④ 雪はシンシンツラツラと







 ヨーロッパの空に異常が生まれたのは、PSIインストールを始めた次の日だった。


 シンシンシンシンシンシンシンシン。


 ツラツラツラツラツラツラツラツラ。


 目を覚ました時、恭介が感じたのは違和感だった。


――?


 フレームレス眼鏡を掛けながら、恭介は周囲を観察する。


 時刻は午前八時。恭介達の部屋は自動空調が完備され、快適さが保たれている。昨日の朝の様な爆弾低気圧で包まれている訳でもなかった。


 部屋を見渡した後、自然と、恭介の視線は外界に繋がる窓ガラスへと向けられる。


 そして、違和感の正体に気付いた。


 世界がに包まれていたのだ。


 シンシンシンシンシンシンシンシンシンシン。


 ツラツラツラツラツラツラツラツラツラツラ。


 雪だ。それも、風が強ければ吹雪に成るであろう量の纏まった大雪だ。


 白と灰と銀の色が空とモルグ島を染め上げている。


 十月中旬のヨーロッパ。アネモイ以前であれば雪が降っても珍しくはあれ、そこまでおかしくは無い。


 だが、アネモイの登場以後、ヨーロッパ地方の雪はクリスマスやウィンタースポーツシーズンなどの決まった時期に決まった地域でしか降らないはずだった。


 恭介はスマートフォンで本日のヨーロッパの天気予定と現在の天気を検索する。


 本日の気象予定は全体的に晴れ。対して現在の天気は地中海沿岸で降雪。徐々にヨーロッパ内陸へと雪雲が広がっているらしい。


 シンシンシンシンシンシンシンシンシンシン。


 ツラツラツラツラツラツラツラツラツラツラ。


 雪の壁は厚く、まるで視界に白い絵の具を振りかけた様だ。


 背後へ振り向き、恭介は未だ眠っているホムラとココミを見る。


「スー、スー」


「……」


 姉妹は昨日と同じ様に互いの手をリボンでグルグルに縛って眠っていた。


 昨日、つまりアネモイへのPSIインストール初日、恭介はココミに四回テレパシーを使わせ、五分の使用毎に三時間この部屋で眠らせた。


 PSI使用は目に見えてココミの体力を削っていた。実際にマイケルに言われたココミのPSI限界稼働時間は十分。その半分の使用時間でココミは平衡感覚を失った。あれ以上使ったら脳細胞が壊れていくのだろう。


「ココミ、この雪はお前のせいか?」


 マイケルとの話し合いで言われていた。


 テレパシーの糸を受けたキョンシーの脳の寿命は縮まる。電流を脳へ直接流し、無理やり記憶やPSIを植え付けるのだから、ノーリスクであるはずが無い。


 ココミのテレパシーを受けたアネモイ現行機の脳が更に劣化したのだ。昨日までは雨で済んでいた天気の不具合。ここからは更にランダム性が増す。


 アネモイの脳はココミのテレパシーによって加速度的に壊れていく。


 もう、後戻りはできない。


――責任重いな。


 恭介の肩にズーンと重圧が掛かる。


 ココミが次世代のアネモイへのPSIインストールを完了しなければ、ヨーロッパに残るアネモイは使い物にならない現行機だけだ。


 つまり、ヨーロッパは天気を失う。現在の農畜産生産量は維持できないだろうし、経済活動も破綻する。


 見ず知らずの何かを恭介に背負う気は無い。だが、ホムラとココミを持ってしまった責任を果たさなければならないのだ。


 仕事と約束、そして義理。これらを大切にすると恭介は決めている。その中にはホムラとココミの責任も含まれていた。




 ココミがアネモイへPSIをインストールする日々が一週間続いた。


 一日四度、気象塔中腹部のベッドルームと研究所を恭介はホムラとココミを連れて往復する。


 テレパシーを使う度、ココミはその体から力を失った。その度にホムラは周囲へ怒りを向け、時に研究所の机を割った。


 だが、研究所の人間達が不快な顔をすることは無かった。


 次世代のアネモイへのPSIインストールが着実に進んでいたからだ。


 初め、『あー』や『うー』としか喋れなかった次世代機は今、『こんにんちは。つぎはなにをする?』とぎこちなく会話ができ、それに付随して出力D、操作性C程度のエアロキネシスを発現していた。


 毎日、研究所は喝采に包まれていた。眼に見えた成功が日々積み重なっていく。研究という世界では滅多に起きない奇跡を体験でき、その幸運に身を委ねているのだ。


『多分だけどよ、後、一週間もすればインストールは終わると思うぜ?』


 マイケルが出力される脳波やPSI力場のデータからそう言っていた。つまり、恭介達の仕事の半分が完了したということだ。


 絶対に失敗してはいけない次世代アネモイの完成。恭介自体はホムラとココミの面倒以外何もしていなかったが、専門家達のお墨付きは肩の荷を少し軽くする。


 少なくとも、恭介が行うべき仕事の範囲において全てが順調だった。このまま行けば、誰もが満足する結果で終われるだろう。


 シンシンシンシンシンシンシンシンシンシンシンシンシンシンシンシン。


 ツラツラツラツラツラツラツラツラツラツラツラツラツラツラツラツラ。


 そして、今日も雪が降っていた。日に日に勢いが増している。


 恭介達の仕事が進むにつれて、ヨーロッパの天気の不具合は加速していた。


 本日も一部を除いてヨーロッパは概ね晴れ。モルグ島は快晴であるはずだった。


 一日中降っている訳では無い。むしろ時間だけで言うのなら合計して精々一日三時間かそこらだ。


 だが、このアネモイが不具合を起こす僅かな時間、膝下まで積もるほどの猛烈な雪が空から降って来るのだ。


 積もった雪は、太陽が出た瞬間から溶け出し、翌日まで残らない。


 蜃気楼の様なアネモイの不具合は、日に日に激しくなっていた。


 大雨、大雪、大嵐。基本的に人間が忌避してきた天候が瞬間的にモルグ島を襲う。不具合が起きる頻度と時間も増えていく。


 そして、現行機のアネモイとの会話が徐々に難しくなっていた。


 会話はできる。話しかければいつでも『やあやあ、おはよう! このキャンディを食べようよ!』と快活で可愛らしく話ができる。


 だが、言葉が噛み合わなくなっているのだ。二人称がおかしかったり、時系列が狂っていたり、突然の話題転換であったり、それらをニコニコと楽しく話す様に成っていた。


 ココミのテレパシーは次世代のアネモイを着実に育み、現行のアネモイを確実に蝕んでいた。


――ひどいことをしているんだろうか、僕は。


 恭介達が来なければ、アネモイの崩壊はもっと緩やかな物だっただろう。


 ヨーロッパの天気を支え続けた風の神。利用価値が無くなったから次世代の為に使い潰す。それに思う所が無いわけでは無い。


 この一週間、キョンシーが使用限界故に壊れていく姿を、恭介は早回しで見ていた。


 シンシンシンシンシンシンシンシンシンシンシンシンシンシンシンシン。


 ツラツラツラツラツラツラツラツラツラツラツラツラツラツラツラツラ。


 凄まじい雪が降ってきた。モルグ島は冷やされ、石畳が急速に白に染まっていく。


 今日もココミのテレパシーがアネモイへ繋がる。


 シンシンツラツラとした雪はまたその顔を変えるだろう。

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