて車に乗り込み、星が瞬く山の上の展望台を目指す。
夜明け前の薄闇の中を高台に登った。東の空がほのかに明るくなってゆく。紫紺の空に光が差す。だんだんと昇り始める朝陽が空を、海を照らしていく。海はまばゆい金色に輝き、光の中を船が行き交う。
「伊織の話していたこの景色をずっと見たかった」
無言だった曹瑛が口を開いた。
「この特別な時間にだけ見える海だよ」
青い海に白い橋が四国に向かって延びている。橋の中を電車が通り抜けていくのが見えた。いくつもの島が浮かぶ穏やかな海の景色をしばらく二人佇んで眺めていた。
家に帰れば炊きたてのご飯に味噌汁、魚の煮付けが用意されていた。朝食を食べたら東京へ帰ることにしている。
「またいつでもおいで、瑛さん」
母親が背伸びして曹瑛の肩をポンポンと叩く。曹瑛は気恥ずかしそうにはい、と答えた。曹瑛は昨日の観光であれこれ買った土産ものを手渡した。
「まー、こんなに!?ありがとうね」
母親はお返しとばかり、果物やら乾物やら山盛りの土産を曹瑛に手渡した。玄関先では寡黙な父が曹瑛と握手を交わしていた。
岡山駅まで美織が帰りがてら車で送ってくれた。
「アニキ、今度帰ってくるときも瑛さん連れてきてね」
「俺はおまけみたいだな」
伊織はおどけて肩を竦める。
「また来ます」
曹瑛も頷く。
美織と駅前のロータリーで別れ、新幹線のホームへ向かう。
東京行きの新幹線がやってきた。ホームにベルが鳴り響き、新幹線は動き出す。
「伊織が天然でお人好しなのがわかる気がした」
「瑛さん、それどういう意味」
伊織が眉根を寄せる。
「家族か、いいものだな」
誰にともなく呟いた曹瑛は、窓の外を流れて行く風景を少し寂しそうに眺めていた。
思えば、曹瑛から親の話はほとんど聞いたことがない。そんな曹瑛が家族は良いものだと言う。伊織は家族に合わせることが気恥ずかしいと思ったことを反省した。
「今度は劉玲さんも連れて行こう」
「それは面倒くさい」
曹瑛はフン、と顔を背けた。窓に映る曹瑛の顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。
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