第2話
ホテルの地下駐車場へ車を停め、エレベーターで7階へ。ベイブリッジと横浜港が一望できるレストランだ。案内された窓際の席に座る。晴れ渡る空の下で海が青く輝いている。
テーブルには季節のフルーツをふんだんに使ったタルトやプリン、ショートケーキが並ぶ。3段のタワーに盛り付けされたスイーツは見た目にも楽しい。
飲み物はフレーバーティーに英国の老舗メーカーの紅茶、挽き立てのコーヒーが用意されていた。
ライアンはクッションの良い椅子に足を組んでゆったりと腰掛けている。ラフな格好だが、品の良さは隠せない。
高谷はバーでナンパされてセレブを自称する男と遊びに行ったことが何度かあるが、そういうエセセレブとは全く違う佇まいだと感じた。
「つきあってくれて嬉しいよ」
ライアンは白い歯を見せて笑う。華やかなスイーツに、ホテルの瀟洒なラウンジ、何もなければ心躍るシチュエーションだが、高谷は目の前を男を警戒して表情が硬い。
「君は今大学生だね、何を学んでいるの」
「情報工学」
「将来の夢は」
「システム開発、医療系を考えてる」
「そう、きちんと目標があるんだね。医療系はこれからも伸びしろがある。うちにもメディカル部門があるんだよ、卒業したらうちに来ないか」
ライアンは大ぶりなアクションを取り混ぜながら顔をほころばせる。
「いえ、俺は自分の力で人生を切り開きたいんです、アンタの世話にはならないよ」
「英臣と同じだね、やっぱり君たちは兄弟だ」
高谷のつっけんどんな返事にもライアンは気を悪くする様子はない。ここまでの会話でも何度か挑発してライアンを試しているが、余裕の姿勢を崩さない。
「食べよう、紅茶が冷めてしまうよ」
大きな口を開けて美味しそうにタルトを頬張るライアンの顔は無邪気なものだ。この男が米国大手コンサル会社のCEOとは。高谷もプリンに手を付ける。
「日本の果物はとても丁寧に育てられている。見た目はゴージャス、そして新鮮で美味しい、大好きだ」
ライアンは饒舌に語る。彼の叔母が日本人で、子供の頃に何度か日本には来たことがあり、日本文化に興味があること、今回の日本法人の設立は彼の夢だとも。
「私は英臣に心底惚れている」
香り立つ紅茶を口にしながらライアンが呟く。高谷は反射的に眉を顰める。
「なぜ兄に執着するんですか」
「ある会合で彼の姿を見た。そのとき彼はまだ日本のマフィアだった。鋭い眼光に意思の強そうな唇、背筋を伸ばしてボスの脇に佇む姿は心底美しかった。ボスは小物だったが、なぜ彼があのような小さな組織にいるのか不思議だったよ」
ライアンのグリーンの瞳は遠く憧憬を映しているようだ。
「私はすぐに彼の素性を調べた。地元の大きな組織のボスの長子だったがその権力が及ばぬよう離縁して、彼は自分の力で人生を切り開いた。君もそうだね」
ライアンは高谷を真っ直ぐに見つめる。あらかた自分のことも調べているのだろう。
「私もそんな生き方がしたい。でも、覚悟がない。私は未だ父の力の影響下にある。彼と一緒なら、私も人生を切り開けるような気がしている」
「一人でやってみればいいじゃないか」
高谷の言葉に、ライアンはフッと笑う。
「負けたよ…君も手厳しいな。でも説得力がある。きっと、彼もそう言うだろうね」
ライアンは寂しげに笑う。
「しかし、これとそれとは別問題だ。ビジネスパートナーとしても、ライフパートナーとしても私は彼が気に入った、欲しいものは手に入れる」
ライアンの表情が瞬時に獲物を狙う獣に豹変した。裏の顔はアメリカンマフィア、油断ならない男だ。
「やっぱり、あんたのこと嫌いだ」
高谷が鋭い視線でライアンを見据える。その強い瞳は英臣に似ている、ライアンは息を呑む。
「そんなに怒らないで、怒った顔も可愛いけどね」
長い指で鼻先をつつかれて、高谷は意表を突かれて椅子にがっくりと身を落とした。この男には見事にペースを狂わされる。
「君も英臣のことが大好きなんだろう、だから危険を承知で英臣に手出ししないよう交渉するためにここへやってきた。君はとても勇気がある、そしてクレバーだ」
ライアンに図星を突かれ、高谷は唇を引き結ぶ。
「君と私はライバルだね」
「一緒にするなよ」
高谷は顔を赤くして下を向いた。
高谷は複雑な気持ちのまま、ホテルの駐車場へ降りてきた。ライアンには隙がない、何も得られるものはなかった。そしてその純粋な想いを聞いて、何も言えなくなってしまった。
ポルシェの近く、柱の影から不意に柄の悪い男が出てきた。次々に姿を現した三人がライアンを囲む。
「結紀、君は車で待っていてくれ」
ライアンはポルシェのキーを高谷に投げる。角刈りの男はランニングシャツに迷彩柄のパンツ、筋肉に自信があるようだ。黒いサングラスに坊主頭の手にはナイフ、派手な柄シャツの細身の男は木刀を手にしている。
「ライアン・ハンターだな、大人しくしていれば怪我しないで済む」
迷彩ズボンの男がじりじりとライアンに近づいていく。
「君たちは誰だ」
「名乗るほどの者じゃない、お前の会社のビジネスの方針を変えてもらうためにちょっと顔を貸してもらう」
ライアンは怯える様子はない。高谷は柱の傍に身を潜める。迷彩ズボンがライアンの肩に手を置いた。ライアンがその手を掴んだと思うと、大柄な迷彩ズボンがコンクリートの床にひっくり返っていた。
「てめえ、逆らう気か」
柄シャツが木刀を振り下ろす。ライアンは最小限の動きでかわす。腹を立てた柄シャツは木刀を振り回しながら襲いかかる。ライアンは振り下ろされた木刀を押さえ込み、柄シャツの膝に蹴りを入れた。ガクンと身を落とした柄シャツの顎を膝で蹴り上げる。
「ぐえっ」
柄シャツはその場に白目を剥いて倒れた。ライアンは柄シャツが手放した木刀を奪いとり、両手で構える。
立ち上がった迷彩ズボンの額めがけて会心の一撃を食らわせた。迷彩ズボンは額を割られてまたぶっ倒れた。ライアンの前にナイフを持った坊主頭が立ちはだかる。
「てめえ、やりやがったな」
怒りに任せてナイフを突き出し、ライアンに突進する。
「んっ!?」
不意に額に堅いものが当たった。ライアンは怯んだ坊主頭の腕をつかみ、捻り上げる。坊主頭は呻き声を上げ、ナイフを落とした。ライアンはダイナミックな振りをつけて男に跳び蹴りを食らわせた。男は吹っ飛び、壁にぶつかって気絶した。
背後に殺気を感じた。額から血を流した迷彩ズボンが立ち上がり、怒りに表情を歪めてライアンに迫る。
「この毛頭が!」
ライアンは身構えた。男が急に痙攣したと思うと、前のめりに倒れた。その背後には高谷が立っている。手には火花を放つペン型のスタンガンを持っていた。
「ありがとう、助かったよ結紀」
ライアンが高谷を抱きしめる。高谷はそれを両手で引き剥がし、床に落ちたシルバーのリングを拾い上げた。坊主頭を牽制するために飛ばしたものだ。
「あんた、俺の助けがなくても余裕で勝てたでしょ」
「さあ、どうかな。日本のマフィアは怖いよ」
ライアンは肩をすくめて笑った。帰りの道すがら、海兵隊仕込みのマーシャルアーツを学んだこと、剣道もたしなんでおり師範レベルだと教えてくれた。
首都高に乗り、都内に帰ってきた。高谷のアパート前に車を停める。そこに黒いBMWが停まっていた。車外に長身の男が2人立っている。
「あれ、榊さんどうしたの」
「結紀、大丈夫か」
榊が眉根を寄せ、心配そうな表情を浮かべている。高谷が無事が分かると、背後に立つライアンを鋭い眼光で睨み付ける。曹瑛もBMWの傍に無言で立っている。サングラスをかけ表情は読めないが、ライアンを警戒して殺気を漲らせている。
「デートに誘ったんだ、お茶を楽しんだだけだよ」
二人の険しい気配にも、ライアンはおどけて肩を竦める。
「貴様、結紀に近づくな」
榊が高谷を背後に下がらせながらライアンを威嚇する。その怒りを抑えた低い声の威圧感にライアンは息を呑んだ。
「結紀にも同じことを言われたよ、君に近づくなとね」
ライアンはどこか寂しそうな表情を浮かべている。高谷は榊の背後で俯いている。
「では、邪魔者は退散するとしよう」
ライアンがポルシェのドアに手をかけた瞬間、曹瑛が走った。同時に乾いた破裂音が響く。曹瑛はライアンの腕を掴み、アスファルトに転がった。
地面に仰向けに倒れたライアンは何が起きたか分からず、曹瑛を見上げている。曹瑛が地面に膝をついたまま胸元から抜いたスローイングナイフを飛ばした。通りの奥に立つ黒服の男の手に刺さり、叫び声が上がる。
銃撃に失敗した男は路地の曲がり角に停めてあった車に乗り込み逃走した。
曹瑛は舌打ちをする。すっと下から手が伸びてきて頬に触れた。
「美しい…その俊敏な動き、まるで美しい獣のようだ」
恍惚としたライアンが曹瑛の頬を執拗に撫でている。曹瑛はショックで硬直していたが、次の瞬間声にならない叫びを上げて飛び退いた。ライアンは身を起こす。
「お前、狙われているのか」
榊がデュポンでタバコに火をつける。
「さあ、心当たりはないことはない。今展開しようとしているビジネス絡みかもしれない」
立ち上がったライアンが曹瑛の方を見れば、異様に距離を取り、冷や汗を流しながら動揺を隠すようにタバコを吹かしている。
「曹瑛、君にガードを頼めないか」
「断る」
曹瑛は短く吐き捨てた。
「君の腕は確かだ」
「お前のところの黒服の護衛はどうした」
「私は君に頼みたいんだよ」
「俺は足を洗った、そもそもお前に何の義理もない」
「では、私の友人になってくれないか」
笑顔のライアンがじりじりと曹瑛に近づいていく。曹瑛は後ずさる。
「どうしてそうなる」
「英臣とは友人だから引き受けたんだろう。さあ、今から私たちは友人だ」
ライアンが両手を大きく広げ、曹瑛に親愛のハグを求める。曹瑛は思わずライアンの腹に拳を繰り出した。硬い腹筋に拳がめり込み、ライアンは身もだえる。
「うっ、これは効く…私の見立ては間違っていなかった。やはり、君に頼みたい」
倒れないライアンに肩を掴まれ、曹瑛は青ざめる。
「さすがアメリカ人、タフガイだな」
榊が遠巻きにそれを見ながら呆れている。これほど動揺する曹瑛は珍しい。
「榊さん、心配かけてごめん」
「お前が無事ならそれで良い」
榊は高谷の顔を見て微笑む。電話が繋がらないことが気掛かりで、高谷を探してアパートに立ち寄ったのだという。
曹瑛も店を早めに仕舞い一緒に来てくれたと聞いて高谷は驚き、感謝した。そして目の前の光景があまりに気の毒で、本当に悪いことをしたと思った。
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