⑥ 最終インストール







 そして、最終インストール作業が始まった。


 研究所の奥。セリアの前でアネモイはベッドに寝かされ、頭と体に測定端末が付けられていく。


『セリアさん。不安、ですか?』


 最終日と言うこともあったのか、キョースケが話しかけてきた。彼の顔には疲労が色濃く見えていて、フレームレス眼鏡の奥では隈が残った眼が見られる。


『ええ、とても。これからのヨーロッパの未来が込められているんですから』


 この最後のインストール作業によってアネモイ2のエアロキネシスは現行のアネモイとほぼ同程度に成る見込みだ。


『そうですね。僕も不安です』


 キョースケが深く頷いた。聞けば、彼は第六課の新人だそうで、入ったばかりでこの様な大役を任され戦々恐々としていたらしい。


 しかも、初めて持たされたキョンシーがココミとホムラだと言う。


 それは酷い話だ。ココミと言う世界中から狙われるテレパシストの所有者に成るなど、セリアにだって願い下げだ。キョースケを殺してでもココミを手に入れたい機関はごまんと居るだろう。


『おい、キョースケ! 準備終わったぜ! 最後のインストールだ!』


 マイケルが大きい腹を揺らしながら、楽しそうにキョースケへ言った。この男の態度はずっと変わらない。純粋なキョンシー技術者なのだろう。他の生き方をしたら只の社会不適合者であり、死者の神秘に魅入られた生者、この研究所に居る職員達と似た様な者だ。


『分かりました。ホムラ、ココミ。こっちに来て』


 部屋の壁際に居たココミとホムラが、互いに抱き締め合ったまま、部屋の中央まで歩く。ホムラはココミとの時間を邪魔されたことに苛立ちを隠さず、舌打ちをした。


 自律型のキョンシーは何かに強烈な執着を見せる。この姉妹のキョンシーの執着は互いのことに違いない。


「YOSHI.HAJIMETE」


 キョースケが日本語で何かを言っていた。何度も聞いたインストール作業始まりの合図。


 ココミへテレパシーを使う様に指示を出したのだ。


 テレパシーの糸がアネモイ達へ伸びていく。そして、止める間もなく、二体のアネモイの脳が連結した。


『最終インストール作業開始します』


 研究員の誰かが上げた声がセリアにはとても遠い物の様に感じられた。


 セリアは黙って虚無の瞳を浮かべたアネモイを見つめる。


 五分がとてもとても長い物に感じられた。


『……今日は外に行かないんですね?』


 キョースケが再び話しかけてきた。確かに、このインストール作業中の五分間、セリアはこの作業室から席を外していた。


『最後の日ですから、見届けないと』


『なるほど』


 セリアは視線をアネモイから外さなかった。外せなかった。最後の最後、何が起こるのか分からない。眼を逸らして全てが台無しに成ったらお終いだ。




 そして、永劫に続くか思えた五分が終わった。


 職員達はアネモイ2の脳波チェックの結果を固唾を飲んで見守っている。


 アネモイ達に付けられた計測端子が一つ一つ外され、アネモイ2の瞳に意思の色が戻った。


『やあ、みんな。無事に作業が終わった様だね。所感だけど、成功していると思うよ。今なら先代みたいに天気を操れそうだ』


 起き上がったアネモイ2の笑顔は、かつてのアネモイが浮かべていた物と何ら遜色が無い。


――終わった。


 これで終わってしまったのだろう。ヨーロッパを支え続けた風の神は完全に崩壊し、今ここにあるのは廃棄を待つばかりのキョンシーだ。


 セリアは未だ天井を見つめるばかりのアネモイへ近づこうとした。


『止まりなさい。セリア・マリエーヌ』


 しかし、動き出す直前、セリアの背中から声が掛かった。


 聞き慣れた声で、セリアが振り向くと、そこにはでこが広く白髪で、ひどい鷲鼻で優しげな垂れ眼をした男が立っていた。


『クレマン支部長』


 クレマン・ガルシア。モルグ島フランス支部を率いる男がセリアへ目を向けていた。


『……どうしたんですか? アネモイ2の完成を見届けにでも来たのですか?』


 セリアは怪訝な目をクレマンに向ける。彼がこの場に居ることが不吉な物に思えてならなかった。


 クレマンは穏やかな瞳をセリアに向けたままだ。


『セリア、こちらに来なさい。これは支部長としての命令です』


『命令と言う言葉をあなたが使うのは珍しい。何故? 私に何かあるのであれば後でいくらでも聞きましょう』


 セリアはアネモイへと足を進めようとする。


『セリア、君には我々ヨーロッパへの〝裏切り〟の疑いが掛けられています』


 ピタッ。セリアは足を止めた。そして気づく。クレマンの後ろに何体もキョンシーが連れられている。どれも身体改造したキョンシーだった。


『どういう意味でしょう? 訳が分かりません』


 その言葉に答えたのは、クレマンでは無く、キョースケだった。


『うちのココミが、あなたの思考を読んだと言っています。あなたは、先日の我々第六課とアネモイへの襲撃者と繋がっている、とね』


 たどたどしくはない流暢なフランス語だ。この部分を練習していたのだろう。


 セリアはキョースケの後ろでホムラに抱き着かれていたココミを見る。


『……その言葉を信じられるとでも? 嘘を言っている様にしか私には思えません。これは侮辱です。クレマン支部長、あなたはこんな妄言を信じるんですか?』


『私も信じたくありません。だから、あなたを一度拘束するのです。シカバネ町のキョンシー犯罪対策局第二課主任、アリシア・ヒルベスタから誓約書が届きました。もしも、あなたへの疑いが晴れた時、我々ヨーロッパはそこのキョンシー、ココミを研究する権利が得られると』


 破格の条件だ。喉から手が出るほどのブラックボックスを開ける権利を天秤に掛けたのだ。


 クレマン達は頷くしかないだろう。


『僕は、僕のキョンシーの言葉を信じます。セリアさん、あなたは裏切り者だ』


 キョースケの言葉は確信に満ちている。彼の中ではセリアは確定的な裏切り者なのだ。


『……仮に、私が拘束を受け入れたとして、アネモイ現行機の破壊の場に立ち会うことは?』


『認められません。結果だけはお伝えしましょう』


『……そうですか』


 セリアは大きく息を吐いた。


 そして、小さく、けれど、部屋に居る誰もに届く様に呟いた。


『アネモイ、一緒に逃げて』


 直後、激烈な嵐がこの狭い部屋の中に生まれ、セリアの体が浮き上がった。

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