第9話 素敵です


「いやー、あっはっは……」


 はじめくんが私の部屋を出ていった。私はごまかすように笑いながら、彼を見送った。

 きっと呆れていることだろう。


 はじめくんは、彼の部屋に衣服の洗剤をとりにもどった。

 本来なら、私の家にある洗剤を使えばいいのだろう。

 でも私の部屋に洗剤は置いていない。

 はじめくんがそれを知ったとき、彼は口をパクパクさせて驚いていたけど、すぐに優しく微笑んだ。

 呆れを通り越して、慈しむようになってしまったらしい。

 洗剤を持って戻ってきたはじめくんは、念入りに洗濯機のチェックを始めた。


「ほとんど新品だから、どこも悪くないよ」


 このマンションに引っ越してきたとき、ちゃんと家事をしようと思って、家電量販店の店員にすすめられるまま、ハイエンドのドラム式洗濯機を購入した。

 購入したのは2年ほど前だけど、今でも一級品の洗濯機のはずだ。この前、同じ型式の洗濯機が中古で売りに出されていたのを見たけど、そんなに値段は下がっていなかった。

 

「結構、良い洗濯機だし」

 

 後ろから問題ないと主張するけれど、はじめくんは取り合ってくれない。

 真剣な顔で点検している。

 

「ねぇ、大丈夫だと思うよ?」

「そうですね。洗濯機は問題なかったです」

「ほら!」


 私の言ったことは間違っていなかった。

 使ってないからほとんど新品なのだ。


「ですが蛇口のパッキンがダメになっていました。水漏れしていますね」

「えっ、ほんとだ! 確か水道業者の連絡先があったはず。ちょっと待ってて!」


 任せっきりだったから、少しは挽回したい。

 私だって役に立てるはずだ。

 冷蔵庫に水道業者の連絡先が入ったマグネットを貼っていたと思ったけど見当たらない。

 少しは良いところを見せられると思ったのに……。


「桜子さん」

「水道業者のマグネットなら、もう捨てましたよ」

「えぇ!? どうして」

「あの業者は値段が高くなってしまうので、おすすめできません」

「でも緊急で水漏れしたときはどうするの?」


 とてもじゃないけど、私には対処できない。

 水道業者に電話するしかないだろう。


「そういうときは管理会社に連絡してください。契約したときに緊急時用の24時間対応窓口の連絡先をもらっているはずです」

「そんなものもあったような、なかったような」

「多分契約書と一緒に入っていると思いますよ」

「契約書かぁ……どこだっけ?」

「後で探しておきます」


 うぅ……。

 まともにはじめくんの顔を見れない。きっとゴミを見るような目で見られているはずだ。


「今までよく生きてこれましたね」

「私もそう思う」

「でもこれからは僕がいるので大丈夫ですよ。パッキンを買いにいかないとダメですが、この程度の水漏れなら僕でも対処できますし」


 きゅん。

 なんて頼りになる子なの。

 私は感極まって、はじめくんを抱きしめた。


「ママ!」

「わっ」

 

 こうやって抱きしめると、はじめくんの身体は小さいなと改めて思う。

 正直、いまだに本当に高校生だと信じられない。

 私の背が女性にしては高い方だとはいえ、はじめくんの顔がちょうど胸に挟むような形になっている。

 小さくて抱き枕みたい。

 はじめくんはもぞもぞと胸元で動くと、顔を上げてとんでもないことを口にした。

 

「桜子さん、服を脱いでもらえますか?」

「えっ?」


 驚いて、距離をとる。

 はじめくんからは不純な気持ちを感じないから、あまりそういうことには興味がないのかと思っていた。

 でも年ごろだし、やっぱり気になるのかしら。しかも意外と強引だ。

 簡単に身体を許す気はないけど、悪い気はしないかも。


「その服、昨日から着てますよね?」

「そうだけど。それがどうかした……ん?……んん!?!?!?」


 抱きついたことで、はじめくんをムラムラさせてしまったのかと思っていた。

 可愛い見た目をしていても高校生だから仕方がないと上から目線で見ていた私は、とんだバカやろうだ。

 ひどい勘違いだった。思い上がりも甚だしい。

 

「……くさい?」

「臭くはないですが、汗の匂いがします」

「着替えてくる!」


 寝室に行き、他に着る服がないため仕方なくスーツを着用した。

 引き戸を開けてリビングに戻ると、はじめくんが不思議そうに首をかしげた。


「どうしてスーツを……あっ、いえ、なんでもないです」


 私がスーツを着た理由に気がついたのだろう。

 スーツしか着られるものがない。


「早めに洗濯しないといけませんし、量も多いので、今日はコインランドリーを使いましょうか」


 洗濯機を使うことは諦めて、コインランドリーに行くことになった。


「じゃぁついでにお昼ご飯食べに行こうか」

「えっ……あっ、もう良い時間ですね。すみません、お昼をつくる時間配分ができていませんでした」

「いや謝るのはむしろこっちだって」


 互いに自分が悪いと押し問答をしばらくした後、はじめくんのお腹が鳴ったので、すみやかに外食へと向かうことになった。

 お腹を鳴らして、顔を赤くして恥ずかしがっている姿はとってもかわいかった。


「荷物もあるし車で行こっか」

「えっ!? 桜子さん、車を運転できるんですか?」

「もちろん。こんなだらしない生活しているけど、車の運転はきっちりしてるからね」


 仕事と違って、プライベートでは気が抜けてしまってズボラな生活をしているけど、車の運転は別だ。運転で気を抜けば、大事故の原因になってしまう。

 はじめくんと一緒に駐車場へと向かった。


「わっ! 可愛い車ですね」

「でしょ。こういう色の方が目立って分かりやすいの」


 少し前にCMで良く流れていた車だ。

 小さめの車体に似合うと思って黄色を選んだけど、ほかの車が並んでいるときに目立ってすぐに見つけられて、お気に入りの車だ。


「むふふ」

「どうしました?」

「なんでもないわ。行きましょう」


 自分の持っている車を褒めてもらえるというのは嬉しいものだ。

 私自身の容姿を褒められるより、車を褒めてもらう方が個人的には嬉しい。

 きっとはじめくんなら反応してくれると思っていたけど、予想通りに反応してくれてとても気分が良い。

 鍵を開けて車に乗り込む。

 助手席に座ろうとしたはじめくんが驚いた様子で言った。


「車の中は綺麗ですね」

「……えぇ、そうね」


 私は調子にのって浮かれていたのだろう。

 彼の何気ない一言が胸に突き刺さってしまった。

 車の中も当然汚いはずだ、と思われていたのだ。まぁ自業自得なのだけれど。


 運転なんて誰でもできるものだと思う。

 人によってどれだけ安全に気を使っているか、マナーを守っているか、違いはあるけれど、運転すること自体はそう難しいことじゃない。

 少し外にでれば、車はいたるところで走っている。私にとっては運転ができることは別に特別なことじゃなかった。

 でも、はじめくんにとっては違ったらしい。


「凄いです! 素敵です!」


 車を発車してしばらくの間、はじめくんはずっと素敵ですと、運転ができることを褒めてくれた。

 当たり前のことを褒められて気恥ずかしかったけれど、褒められて嬉しいことには違いない。

 どん底まで落ちた私の株が少し上がった気がした。

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