一つ屋根の下

 



***




 ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン!


 荒過ぎるノック音で木下恭介は眼を覚ました。


「うるさ」


 眼を擦りながら起き上がり、ベッド脇の机に置いたメガネを掛けて、デジタル時計を見たら午前五時半。


 今日は日曜日で、恭介は休日だった。


――何?


 恭介が現在居住するメゾンアサガオ301号室は3LDKであり、寝室が二つある。


 一つは恭介が使っていて、もう一つを今彼の部屋をノックしているキョンシー達が使っていた。


 ガチャ。スウェット姿のままドアを開くと、そこにはやはり、恭介が所有するキョンシー、ホムラとココミが居た。


「どうしたの?」


 あくび混じりにホムラとココミを見た。


 二体のキョンシーはお揃いの花柄パジャマを着ていて、その首にはPSI制限兼暴走防止用の首輪が付けられている。ノックをしたのであろうホムラは左眼を、その横ではホムラに抱き付かれているココミは右眼を隠す様に蘇生符を貼っていた。


 ホムラのキッとした右眼とココミのボウッとした左眼が恭介へと向けられる。


 この二体のキョンシーと共に暮らして早一ヶ月。まだこの二種類の視線に恭介は慣れていない。


「スイシャンに連れてって」


「……え?」


 恭介は『何言ってんだこいつ?』とメガネのズレを直した。


 ピンと来ていない恭介の様子にホムラは苛立ちを隠さず、「ちっ」と舌打ちする。


「この前、わたしとココミで、密猟者か何か捕まえたわよね? その時、わたし達に約束したと思うの。『好きな場所に連れてってやるから!』って、ねえ、ココミ?」


「……」


「ほら、ココミもそう言ってるわ」


――何も言っていないじゃん。


 まだ、恭介はココミの声をまともに聞いた事が無い。ホムラが言うにはテレパシーで自分と潤沢な会話をしているようだが、恭介からすれば果たして本当なのかどうか分からなかった。


 ともあれ、ホムラの言葉に恭介は思い出した。


 つい三日前、ホムラとココミが奇跡的に言うことを聞いてくれたおかげで恭介は素体狩りの密猟者達を大量に捕まえた。


――確かに言ったなぁ。


 そうだ。ホムラ達に命令を聞いてもらうために、恭介は『何処でも好きな場所に連れてってあげるから手伝え』と命令したのだ。


「今から?」


「今から。スイーツシャングリラは朝からやってるんでしょ?」


「ああ、スイシャンってスイーツシャングリラのことね。……いや、早いよ。早過ぎるよ。この時間からやってるスイーツバイキングがシカバネ町に有る筈が無いでしょ」


 住民の健康を第一に考えられているシカバネ町で朝六時台から開いている飲食店などごく一部だ。間違ってもスイーツ店はその一部ではない。


「じゃあ何時から開いてるの?」


「ちょっと待って……十時からだってさ」


 恭介はスマートフォンを調べてシカバネ町北区のアミューズメント施設にあるスイーツシャングリラの開店時間を見せた。


「見せなさい」


 ホムラはスマートフォンを奪い、画面をスライドさせていく。時折、ココミに何かを耳打ちしていた。


「映画に行くわ」


「はい?」


「今日の七時半からやってるっていう映画を見に行くわ。準備しなさい」


 返されたスマートフォンの画面を恭介が見ると、確かに本日の七時半からとある映画が早朝上映するという情報があった。


 ただ、ホムラが見ようと言っている映画は対象年齢六歳の国民的映画である。


「ユウパンマンの映画じゃん」


 恭介は映画が嫌いではない。というか、好きな部類だ。


 だが、ユウパンマンの映画を今更この歳で見る気に成らなかった。


 しかも、これは何故か応援上映である。何故これほどまでに早い時間から開催しようと思ったのか、どんな勝算があって企画したと言うのか。子供は早起きとは言え早過ぎである。


「え? ホムラとココミさ、コレ見たいの?」


「悪い? ココミも見たいって言ってるの。さあ準備して行くわよ」


 スタスタスタ。スタスタ、スタ。話は終わるとばかりにホムラとココミは二体の部屋に戻っていく。


「……えぇ」


 本日の用事は決まったらしい。







「……ねむ」


 テクテクテク。恭介はホムラとココミを連れてシカバネ町の中央区まで来ていた。中央区から東西南北の各区へ伸びる連絡バスに乗るためである。


 恭介が住むメゾンアサガオはシカバネ町西区の真ん中にあり、中央区のバス停まで徒歩で三十分ほど。未だ覚め切らない頭で恭介はぼんやりと映画館までの経路を思い浮かべる。


 チラッと恭介が背後を見ると、ホムラが楽しそうにココミへ喋りかけていた。ホムラはずっとココミに抱き付いているが、姉妹の歩き方にぎこちなさは無い。


――良く転ばないね、本当に。


 恭介は感心半分呆れ半分で視線を前方に戻し、姉妹の会話に耳を傾けた。


「楽しみ楽しみ楽しみねココミ。映画ですって。家のテレビよりもずっと大きな画面で見る大迫力の映像ですって。しかも応援上映よ。ペンライトを持って振るって声を出せる上映よ。どんな感じなのかしら? ココミはどう思う? ああ、そうだポップコーンと言う物も食べましょう。塩バター、キャラメル、チョコレート、最近では変り種の味も多いって聞くし、一つずつ食べてみるのもアリだわ」


「……」


――え、買うの僕だよね?


 文句の一つでも言おうかと思ったが、恭介は止めた。ホムラと言い合っても碌な事に成らないだろうというこの一ヶ月の経験的推測からだ。


 それに恭介は今財政的にかつて無い程潤っている。第六課に転属と成り、給料が吃驚するほど増えたからだ。基本給自体は変わらなかったが、新たにできた危険手当と武器手当が基本給の五倍ほどあったのである。


 恭介は清金のシャルロットとトレーシーやヤマダのラプラスの瞳の様な特注の武器等を持っていないので、急に増えた給料の使い道が今のところ無い。


「あ、そうだ。飲み物も色々あるらしいの。オレンジジュースもあるわ。これを飲みましょう? ココミは何を飲みたい? え? わたしと同じ物が飲みたいって? 一緒に飲もうって? まあ! 何て可愛いのココミ! 愛しているわー!」


「……」


「ちょ、うるさいうるさい。静かに、ここまだギリギリ住宅街だから」


 恭介は慌てて振り向き、ホムラの眼を見て命令した。


「なんで止めるの? 燃やすわよ?」


 ホムラの声はスッと小さくなり、囁き声程度に成る。


「首輪着いているから燃やせないでしょ。許可する、大声じゃなければ喋って良いよ」


 鋭い瞳で恭介を睨んだ後、ホムラは何事も無かったか様にココミとのお喋りを再開する。


「……はぁ。どうせならもっと素直なキョンシーが良かった」


 恭介はぼやく。ハカモリの同期達の様に、性能が低くて汎用的で尚且つ他律型の、普通のキョンシーが欲しかったと改めて思った。


 実際、あの忌まわしい、第六課への転属命令が出される前日まで恭介はカタログを見てどのキョンシーを買うかレンタルするか物色していたのである。


――アリシアさん、何故、僕にこんな試練を与えたのですか。


 アリシア・ヒルベスタ。恭介の元上司であり、今でも繋がりがある第二課の主任は、第六課の監視役にわざわざ新である自分を指名した。


 何か、アリシアの逆鱗に触れたのだろうかと半年ばかりの第二課での日々を思い返すが、特に思い当たらなかった。


 第六課への転属と監視も命じられ、恭介はハカモリを辞めてしまおうかと悩んだ。だが、恭介が働ける職種の中で、ハカモリが最も給料が良い。


 恭介はとある事情から金が必要で、そう言う意味では第六課への転属は好機であった。


 諦めるしかあるまいと恭介はこの一ヶ月で何度も到達した結論を出す。


 いつのまにか、恭介達は西区と中央区の境目近くまで来ていた。


 この境目付近にはコンゴウ公園と言うそれなりに大きな公園があって、休日は昼頃から子供達で賑わっている。


 まだ六時台の早朝と言う事もあって、公園に子供の姿は無く、一人のジャージ姿の女性がベンチに座っているだけだった。


 その女はポテトチップスか何かを食べている様で、何故かこちらに手を振っている。


「おーい、恭介ー。こっちこっちー」


 恭介の現上司の清金 京香であった。


「……清金先輩。何をやっているんですか?」


 げんなりと恭介は眉を上げた。呼ばれているのなら近付かなければ成らない。

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