不完全ヒーロー

残高27円

序章

第0話:不滅の詩

「不合格…ですか」

言い渡されたのはその一言だった。誰もが浮かれて止まない筈の師走の終わり、俳優志望の青年はがくりと膝をつく。彼にその一言を伝えた中年男性は、精力的な見た目と裏腹に腫れ物を触るかのような声をかけた。

「まあ、たかが子供向けヒーロー番組の主役だろ?…もうはるか君じゃあ、ぶっちゃけ見たいなの逃したし、次は朝ドラみたいなオーディション見つけてくるからさ…」

青年を“はるか”と呼んだ男は彼のプロデューサーだが、次の担当を抱えているせいか軽いスケジュール確認を取らせた後、さっさと彼を解放したのだった。

事務所の退館を済ませ、はるかは白い息を吐きながら帰路へと着いた。泥が詰まったかのように彼の時間は止まっても、世間の波は慌ただしくも緩やかに、人と音の往来を繰り返す。右腕に抱えた封筒を握り締め、きらびやかに飾られたコンクリートジャングルを踏み抜いて帰るしかなかった。


はるかと言う青年は、生まれてから中学生に上がるまでの記憶がなかった。原因は階段から落ちたショックだとか、とにかく些細な事故だったことを彼は聞かされた。文字の読み書きなど分かっても、何処でそれを学んだのかと言う経験…思い出に当たる記憶だけが抜け落ちていたのだ。

何も知らない彼にとって、大人達が他人の人生を押し付けて来る。現実が受け入れられない気持ちと、自分じゃない誰かを求められる不快感が入り交じって、いつしか死んでしまいたいとも考えた。

そんな彼を救った物こそ、テレビ番組のヒーローだった。創作の世界で現実を忘れたい気分で観ていた筈が、人に寄り添う心のヒーローに次第と憧れるようになった。

テレビ映えするよう自分の容姿を磨き、数え切れない程ボランティアに参加し、演技力や能力を伸ばすために様々な稽古場を回った。しかし、彼の全ては水泡すいほうに帰したのだった。

唯一と言って良かった自分だけの人生を踏み潰されたようで、現実が受け入れられない。また、あの時のような衝動が、背筋に“ ぞわり… ”と登った気がした。




華々しい町並みとは一変。蛍火のようにぽつり、又ぽつりと、家庭に明かりが灯る住宅街を登っていた。

それに呼応してか、ふと彼の脳裏に同級生達の顔を思い出した。それぞれは今頃堅実に生き、順風満帆じゅんぷうまんぱんな日々を過ごしている頃だろう。気が付いてしまえば彼はもう25歳だ。プロデューサーに言われた言葉が、まるでしこりのように残る。“ は、逃した…… ”このまま何者にもなれないのだろうか?うつむき様に、家から少し遠ざかるしか、今を乗り切れそうになかった。


ぐえッ!と、何処かでカエルが潰れるような声に続いき、笑い声が聴こえて来た。声の先には制服を着た何人もの学生達が群がり、遠目からでは何をしているのか分からなかった。その光景に欠片も興味などなかったが、夜遅く学生達が大きな声を出すのは大人として声をかけるべきか考えた挙句、悠は恐る恐ると近付いて声をかけた。

「あの、君たち…」

「…なんスか」

サイドを綺麗に刈り揃えた韓流なマッシュヘアと、長いまつ毛が特徴的な少年が気だるそうに応えた。他の少年達とは少し大人びている雰囲気から、彼がグループをまとめているのだろう。

「この辺に住んでるんだけど、深夜にデカい音出すのは控えてくれないかな…周りに住んでる人達も少なくないし。」

この辺りに住んでいるなど真っ赤な嘘だ。だが、近隣の住人は迷惑をしている筈だ。例え安い正義感でも、無視を決めるよりはマシだと悠は自分に納得を効かせた。

「あー…、スンマセンでした。ちょっと盛り上がっちゃって、次から気をつけます。」

「え、ああ…、ありが…とう。」

悠は面を食らう程、少年の聞き分けが良かったのは意外と感じた。

「オイ、コイツどーすんだよ」

取り巻きの1人が指を指した先には、1人地べたに蹲っている少年がいた。きっと彼が悲鳴の主なのだろう。

「ほっとけよ、。後から着いて来るに決まってら」

韓流少年の一言で、場は一斉に同調した。そのまま彼は取り巻きを引き連れ、地べたに這う少年とはるかを置いて目の前の石階段へと下って行った。

「…君、大丈夫か?」

転んだだけにしては、やたら制服が土っぽい所を見るに察して、はるか思わず手を差し伸べた。

「……な、なんで助けた」

意外な一声だった。少年は普段表情を変える事が無いせいか、顔はだらしなく間延まのびしており、眉にも手を付けていないせいかまるで覇気はきを感じない。だが、この瞬間ばかりは気圧けおされた。

「は?いや、だって君…」

「なんで助けたんだよッ!!!」

余計なお世話だったのだろうか、だが彼は明らかにイジめ被害者だ。制服の上着に付いた靴跡は、何よりの証拠としか思えない。だが、はるかは今にも飛びかかりそうな少年を前に、まるで喉元を掴まれたように言葉が出ない。

「お前のせいだ!!アイツはムカついた時、決まってって言って、次の日はもっとエグいことしてくるんだぞ!!中途半端に助けて来る奴が一番迷惑なんだよ!!」

悲痛な叫びを前に、はるかはただ聞くしかなかった。ヒーローに憧れた青年は、この日始めて被害者の声を聞いたのだった。

「わ、悪い……」

思わず彼を哀れんでしまった。

「ッ!!……そう言うのが、ウザいんだよ!!」

遂に地雷をみ抜いた。瞬間、少年がそのか細い腕ではるかを突き飛ばしたのだ。

「え……ッ!?」

不意に突き飛ばされた彼は、突然の浮遊感ふゆうかんのち、宙へと浮いた。少年達が下って行った階段へと向かって、はるかは落下して行った。


“____二人の囚人は鉄格子の窓から外を眺めた。”


“一人は泥を見た。”

“一人は星を見た。”


この日を境に、2人は運命の奴隷となった。


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