第六章その2
六月二〇日金曜日。
計画の実行を今夜に控え、翔は彩と舞の三人で一緒に下校する。
太一は学校に潜伏して中から鍵を開けるという、各種便利アイテムは数日間数回に分けて搬入済みだ。まるで武器か麻薬を密輸する運び屋になった気分だった。校門を出ると、舞といつものようにお喋りする彩の横顔を窺うが、その笑顔には陰りがあった。
まるで太一がよく見せる微笑みのように、武蔵塚に住んでる彩は家が遠いので今日は舞の家に泊まるらしい。
「――舞ちゃんってパソコン得意なんだね」
「得意というよりはならざるを得なかったことね、私……家の事情で静岡の両親と離れて父方の祖父母の家に暮らしてるの……お祖父ちゃんが流行り物が好きで、その一環で一緒にパソコンを勉強したの……お祖母ちゃん曰く『わさもん好きな肥後もっこす』だからだって」
「ああ、新しい物とか流行り物が好きな頑固なお祖父ちゃんってことね」
「ええ、しかも自慢じゃないけどお祖父ちゃん……昭和二〇年の熊本大空襲で大火傷して死にかけたうえに昭和二八年の白川大水害でも溺れて死にかけたわ」
「よく生きてたわね」
「極めつけは消防士の仕事で大洋デパート火災の現場の最前線にいて、何年か前にドキュメンタリー番組に出てたわ」
凄い人だな中沢さんのお祖父ちゃん、どんな人か会ってみたいと思ってると彩は人差し指を唇に当てて首を傾げた。
「大洋デパート火災?」
「一九七三年一一月二九日、今の下通にあるダイエーで起きた。死者一〇三人、重軽傷者一二四人、原因は今も不明の火災事故さ」
「あら、真島君随分詳しいのね」
舞は冷めたような笑みを浮かべて言うと、彩も感心した表情になると懐かしい声が響いた。
「そうよ、真島君は昔から物知りなのよ」
全員で振り向くと、スラリとした背中まで長い髪に翔と同じくらいの背丈、一昔前の少女マンガのように出てくるような長い睫、赤い薔薇の花弁のような唇と優雅な顔立ちでクラシック・バレエをしていることや、浮世離れした性格で、存在するはずがないのに存在してるという冗談と称賛の意味を込めてブラックスワンと呼ばれた園田春美先輩が、自転車を押して立っていた。
翔は思わぬ再会にただ驚愕するしかなかった。
「園田先輩!?」
「久しぶりね真島君、卒業式以来……かな? それに中沢さんも元気そうじゃない?」
園田先輩は微笑みながら長い黒髪をかきあげると風と共にサラリとなびかせる、舞も油断のない微笑みを浮かべる。
「園田先輩こそ、城下高ではどうしてます?」
「楽しんでるわ。みんな良くしてくれるし、先生たちも耳を傾けて聞いてくれる。とても充実した高校生活よ……中沢さん、心を許せる友達ができたみたいね」
園田先輩は微笑みながら視線を彩に向けると、緊張した面持ちで挨拶する。
「は、初めまして神代彩です!」
「こちらこそ、偏屈で気難しい真島君と無愛想で口の悪い中沢さんと一緒で大変ね」
「そんなことありません! 二人とも優しくて、いい人で、毎日楽しいです」
彩は否定して物怖じすることなく真っ直ぐな眼差しで否定すると、翔は付け加える。
「園田先輩……柴谷太一を覚えてますか? いつもそいつを入れて四人で昼飯食って放課後帰って、休日遊んでます」
「あらまぁ、あのいつも笑顔の仮面を被った腹黒い柴谷君と?」
園田先輩は愉快そうに笑うと彩は驚愕する。
「ええっ!? 柴谷君仮面を被ってないですよ」
「例え話というか比喩表現よ、彩は天然ボケね」
「ふぇっ!? 舞ちゃん酷い!」
彩は潤んだ目で嘆くと園田先輩は愉快そうに笑う。
「うっ、ふふふふふふふ……腹黒、天然、無愛想、偏屈……個性的な四人ね。それに神代さん気に入ったわ! あなたたち厳しい細高でも楽しそうにやってそうね」
「園田先輩、それ半分当たりで半分外れでした、噂の一部は大袈裟に誇張されててることがわかりました。ただ……根本的……いや本質的には昭和の時代に取り残されたような学校って気がします」
翔の言葉に耳を傾けていた先輩は肯いて訊く。
「それで? 真島君はどうするつもりなの?」
「少なくとも僕は……」
翔は一度言葉を途切れさせて目を伏せる。瞼に思い浮かんだのは先輩を憧れの眼差しで見続けた中学時代よりも、高校に入学して知り合った彩の笑顔、そして先日見せた泣き顔だった。
「僕は……先輩とは違う道を生き方を選びます」
どうしてこんなことを僕は先輩に言うんだろう? 翔は自分に問うが答えが出るよりも早く、園田先輩は微笑んで肯いた。
「そう、いつまで私のことを引きずる子たちよりは……ずっといいわ」
日付が変わって午前〇時を回ると、マナーモードにしていた携帯電話が震えて太一は目を覚ます。倉庫独特の埃っぽい臭いがして暗い中、起き上がる。携帯電話に付いてるライトを点灯させ、音を立てないように慎重に動きスイッチを入れる。
太一がいる場所は校舎一階の階段裏にある小さな倉庫だ。放課後、下校の時刻まで下準備して倉庫に隠れて鍵をかけ、伝説の傭兵よろしく段ボールを被って隠れ、午後七時頃になると持ち込んだ弁当で夕食を食べたらトイレに行きたくなった。
幸いにも先生たちは全員帰っていて、夜の学校は思っていた以上に不気味だが明かりを点けるわけにはいかず、一番近いトイレで用を足すと倉庫に戻って仮眠を取った。
「さて、こいつが使えるかな?」
太一は指紋が残らないよう手袋をはめ、持ってきた王水が入った小瓶を取り出す、翔があらかじめ化学準備室からかっぱらってきた物だ。
だがこいつは劇物なので一回分しか確保できなかったという、そこで秘密兵器として生理用品の紙ナプキンを取り出す。
舞に罵られながら譲ってもらった紙ナプキンをカッターで切り裂き、使用されてる高分子吸収ポリマーを鍵穴に押し込めるだけ押し込むと、太一は必要最小限の量しかない王水スポイトで吸い上げ、鍵穴に惜しむことなく注入した。
「さあ上手くいってくれよ」
鍵穴に注入された王水は周りの金属を腐食させる、溶解破錠あるいはKGB解錠とも言われている。携帯電話の時計を見ながら一〇分程度待つ、完全に溶解破錠できなくても強度や機能は一気に落ちる。
そろそろいいだろう、太一は慎重に引き戸を何回か動かすとボロボロになった鍵が耐えられずに外れて開いた。幸いカーテンは閉められていて外から中は見えない、言い換えれば中から外の様子は見えないことだが。
太一はマスターキーを取り、あらかじめ調べておいた必要最小限な鍵だけ取り、解錠作業に入る。勿論全ての昇降口を開けることも忘れてない、いざという時の退路を複数確保するためだ。
夜の校舎を駆け回り、解錠作業を終えて鍵を元の場所に戻すとすっかり汗だくだ。
時計を見るともうすぐ一時、太一は体育館横の自販機でスポーツドリンクを買って飲んで一休みすると合流場所である学校の裏口へと向かった。
翔は太一、舞、彩と合流するとすぐに太一が隠れていた倉庫に行き、手袋をしてマジックペン、ハサミ、ガムテープを各自で装備すると、翔はあらかじめ持ち込んでおいた装備を身に着ける。
なんだろう妙にワクワクする、今までこんなに楽しいと思ったことはあったか?
舞が隠してあったパソコン準備室に行き。ポスターや張り紙を手に取る、これがかなり重くて布袋にして正解だったと思いながら作戦準備最終段階に入ると太一は彩に言う。
「それじゃ神代さん、音頭を取って」
太一が右腕を斜め前に伸ばすと、太一の前に立っていた舞も右腕を伸ばして手を重ねて翔も手を重ねると彩も対角線上に立って手を重ねた。
「それじゃあ! えっと……あたしたちのこと……なんて名乗ろうか?」
舞はずっこけ、太一は苦笑するが翔はあの本を読んで思いつき、咄嗟に言い放った。
「エーデルワイス団だ! 俺たちは……秘密結社エーデルワイス団!」
それで彩は一瞬浮かされた表情になったが次の瞬間、曇りのない、丁度あの日降った雨が止んで厚い雲を吹き飛ばし、一面の青空を広げるかのような晴れやかな笑顔で肯く。
「うん! あたしたちはエーデルワイス団!」
「彩がそう言うなら私も賛成するわ」
舞は彩に身を委ねるかのように肯くと、太一も賛成して肯く。
「エーデルワイス、薄雪草とも言うね……いいんじゃない?」
「それじゃあ、エーデルワイス団ファイトー!!」
「「「「おーっ!!」」」」
真夜中の校舎に、四人の声が重なって響き渡る。
翔は絶対にこの四人なら大人や先生たちに絶対負けたり、屈服したりしないと微かに期待していた。
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