平成二年七月二八日(土)午後《4》
※
その頃、誠は由美子を探してタコ公園に来ていた。
由美子はワニ落とし(鰐の役になった鬼が滑り台を下から駆け上がり、滑り台の頂上に座っている人間の足を引っ張り、引きずり下ろす遊び)が大好きで、それができるような広い滑り台はここにしか無かったから、放課後はよくこの公園で遊んでいた。
しかし、今ここに由美子の姿は見当たらない。缶蹴りの時に由美子が隠れそうな場所だって誠は大体知っているが、何処にも由美子はいない。
夏の太陽が過去の失敗を咎めるように照らしつけている町の風景は、あの日から時が止まっているようであり、由美子が当たり前にいた頃と変わっていない。
この町のあちらこちらに由美子と一緒にいた思い出が残っていて、一緒に走った道も、一緒にアイスを食べた駄菓子屋も、一緒に線香花火をした公園も、あの頃の夏と何も変わっていない。
この町にはいつも由美子がいて、きっと今もいるはずなのに、それが何処なのか分からない……そんなことを考えながら公園の前に立っていると、浴衣姿の芳子が一人で歩いてきた。
「なんだ、もうそんな格好しているのか……気が早すぎるだろ」
ただ花火を観るだけなのに、こういう時になると女子は必要以上に張り切ることが男子には理解し難いと思いながら、誠は憂さ晴らしのように芳子を茶化す。
「別にいいでしょ!それより、あんた里美との待ち合わせ忘れてないでしょうね」
「だから、行かないって言っただろ」
午前中に話したことを芳子が釘刺すと、誠も忘れていたわけではないが、今は由美子のことで頭がいっぱいであり、里美のことまで気が回らなかった。
「ダメだよ、もう里美に伝えちゃったんだから」
「だから、何で勝手なことするんだよ!」
道端で誠と芳子が揉めていると、今度は血相を変えた北川軍団の三人が、勢いよくペダルを漕ぎながら自転車に乗ってやって来た。
「あっ、マコト!何でちゃんと人数集めないんだよ!」
和也は誠を見つけた途端に、怒鳴り口調で言いがかる。
「は?別に始めから、集めるなんて言ってないし」
「どちらにしても、あいつら六年生たちまで連れて来るらしいから、もう勝てっこないんだよ!おまえも早く逃げないと、危ないぞ!」
和也は相変わらず身勝手なことばかりを言うと、人の話は聞こうともせずに幸男と裕太を連れて去って行った。
遠ざかる北川軍団の姿は、まるで追ってくるカタストロフィから逃げているように見えるが、それは自ら引き寄せている悲劇なのが滑稽である。
「あいつら、毎日あれで楽しいのかなぁ……」
厄介者の三人でも、彼らが芳子の面倒な話をはぐらかしてくれたように捉えれば、誠にとっては救世主であったようにも思えた。
※
誠と別れた芳子は、あさみとの待ち合わせ場所に向かって歩いていると、今度は拓也に出会った。
「何だ、芳子。まだ三時なのに浴衣なんか着て、気が早いんじゃないか?」
拓也にまで誠と同じことを言われて腹を立てた芳子は、「うるさいわね!どいつもこいつも!」と、苛立ちを募らせて声を張り上げるが、拓也からすると機嫌を損ねるようなことを言ったつもりはなく、これは完全に何かのとばっちりだと捉える。
「それより、由美子に会ってないか?どうやらあいつ、家出して堀切に来ているらしいんだよ」
「家出?だって、引っ越したのは福岡でしょ?」
小学生の発想で福岡から東京に一人で来るなんて、海を跨いだ外国から来ているのと同じ感覚と言っても大袈裟ではない。
家出ということは、由美子を見つけて母親に報告すれば福岡に連れて帰らされる。そうすれば誠と由美子は会えないから、里美のことも上手くいく……そもそも由美子の存在が気に入らない芳子は、そんな悪巧みが頭に過った。
「わかった。私も一緒に探してあげる!」
先程まで機嫌の悪さを醸し出していた芳子が、今度はにこやかな笑みを見せながら手まで握りしめてくるものだから、拓也は口を開いて呆気にとられてしまう。
「お、おぉ……そうか。おまえ、なんか親切だなぁ……」
「その代わりさ、マコトが花火大会に来たら、ちゃんと里美の所に行くように説得してよ」
『何だよ、そういうことか……』
芳子にとっては文句なしの好条件を述べているつもりだろうが、里美に想いを寄せている拓也にとっては悲痛な条件。
「やっぱり里美は、マコトのことが好きなのか……」
「は?そんなのは見ていれば分かるじゃない。でも、由美子がいたから我慢していたのよ」
芳子の言葉には里美の気持ちを尊重する優しさよりも、由美子に対する憎しみの方が割合を占めて聞こえる。
「とりあえず、由美子がいたら、お母さんが探していることを伝えてくれよ」
里美の恋路を邪魔する気はないが、自分の気持ちを抑えてまで応援する気も全くない拓也は、芳子から聞かされる話に煩わしさを覚えると、一方的に話を打ち止めて走り去った。
※
皆が由美子のことを探すものの、その由美子は今、何処で何をしているのか誰も見当がつかない。
誠も探し続けているが、あてもなく町中を彷徨っているだけであり、それらしき姿すら見つけられない。
『あ、そういえばタク坊のこと忘れていた……』
神社の前を通りかかった誠は、拓也に言い告げられた待ち合わせを思い出して立ち寄ると、そこにいたのは泣きわめいている拓也の妹二人と、それを鬱陶しそうにあしらう淳平だった。
「マコト、どこにいたんだよ!ちょっと助けてくれよ」
小便の後始末をさせられている淳平は、デッキブラシを差し出して手助けを願い出るが、誠は突っぱねて拒否する。
「なんで掃除なんかしてるんだよ……それに、タク坊はいないのか?」
「タク坊なんて、いないよ!あいつの家に行ったら、こいつらの面倒を押し付けられるし、最悪だよ……ほら、多分これタク坊のだろ」
淳平がポケットからゲームボーイを取り出して誠に渡すと、電源は入れたままになっていたが、その画面を見ていると、電池切れなのか『Game over』の文字がぼんやりと消えていった。
もしかすると、由美子と拓也は一緒にいるのではないだろうか……いくら待たせたと言っても、拓也はこれさえあれば一日中でもゲームをプレイしながら待っているような奴だから、ここに忘れていったとすれば、由美子が来て二人でどこかに行ったのかもしれないと、誠は推理する。
拓也と由美子が一緒に行きそうな場所を考えていると、淳平が「あーぁ、もう夕方だよ」と愚痴こぼすのを聞いて、誠は思い出した出来事があった。それは以前、拓也と由美子に自分を含めた三人で綾瀬川の水門へ行った時の事だ。
立ち入り禁止の場所なので入り口の階段には鍵を掛けられているにも関わらず、鉄柵をよじ登って最上階まで行くと、由美子はそこから見える夕焼け空を眺めながら、『ここは、世界で一番綺麗な夕日の見える場所』なんて大袈裟なことを言っていたのを思い出す。
由美子が『きっと、ここから花火を観たら綺麗なんだろうね』と言っていたのを思い出した誠は、淳平のことを置き去りにして土手に向かった。
河川敷に辿り着くと、少し早いが花火大会の場所取りで沢山の人々が集まっている。
水門の前に来ると、花火大会に備えて警戒しているのか、入り口の階段にはいつもより大きな文字で書かれた『立ち入り禁止』の貼り紙が張られているが、誠は構うことなく侵入すると、頂上に向かって勢いよく駆け上がった。
神社からここまでずっと走り続けているから、喘息持ちの誠が気力だけで階段を上り切るのは至難の業であり、ポケットから吸入器を取り出して吸い込むと、体の中に不足している酸素のせいで河川敷の風景がぼんやりと霞んで見える。
呼吸が整うと気を取り直して再び階段を上るが、辿り着いた頂上に由美子と拓也はいなかった。
夏になり日没が遅くなると、門限を決められた子供達は夕焼けの色を見過ごしてしまうことが多くなる。あの日、由美子と一緒にこの場所から見た景色は、空を赤く染めた眩い夕日が、景色の中へ吸い込まれてゆくように沈んでいた。
「きっと由美子は、ここから花火を観たかったんだ……」
夜空に打ち上がる花火を思い浮かべると、見上げた空には絵に描いたような綿雲が黄昏の中に浮かんでいて、過去が残されたままの風景には夕焼けチャイムが流れていた。
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