屈辱
ところ変わって、蟹江の自宅リビング。
MGC本選に向けて、蟹江は小牧の練習相手として勤しんでいた。
「ggだな」
対戦結果を見て、蟹江は誇る様子もなく口にした。
人の顔と名前と顔を覚える種目、『Names』で、蟹江と小牧は対戦し、蟹江は30人中28人を記憶、小牧は30人中15人と、蟹江が大幅に突き離した。
画面の結果を見て、小牧がふてくされたような目で蟹江を睨む。
「少しの手加減もなしですか、師匠」
「手加減か。そんなこと言われてもな」
蟹江はにわかに困った顔になる。
「手を抜こうとすることが、どうも出来なくてな。遅く覚えようとすると、逆に定着力が悪くなる」
へえ、と小牧が舌を巻く。
「どんな頭してるんですか? 師匠にとって、この世界は止まって見えてるんじゃないんですか?」
「さすがに、そんなことはないよ」
半笑いで言葉を返す。
本気で言ってませんよ、と小牧が不満そうに継ぐ。
「ただ、それぐらい凄いっことです」
「それほどでもない」
蟹江は紋切り型に謙遜した。
小牧には師匠の低姿勢な口ぶりが、どうも釈然としない。
「なんでそんなに師匠は謙遜するんですか。世界二位なんですよ、もっと自信もってもいいと思いますけど」
「世界一位でもないのに、自身を持てと言われてもな」
蟹江はそう返しつつ、自問した。
世界二位なにがそんなに凄いのか? 所詮は二位ではないか。
内省的な考えに耽り始めた蟹江に、小牧が無理やり話題を切り換えるように、窓の外の抜けるような晴天に目を馳せる。
「いい天気ですね」
「そうだな」
蟹江も考えから意識を遠ざけて、小牧の視線を追って同意する。
「大会の日も晴れるといいですね」
「どうしてだ、屋内だぞ?」
「そうですけど、曇っているとどんよりするんじゃないですか。無粋なこと言わないでください」
現実的なことを口にする蟹江に、小牧は不満げに言った。
「ごめんごめん。そりゃ天気が良好の方が雨具がいらなくて荷物が減るからな」
「荷物とか関係ないですよ…………関係ないことない、ですけど、そういうことじゃないんです」
「じゃあどういうことなんだ?」
「気分ですよ、気分。ジメジメしてると気分が上がらないじゃないですか」
「気分屋だな」
「いいじゃないですか、気分屋でも」
「まあ、いいけど」
問題なさげに蟹江が肯定すると、しばし会話が途切れた。
話題を探そうと小牧がパソコンの画面に視線を戻すと、サイトは丁度更新の最中だった。
数十秒して更新が済むと、ホーム画面の右隅の新しい告知が目に入った。
告知は、MGCの本選の出場選手に関することだ。
「師匠?」
「どうした?」
「MGCの新しいお知らせが来てますよ」
小牧に言われて、蟹江も対戦結果の画面からホーム画面に戻る。
「おっ、出場選手一覧表だ」
MGC本選の出場選手表一覧には、名の通りMGC本選に出場する選手の名簿がずらりと列記されている。
小牧は蟹江の真向かいから右隣に移動して、一緒に画面を覗く。
一覧表には簡潔に、プレイヤー名と国籍が載っている。
蟹江は慣れた様子で、画面をスクロールした。
「あっ」
一人ずつ名前を見ていた小牧が、何かを見つけたような声を出す。
小牧の目は先日聞かされたアラビア語のプレイヤー名に留まっている。
「アブラヒムさんも出るんですね」
「本選には各国の国内大会優勝者が招待されることが多い。アブラヒムはサウジアラビアの優勝者だからな」
一覧表には総勢十六名の実力プレイヤーの名が列記されている。
スクロールしてページの最後まで来ると、蟹江のマウスを握る手が一瞬固まった。
トニー・マイケル。
その名が、ページの最後に載っていた。
まさに昨年の記憶力世界大会の一位、蟹江が最も強い因縁を感じている名前だ。
俄かに蟹江の脳内で、当時の屈辱が思い出される。
――記憶力世界大会の席で、蟹江は手ごたえを感じていた。
日本人初の入賞が確定し、残る種目はメモリースポーツの花形、スピードカードのみだった。
最終種目開始の合図の後、十分ごとに一回行いそれを三回まで挑戦できる。
蟹江は25秒12、25秒09、24秒78、と自分で最速タイムを記録した。
全員三回目の挑戦が終わると、記録を提出し結果発表を待った。
三位以内に入っていれば、名前が読み上げられる。
燕尾服に度の強い銀縁眼鏡をかけた白髪西洋人男性の大会司会者がが、各選手の提出記録を書いた紙を手に持ち、興奮気味の息遣いで発した。
「第三位はアブラヒム・グルタン」
周囲から拍手が起こる。
「第二位はヨウタ・カニエ」
先程と似た拍手。
「第一位はトニー・マイケル。なんと記録が15秒88」
蟹江の時とは段違いの、空間を圧して満たすような拍手が湧きおこった。
蟹江は愕然と進行者の興奮気味の顔を眺め、15を示すジュゴンのイメージが浮かび上がりその顔に重なった。
司会者のトニーへの称賛する言葉が耳を通り過ぎていき、比べるべくもない彼の記録だけが耳朶にこびり付いて離れなかった――
「師匠。師匠?」
小牧の呼ぶ声が、苦い記憶の外側から聞こえてきた。
蟹江は意識を現在に戻すと、覗き込んできている小牧の顔と相対した。
「どうしたんですか、ぼうっとして」
「……いや、ちょっとな。小牧には関係ないことだよ」
気分を害すことでもしたのかと不安げな小牧に、蟹江は苦笑を返す。
「それよりも、大会出場者に気になる選手はいたか?」
「気になる選手ですか?」
話題をずらされたことを知りつつも、うーん、としばし考えて、小牧は中段の名前を指さす。
「この人です。エミリー・マイケルさん」
「そういえば小牧も面識があったな」
「あたし昨日、エミリーさんから対戦を申し込まれたんですよ」
聞き知らない事実に、蟹江は驚いた目で振り向く。
「エミリーから対戦申し込みが来たのか。それでどうだったんだ?」
どっちが勝ったのか、蟹江は気になって尋ねた。
小牧は口元に笑みを浮かべて答える。
「でも断りました」
意表を打つ返答に、蟹江は理解し難く眉を顰める。
「どうして断ったんだ?」
「それがですね……」
致し方ないと言いたげな表情をして、訳を述べる。
「あたしが負けたら師匠を戴くって、勝手な条件を付けられたので」
なるほど、と辟易した顔で蟹江は合点した。
さらに、よく出来た弟子だなあ、と小牧を口には出さず心の中で褒めた。
「よかったですか?」
「エミリーの執拗さにはほとほと困ってたんだ、助かる」
ほっとした声で言った。
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