猫をふりきる
じゅき
第1話 日記にしておく
帰りの通学路で猫を見かけたので日記に記す。日付がわりにページ番号を『P1』『P2』という形であらかじめふっておく。
『P1』
街灯と月明かりが薄暗く照らし出す夜の道に、そいつはいた。
ダンボールに入れられた捨て猫。
灰色の毛皮の猫は静かに体を丸めている。
私は目を合わせないように静かに猫の前を通り過ぎたが、少し歩いたところで背後から視線を感じた。
ゆっくりと振り返るが誰もいない。
私は不思議に思いつつも、視線や気配がすることに少し恐怖する。
再び歩きはじめてから生じる疑問。そういえば、足音は聞こえない。
私は勇気を振り絞って少しだけ小走りになり、T字路の手前で勢いよく振り返った。
また誰もいない。私が恐怖から走り出しそうになったとき、足元から鳴き声が聞こえた。
恐るおそる下を見ると先ほどダンボールに入っていた捨て猫がいた。
私は安堵半分、疲労半分の状態で猫に顔を近づけた。
「本当にびっくりしたんだぞ」
私はこの捨て猫を飼うことができない。
元の場所に戻そうと抱きかかえようとするも腕の隙間からすり抜けてしまう。
三回ほど繰り返してから、諦めてその場を離れようとすると猫は私についてきた。
もしかしてと思い、私がダンボールの元まで誘導すると猫はついてきた。猫の毛皮が灰色のせいか、途中何度か見えなくなりそうだったが、なんとかたどり着いた。人懐こいのか、道中猫は私のそばを離れなかった。
その後、猫と少しじゃれあった。
一緒に歩きまわったりしているうちに、自宅に着く。
気がつくと猫はいなくなっていた。
飼えないとはいえ、お別れもできなかったのは少し寂しかった気がする。
『P2』
夜、昨日と同じ通学路を通る。私は交通の関係で昼間と夜の通学路が違う。
昨日の捨て猫はいなかった。薄暗い夜道の中、街灯に照らされるダンボールが印象に残った。
このあたり、過去には不審者が出て、痛ましい事件が起きたらしい。
思い出してからは猫が無事なことを願って帰路に着いた。
そういえば、昨日猫がいたダンボールを過ぎたあたりから猫じゃない気配を感じた。自宅に着くまで怖くて心細かった。
自室にいる今も思い出すと寒気のようなものがする。
猫は元気だろうか。優しい人と暮らせるようになったのか。虐められていたりしないだろうか。
元気にしているならそれに越したことはない。
明日は怖い思いをしたくない。
『P3』
例の如く帰り道。猫の鳴き声がした。
猫が近くにいるのかもしれないとあたりを探した。
鳴き声が大きくなってきたので私を呼んでいるように感じた。私は猫に近づいていたのだろうけど、普段あまり使わない路地に入ろうとしたあたりからなんだか拒絶されているような気もした。
どうしてそんな気がしたのかわからないけど、その日は諦めて帰った。
やっぱり猫じゃない気配がした。
自宅につくまで、なんだか私に着いてきてるような、遠くから追ってくるような、私を見ているような。
お母さんに相談した方がいいのかな?
猫は大丈夫かな?
明日が怖い。
『P4』
今日は危なかった。
帰宅中、猫の鳴き声がして、そっちに歩いた。
鳴き声を追って、通学路から少し離れた道に入る。
そのときから、別の猫の鳴き声が聞こえた。
新しく聞こえた鳴き声は聞き覚えがあった。
というより直感で分かる。
会いたかった捨て猫だ。私は捨て猫の鳴き声を追う。
途中から急かすように捨て猫は鳴くので、私は、猫が少し先を走っているような気がしていた。
猫を追う私を、何かが追いかけていて、その気配は猫どころか人間でもないと本能かなにかが告げていた。
思い出すと今でも寒気がする。
一心不乱に走って自宅に着くときには猫の気配はしなかった。
大急ぎで、ドアの鍵を開けて勢いよく閉めた。息を荒げる私を心配したお母さんに私は事情を説明した。
お母さんは、私の話を信じてくれたが、化物みたいな気配は「不審者に出くわして気が動転していた」と思っているらしい。私もそうだと思いたい。
明日、学校に連絡してくれるらしい。そうしたら警察にも話がいくだろう。不審者なら捕まってほしい。
明日は違うルートで帰ろう。大回りだけどきっとその方がいい。
『?』
土地勘のない夜道を私は走る。完全にミスだった。
あの気配がする追いかけてくるのだ。
薄暗い住宅街を逃げ回りながら、私は自身が思いちがいをしていたことを理解した。
あの気配の正体は知らないけど、奴は私のことを探知できるのか、それとも日中も私を追跡していたのか、普段と違う道で帰路に着いた私を追っている。
私は半泣き状態で走る。
私が普段使っている通学路もそうだが、この住宅街も人の気配がしない。そんなに遅い時間じゃないはずなのに、家の明かりは消えているし、夜道には誰も出歩いていない。
もっとも、全力で走っているだけでなく、緊張状態の私が今から大声を出して助けを求めることはできない。
それに、大声を出して奴を刺激するのが怖かった。
緊張と混乱の中、私が土地勘のない道に迷いながら走っていると、捨て猫の鳴き声がした。
走る私の目の前に灰色の捨て猫が飛び出して、走る。その姿は私に「ついてこい」と促しているようだった。
猫について走り続けると、自宅が見えた。ドアの鍵を開けようとしたとき、手が震えて鍵を落としてしまった。急いで拾ったが私の背中に何かが触れて、私は振り向いた。
私が「それ」を見たのとほぼ同時に灰色の捨て猫が飛びついて、「それ」を私から引き剥がした。
私は、無我夢中で自宅に入り、鍵を閉めた。ドアの向こうから、猫の叫び声のようなものが一度だけ聞こえて、それっきり静かになった。
私はもうドアを開けられなかった。
『P5』
今日のことを日記につける。
私は怖い。
思い出すだけで、慄然とする。
そもそもの始まりは帰り道に気配がして、ゆっくりと振り返ったことだった。
街路樹の影から見えたその姿は、黒いもやの影としか認識できない。
私自身が私の記憶に、フィルターをかけたのかもしれない。
「思い出すな」と。
その影を見た瞬間、私の全身を怖気が襲い、逃げなければならない存在だと察知して逃げ出したのだ。
私は既にあの影を正確に思い出せない。記憶にフィルターがかかっているのか、ショックが強過ぎたのかは不明だ。
それでも、あのときの戰慄は私の芯に刻まれているし、もう一度会えば、あの影だと認識できるだろう。
もう会いたくない。
明日は学校を休みたい。
明日は助からないかもしれない。
でも、他の人はあの化物を信じてくれない。
過去に不審者が出たことがあったためか、大人はあくまで人間の仕業だと考えているらしい。
助けて、誰か。
『……』
私は布団にくるまって眠れずにいた。
あの影は、明らかに私を狙っている。
私を追う気配、見られているような感覚。
猫の鳴き声で私を誘ったこと、通学路を変えたのに私を追いかけてきたこと。
不思議なこともあった。
捨て猫は私を守ってくれるようだった。
鳴き声に誘われる私を呼び戻したり、逃げ惑う私を導いたり、最後は私から影を引き剥がしてくれた。
あれから今まで、一度もドアを開けることができない。猫や影がどうなったのか、外の様子を伺うことができずにいた。
明日、ドアを開けられるだろうか。カーテンの隙間から月明かりがさしている。
デジタル時計は無音のまま時を刻み、私が眠りにつくのを待っている。
そういえば、この地域で起こった痛ましい事件は、猫と中高生にまつわるものだった気がする。事件のことは過去に学校で教わったことがあった。
不審者、というか犯人が生徒をつけ回して、猫が生徒を助けようとして飛びかかって、結局猫は死んでしまうのだけど、生徒は助かり、犯人が捕まる。
だった気がする。犯人は支離滅裂な言動をしていたとか。
そこまでしか頭が回らなかった。余程私は疲れていたのだろう。
疲弊した私は、怯えながらも静かに意識を手放した。
瞼を閉じるとき、何かが、カーテンの隙間の月明かりを遮ったような
……気が…し…………た……。
『!』
夢の世界の通学路で私は背後に気配を感じて振り返る。
今度はその影の正体がはっきり見えた。
視線が「それ」に釘付けになっていながらも、私の耳には捨て猫の鳴き声が響いていた。
『P6』
(白紙)
猫をふりきる じゅき @chiaki-no-juki
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