第3話
「そうなんだ、ライアンも大変だね」
閉店後の烏鵲堂。曹瑛から話の一部始終を聞いた伊織は、神妙な顔で呟いた。
「違う、そういう話ではない」
曹瑛は上海から届いた茶葉を仕分けながら、不満げな表情を向ける。
「そもそも榊のガードの依頼を断っておけば、こんな面倒なことにならなかった」
曹瑛は歯噛みしながら頭を抱える。完全にとばっちりだ。
「ライアンの命を救ったのも何かのご縁だよ」
そのライアンがあまりにしぶといので、やむなくガードを引き受けることになった。無用なハグとボディタッチ禁止を絶対条件にした。
「でも、銃を持ち出すなんて余程のことだ。瑛さん、気をつけて」
伊織は深刻な表情になる。引退したとはいえ、曹瑛は元プロの暗殺者だ。巷のヤクザやチンピラなど敵ではないだろう。しかし、道端で銃を使うほどなりふり構わない相手だ。
「今度の定休日でカタをつける」
曹瑛はソファに座り、タブレットで情報屋とやりとりを始めた。
***
約束の日。指定された場所は商談の場となる海沿いの個人病院だ。200床以下の外科と内科を有する病院で、ここ数年の赤字続きで閉院が噂されている。建物は老朽化し、新型の高額検査機器の導入もままならず、症例が確保できないため医師も寄りつかない。近くにリニューアルオープンした市民病院に患者を持っていかれている状態だ。
ライアンはこの病院を買い取り、立て直しのために下見にやってきたのだった。ビジネスパートナーとして榊の姿もあった。ライアンはブルー系のドットタイに紺色のオーダースーツを着こなしている。
「君のスーツ、なかなかいい」
榊は黒のシャドウストライプにブルーのシャツ、タイはラベンダーで普段より柔らかい印象がある。
ライアンが榊の姿を恍惚と見つめて微笑んでいる。榊は思わず目を逸らした。
病院事務局の応接室に通される。事務長の名前は川上といった。白髪をなでつけた50代半ばの、いかにも日本企業の中間管理職といった風貌だ。小さな病院でも事務長というプライドがあるのか、高慢な態度が見え隠れしていた。
ライアンと榊はそれぞれに名乗り、名刺を交換する。川上は眼鏡をずり下げて2人の顔を交互にみた。どちらも若い。しかもかたや外国人だ。こんな奴らに病院経営を立て直せるものか、そう顔に書いてある。
ライアンがタブレット画面を提示する。そこにはエリアの年齢別患者数、近くの医療施設の特徴、そこから導き出されるこの病院が突き詰めていくべき強みや展望が記されていた。
ライアンのプレゼンは完璧だった。
「そうはいっても」
川上は失策を突かれたことが気に食わないようで、不機嫌な顔を向ける。
「ここまでは確かに理想論、それを実現するプランも考えてありますよ」
その前に、一度院内を見学したいとライアンが席を立った。川上は面倒くさそうに立ち上がる。この事務長では話にならない、と榊は思った。しかしそれは顔に出さない。
午後の外来は再診患者がまばらにいるのみで閑散としていた。やる気の無い看護師が紙のカルテを手に患者を呼んでいる。
古いリノリウムの床は、ところどころひび割れ、古い蛍光灯が長い廊下を陰気に照らしている。
入院病棟へ上がる。病床利用率は6割を切っているという。すれ違う医師に生気はない。ナースステーションでは事務員が大量の書類と格闘していた。パソコンはあるが、飾りなのか。
ライアンはその様子を観察しているようだった。川上は通り一辺倒の説明しかしていない。
「患者さんの憩いの場があるとか」
「ああ、スカイテラスですね、こちらから屋上に上がれます」
この病院でスカイテラスか、へそが茶を沸かす。
「すみませんが、私はここで」
榊が頭を下げる。
「彼は次のビジネスがあります」
榊と別れ、ライアンは川上について病棟の奥へ進む。
「この病棟は看護師不足で基準を満たさないため、閉鎖しているんです」
渡り廊下を歩きながら川上が説明する。人気のない古い病棟は昼間でも不気味だった。建物の端にはガラス張りのデイルームがある。がらんとしたフロアにテーブルが3セット、窓際に椅子が並んでいる。
「おや、鍵を忘れました、ここで少しお待ちください」
ライアンは窓際の椅子に腰掛け、足を組んだ。川上はいそいそとデイルームから出て行った。くすんだガラスの向こうには穏やかな海が見える。ロケーションだけは文句なしだ。ここで療養できるなら患者の心も安らぐだろう。
「お前がライアン・ハンターか」
背後から声がして、振り返れば見るからにチンピラ風情の男が五人。スーツにセンスのない派手な柄シャツ、サングラス。病院には似つかわしくない装いだ。
「病院買収から手を引け」
男がナイフをちらつかせながらライアンを脅す。
「なぜこの病院を買収されたくないのかな」
ライアンは余裕の笑みを浮かべている。
「お前に関係あるか、ここは日本だ。外人に偉そうにされちゃ我慢ならねえんだ」
「国際感覚のない人たちだ」
ライアンは困ったように言う。男が怒鳴り声で威嚇する。しかし、ライアンは怯える様子はない。
「怖い目に遭わなきゃ分からないらしい」
男が胸元から自動小銃を取り出した。それを影から見ていた川上があわてて諫める。
「ここで騒ぎを起こさないという話だったじゃないか」
「お前はひっこんでな、退職金以上の金は渡すと約束してるだろ」
チンピラの一人が川上をどやしつける。川上は額の汗を拭きながら怯えた目をしている。
「殺しちまおう、ここは病院だ。死体はどうにでも処分できるぜ」
「そうだ、ここなら弾いても聞こえねえ」
チンピラたちは下品な笑い声を上げる。川上はその場から逃げだそうと走り出した。が、何かに躓いて派手に転がった。
「おっさんよ、手引きしておいて自分だけ逃げるのか。そりゃないだろ」
そこに立っていたのは白衣の男。顔を上げると、先ほどライアンと一緒にいた榊と名乗った男だった。縁なし眼鏡の奥の目がギラリと光る。その傍にもう一人白衣を纏う長身で細身の男、曹瑛だ。
「ぐあっ」
チンピラが叫んで銃を床に放り出した。見れば、その手に鋭いメスが深々と刺さっている。
「なんだてめえら」
「何で医者がここにいるんだよ」
「ばかやろう、あんな目つきの悪い医者がいるか!」
チンピラたちは騒然となった。白衣をなびかせ、赤色の柄シャツに向かって曹瑛が走る。赤シャツは曹瑛の迫力に怯え、手にしたサバイバルナイフを振り回す。曹瑛はそれをかわしながら、赤い柄巻のバヨネットで応戦する。
曹瑛の俊敏なナイフ捌きに男はどんどん後ずさる。壁に追い詰め、腹に膝蹴りを入れた。男は口から血の泡を吹き出して倒れた。
背後で撃鉄を下ろす音がした。曹瑛は銃を構えた腕を跳ね上げ、銃撃を阻止した。がら空きになった男の脇腹に肘鉄を食らわせる。うめき声を上げて身を折り曲げた男の頭をバヨネットの柄で殴り、気絶させた。
ライアンを人質に取ろうと走り出した男の背に、曹瑛は振り向きざまにメスを飛ばす。背中に三本のメスが刺さり、男は飛び上がって悲鳴を上げ、床に転がった。
榊はドスを持つ角刈りの男に対峙していた。角刈りは榊の腹を狙い、ドスを突き出す。榊はそれをギリギリで避ける。そのまま繰り出される下からの突き上げに身を逸らした。
「丸腰だろうが容赦はしないぜ、俺は極道だ」
角刈りはニヤリと笑う。榊は男を睨み付ける。鋭い眼光に角刈りが恐怖した。叫び声を上げながらドスを振り下ろす。榊はその手を掴み、関節を極めた。角刈りが手放したドスを掴み、その足に突き立てた。角刈りは悲鳴を上げて倒れる。
「こっちはカタギだ」
榊は足を抱えて痛みにのたうち回っている角刈りの腹を蹴り、気絶させてやった。
仲間が次々とやられる様子に怯えていた最後に残ったチンピラが、落とした銃を拾い上げようと手を伸ばす。その手を黒光りする靴が踏み抜いた。
「ぎゃあ、てめえなにしやがる」
「それは私の台詞だ」
ライアンが立っていた。先ほどまでの柔和な笑みは消え去り、冷酷な表情を浮かべている。ライアンは澄んだグリーンの目を細めた。男が拾い損ねた銃を拾い上げ、無言で男の腕を撃ち抜いた。男は床を血まみれにしながら叫び声を上げる。ライアンは表情を変えぬまま男の頭を狙う。
「待て、そこまでだ」
榊がライアンの腕を掴む。
「ここは日本だ。マフィアの掟は忘れろ」
曹瑛もライアンをバヨネットで牽制する。ライアンはふう、と息を吐いた。そしてまた柔らかな笑顔に戻る。
「君たちは甘い」
ライアンは銃を榊に手渡した。
海辺に車を停め、ライアンと榊、曹瑛は涼やかな潮風を浴びている。海は午後の気怠い日射しを反射して輝き、鴎の声が遠く聞こえている。
「日本での病院ビジネスは厳しい。半分以上が赤字だ」
ライアンは誰に聞かせるでもなく話し始めた。
「しかし、この地域の住民にとってあの病院は必要だ。無くなれば、救急車は隣町まで走ることになる。それに高齢者が通うには人気の市民病院は遠い」
「病院の買収は地域貢献まで考えてのことだったのか」
榊がデュポンでタバコに火をつける。曹瑛も手を伸ばし、フィリップモリスをくわえた。
「もちろん、それだけではビジネスにはならないがね。ロケーションや診療科の強みを出せば立て直せる見込みがあってのことだ」
「病院を潰してホテルを建てる計画があるようだ。地下には裏カジノだ」
曹瑛が煙を吐き出す。
「それでヤクザ者が躍起になっていたんだな」
「買収は進める。きっと人々に喜ばれる」
ライアンは病院のくすんだ白い建物を見上げて呟いた。
ライアン帰国の日、羽田空港に榊に高谷、曹瑛と伊織が見送りに来ていた。
「みんな来てくれたのか」
ライアンは笑顔だが、寂しさが滲んでいるように見えた。
「お前を追い出しに来たんだよ」
榊は笑っている。
「英臣、君を諦めきれない」
ハグしようとするライアンを榊はひらりとかわし、曹瑛と腕を組む。
「俺はこいつと将来を誓い合っている、諦めろ」
「そうなのか、曹瑛」
ライアンが試すように曹瑛を見る。
「…そ、そうだ」
曹瑛はそれだけ言うと、サングラスのまま俯いている。気のせいか頬が赤い。横に立つ伊織はポカンと口を開けている。
「それでもいい、何度でもアタックしにやってくるよ。強い絆で繋がれた君たちが羨ましい。じゃあみんな元気で」
ライアンは爽やかな笑顔で手を降りながら出国ゲートへ消えていった。
「知らなかったよ、二人が将来を」
深々と納得する伊織の額に、曹瑛渾身のデコピンが飛んできた。
「あれはヤツをかわすための口実だ」
曹瑛と榊は利害が一致しているらしい。
「それにしても、ひどい理由を考えたよ」
それを面白く思っていない高谷が唇を突き出してふて腐れている。
嫌がる曹瑛を無理矢理説得して考えた作戦だったのに、効果は全く無かった。榊は大きなため息をついた。
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