二人の恋路と世界四位
一階のフードコートにやって来た蟹江と小牧は、真ん中辺りの空いている二人用のテーブルに席を取った。
一方で弥冨は、二人の視界には入らなさそうなフードコートの隅の四人用テーブルに陣取って観察というか盗み見というか、それらに類する行為を続けている。
席に就くなり、蟹江が囲むように並んだ飲食店のブースを見て、小牧に訊く。
「どれが美味いか、わかるか?」
「師匠、好きな食べ物なんですか?」
「大概の料理は好きだ」
「そう言われちゃうと、どうにも答えられませんよ」
困った声音で小牧は言う。
ならば、と蟹江は一番リーズナブルな飲食店のブースを指さした。
「あのうどん屋にしよう。どうしても食べたいものがあるわけじゃないんだ、安いのがいいだろ?」
「師匠には見栄を張るって言葉はないんですね」
そう呟いて、小牧は苦笑いする。
蟹江が注文のために席を発って戻ってくる合間に、先程から自分たちの後を追ってきている女性に顔を振り向ける。
小牧がじっと見つめていると、女性は慌てて顔を逸らすように俯けてスマホをいじり始めた。
顔見知りの女性への悪戯心が動いた小牧は、注文札を持って戻ってきた蟹江に告げる。
「ちょっとお手洗いに行ってきます」
蟹江の返事も聞かずに、小牧は顔見知りの女性がいるのとは逆の方向に席を離れて、フードコート脇の通り抜けが可能なトイレットのある通路へ向った。
席を立ったわ――。
弥冨はスマホから視線を上げて、小牧がトイレットの方向へ姿を消すのを目の当たりにした。
会話の内容までは分からないが、席を長く離れるということはなさそうだ。
席に残された蟹江は、注文札を眺めて一人で少女を待っている。
今なら話しかけられる――。
弥冨は不意な考えが浮かんで、蟹江を目に捉えたまま腰を上げ……
いや――。
かけたが、早計だと思い止まって座り直した。
お手洗いに掛かる時間のみでは、戻ってきた小牧と鉢合わせするのは自明だ。
蟹江に直接デートなのかと問い質したいが、あの鼻持ちならない女子中学生の事だ。自分を見つけた折には、しつこくここに居る理由を詮索してくることだろう。
詮索された際には、上手い言い訳を考えていない。
蟹江が小生意気な女子中学生との、不純異性交遊などに現を抜かすとは、到底思えなかったが、それでもやはり懸念が無いわけでない。
蟹江は頼まれたら断れない質の人間で、弥冨にはそこが不安の種だ。
あの小生意気な女子中学生と度々、今日のようなデートまがいの行為をしていれば、いつ何時あの子にアプローチに蟹江が傾くか、定かではない。
蟹江を見つめて気を揉む弥冨のすぐ背後で、肩口で切り揃えたボブカットの髪をした少女が接近していた。
弥冨の頭の後ろから、少女の手が伸びる。
「ひゃあ!」
伸びた手が弥冨の目元を覆い、弥冨は目の前が真っ暗になる。
「ななな、なに?」
蟹江に思いを馳せていた弥冨は、突如の暗転した視界に年端もゆかぬ女の子のような嬌声を出して慌てふためいた。
「だ、だれよ?」
拳銃を向けられた人みたいに、両手を挙げて弥冨は誰何する。
「さあ、誰でしょう?」
不意打ちで弥冨の視界を奪った小牧は、作ったような裏声で問い返す。
「だれよ、名乗りなさい!」
困惑が少しだけ落ち着いてきた弥冨が、途端に口調を鋭くする。
ふふふ、と小牧は女性の悪役みたいほくそ笑みをした後、弥冨の耳元へ口を寄せて囁いた。
「わかりませんか、師匠を愛おしそう見ていた弥冨さん?」
図星を衝かれた弥冨の肩がビクンと撥ね上がる。
目元を覆っている小牧の手を鷲掴みにして引き剥がし、弥富が後ろを振り向いた。
「あんたねぇ!」
掴んだ手を放さずに怒鳴った。
頭に血を上らせる弥冨に対して、小牧は何もかもお見通しであると言わんばかりのニヤニヤを口辺に浮かべる。
「師匠を愛おしそうに見てましたよね?」
「蟹江のことなんか見てない」
弥冨は否定した。
小牧のニヤニヤ笑いは深まる。
「あたし、蟹江なんて名前の人言ってませんよ」
「あっ……そ、そう。私の蟹江何て人知らないわね」
口が滑った弥冨は、無理のある切り返しをした。
そうなんですか、と悪戯っぽい笑みを残したまま小牧は問う。
「それじゃ、あたしが師匠と一緒にいても構いませんよね?」
「それとこれとは話は別よ」
「どうしてですか?」
「理由なんてどうでもいいじゃない。とにかく、あんたが陽太とデートらしきものをことと、私が陽太を見ていたことは別問題なのよ」
反応を楽しんでいる小牧は、あれれ、と首を傾げる。
「いいんですか、師匠を見ていたことを認めちゃって?」
「認めるわ。でも愛おしそうには見てないわよ、本当よ」
必死な顔で凄むように言う。
どうしても師匠に好意を持っている事実を知られたくないんだな、と半ば根負けする形で小牧は弥冨の念押しに頷いた。
「わかりましたよ。師匠の事」
「わかればいいの。それで、あんたはどうしてこんな所にいるの?」
「それはこっちの台詞ですよ」
真顔で弥冨に質問を返す。
「どうして着けて来てたんですか。あたしと師匠の行動が気になったんですか?」
「そりゃ気になるわよ。ろくでなしの陽太がデートしてるんだもの」
事も無げに肯定する弥冨。
小牧は溜息を吐いた。
「安心してください。あれはデートと呼べるものではありません」
「それ、どういうこと?」
デートしているように見えた弥冨は、解しがたい顔をする。
「師匠にはあたしとデートしているっていう、感覚がなさそうですから」
「あー、そういうことね」
小牧の言い分に、弥冨は安堵とともに合点がいった声を出す。
「じゃあ互いに承知したデートってわけじゃないのね」
「残念ですけど弥冨さんの言う通りです」
小牧は頷いて、またも深く溜息を吐いた。
彼女らの間に微妙な沈黙が降りる。
しばらくして弥冨が、気恥ずかしそうにあらぬ方向に顔を逸らしながら口を開いた。
「結局、あんたは陽太のことを好きなの?」
小牧は先程までの悪戯っぽい笑みを消して、純粋に微笑む。
「好きですよ。弥冨さんは?」
「……嫌いじゃないわ」
自分の気持ちを否定しきれない弥冨は、逡巡しながらもそう答える。
小牧と弥冨は互いに無言で見つめ合いながら、同質の感情を共有するような意思を通い合わせた。
再び沈黙が降りかけた、そんな二人の頭上から長身の人が影を落とした。
「コンニチワ」
突然した声に、小牧と弥冨はどきりとして声の方を振りむく。
テーブルの横でニコニコしながら、純朴そうな坊主頭で背の高い褐色肌の青年が立っていた。
青年は片言での挨拶の後、笑顔のまま弥冨に親しげな顔を向ける。
「キョウハ、キミヒトリ? カニエハ?」
「ええと……蟹江ならあそこにいるわよ」
突然話しかけられて困惑しつつも、弥冨は青年に蟹江の居場所を教えてあげる。弥冨にとってはこの男性は知り合いだった。
「弥冨さん、この人は?」
見知らぬ褐色青年の顔を見上げて、小牧が弥冨に尋ねる。
「陽太の友人で、アブラヒム・グルタン」
弥冨の紹介に、アブラヒムは満足そうな顔で頷いた。
「ヨウタノユウジン、イイヒョウゲン」
「ほんとに誰ですか、この人」
師匠の友人だという中東系外国人の紹介を聞かされても、小牧は彼に対し未知のものを見る目をやめられない。
アブラヒムは、カニエノトコロイッテクル、と二人にわざわざ告げてから、蟹江の座るテーブルへ歩いていった。
小牧と弥冨はアブラヒムの行動を眺める。
アブラヒムが蟹江に話しかけると、蟹江は驚きながらも歓待する。
久しぶりに会う親友のように、二人はひしと抱き合った。
「もしかして師匠って、そっち系だったんですか?」
アブラヒムと蟹江の抱擁に驚愕して、小牧があらぬ疑いを持った。
違うわよ、と弥冨が否定して二人の関係を説明する。
「外国の一部じゃあれが普通よ。アブラヒムは前の世界大会で知り合ったらしくて、陽太が三位で、アブラヒムが四位だったわ。大会以来、意気投合したみたいなのよ」
「へえ、あの人凄い人なんですね」
思わぬ世界のトッププレイヤーの登場に、小牧のアブラヒムを見る目が敬いのそれに変わった。
小牧が弥冨に説明を受けている間に、蟹江とアブラヒムは抱擁を解いて、互いの近況を話し始める。
「カニエ、サイキンドウ?」
「ぼちぼちかな。昨年の十月に日本記録更新して以来、大会には出てないけどな」
「ナンビョウダッタ?」
「20秒12」
「オー、マタマケタ。イチガツノトキ、21ビョウ33ダッタ」
二人とも世界大会で上位の選手だけに、話題は自然とメモリスポーツのことになる。
ひとしきり近況を話し合うと、アブラヒムが少女二人の方をちらりと見てから話頭を転じる。
「トコロデカニエ、ガールフレンドデキタ?」
「は? ガールフレンド?」
謂れのない問いに、蟹江が間抜け顔で訊き返した。
アブラヒムは弥冨と小牧に人差し指を向けて、ニコニコ顔で言う。
「ドッチナンダイ?」
突然に話題の対象になった弥冨と小牧は、質問の内容も相まって緊張する。
「戻ってこないと思ったら、なんで小牧が弥冨と一緒にいるんだ?」
質問よりも顔見知りの少女二人が並んで自分を見ていることについて、目を点にして蟹江が尋ねる。
蟹江に対して、弥冨と小牧はぎこちない笑みを浮かべた。
アブラヒムが名答を思いついたように、声をあげる。
「ソウカ、ワカッタ!」
「どちらも俺のガールフレンドじゃないってことに、ようやく気付いたのか?」
「ナツノダイサンカクカンケイ、ダー」
「今、夏じゃねえし」
「ツッコむとこそこじゃないわよ!」「ツッコむことそこじゃないです!」
怒鳴り声寸前の強調子で、少女二人が指摘する。
二人の声に蟹江はビクリと身を震わせ、アブラヒムはあっけらかんとしたニコニコ顔で小牧に視線を移した。
「サッキカラキニナッテタ、キミハナマエナニ?」
「小牧です」
アブラヒムにどう接すればいいか、躊躇している声で苗字だけ名乗った。
対してアブラヒムは、気さくな表情で質問を重ねる。
「キミモ、メモリーアスリート?」
「はい。一応」
「メモリーアスリート、ミンナトモダチ。ハジメマシテ、アブラヒムデス」
手を差し出し、友好の握手を求める。
思わずといった感じで、小牧は彼と握手を交わした。
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