和知井君の陰鬱なる日々

しづく

湯煎

(下らない、バレンタインなんて本当に下らない)

そう思いつつもどうしても動悸が止まらない。心臓がさっきからバクバクして仕方がないのだ。僕はバレンタインなんてそんな不埒なイベント信じない。でもこうして僕の胸のざわつきの原因である、沙月さんと二人っきりで教室にいるといやでもバレンタインを思い出させた。それでもそんなこと考えてるなんて顔には全く出さずに僕は勉強を続けた。沙月さんも勉強を続ける。いつもならペンの音しか聞こえないのに今日は心臓の音が煩すぎる。彼女にバレていないか心配で仕方がなかった。 

「ねえ、和知井君。。。」

僕が日本史の教科書に載っていた平塚らいちょうの顔写真でなんとか平常心を取り戻そうとしていた時、彼女が唐突に僕の名前を呼んだ。

(きた…)

思わずそう思った。きっとチョコを渡される。その時僕はどんな返答をすれば良いのだろう。あまりにもお礼を言うとがっつきすぎだと思われるだろうか。こんな時どうすればいいのかなんて教科書には載っていない、頭の良い僕も流石にあてあげた。

「ど、ど、どうしたの?」

少しどもりながらも返事をする。どうしてだろう、なんでこんなにドキドキするのだろう。この僕が恋をしている?そんなバカなことあるか。自問自答を繰り返す。

「今日バレンタインじゃん。恋人でもない人にチョコを渡すのって変かな…?」

そういう彼女の顔はどこか緊張して見えた。そうか、もし僕がここで変だと言えばきっと彼女は僕に渡せなくなる。それが怖くてこんな顔をしているんだ。そうと分かれば僕が出来ることはただ一つ。

「そ、そ、そんなことないよ!寧ろ嬉しいよ」

心からの言葉だった。柄にもないことを言ってしまったと恥ずかしくなりながら彼女の顔をチラッと見た。彼女は見るからに嬉しそうに微笑んでいた。その優しげな顔を見た僕はなんだか急に照れてしまいさっきまで見ていた教科書に目をやった。先ほどと変わらない顔で平塚らいちょうがこちらを見ているがその顔は僕と彼女の甘酸っぱい青春を祝福しているかのようだった。どちらも話すきっかけが見つからずしばしの間、教室に沈黙が訪れる。でもその沈黙は決して居心地の悪い物では無かった。今の僕らは沈黙すら楽しめる。この余韻の中に愛はあるのだ、そう考えているとこの沈黙に終わりを告げるように廊下から話し声が聞こえてきた。この声には聞き覚えはあった。僕がいつも一緒にいる小柳達だろう。このままでは教室に入ってくるのではないだろうか?そうすれば二人っきりのこの空間が壊されてしまう。それを想像すると全身の血が沸き立った。しかしすぐに思い出した、僕らは両想いなのだ。いっそあいつらに見せつけてやろう、そんな気持ちになり彼らを待ち構えた。案の定直ぐに教室のドアが開く。

「おー!和知井いたのか!」

「相撲部の練習は疲れるでごわすなぁ」

「下松君、僕が作ったピザでも食べる??」

「さすがバイトリーダーだな!」

最低な掛け声とともに入ってきた小柳に続いて、下松、大平、水野がぞくぞくと教室に足を踏み入れた。こいつら本当にレベルが低いんだな、そう思いつつもここで無碍にするのも可哀想なので一応話しかけておいてあげる。

「みんな今まで部活だったんだ、おつかれ」

そう言いながらもみんなの目線を見た。やはりみんな沙月さんが気になるみたいだ。それもそうだろう、そもそも僕がいなければこんなに可愛い子と放課後一緒にいられるはずもないのだから。思わず出た笑みを噛み殺しつつ、そっと沙月さんの方も見る。彼女の頬は少し驚いているように見えた、もしやさっきのタイミングで僕にチョコを渡す予定だったのだろうか?だとしたら申し訳ないことをした。とりあえず場を繋ぐために何か話そうと口を開いた時、教室に高い声が響いた。

「あ、あの!これ受け取って欲しいです…!」

こんなみんながいる所でわざわざ渡すなんて、と彼女の大胆さにビックリしつつ、僕も腹を決めた。

ありがとう…、そう言いかけた時衝撃の光景が目に入った。彼女が渡していたのは僕以外の先ほど教室に来た四人だった。何が起きたのか誰も分からなかった。僕だって信じられなかったし、四人も驚いていた。

「えー、俺さっき温玉唐揚げ丼を食べたからお腹いっぱいなのになぁ。まあサンキューな」

小柳が舐めた口で僕の沙月さんからチョコを受け取る。やめろそのチョコは僕のなのに。

「おお!相撲終わりの甘いものは嬉しいでごわすなぁ!ごっちゃんです!」

下松が嬉しそうにチョコを受け取る。お前はちゃんこだけ食べていれば良いのに、そのチョコは要らないだろ。

「あれぇ、僕ピザ以外好きじゃないんだけどなぁ。でもとりあえず貰っとくね、ありがとう」

大平の態度に思わず手が出そうだった。だったら貰うな、丁重に返せ。やめろやめろ、これ以上沙月さんに悲しい思いをさせるな。

「チョコかー!部室の金魚の餌にさせて貰うね!ありがとう!」

とどめを刺すように水野が最後の一撃を放った。このゴミどもは所詮義理の分際でどれだけ大口を叩くんだ。これはきちんと怒らねばならない、そう思いつつ、まず彼女の様子を見た。かなり落ち込んでいるのだろう思って見たが先ほどの緊張の顔より全然ケロっとしていて思わず驚いた。そうかきっと気丈に振る舞っているだけだ、僕だけだ、彼女の気持ちを分かるのは。

「お前らいい加減にしろよ」

人生で初めて誰かに怒った。それほどまでに僕の気持ちは昂っていた。

「さっ、さ、沙月さんが可哀想だろ。あっ、謝れよカスども」

怒り慣れていないのでかなり詰まってしまった。四人の目が一斉に自分に向けられる。なんだ、言い返してみろよ、とこちらも負けじと見返す。しかし、意外や意外、反論は全く検討違いの所から飛んできた。

「可哀想って何よ?和知井君に何が分かるの?」

え、思わず思考が止まった。声の主の方を見るとやはり沙月さんだ。どうしてかばったはずの沙月さんが僕に怒っているんだろう。すっかり頭が真っ白になってしまっていたがそれでも彼女は僕を捲し立てる。

「前々から思ってたけどやっぱり和知井君って自意識過剰よね。本当にサイコパスなんじゃないの?病院で見て貰えば?」

その言葉は僕の心を壊すには充分すぎる威力だった。その場から逃げ出す力も出ず、ただ反論も弁明も出来ずそのまま僕はその場に立ち尽くししまった。僕がそんなふうにしているのを見ると、僕以外の四人にいつもの笑顔で軽い謝罪を一つして、帰ろっか、とこれまたいつも通りの様子で四人と一緒に帰っていった。帰り際、余りにも僕の様子が見ていられなかったのか、下松が二言くらい慰めの言葉を残し彼らはそそくさと帰っていった。結局僕がその場から動けたのは、学校を閉めるぞと言いに来た先生に話しかけられた時であった。悶々とした気持ちで家に帰る。僕は今、一体どんな顔をしているだろう。こんな顔で家に帰ったら親に心配をかけてしまうだろうか。ふう、深呼吸を一つして家のドアを開けた。いつもと同じ、変わらないの様子で母が帰宅を迎えてくれる。そんな母の表情が一瞬曇った気がした。

「かつみちゃん、何か学校であったの…?」

流石は母親だ、僕の表情ひとつでなんでもお見通しなのだろう、そう考えると僕はボロボロ涙が出た。そんな僕を母は背中をさすりながら何かを渡してくれた。

「分かってるわよ、かつみちゃん。今年もチョコ貰えなかったのよね…、ほらお母さんからのチョコよ。もう泣かないで」

前言撤回だ。見当違いであった。僕は母から渡されたチョコを受け取りつつ部屋に逃げた。もう寝よう、寝て全て忘れよう。

(そう言えばあの時僕だけチョコ渡されなかったなぁ…、沙月さん、渡しそびれちゃったのかなぁ。)

部屋の電気を消す、暗黒が僕を包む。

(明日になればきっと沙月さんから何か言われるよね。その時にチョコも貰えるよなぁ。)

そんなことを考えていたら涙が出てきた、でもこの涙を一度でも拭って仕舞えば止まらなくなる気がしたのでそのまま僕は夢の中に逃げた。

 その後結局僕は沙月さんとは一度も話せずに、チョコも貰えずに卒業してしまった。

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