『後宮の基礎工事を始めましょう』
三日後には、城の奥の方を増築しての工事が始まっていた。
「早いね」
工事現場の監督のように、手配をしているエリシアが立っていた。タモンはあくびをしながら彼女に近づいて声をかけた。
「基礎工事はもうはじめていいと思いまして、そもそもこの城、木々に囲まれすぎて裏山から侵入しやすいので城壁を拡張しておこうかと」
「まあ、確かに……。僕たちもそこから攻め入ったしね」
タモンは近くの切り株に腰をおろして、周囲の森を懐かしそうに見回した。仲間たちと裏山から、深い森に侵入してこの城に奇襲をかけたのは一ヶ月前のことだった。まだ一ヶ月しかたっていないのに、ずいぶんと環境が変わってしまったなと改めて振り返ると一人笑っていた。
「僕が『城主』だって……。まあ、毎日死ぬ心配をするよりいいけれど」
少しでも平穏な生活を得られるように頑張っていたら、結局のところこの城ごと乗っとることになってしまった。タモンからすれば、やっと落ち着いて今度はこの生活を守ることを考えるようになっていた。
「本拠地が攻められるようではどうせもう駄目な気もするけどね……。でも、小国ではわりと重要かもしれない。いや、そんな規模じゃないか、まだ砦とかいうレベルだし……」
拡張工事を見つめて、ぶつぶつと独り考え事をしていたタモンの目の前に、仕事の指示が終わったのかエリシアがやってきた。
「エトラ家とキト家からは、さっそく前向きなお返事をいただきました」
「ああ、うん。この地方の有力領主の話だよね」
座っているタモンに対して、立ったままエリシアは報告してきた。この世界の人たちは服に関しては、農民や外で作業をする人はわりとゆったりとした、襟のある服を帯で止めていることが多い。タモンの知識だと昔の中国の漢服に近い感じだ。その姿を見ながらタモンは中世の日本やアジアの風景はこんな感じだったのかもしれないとちょっと不思議な感覚に襲われる。
ただ、今、気になるのはそんな心の中にあるノスタルジックな光景ではないとタモンは動揺していた。
拡張工事の指揮をしているので腕と足の袖をまくったままとめていて、特にちらりとのぞける太ももが座っているタモンの目の前でまぶしく見えて仕方がなかった。
「両家と正式な婚礼に向けて動きたいと思います。他の小さな領主は一旦は交渉の必要もなくなったと思いますので止めておきます。ヨム家だけは引き続き交渉を続けたいと思いますが……お館さま? 聞いています?」
「ああ、うん。聞いている。分かった。大丈夫だから、進めてくれる?」
話している内容よりもエリシアが巻きスカートの様な下衣を完全に紐で縛ってふとももを出してしまい。目の前にさらに近づいているのが、タモンには気になって仕方がなかった。
(その見えているのは、下着じゃないの? スパッツみたいなもので、恥ずかしいものじゃないのかな……。じゃ、じゃあ真っ直ぐ見ても大丈夫かな)
結局、意識してしまって露出の多いエリシアの方を向けないタモンは、横を向いて工事をしている兵隊を眺めていた。
(こんな僕が結婚? しかも何人も一緒になんて……できるのだろうか)
「工事は、ミハト将軍の部隊にも手伝わせています。まだ新兵も多いですからいい訓練にもなるのではないかと思いまして」
エリシアは働いている兵士たちのことを説明する。兵隊たちが作業をしていることを疑問に思ってタモンはさっきから横を向いているのだろうとエリシアは勘違いしたようだった。
「ミハト……将軍ね」
「あの……何か問題がありましたでしょうか?」
「ああ、別に問題ないよ。ただ、ミハトも将軍とか呼ばれているんだ。似合わないなあと思って」
「ふふ。確かに。でも、意外に部下からの評判もいいみたいですよ。厳しいけれど、部下の面倒見もいいと」
ミハトはタモンがこの世界に降り立ってから、最初に出会った仲間の一人だった。はじめは珍しい『男』であるタモンを攫って金にしようくらいの気持ちだったのだろう。しかし、彼女もやがてタモンと心を通じ合うようになり、冒険の間、タモンたちにとって頼れる用心棒で特攻隊長だった。
「僕のイメージは、最初に出会ったころの可愛い山賊みたいな一団の親分でしかないんだよね」
「今や、周辺諸国にまでその名を響かせる電光石火のミハト様ですよ。まあ、中身は脳筋のままですけどね」
「誰が脳筋だ!」
背後から、大きな声がした。振り返るまでもなくタモンからすればこの一年、すっかり聞き慣れた声だった。
「うわ。相変わらずの地獄耳ねえ」
エリシアは笑顔だった。これは多分、聞いているのを分かった上でしゃべったということなのだろうとタモンは理解して、木刀を持った少女が接近してくるのを眺めていた。
木刀を振り下ろした時の音と風圧が少し離れたタモンの耳にも届いた。昔はこれを戦斧でやっていたりしたから、本気で命の危機を感じたものだと、今はすっかり慣れているタモンは冷静に自分の周りをぐるぐると回りはじめた二人を眺めていた。
(仲良く喧嘩しているんだな……)
タモンからすれば、この二人のやりとりもちょっと懐かしく感じて口元が緩んでしまう。
「ま、待ちなさい。お館さまの前で失礼ですよ」
エリシアは制止する。すっかり半年前の気分に浸っていたタモンは『お館さま』って誰だっけとわりと本気で思ってしまった。
「相変わらず、ずるいなエリシアは!」
停止したミハトは勢い良く木刀を振り下ろして、エリシアの方に向ける。小柄な体なのに、軽く風を切って振り下ろした木刀の音は迫力があった。素晴らしくバネを仕込んであるかのような肉体なのだけれど、それほど筋骨隆々というわけでもない。タモンはずっと田舎中学校のソフトボール部の四番でピッチャーみたいだとこのショートカットの日焼けした少女のことを見ていた。
「ミハト。落ち着いて」
「兄者……でも」
ミハトは、タモンにとっては可愛らしい妹分だった。昔からエリシアと喧嘩ばかりして、今も威圧していても本気で嫌っているわけではないことをよく知っているので、タモンは静かに近づいて軽く頭をなでであげた。不満気にミハトは口を尖らせて文句を続けようとしていた。
「部下が楽しそうに見てるよ」
タモンが耳元でささやくと、ミハトはしまったというように我に返ると、周囲をちらちらと細かく見回した後に木刀をおろした。
「で、では、エリシア宰相殿、我が隊は任務に戻る。何かあったらまた連絡をくれ」
今さら威厳を保とうとするミハトがおかしくて自分の部隊に戻っていく後ろ姿を、タモンは微笑みながら見送っていた。
「部下たちには、格好をつけたいみたいですね」
タモンの後ろからエリシアはひょこっと顔だけを出してミハトの様子を覗き込む。昔からミハトをからかっている時は、エリシアも普段のお固い感じが抜けて楽しそうだった。ミハトはそういう格好をつけたいけれど、実際にはまだまだ子供っぽいところが、部下の女の子たちにも好評なようで、今も部下の女の子たちに囲まれてちょっとからかわれては、最後には怒りはじめていた。
笑顔で散っていくミハトの部下たちを見て楽しそうだなとタモンは思いながら、ちらりと斜め後ろのエリシアに視線を向けた。エリシアも同じように横目でタモンの方をのぞき見ていた。
(ミハトが部下たちばかりをかまっているから、エリシアは寂しかったりするのかな)
(いつもミハトと一緒だったお館さまは寂しいとか思っているのでしょうか……)
二人はそれぞれ同じような思いで、お互いの様子をうかがっていた。ただ、目があった瞬間に同じようなことを考えているのだと分かってしまってお互いに気まずい思いをしながら、エリシアはタモンから離れた。
「そういえば、この間のお話が途中になってしまいましたが……」
何事もなかったかのようにエリシアは、いつもの冷静な口調でタモンに話かける。
ただ、腕も足も袖や裾をまくったそのままの格好なので、普段よりも柔らかいというか面白い感じがするとタモンは心の中で思っていた。もちろん、顔にはでないように気をつけながら。
「夜のお仕事の話? まだ何かあったっけ」
「武将たちにも褒美をあげるべきだと思うのです」
「うん……?」
言葉の意味は分かるけれど、何をさせたいのかが理解できずにタモンは首をかしげた。
「まず武将とは……ミハトやカンナたちのこと?」
「はい。そうです。三将軍や副将の方たちです」
「あいつらが将軍……まあいいや。それで、あいつらに褒美……って?」
エリシアは分かっていないのが意外そうな顔をした。
「役職は与えていますが、責任も増していますからね。それとは別に、この一年お館さまについてきてくれた恩に報いてあげることが必要だと思うのです」
『別にあいつらは、忠義とかで僕についてきたわけではないだろう』とタモンは思いながらも、一応はうなずいていた。
「酒や食べ物をあげた方が喜ぶんじゃない?」
「食べ物はちゃんと与えていますわ。ああ、違いました。食べ物をたくさん買えるだけの給金は与えています」
わざと動物みたいな扱いをするエリシア。このやりとりは旅をしている間いつものことでタモンは懐かしいとさえ思ってしまった。
「それで?」
「夜のお相手に指名してあげたら将軍たちにとってもいい思い出になって、これからもよりいっそうと忠義を示すことでしょうというお話です」
「……あいつらが、今さら僕と夜の相手とか喜ぶのかなあ」
「喜びますよ。みんなお館さまのこと好きじゃないですか」
「好きなのはわかるけれど、今さらそんな関係でもないと思うんだよね。もう家族みたいなものだし」
「さすがにそれは彼女たちのことを分かっていなさすぎです……好きなら抱かれたいのは当たり前のことだと思います」
エリシアはいつもよりさらにきつい口調で言った。こんな話題で力が入るのはエリシアらしくはないと思いながらも、女の子ばかりの世界だとそんなものなのかもしれないとタモンは諦めにも似た感情で流されるままになっていた。
「照れて逃げる人もいるかもしれませんが、そこはもうきっぱりと言ってあげればいいのです『主命だ』と」
「……いいのかそれで」
「まごうことなき軍人ですから、主命とあれば命すら差し出す覚悟なのが当然です」
エリシアは厳しい表情でそう言ったあとでタモンの方に向き直る。
「もちろん、皆に慕われる主でなくてはいけませんが」
今度は厳しく言葉だったけれど、口元は少し緩んでいた。ミハトが夜の相手をするところを見てからかいたいだけなんじゃないかなとタモンは思っていた。
「はいはい」
降参です。エリシアのいう通りにもうなんでもします。立派な城主にもなるよ。タモンは笑って全てを受け入れることにした。エリシアは、本当にタモンのことを思ってこうしてくれていると分かっているからだった。
(どのみち逃げる場所も……きっとない)
「でも、エリシアはそれでいいの?」
もう、離れて現場を見に行こうとするエリシアの背中をタモンは見送りながら、小さく声をかけてみる。
「え? 何がですか?」
振り返ったエリシアは、何でもないいつもの硬い表情だった。ただ、さらにひきつっているようにタモンには見えた。
「ううん、何でもない」
ちょっと前まではミハトやカンナたちとじゃれ合っていると、不愉快そうにしていた気がするのになあと、タモンは一人地面の小枝を蹴りながら思う。
付き合っているわけでもないのに、嫉妬ばかりされていたちょっと前はそれはそれで理不尽に感じた。
ただ、みんなで一緒に逃げ回って強大な敵に立ち向かっている間は同じ立場で苦しさも嬉しさも分かちあえていた。……気がしていた。
落ち着いてみると、珍獣としても城主としても孤独な立場だと改めてタモンは思う。
(リーダーって孤独だなあ……)
もう覚悟を決めるしかないのだ。タモンは立ち上がると慌ただしく木を切り倒している山を離れて、城の中に戻った。
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