雪空に誓って……

赤木フランカ(旧・赤木律夫)

Part.01

 マキナは走っていた。車のライトに照らされたイチョウ並木をただひたすら。冷たい風が頬を切りつけても、ダッフルコート中が熱くても、マキナは走り続ける。手を繋いで歩くカップル、プラモデルの箱を抱えた男の子、「クリスマス反対」のプラカードを掲げた男性……道行く人々の間をぬって、マキナは友だちの元へ急ぐ。



「マキナ……今日の放課後って、時間空いてる?」


 サラは黒い瞳でマキナを見つめる。昼休み、昨日の授業を休んだサラにノートを見せていると、彼女は思い出したようにそう尋ねてきた。


「え……急にどうしたの?」


 彼女が何の話をしているのか理解できなかったマキナは、思わず訊き返す。


「だから……今日の放課後……会える……?」


 サラはゆっくりと絞り出す。ストーブを消して換気をしているので、教室はひざ掛けがあっても寒い。それなのに、彼女の頬は紅く染まり、少し汗ばんでいるようにも見える。下に目を移せば、サラの小さめの手がカーディガンの袖を強く握りしめている。緊張しているのだろうか?


「もう……早く答えてよ……」


 マキナがサラの様子をまじまじと観察していると、彼女は焦れたような声を出す。


「ご、ごめんね……今日塾が入ってて……」


 マキナの答えを聴いたサラは、小さな声で「そっか」と言って俯いた。黒い前髪が垂れ、彼女の顔が見えなくなる。その様子を見ていて、何だか胸を締め付けられるように感じたマキナは、「でも、塾が終わった後なら会えるかも……」と口走る。


「ホント⁉」


 サラはパッと顔を上げ、キラキラと瞳を輝かせる。


「ま、まぁね……七時くらいになっちゃうけど、それでも良い?」


「うん……むしろ、暗い時間の方が良いから……」


 それから二人は、七時に天満宮の鳥居の前で待ち合わせをした。マキナは一体何の目的があって会うのか疑問に思ったが、訊くことができないまま昼休みが終わった。



「それ、たぶんデートだよ」


 サラとの約束のことを話すと、塾長の戸枝とぐさアオイ先生はニヤニヤしながらそう言ってきた。


「で、デート⁉」


 あまりに突拍子も無い事を先生が言ったので、マキナは裏返った声を出してしまった。一方で、口にした本人はいたって真面目な顔で続ける。


「他の子は誘わなかったんでしょ? だったらデートで決まりだよ。普通人間は、大人数で動いた方が楽しいと考える。でも、話に出てきたサラって子はそうではなく、マキナちゃんと行きたいと思った。私の経験からして、そういう時は相手が特別な感情を抱いていると考えて間違いないよ!」


「そんなもんなんですか?」


 戸枝先生は自信ありげに頷くが、マキナは彼女の言葉が信用できなかった。先生が旦那さんとどうやって出会ったのかは知らないが、二人の経験をそのままマキナとサラに当てはめることはできないだろう。一昔前の世代と今の世代では、恋愛や交遊関係に対する考え方が異なる。


「何か心当たりは無いの?」


 興味津々な様子で尋ねる先生に、マキナは首を横に振る。


 サラが自分に特別な感情を抱いているとは思えない。彼女にとってマキナは大勢の中の一人でしかない。席替えの時、三回連続で隣になったのも偶然だ。サラが授業を休むたびにノートを見せて欲しいと頼んでくるのも、隣の席に座っているからだ。マキナである必要はない。サラとデートなんて、あり得ない……


「サラが私に特別な感情を抱いているなんて……そんなの、先生の勝手な思い込みですよ。私とサラの間にそんなものは無い。私にとってあの子は、ただの友だちでしかないんです……」


 マキナの言葉に先生は「ふぅん」と鼻を鳴らす。


「じゃあ、さっきはどうしてあんなに楽しそうに話してたの?」


「……」


 先生の質問にマキナは言葉を失う。マキナの反応は予想通りだったらしく、先生はさも満足そうな顔を見せた。


「さて、世間話はここまでにして、キミの将来に関わる大事な話をしよう……」


 塾講師の顔に戻った先生は、そう言ってデスクから封筒を取り出す。マキナはそれが先日の模試の結果だとすぐに解った。


 封筒から評価シートを取り出した先生は、志望校の判定の欄を示しながら話す。


「まぁ、県内の進学校に行くなら余裕で受かるスコアではあるんだけど……やっぱり、『ブチコウ』は後一歩なんだよねぇ」


 先生の赤ペンが第一志望の欄をコツコツと叩く。そこには「防衛大学付属航空高校」と書いてある。通称「ブチコウ」または「イデブチ高校」――自衛隊のパイロットを養成するための学校だ。


 今年の二月、「仙台オリンピック」の開会式が行われ、そのラストで航空自衛隊の曲技飛行隊「スカイホエールズ」がアクロバット飛行を披露した。テレビの画面で彼等の演技を見たマキナは、パイロットを目指すことを思い立ったのだ。


 あの日から一念発起して勉強してきたはずだが……模試の結果はあまり芳しくない。


「国立ってことで倍率が高いのもそうなんだけど、やっぱりマキナちゃんは国語のスコアが他の科目と比べて低いんだよね……」


 赤ペンは国語の点数を表すレーダーチャートの上に移動する。評論や古文は満点に近い得点だが、小説だけは他より若干低い。マキナもあまり手ごたえは感じていなかったので、おおかた予想はできていた。


「小説家は嫌いです……簡単なことをわざわざ装飾して、婉曲して、言葉を濁して言ってくるから……」


 そう言い訳するマキナに、戸枝先生は溜め息まじりに語りかける。


「それを読み取る能力が求められているんだよ、これからの時代は。論理的思考だけじゃ異文化コミュニケーションは成り立たない。自衛隊に入れば、留学したり外国の軍隊と合同演習をしたりする機会もあるでしょう? ブチコウはそんな時にコミュニケーションがしっかりできる生徒が欲しいんだよ……」


 先生は評価シートを封筒に戻し「じゃあ今日は模試の解き直しね」と言って渡してきた。マキナはそれを無言で受け取り、学習ブースに入る。


 通信講義で使うパソコンを机の奥に押しやり、開いたスペースに問題冊子と答案用紙を広げる。よくできた科目の解き直しを適当に済ませてから、国語の小説の問題に取り掛かった。


 本文に引用されているのは、N・Y・マティーノの遺作である『煉華(れんか)』の一部分。主人公の「私」が危篤状態の母の元へ戻ろうとするのを、恋人のキルシュが引き留める場面だ。登場人物の会話と「私」のモノローグからなる文章は、独特な比喩や言い回しが多用されている。


 マキナはこの手の小説が大嫌いだ。男女が愛欲に狂い、破滅していく様を回りくどく嫌味ったらしい文体で書いている。マキナは三行読んだだけで問題を解く気が失せてしまった。出題者が回答者のモチベーションを下げようと、わざと暗い作品を選んだようにも思える。どうせならもっとすがすがしい話にすればいいのに……


 それでも、解かなければ夢はつかめない。ステージ上のアイドルの振りに合わせて、スカイホエールズの五機が繰り出すしなやかな機動は、今でもマキナの目に焼き付いている。彼等と同じ空で飛ぶため、今はこの嫌味な小説に立ち向かう時だ。


 マキナは鉢巻きを締めるつもりで腕時計を付け直す。時刻は六時を少し過ぎたころだ。約束の時間まであと一時間を切ったことを確認してから、問題の解き直しを始めた。


――つづく――

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