後悔の酒場

「――お、お邪魔しまーす……」


 その店は繁華街の古びた雑居ビル、その三階でひっそりと看板を上げていた。


 ダイニングバー・ジャンバン。


 当然、女子高生三人には馴染みのない飲食店である。そもそもバーと呼ばれる場所に立ち入った者はなく、雑居ビルの薄暗い廊下を歩くのさえおっかなびっくりだった。


「え? 誰もいないっぽいんだけど……本当にここでいいの?」

「た、多分……大丈夫なんじゃない?」

「変わった店名ですし、間違いないとは思いますが……」


 半分開けた扉から顔を覗かせて店内をうかがう三人。


 目の前にあるのは、革張りのソファと重厚なローテーブルが並ぶ黒い床の空間だ。広さは学校の教室を一回り狭くした程度。カウンター席もあって、その内側の壁には二列にわたって整然と酒瓶が並んでいる。思ったよりも明るく、清潔にされているように見えた。


「お客さん? ごめんね。今日予約でいっぱいなんだわ」


 いきなり声を掛けられ「――っ」肩を持ち上げて固まる女子高生たち。しかし、三人のうち黒髪ロングの美少女だけが、たいして驚くこともなく声の源に気付いた。

「すみません。今日ここで集まりがあると……」


 カウンターの奥にあったキッチンへの入り口――片手でのれんを上げて半分姿を見せていた金髪の中年男へと声を返す。


「ああ。君らがショウちゃんたちの相手?」

「多分」

「真面目だね、時間どおりに来てくれるなんて。むしろ五分前じゃん」

「普通そうだと思いますが」

「そう? オレら界隈じゃ結構珍しいから」


 あまり小綺麗とはいえない男だった。伸びたヒゲは整えられておらず、両目を隠す無造作スタイルの金髪だって根元五センチが黒くなっている。その上、赤いTシャツの下に潜む腹部のラインも、だらしなくたるんでいた。


 店主らしき男の様子に顔を見合わせた女子高生たち三人。とはいえ、「ほら、入ってよ。ショウちゃんたちもじき来るだろうから」今さら引き下がることもできず。


「……し、失礼しまぁーす……」

「ほら舞魚も。早く入って」

「あの――萌奈。やっぱり帰りませんか? さすがにバーでやるのは……」


 カランカランとドアベルを鳴らしダイニングバー・ジャンバンに足を踏み入れるのだ。


 日曜日、午後四時五十五分。


「大丈夫。相手ひなっちの知り合いだし」

「そうだよ。一人はウチの知り合い。本日恋人になる予定♪」

「いえ。そういうことではなくて――」


 ついさっきまでがらんと静まり返っていた店内に、急に生気が溢れかえる。当然だ。酒場に似つかわしくない十代の少女たちがいきなり三人も現れたのである。


「はー。こういうとこ始めてだけど、なんか綺麗ねえ」


 水色のオフショルダーブラウスとフリルのついたショートパンツで可愛く決めた斎藤萌奈は、そう言って物珍しそうに店内の様子をキョロキョロ眺め。


「ねえねえ萌奈ぁ。ウチ、ゆーくん狙い。良いトス上げてよ?」

「なに? なにか言った方がいい?」

「クラスの男に告られたこと。こないだ塾で話したじゃん」

「デブの話?」

「デブだけど。デブのことは言わなくていいから、なんかウチが光るようなさあ」

「大丈夫だって。とりあえずひなっちを上げる感じね」

「わかってるじゃん。期待してるぜ相棒」


 白黒チェックのミニスカートとイエロータンクトップのポニーテール少女は、萌奈の身体を肘でつついて居ても立ってもいられないようだ。


 萌奈の塾友達であり、合コンの話の出所でもあるポニーテール少女。彼女自身、こういうイベントは初めてなのだろう。普段以上に萌奈に絡んで、なんとか緊張をほぐそうとしている。


 そして。

「どうなっても知らんよ、もう」

 小さくそう独りごちた藤ノ井舞魚は――濃紺の半袖シャツ、白のフレアスカート、スニーカーという落ち着いた格好で、金髪中年が消えたカウンター奥を見つめるのだった。


「舞魚ぁっ」

 いきなり萌奈に呼ばれて、「――なんですかいったい」ため息混じりに店の奥に歩く。


「ここに座っていようよ、こーこっ」

「……はしゃいでますねぇ……」

「だって、ウズウズしない? 見たこともない大学生が来んだよ? しかも格好良いって」

「どうします? なんとも言えない感じのが相手だったら」

「えー。ひなっちの知り合いに限ってそれはないでしょー」


 萌奈とひなっちが深く腰掛けた店内一番奥のソファ席。舞魚は、半ば諦めたようにソファの端に腰を下ろすのである。席順は、奥からひなっち、萌奈、舞魚だ。


 ひなっちが言った。

「少なくともゆーくんは格好良いよ。ロッスリの大橋くんに超絶似てる」

「ロッスリの、大橋? ロッスリは知っていますが……」

「舞魚、アイドル系よくわかんないだもんね~」

「グループの数も人の数も多いんですよ。顔見たら多分、見たことあるってなりますから」

「ていうかさ、藤ノ井さん。さっきも言ったけど、ちゃんとウチにゆーくん譲ってね。藤ノ井さんが本気出したら、ウチ絶対勝てないと思うし」

「譲るなんて。本当、今日はただの付き添いなので」

「なんかさあ――萌奈の友達がめっちゃ可愛いとは聞いてたけど、こんなの反則じゃん。そりゃあ、あっちこっちで噂になるよね」

「んー? ひなっちはひなっちで可愛いと思うよ?」

「でもこの超美人と並んでんのよ? つーかさ、藤ノ井さんと張り合えるの、芸能人だってトップの何人かだけでしょ? 向こうフルメイク、藤ノ井さんすっぴんでも闘えそう」

「舞魚、今日はメイクしてきた?」

「ま、まあ……校則で許されるぐらいは」

「はい出たー。藤ノ井さんのほぼすっぴん宣言ー。神様のバカー」

 と、唇を尖らせたひなっちが背もたれに身体を叩き付けた瞬間だった。


 カランカランと深緑色のドアが開け放たれ。

「お? もう揃ってんじゃん。ちわーす」

「ぜってーオレらの方が先だと思ってたわ」

「誰がどこ座る? 今回はちゃんと決めた方が良いだろ」

「うっわ、うっわ! めっちゃ美人がいる!」

「藤ノ井舞魚、初めて見た。ほんとにいたんだな」

 興味津々、笑顔の男たちがぞろぞろ入ってくる。その数、五人。


 てっきり三対三、同数での合同コンパになると思っていたのだろう。女子高生三人がすぐさま顔を見合わせ――ひなっちが小さく首を振った。全然知らなかったとでも言いたげに、だ。


「裕也。とりあえずお前、奥座れ。知り合いだろ? ちゃんと相手してやれよ」

「ちょお~。今回のMVPにそれ言う?」

「じゃあオレは黒髪ロングちゃんの隣行こっかなー」

「はあ? お前それ戦争だぞ? 誰の許可取って言ってんだ?」

「はっは。さかってんねえ」


 現れた五人組は、五人が五人とも、少しばかり派手派手しかった。


 全員大学生ということだが、だいぶ遊び慣れしていそうな雰囲気。

 坊主頭もいるにはいるが、耳たぶ・眉・小鼻・下唇と顔のあちこちにピアスを通し、首筋には炎柄のタトゥーまで入っている。そもそも勤勉な大学生ならば、ゴテゴテしたスカル型バックルのベルトに、ローズピンクのカラーシャツなど組み合わせたりしないはずだ。


 裕也と呼ばれたひなっちの知り合いだけは爽やかイケメンで通るだろうが――残る四人は、茶髪と金髪のホスト風、ドレッドヘアの大男、そして坊主頭のチンピラでしかなかった。


 何はともあれ、美男子揃いとは言いがたい。というか、単純にガラが悪い。


 期待していたのとは違う合コン相手。萌奈が不安げな顔で舞魚の方を見た。

 舞魚はその場では何も言わず、「しゃあ! ジャンケン最強!」とグーを掲げつつ無理矢理隣に座ってきた茶髪ホスト風のために席を詰めてやるのである。


 その瞬間。

「大丈夫え。うちが付いとる」

 萌奈に小さく耳打ちした。


 それから、舞魚を中心に続々と席が埋まり――最後に残った坊主頭が、カウンターに肘をつきながらカウンター奥のキッチンへと声を掛ける。 

「そんじゃマスター、メンツ揃ったんで。今日貸し切りっすよね?」


 すると「いらっしゃいショウちゃん」と姿を見せた金髪中年が、坊主頭に問うた。


「飲みものどうする? すぐに揚げ物出せるけど?」

「んじゃあビールで――なあ、お前ら。全員ビールで文句ねえよな?」


 すかさず声を上げたのは舞魚だ。

「私たちはウーロン茶でお願いします」


 直後、意見された坊主頭の表情が変わった。「あぁん?」と、威圧的に喉を鳴らす。


 とはいえ舞魚は一切臆することなく。

「三人ともまだ高校生ですので」

 口元を隠して穏やかに微笑むのだ。


「……わかった。ビールとウーロン茶ね」

 そう言って金髪中年がキッチンに消えると、ピアスだらけの坊主頭が舞魚の真正面に座った。


「冷めるわ。酒飲んだことねえの?」

「奈良漬けぐらいなら。あんまり好きじゃないですが」

「真面目だねぇ」

「ところで皆さん。ずいぶん色男ですが、どんなご関係で?」

「あ? ――大学のサークル。イベントの企画とかメンツの斡旋やってんだわ」

「へえ。高校生と遊ぶのもサークル活動、と」

「はっは! そうそう、サークル活動! とびっきりの女がいるって話聞いたからよ、サークルの幹部としてはどんなもんか見とかねぇとってわけでな」

「ふふふ。私が噂の人であればいいんですが。ご期待には沿えました?」

「大満足だよ。サークルで扱った女ん中、ぶっちぎり一番だ。学祭のミスコンに特別ゲストで呼んでやってもいいレベル」

「ミスコンも主催を?」

「まあな。うちのサークル、結構パワー持ってっから」


 そしてその時、「だからね、ミスコンの結果もオレらの意向一つで決まっちゃうわけよ」舞魚の隣に座っていた茶髪ホスト風が、舞魚の肩に手を回しながら口を挟んだ。

「まあ? 舞魚ちゃんなら、票操作無しでも圧倒的だろうけど。太鼓判押したげる」


 舞魚は抵抗しない。

「それはどうも。でも皆さん、他の子にも同じことをおっしゃっていそうです」

 三人の女子高生の中で、ただ一人だけニコニコと笑みを浮かべている。


「そんなことねえから! これほんと、マジな話!」

「誤解して欲しくないんだけど。オレら割と硬派なんだぜ?」

「喧嘩とかもそれなりにやるしね」


 結果、美しい花に虫が群がるがごとく、男たちの興味が舞魚から離れなくなった。ひなっちと顔見知りである裕也すらもが、彼女を忘れて舞魚に話しかけるのである。


 そんな中、「…………っ」椅子の上でひたすら小さくなる萌奈。どこにも視線を送ることができず、逃げ出すこともできず、ただ嵐が過ぎ去るのを待つのみだった。


 ひなっちも同様だ。

 格好いい裕也とは知り合いだったが、彼の交友関係はまったく知らなかったのだろう。今日の合コンだって、スマートで優しい男たちがひたすらちやほやしてくれると思っていた。ポニーテールの先を右手でいじりながら、ひどく不安そうにしている。


「舞魚ちゃんさ、芳凜の二年でしょ。何組?」

「さあ? 何組でしょう? 何組だと思います?」

「学校遊びに行っていい?」

「文化祭の時は一般開放がありますよ。警備員は倍増されますけど」


 萌奈とひなっち――二人とも、正直ホッとしていた。

 いかにも粗暴そうな男たちの会話相手を舞魚が引き受けてくれて。彼らの興味がこっちに向かなくて。


 やがて、「ほら。ビールとウーロン茶ね」ビールジョッキとコップがテーブルに並び。

「「「うぇーい!!」」」

 ひどく盛り上がる男たち。乾杯の音頭もなく男たち同士だけでビールジョッキを打ち鳴らすと、いきなりビールをあおり出した。まるで競うように黄金色の液体を飲み込んでいく。


 一方、女子高生たちは、すぐにはウーロン茶に手を出さない。

 またもや顔を見合わせ……何か混ぜられているかも……と、警戒しているのだ。それで最初に舞魚が小さく一口。舐めるようにウーロン茶を体内に入れ。


「せっかくだし舞魚ちゃんも一口飲んでみなよ。そんな、ウーロン茶なんてつまんない水じゃなくてさぁ」

「あら。お酒の力無しだと、私たちを楽しませられませんか?」

「言うねえ。そんなこと言われたら燃えるじゃん」

「んじゃあよ、盛り上がったらアルコール解禁ってことな」


 馴れ馴れしい男たちとの会話に適当に相づちを打ちながら三分間。しかし、異変は一つとて感じられず、そこで初めて小さくため息を吐いた。ひとまずの安全確認は完了。


 そして。

「ほら。若人たちに揚げ物のプレゼントだ。体力付けないとな」

 続いて現れたのは――大皿に山のごとく盛り付けられた、鶏唐揚げ・イカリング・ちくわ磯辺揚げ・オニオンリング・フライドポテトの集合体だ。余裕で五キロぐらいはあるだろう。


 男たちが大いに盛り上がる中、イケメンの裕也が女子高生三人に割り箸を配ってくれた。


「そういや舞魚ちゃんてさ、チョコレート食べれないんだって?」


 するとほんの一瞬だけ明らかに顔色が変わった舞魚。今日初めて会っただけの男がどうしてそんなことまで知っているのか? と怪訝な顔をつくる。


「相当ひどいことになるらしいじゃん。酔っ払って動けなくなるとか、マジな話?」

「……確かにチョコは食べられませんが……でも、どうしてです?」

「ひなたが教えてくれたぜ。舞魚ちゃんはチョコが絶対ダメな人だから料理から外してくれって。ひなたは、そっちの小っこい子から聞いたんだろうけど」


 正直、ありがた迷惑。こんな輩たちにプライベートな情報は一つも渡したくはなかった。


「安心してな。デザートのチョコケーキ、バニラアイスに変えてもらってるから」

「意外と紳士的なんですね」

「どうよ、惚れた?」

「いいえ。まだそこまでは」


 それで裕也が苦笑いして肩をすくめたら、すかさず次の男――ドレッドヘアの大男が話しかけてくる。五人の色呆けたち、彼らの目には舞魚一人しか映っていないようだ。

「つーか、舞魚ちゃんなんで敬語なんだよ? 緊張してる?」


 即座、「はあ? バッカ、ちげぇよ」と金髪ホスト風が話に割り込んできた。薄気味悪いニヤニヤ笑いで舞魚の目を凝視しつつ、こう問いかける。


「君、イントネーションちょいちょいおかしいよね?」

「えぇ? そ、そうですか?」

「オレわかんだよ。方言隠そうとしてっしょ? どこの出? 関西方面?」


 馬鹿にしたような口調。舞魚は一瞬だけ唇の端をヒクつかせたが――決して笑顔を崩すことなく、「秘密です♪ どこ出身か当てられたら、地元の言葉でしゃべってあげます」と可愛く言って男たちを喜ばせるのだった。


 萌奈とひなっちはさっきから一言も話さない。いや、話せない。

 何か異様な雰囲気の男たちに気圧され、こんな場所に来たことを後悔するばかりだ。こんなはずじゃなかった。合コンというものがこんなに恐ろしいものだとは思っていなかった。


 もうちやほやされなくてもいいから。今は、三人一緒に無事帰りたい。

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