第六章その4

 六月二三日月曜日。


 予想通り学校は大騒ぎとなって四時間目の授業が緊急の全校集会になった。

 それによれば日付が変わって土曜日の深夜、二人組の男女が校内に侵入したが結局捕まらずじまいで少なくとも自分か彩、舞と太一のどちらかがバレずに済むといいのだがと、翔は祈る。

学年主任や教頭、校長先生たちは異口同音に学校に踏み入り、荒らし回った卑劣な輩を絶対に許さないと大袈裟に振る舞っていた。

「一定の効果はあったようだな」

 昼休み、翔はいつものようにみんなと昼食を食べるため、席に着いて言うと舞も教室内に神経を張り巡らせてるような表情で座る。

「ええ、ここでは慎みましょう……ウィンストンやジュリアのような末路を辿らないようにね。まさかあなたがオブライエンなわけないよね?」

「中沢さん読んだのか? ジョージ・オーウェルの『1984年』を」

 翔はバッグから水筒を取り出しながら言うと舞は無表情のまま肯き、太一は嬉しそうに微笑んで肯く。

「ああ、あの後中沢が珍しく貸して欲しいって言ったんだ。週末のうちに読破したということは――」

「それ以上言うと思想警察に密告して一〇一号室に送るわよ。それとミスター・チャリントン……柴谷君にどこか似ていて気持ち悪かったわ」

 舞は言わせないと太一を睨む、この分だと気に入ったようだが彩も感想を言う。

「でもあれ……救いのないお話しだったわね、せめて……続きとかがあったらって思うとね」

「書きたくても書けなかったと思うよ。執筆当時オーウェルは当時不治の病だった結核に侵されていた……オーウェル自身、もう長くないって感じてたのかもしれない……でも最後に書いてあった『ニュースピークの諸原理』あれはなんだったんだろう」

 翔は一つ疑問が残った、何故オーウェルは揉め事を起こしてまで小説の末尾に『ニュースピークの諸原理』というエッセイを残したんだろう? 彩も水筒のカップにお茶を注ぎながら首を傾げる。

「う~んあたしも読んだけど、過去形で書かれて馴染みの言葉――オールドスピークで書かれてるから後の時代にまるで『ニュースピークとはいったい何だったの?』って書かれてるからつまり……」

「もしかすると、オーウェルは未来の私たちに託したのかもしれないわ……ビッグ・ブラザーをやっつけるのは君たちだって」

 なるほど、中沢さんの言う通りそういう解釈もありか。翔は弁当のご飯を食べながら頭の中で今いる細高とオセアニアを重ね合わせる。

「でもさ、いずれにしろ崩壊してたんだと思う。時代に取り残された者はいずれ緩やかに滅びる……この学校も時代に取り残されてるから、いずれな」

「まっ時代錯誤に付き合わされる方はたまったもんじゃないな、この時は今しかない……だからこの時は僕たちのものだ、卒業してこの学校を去る時……僕たちは悔いのない青春を送ってやった。ざまあみろってね」

 太一の言うことが本当にできたらどんなに素晴らしいものだと思うが、自分たちならそれができるような気がした。


 昼休みが終わると大掃除だった、翔の教室のフロアは荒らすことはできなかったが他のフロアの手伝いに駆り出された。成り行きとは言え上野、西本、高畑と一緒になって二階商業科の片づけをする。

 高畑は苦笑しながら大雑把に張り付けられたポスターを剥がす。

「どこの誰だか知らんが、随分派手にやってくれたな」

「ああ、正直グッジョブだと言ってやりたいぜ!」

 わざと先生にも聞こえるように言ってる、西本も不満を抱いてたらしい。翔は今夜の裏サイトを見るのが楽しみだと思いながら、ばら撒かれたビラを拾い集めると上野が憎たらしげな口調で話しかける。

「なぁ真島、お前研修宿泊以来ずっと神代と仲良くしてるようだな」

「……神代さんだけじゃないさ、太一や中沢さんともな」

「ゴールデンウィークだけじゃなくこの前は交通センターでデートしてただろ?」

「ということは見てたんだな? この前だけじゃなく……ゴールデンウィークの練習サボって俺たちのことを告げ口するためにわざわざ尾行したのか?」

 翔は上野の奥底を覗こうと瞳を射抜くように見つめると、微かに動揺したかのように目を泳がせると翔はその隙を見逃さず揺さぶりをかける。

「ゴールデンウィークにサッカー部の練習があったことは知っている、サッカー部のみんなが休みがなかったって嘆いてたからなお祖母ちゃんが病気で倒れたと言って帰ったようだな? 家に三日間神代さんの家に入って家を出た時間まで先生に告げ口した。病気で倒れたことは嘘みたいだな?」

「証拠はあるのか? 物的証拠は?」

 上野は翔を睨みながら訊くと物怖じせず言う。

「ああ、漫研にいる君のお姉さん……上野恭子うえのきょうこ先輩から聞いたよ、君のお祖母さん。二人ともそれぞれもう亡くなってるってね」

 すると上野は動揺を露わにして震えた口調になる。

「お、おい……このこと、誰にも言うんじゃないぞ!」

「それじゃあなぜサッカー部をサボってでも俺たちのことを告げ口した? いや、それよりも……そんなことをするくらいなら、サッカー部を辞めた方がよかったんじゃないのか?」

「お前らが楽しそうにしてるのが気に食わなかったんだよ……それにうちのサッカー部厳しいし、一度入ったら最低でも半年は続けないといけないんだよ!」

 ただそれだけの理由で彩を泣かせたのか!? 神代さんとデートした時は雨だったから休みの可能性もあったが、翔は厳しく追及することにした。

「それじゃあなぜサッカー部に入った?」

 上野の言いようのない後悔の表情で口を開こうとしない。翔は勢いよく指差して尖った口調になる。

「させらたんじゃないぞ! 自分の意志で! 自分の手で入部届を書いて出したんだ! ええっ!?」

「ああそうだよ! 俺の意志で書いた! 俺も中学時代と同じだろう、思って入ったんだよ! ところがさ……入った途端に夜遅くまでの練習や理不尽な指導、レギュラーの座を巡っての蹴落とし合いや醜い争い、放課後楽しそうにしてる奴らが気に食わなかったんだよ! 顧問の南原の精神とか根性とか、そんな古臭い考えを持ってる顧問を持っちゃ、やってられなかったんだよ!」

 上野はサッカー部の不満を口にする、だが翔にはもう一つ訊きたいことがあった。

「もう一つ訊きたい……放課後や休日、校則を破ってる生徒を見つけてそれを後日先生に報せると内申点を上げるという噂を聞いたが本当か?」

「それなら多分本当かもしれないし、嘘とも言えるようなことを言ったよ。知らせてくれたことは覚えておくってさ!」

 つまりあの噂は半分本当で嘘とも言える。曖昧かもしれないがそう言ってただけも収穫ものだろう、せめて記録してる書類があればと思いながらそれ以上は言わなかった。


 放課後になり、翔は玲子と途中まで一緒に帰る。

「綾瀬さん、いいの? 今日は友達と帰らなくて」

「いいのよ、たまにはこうやって二人で話しながら帰るのも悪くないかなってね」

 玲子の取り巻きたちは校門を出ると繁華街の方に行って翔は自転車を押しながら歩く、因みに玲子の家はJR熊本駅の近くだという。翔は今日のことを報告した。

「上野君が僕たちのことを告げ口したという話し、やっぱり本当だった」

「問い詰めて確かめたんだ……内申点の方も?」

「半分本当で嘘とも言えるが、上野君によれば少なくとも知らせてくれたことを覚えておくってさ……誰にも言うなとは言ってたが、サボったことも白状したよ」

「やっぱりね……それにしても今日朝から凄かったわね、そこらじゅうにビラが散らかってポスターも落書き、張り替えと見ていてスカッとしたわ……みんな口に出してないけど英雄だって崇めてるわよ」

 英雄? 僕たちが? 翔は自分たちだと絶対に口にしてはいけないと戒める、英雄となれば都合良く利用される可能性もあるからだ。

「犯行声明は裏サイトで出てたみたいだね」

「ええ、あの裏サイトのサーバー……海外を経由してるから特定が難しいってね」

「一体誰がいつからあんなサイトを作ったんだろうな」

「そうよね、でもさぁ『兄弟同盟』ってなんか安直過ぎない?」

 玲子は屈託のない笑みで翔を見つめながら言うと、翔は目を伏せる。流石に秘密結社の正式名称を言うわけにはいかない。もし問い詰められた場合、自分たちは実体のない秘密結社の下部組織ということにしてある。

「兄弟同盟は恐らくはダミーで中身が存在しない、本当の組織は別にあると思う」

「でもさ、掲示板には加盟希望者が沢山出てるけどあんたは入るつもり?」

「いや……先生や大人たちに反抗し続けることは勝ち目のない戦いを卒業まで続けることになる。それよりも……この三年間を後悔のないように過ごしたい」

「泣いたり笑ったり、恋したりとか?」

「……そんなところだ」

 翔は鞄からA4サイズの封筒を取り出してそれを差し出す。

「これ……裏サイトの掲示板にも張り付けてないものだ」

「へぇどれどれ? なにこれ? 凄い! 時間帯や人数、人の配置まで手に取るようにわかるわ!」

 舞が纏めた先生やボランティア補導員の配置、時間帯、配置場所を地図上に記したデータ表だ。これが先生の手に渡ったら大変なことになるほどの機密書類だ。

「これだけの情報を集めるのには一ヶ月はかかった、慎重に取り扱ってくれ」

「勿論よ、またいい情報を手に入れたらメールするわ!」

「頼りにしてる」

 翔が肯くとJR新水前寺駅に到着、玲子は熊本方面行きの電車に乗るため改札口へと向かう。

「それじゃあまたね!」

「ああ、気をつけてな」

 翔は玲子を見送ると、熊本行きの電車が入ってくる。そして玲子を乗せた電車が発車すると翔は裏道に入って呉服町にあるマンションへと向かう、今後のことをみんなと話し合うためだ。

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