なつかしさんとSL
「おねーさん、ふふ、おねーさんかあ。おねーさんはなあ。なつかしさん、や」
そういうと“なつかしさん”は屋根からジャンプして軽やかに着地すると、ぼくの目の前に歩いてきた。長いズボンの足を折りたたんでしゃがむと、ぼくと目を合わせて覗き込む。そのキレイに整った鼻がぼくの鼻に当たりそうで、なんだかいい匂いがして、ぼくはどぎまぎした。
「ひとりぼっちで泣いてたん? おねーさんが遊んであげよか~?」
「ひとりじゃないもん、いつもはみんなといるんだよ、明日はきっとみんな来て、一緒にSLで走るんだから!だから、だから、
明日来てもなつかしさんは乗せてあげないよ!」
頭と手をぶんぶん振って、ぼくはなつかしさんにぼくがひとりぼっちで泣いたんじゃないって伝えようとした。
「あのSLが走るん? それはそれは楽しみやなあ、坊や。明日から夏休みなんやろ? い~っぱい遊ばなあかんなあ」
なつかしさんはぼくが怒ってもにこにことした表情を変えなかった。
「ぜったい、ぜったいみんなくるから!!」
ぼくはなつかしさんに叫んで、階段をどたどた降りて逃げるように走って公園を出た。
いつもより少し帰るのが遅くなってしまっておかあさんには叱られてしまったけど、ぼくはずっと黙ったまま夕ご飯を食べた。
次の日の終業式、いつも遊ぶけんたくん、しんごくん、まさのぶくんに今日は絶対SLで遊ぼうと誘いにいった。
「えー、もうあきたし、校庭でサッカーでもしよーぜ」とけんたくん。
「今日から塾行かなきゃ」としんごくん。
「新しいゲームするから」とまさのぶくん。
どうしてみんながそんなことをいうのか、ぼくは分からなかった。ぼくは足も速くないからサッカーでボールに触れないし、塾なんてなにが楽しいのか分からないし、ゲーム機はおかあさんが買ってくれなかった。
終業式が終わって待ちに待った夏休みが始まったというのに、昨日よりもっとみじめな気持ちで、ぼくはとぼとぼと公園のSLの駅に向かった。なつかしさんにひとりぼっちと笑われるのがいやだった。でもうちに帰ってもおかあさんはまだパートにいっているから、ラップをかけられたお昼ごはんを一人で食べる気にもなれなかった。昨日よりもっと元気なセミだけがぼくを出迎えて、駅の階段に尻餅をつくみたいに座り込んで、ランドセルと、お道具箱の入ったてさげぶくろを投げ出した。誰か一人でも気が変わって、ごめんやっぱりSLごっこをしようと言いに来てくれるのを待っていた。眩しい空の下で、ぼくはあごから垂れてくる汗に気づいて、Tシャツを引っ張り上げてふいた。Tシャツはじっとりと重くなってぼくの肌にぴったり貼り付いて気持ち悪かった。
耳の中がセミでいっぱいで、太陽と地面が両方暑くて、目の前がゆらゆら揺れて頭がぐらぐらしてきたそんなときだった。
「あらら、ざーんねん。だーれもこーへんなあ」
白くて長い髪、上下真っ黒な長袖。なつかしさんがにこにこと笑って、いつの間にかぼくの真横に腰掛けていた。
汗まみれのぼくは、なつかしさんの顔を見てぽかんとしたあと、ぽろぽろ泣き出していた。
「泣いてもうたんかー、よしよし、おねーさんがだっこしたげよな」
なつかしさんはパーカーの胸にぼくの体をぎゅっと抱き寄せた。びっくりして固まったぼくの髪をわしゃわしゃ、かき混ぜるみたいにして撫でてくる。真夏日に真っ黒い、しかも長袖の服を着こんでいるのに、くっついたなつかしさんはちょっぴりひんやりして、すべすべして、不思議ないい匂いがして、気持ちが良かった。
「よしよーし、さみしかったなあみぃんなおらんで。代わりにおねーさんがそばにいたるからな~」
聞きなれない関西弁の猫撫で声がなぜだかとても優しく、甘く感じられて、ぼくは力が抜けてなつかしさんの腕の中に体をあずけ切った。
「いつも、いつもみんないっしょにSLに乗ってくれるのに、急に、きゅうに冷たくなって、あきたって」
しゃくりあげながら言うと、なつかしさんはぽんぽんと背中を叩いてくれた。
「うんうん、ツラかったなあ、かなしかったなあ。蒸気機関車は男のロマンやのになあ。みんな大人ぶって、こどもっぽい言うてどっかいってまうんやなあ」
「ぜったい、ぜったい、SLがサッカーよりつまんないなんてことないのに。だって、だってどこにだっていけるんだよ」
「せやなあ、もったいないわなあ。じゃあ、ウチに教えてくれへん? あの蒸気機関車の動かし方。キミのたのしいこと、おねーさんに教えてくれへん?」
目を細めて微笑みかけながら、なつかしさんが言った。
「うん!いいよ!!」
ぼくは泣き止むと、立ち上がってなつかしさんの白い手をひっぱって駅に入っていった。
「はい、なつかしさん、これがキップだよ」
ぼくはなつかしさんを相手に落ち葉の切符を持たせて改札をし、運転台によじ登ってぼくの思うSLの動かし方を自信満々に聞かせてやって見せた。なつかしさんは「へー、そーなんや~」と言いながら面白そうに聞いてくれていた。
「最後にこのレバー。それで、出発進行!って言ったら発車だよ」
「ほー、なるほどなあ。じゃあ、せーので一緒に言うか?」
「いいよ!」
「「せーの」」
『しゅっぱつしんこう!!』
ぼくとなつかしさんの声が重なった。
それがきっかけだったように、SLから大きな音が響いた。振動がぼくの立つ運転台を震わせて、プラットホームがゆっくりと後ろに滑っていく。
SLが本当に動いているんだ、と気づいたのは煙突からもくもくと出る白い煙を見て、公園を飛び出してJRの線路の横を走っているのが分かったからだった。
「なつかしさん! 本当にSLが動いてる!」
「あはは、ほんまやなあ」
びっくりして話しかけても、なつかしさんは平然としていた。
「でも、キミはいつもワクワクする想像ん中でいっつもこの子を走らせとったんやろ? じゃあ動いたって不思議やないやろ」
なんで不思議がるのか分からない、という風に首を傾げるなつかしさんの後ろで、町の景色がどんどん流れていく。
「さあ、キミはこのSLで、どこ行きたいんや?」
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