⑤ 糸の力場

 野良キョンシーとヤマダ達の距離は十メートル弱。セバスならば二歩で届く距離。そして野良キョンシーのパイロキネシスは一度しか撃てない距離。


「もう走るのもままならないでショウ? この距離では逃げるのも無理デス」


 野良キョンシーの左腕を折れ、肘から先に力が入っていない。右腕はそもそも動作限界を迎えている。膝は砕けかかり、右の足首の腱は切れる寸前だ。


 だが、何より深刻なのは脳だろう。ラプラスの瞳は見抜いていた。脳から発生するPSI力場が不安定に成っている。今すぐにでも調整が必要な状態だ。


「やられた分はやり返しまシタ。改めて聞きまショウ。投降しませんカ?」


 野良キョンシーの返事は苛烈だった。


「な、め、る、なぁ!」


 強烈なPSI力場がヤマダの周囲へ発生する。


 ヤマダは眼を細めて攻撃命令を送り――


「BD8HJ5!」


 全力の回避命令を出した!


 ゴオオオオオオオオオオ! 前方に炎壁が生える。


 それはヤマダにはどうでも良かった。


――今の力場は一体?


 攻撃命令を出す直前、ヤマダの視界に糸の様に細い力場が映った。


 糸はゆらゆらとパイロキネシスの力場を縫う様にヤマダへと向かって来ていた。


――頭を狙った?


 あの糸はパイロキネシストの物ではない。力場のゆらぎ周期が短過ぎる。


 野良キョンシー達は二人組と聞いている。もう一人の能力だろうか。


「お嬢様。どうしますか?」


 セバスが野良キョンシーから距離を取り、ヤマダへ問い掛ける。


 ゆったりと考えている時間は無かった。


 ブワァ! 倒れるのを堪えているパイロキネシストの背後から大量の〝糸〟が放出されたからだ。


 か細いか細い揺らぐ糸。ラプラスの瞳を着けたヤマダでなければ気付けない様なあまりに小さな、サウンドノイズのごとき力場。


――マズイ!


 これは当たったら〝詰み〟となる類の物だ。ヤマダの直感がそう叫んでいた。


「BDBDBD!」


――下がれ下がれ下がれ!


 糸は周囲へと広がり、網と成ってヤマダ達へ襲い掛かった。


――能力は何? エレクトロキネシス? こんな力場はデータに無い。


 糸の速度は決して速くない。後方へ下がっている限り掴まる事は無いだろう。


 だが、量が問題だった。


――まるで蜘蛛の巣。


 一本一本の力場の出力が異様に小さく、異常に量が多いのだ。


――どうにか能力の傾向ぐらい分からないでしょうか?


 この力場の糸がこの野良キョンシー達が今まで逃げ切れていたカラクリなのは確かだった。


「TLBD3HJ1」


 セバスへ回避命令を出しながらヤマダは徐々に自分達を取り囲んで来る蜘蛛の巣を見た。


 ジジジ! ラプラスの瞳の左目のダイヤルを回し、力場への感度を下げる。


 すると左目から糸の力場が見えなくなった。


――目に見えるPSIではないか。


 という事はこのPSIの発動条件は〝この力場が何か〟に届く事なのだろう。


「さて、どうしますかネ?」


 ダイヤルを元に戻しながらヤマダは思案する。


 この情報を持ち帰れるのはヤマダだけだ。力場が細過ぎる。仮に京香や他の課の捜査官が居たとして糸の存在に気付けるとも思えない。データの奔流の中から特定のパラメータだけを抜き出せるヤマダだからこそ糸を見失わずに済んでいるのだ。


 ならば、必ず持ち帰らなければならない。


 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ! ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ! ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!


「あああああああああああああああああ!」


 パイロキネシストの叫びが聞こえ、ヤマダ達を囲む様に炎の力場が生まれる。


 ぐわんぐわんと不安定に揺れる力場。火柱がそれに呼応してチリチリボウボウ、おかしな形に成って消え去っていく。


「RD2、FD4、BD5」


 ヤマダは昔マイケルがやっていた弾幕ゲーと呼ばれる物を思い出していた。


 無尽蔵に広がり続ける蜘蛛の網、自分を囲もうと出てくる炎壁。


――これ以上は負け、ですね。


「ESC!」


「仰せのままに」


 撤退命令にセバスはクルリとパイロキネシスト達から背を向けて、その背中からヤマダは顔を出し、糸の力場を睨んだ。


「あラ?」


 ヤマダは拍子抜けした。


 ラプラスの瞳を通した0と1のデータの世界。


 炎の力場は未だに強くその存在を主張している。満足に狙いを付ける事も叶わず、明後日の方向に炎が生まれているが、パイロキネシストの瞳は戦意で満ちていた。


 それは別にヤマダにとって脅威ではない。


 脅威の象徴たる糸の力場、それがピタリと消えていたのだ。


「TRJH2」


 ヤマダはセバスへ炎への回避命令を出しながら眉を潜める。


――どうやってワタシ達が逃げると知った?


 確かにヤマダ達は逃げる事にした。そういう風にセバスは動いている。


 しかし、力場が消えるのには早過ぎる。


――異常な判断速度? 違う。そんな次元の話じゃない。


「カラクリが分かってきまシタ」


 セバスに抱えながらヤマダは理解する。この糸の力場を生み出したキョンシーとヤマダは相性が悪い。戦えば千日手に成ってしまう。


「キョウカに報告しないといけませんネ」

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