④ キャンディ
*
事後処理をセリアが呼んだ人員に任せ、京香達は再びリムジンに乗っていた。後十分すればモルグ島中央の気象塔に着くだろう。
キョンシーとの戦闘は常に命がけだ。アタッシュケースの形に戻したシャルロットを足元に置いて、京香はリムジン屋根付近へ目を向ける。
フワフワフワフワ。リムジンの屋根近く、アネモイがまるでヘリウムガスが入った風船の様に浮いていた。
――やっばいわね。想像以上だわ。
京香は舌の奥に力を入れた。関口が持つキョンシー、コチョウの姿が頭に浮かぶ。
コチョウも自身の体を浮かす事ができる。だが、そのエアロキネシスは出力と操作性共にC+。体中を肉抜きし、強烈な風圧を周囲へと撒き散らして初めて彼女は空を飛べるのだ。
しかし、すぐ近くでフワフワ浮いているアネモイから全く風圧を感じなかい。その体に肉抜きされた様子は無い。ならば、自身が浮くために必要な風圧はコチョウの比ではないはずだ。
――これが出力と操作性両方がAクラスのキョンシー。
フワフワフワフワ、クルリ。アネモイは何を思ったのか体を逆さまにして、その可愛らしい顔を京香と目線に合わせた。
微かにアネモイの蘇生符が黄緑色に発光していた。
「『おねえさん。あなたの名前を聞いても良いかな? ぼくを壊す人の名前だ。知りたいな』」
――綺麗。
ニコニコとしたアネモイの笑みは美しい。
土気色の肌をした小さな体。京香の脳裏に壊れてしまった弟と妹の姿が過る。まだ母以外の人間を知らなかった頃、毎日の様に一緒に遊んでいた兄弟姉妹のうちの二人だ。
カッコつけたがりの弟と少しだけ高慢ちきな妹。京香を守って壊れた、一番一緒に居た二人組。
「清金 京香。よろしく」
「『キョウカ、良い名前だ! ぼくが壊れるまでの短い間だけど仲良くしてくれると嬉しいよ!』」
アネモイは逆さまのまま握手を求め、ガーゼ越しの生肉の様に冷たい小さな手を京香は握り返した。
「『ハハハハハハ! 吾輩は霊幻だ! お前の様に聞き分けの良いキョンシーは素晴らしい! 任せておけ、吾輩達がお前を苦痛なく撲滅してやる!』」
隣に座る霊幻も差し出された手を握り、ニカッと三日月形に笑う。
「言い方」
京香は霊幻の肩を軽く叩き、アネモイに「アタシのキョンシーが失礼でごめんね」と謝った。
「『良いよ良いよキョウカ! ぼくはあなた達に感謝してるんだ! だって壊れかけのぼくがみんなに迷惑をかける前に壊してくれるんでしょ? ああ、うれしいうれしいなぁ。ぼくは望まれたまま終われるんだ』」
柔らかそうで土気色の頬が可愛らしく上がる。箸が転んでもおかしいと言ったような純粋な笑みで、そこには少年と少女の魅力が凝集していた。
破滅願望ではないのだろう。きっとアネモイの思考はヨーロッパに尽くす様に作られているのだ。半世紀以上の長きに渡り、このキョンシーは地中海を中心でヨーロッパの空を彩った。
自身の存在が望まれているというのは、抗いがたい魅力を持つ。それはキョンシーであろうが人間であろうが変わらない魔性のキャンディだ。
そう言う意味でアネモイは世界で最も長い間、そのキャンディを舐め続けたキョンシーと言えよう。
このまま、求められた存在のまま、終わりたいという思考を京香は分からないでもなかった。
「『アネモイ、京香さんが困ってます。フワフワ浮いてないで座りなさい。危ないでしょう?』」
京香の前方の席に座ったセリアがコホンと咳払いしてアネモイのフードの先を掴み、フワフワフワフワクルリと重さを感じさせずその膝に座らせる。
膝が、体温が心地良いのか、アネモイは眼を細めてその後頭部をぐりぐりとセリアに押し付ける。
年の離れた姉弟、あるいは姉妹の様だ。セリアとアネモイの体に一切の強張りは無く、この一人と一体が日常的にこうして触れ合っていることは明白だった。
「仲が良いわね」
「『そうだよ。ぼくはセリアととっても仲良しなんだ』」
アネモイは即答する。言われて嬉しいようで、口角をまた少し強く上げた。
「……ココミ、わたしの膝に乗って。抱っこしたい」
「……」
何か対抗意識でも生まれたのか、リムジン後方のホムラが「よいしょ」とココミを膝に乗せ、ギューッと抱き締める。それに恭介は呆れた顔をしていた。
対して、リムジン前方に座るマイケルは「ほうほうほう! なるほど! すげえすげえ!」と小声で叫ぶという器用さを見せながらセリアに座るアネモイを凝視する。
「『なあ、アネモイ。ちょっと脳とか調べさせてくれない?』」
「やめい!」
爆弾発言をする部下に京香は立ち上がり、平手で頭をバチコンと叩いた。
アネモイの体はほぼ全てがトップシークレットだ。無断で一つでも機密情報を持ち帰ってしまった場合、下手したらシカバネ町は潰される。
「『いや、大丈夫大丈夫だって! ちょっとだけちょっとだけ調べるだけだから! ちゃんと完璧に頭は閉じるし! むしろ性能とか上げるから!』」
「やかましい! 国際問題に発展するって言ってんでしょうが!」
ワーワーギャーギャーハッハッハッハッハ! 何故か途中で霊幻の笑い声も加わり車内は一気に騒がしくなった。
「『フフフ。アネモイ、どうでしょう? 楽しい人達だと思いませんか?』」
「『そうだね。ぼくが壊れるまでのあと少し。楽しく過ごせそう。ありがとう、セリア!』」
ワーギャーハハハ! マイケルに改めて言い付けを行う京香の後ろで、セリアとアネモイがそんな風に話していた。声は穏やかでマイケルの失礼過ぎる発言、場所と状況によっては取り押さえられてもおかしくない暴言を気にしていない。
「良い? 次は無いからね? 次はノータイムでトレーシーぶち込むからね?」
「『そんな事したら俺の素晴らしい脳細胞が死んじまうだろうが! 人類の宝だぞ!?』」
「ほんとにマジでやかましいわ!」
本格的にトレーシーを出すことを考慮し始めた京香に、霊幻が笑い声を一層強くして話しかけた。
「『ハハハハハハハハハ! 京香よ、落ち着け、座るが良い! 目的地に着いたぞ!』」
いつの間にか京香達が乗ったリムジンは目的地に着いていた。
リムジンは緩やかに減速し、三度のカーブを繰り返して停車する。
スクッ、ピョコッ。セリアとアネモイが立ち上がり、リムジンのドアを開けた。
「『さあ、皆様、おいで下さい。ここがアネモイの住むモルグ島の本拠地、気象塔です』」
「『来て来て! ぼくの部屋を案内するよ! 美味しいキャンディがあるんだ!』」
開かれたドアからアネモイはセリアの手を引っ張りながら飛び出し、続いて京香達もリムジンを出た。
「たっか」
思わず、京香は天を仰いだ。
そこにあったのは高い高い空への塔。
風の神が住み、その日の天候を決定する聖殿。
モルグ島に聳え立った高さ七百メートルを超す気象塔だった。
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