曇天に祈りを込めて

① 地中海のモルグ島

 カラッとした日差しと僅かに乾燥した潮風が、右耳にトーキンver5を装着した京香の頬を撫で、トレンチコートの裾を揺らした。視界の先では、家の赤い屋根と豊かな自然の緑と真っ青な海の色がコントラストを描いている。


「おお、これが地中海の風!」


 隣では霊幻がそのマントを大きく揺らしながらグルグルと周囲を見渡し、恭介やマイケルもいつもとは違った風景へ目を向けている。


 ホムラはココミにキャッキャと何かを喋っていていつもよりテンションが高いように見えた。態度が変わらないのはヤマダとセバスチャンくらいだ。


 京香達が居るのは地中海のとある場所に作られた人工島の船着き場である。島の中央には高さ七百メールほどはあるタワー、『気象塔』が聳え立っていた。


 数十年前、ヨーロッパ連合は地中海に多数の人工島を作った。それらは各国の言葉でモルグ島と呼ばれ、島々で暮らす住民達は皆キョンシー用の素体である。それぞれの人工島はヨーロッパ各国が管理していて、今居るのはフランスが所有するモルグ島だ。


「『皆様、こちらです』」


 先導するセリアに連れられて京香達八名は船着き場から移動する。


 京香達を島民達が興味深そうに見ていた。主に高笑いを鳴らし続けている霊幻の所ためだろう。


「ハハハハハハハハハハ! 京香! 新鮮な撲滅の気配だ! さあ、この島でも撲滅をしようではないか!」


「しない。下手したら外交問題に成るわ」


 跳び出ようとする霊幻のマントを右手でガッシリと掴みながら、京香はスタスタとセリアの背中についていく。


 そんな京香と霊幻の後ろには恭介とホムラとココミが、その次にマイケル、そして列の最後尾にヤマダとセバスチャンが続いた。


 確かに京香達八名は目立っていた。シルエットとして目立つ個々人が集団を組んでいるのだ。悪目立ちであり、見るからに堅気でない雰囲気をまとった一団に、島民達は皆怪訝な表情をしている。


「『この車にお乗りください』」


「わーお、リムジン」


 京香達を出迎えていたのは大型の黒塗りリムジンだった。運転手らしき中年男性と護衛枝老キョンシーが助手席の前で立っている。


――ドラマ以外で初めて見たわ。


 このリムジンは特別仕様だ。ドアとガラスはビックリするほど厚くバズーカ砲でもびくともしない。


 これはココミのためだ。ココミのPSIは公式ではエレクトロキネシスということに成っているが、テレパシーの存在はおそらく既に世界に知れ渡っている。


 一応、シカバネ町内では箝口令が出されているが、人の口には戸が立てられない。対策局に潜んでいるであろう裏切り者や、シカバネ町に潜んだスパイなどから世界中へ情報が漏れているのは間違いなかった。


 それ故に、テレパシーで複数のキョンシーへ他のキョンシーのPSIを使わせることができるというトップシークレットをセリアは知っていたのだ。


 ココミは世界中の合法非合法な機関に狙われている。隙を見せれば攫われてしまうだろう。シカバネ町であれば、京香達キョンシー犯罪対策局の力だけで守り切れる。だが、外部に出るのであれば、それなり準備が必要だった。


「『さあ、乗ってください』」


 セリアに連れられて京香達はリムジンに乗り込む。黒革の座り心地がよさそうな椅子がグルリと車内に設置されている。中央には何やら小テーブルが二つ置かれていた。


 京香と霊幻がまず車内中央に座り、リムジンの前方にマイケルとヤマダとセバスチャン、後方に恭介とホムラとココミが座り、最後にセリアが京香の前の椅子に座った。


 運転手と助手席に護衛のキョンシーが乗り込み、速やかに、特殊フィルムが貼られ外部から内部が見えなくしたリムジンは加速した。


「『アネモイの設置施設はこの島の中央にあります』」


「どれくらいで着くの?」


「『二十分もすれば』」


 アネモイの所有権はヨーロッパの各国が持ち、持ち回りで保有している。現在はフランスの番であり、アネモイはフランスのモルグ島に設置されていた。


 二十分。待つのに苦ではないが、それなりの時間である。何か雑談でもしようかと京香は思ったが、特に話題らしい物は無かった。


「おお、京香、見てみろ。島民達が吾輩達の乗ったリムジンを見ているぞ。綺麗な街並みだ。素晴らしい。この風景を維持するために撲滅が必要ではないか?」


「大人しくしてなさいよ。ほんとにマジで。フリじゃないからね?」


 かなり大型のリムジンではあったが、霊幻には少々手狭な様だ。京香の相棒は体を軽く前に傾けて、窓ガラスから視界に入るモルグ島の街並みに眼を輝かせている。


「『フフ』」


 その時、セリアが笑った、こらえ切れないとでも言う様に、口元へ手を当てている。


「あ、うるさかったかしら?」


「『いえ、お気になさらず。あなたとそこのキョンシーはとても仲がよろしいんですね。珍しい』」


 京香と霊幻がこの様なことを言われるのは初めてではない。人間とキョンシーに大きな区別はなく、一種の個人としてキョンシーを扱ってしまう悪癖ゆえに京香のキョンシーへの態度は特殊であった。


「『噂には聞いていました。日本のシカバネ町にあなたという奇特な人間が居ると。一応聞いておきますが、ネクロフィリアではないのですよね?』」


「いたってノーマルを自負しているわ」


「『なるほど。なら尚の事、あなたは特殊な人の様です』」


「まあ、他の人とは違うって良く言われますよ。勿論、悪い意味で」


 ネクロフィリア。死体愛好家は特殊性癖の一つであったが、それほど珍しい物ではない。性行ため用のキョンシーでさえ販売されている現代社会。特定のキョンシーを生涯愛する人間もそれなりの数居た。


 だが、京香は別にネクロフィリアでは無かった。性的欲求が死体に向いているわけでは無かったし、自身の性癖は標準偏差的にノーマルに収まるだろうと思っている。


「『羨ましいですよ。それだけキョンシーと仲良くできるというのは』」


「あら、そんなこと初めて言われたわ」


 セリアの瞳には憧れに似た何かが宿っていた。


 ハハハハハハハハハハ!


「『おお、京香、吾輩達は仲良しらしいぞ? さあ、撲滅をしていこうじゃないか!』」


「いきなりフランス語で喋るの止めてくれない? 二重にうるさいのよ」


 セリアへの返事も兼ねたのだろう。霊幻が使用言語をフランス語へ切り替えた。隣からのやかましい声に京香は片眼を閉じる。


「『フフフ』」


 そんな京香達の様子をセリアは面白そうに見つめる。顔は楽しそうで、どこか憧憬の色が覗いていた。


 その時である。ひたすらリムジンの後部座席で二人の世界を構築していたホムラとココミが、スッと恭介の肩を叩いた。


 ホムラの拳の勢いは中々強い物で、ボウッと外を眺めていた恭介が「イッタァ!」と声を上げた。


「え、何? どうしたのいきなり? ジュースでも飲みたいの?」


 恭介が狭い車内で立ち上がり、何だ何だと彼のキョンシー達へ目を向けた。


 ホムラは自分が叩いた主に眼を向けない。彼女の視線は愛しの妹ココミにだけ注がれていた。


 だが、このキョンシーは最低限の仕事を果たした。


「敵が来るわよ」


 ドオオオオオオオオン!


 瞬間、強烈な衝撃が京香達の乗ったリムジンを襲った。

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