私が私であった日

僕は1人しかいない。だが僕の人生には、僕は2人いる。神と、人形。神たる僕は、僕という人形を操り、それを見て楽しむ。僕は世界という舞台の役者で、且つそれを観る客だ。例えば僕が病を患ったとする。その時、僕の感覚、痛覚や触覚は人形と接着しているが、思考は両方が持っている。人形は直感的に思考を作用させ、それを見て神は笑う。こうやって、エッセイを書くように。だが神は時に消える。それは僕が強いポジティブな感情を抱く時。2人は同時のものとなり、僕は真に自分のものとなる。僕は人生の登場人物となり、神の手を離れ直感のまま動く。その後、感情が落ち着いたのなら、感覚と感情は相続され、また2人に分裂する。そんなのも、なかなか楽しいものよ。僕の人生は喜劇だ。ガヤガヤと喚く僕は、どれだけ見ても飽きない。このまま行けば、死さえも、見下ろしてしまえるんじゃないかと、少し恐怖を覚えさえする。ともかく、このように自分語りをする事は本当の意味での日記だ。もしかしたら単に、理性的だってだけかもな。

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