平成二年七月二八日(土)午後《3》

 ※

 宿題を終えるまでは家から出さないと母に言われて監禁されていた淳平だが、今日取り組むべき分は済ませたことを証明して外出の許しを得ると、当初の予定よりも大幅に遅れて拓也の家を訪れた。八百屋の店前では拓也の父が、盛況のおかげで乱れた野菜の陳列を並べ直している。

「おじさん、タク坊いる?」

「拓也なら、出掛けたよ」

 拓也の父は、ひび割れてしまった西瓜を見つけると顔を顰めながら『あ~ぁ』と、溜め息交じりの声を漏らしている。

「何だよ、これじゃ売り物にならねぇや……淳平、スイカ食うか?」

「ホント!食う、食う!でも、タク坊の奴、何処に行ったんだろう?もう、アジトに行ったのかなぁ……」

「母ちゃん、このスイカ淳平に切ってやってくれ」

 拓也の父が呼ぶと売り場の奥にある部屋から、ひと段落してゆっくりしていた母が、重い腰を上げて出てきた。

 ひび割れた西瓜を受け取ると、拓也の母も『あ~ぁ』と、夫婦揃って同じ反応を示している。

 拓也の母は西瓜を台所に持っていくと、持って歩けるような食べやすさに切って淳平に手渡した。

「あと淳平君、拓也と遊ぶなら、この子達も連れて行ってちょうだい」

 目を向けると拓也の妹である恵と歩が、西瓜を食べながら母親の足元に隠れている。

「拓也、メグとアユも一緒に花火大会連れて行けって言ったのに、置いて行っちゃったのよ」

 面倒くさいと思う淳平は言い訳をして断ろうとするが、じっと見てくる二人の目が合うと、喜んで口に入れた甘い汁は駆け引きであったように思えて、途端に味がしなくなる。


 仕方なく恵と歩のお守りを引き受けて拓也の家を後にした淳平が歩いていると、北川軍団が自転車に乗ってこちらに向かって来た。

「和也!おまえ達のせいで、酷い目にあったじゃないか!」

 幼い子のお守りを押し付けられた不満もあって酷く苛立っている淳平の顔を見ると、和也達は鬼瓦のような形相で怒鳴られた淳平の母を思い出して身を震わせる。

「悪い、悪い。それよりジュンちゃん、マー君見なかった?」

「知らねぇよ、おまえ達と一緒にいただろ?」

「逃げたんだよ!四つ葉小の奴等との決闘が嫌で」

 手の平に拳を打ち付けて怒りを示す裕太の態度を見て、淳平は『あぁ、そういえば、こいつ等そんなこと言ってたっけ』と、聞き流していた彼らの話を思い出す。

「このままじゃ俺たち負けちゃうから、ジュンちゃんも行こう」

「行かねぇよ!それに、ほら、見ればわかるだろ、こんなチビ二人連れて行けるかよ」

 恵と歩のことを指差しながら、「こんなチビ連れていったら、すぐ誰かにベラベラ喋るぞ」と、淳平が脅かすように言っているのを聞くと、他校と決闘していたなんて大人に告げ口されるのは厄介だと和也は思う。

「なら、この二人を家に帰してこいよ。そんでさ、タク坊も一緒に連れて来いよ」

「そのタク坊がいないんだよ!いたら、こいつらのお守りなんかしてねぇよ。できるなら、こっちがそうしたいくらいだ!」

 淳平は抱えている不満を纏めてぶつけると、ふてぶてしい態度で立ち去った。

 

 そして昌洋といえば、手錠を外させた隙を見て自宅へ逃げ帰ると、待望であった顕微鏡キットを組み立てながら独り言を呟いていた。

「もう今日は家から出ないぞ……花火大会も行かなくていいや……」


 ※

 知らぬ間に寝てしまった拓也は、実際は数分の合間であったが、目を覚ますと長い時間まぶたを閉じていたように思えて驚いた。

「ゴメン由美子!寝ちゃった……あれ?どこ行ったんだろう……」

 久しぶりに再会した相手の前で寝てしまった不躾を咄嗟に詫びるものの、隣に座っていた由美子はいなくなっている。どれほどの時間が経っているのか気になるが、普段から時計を持ち歩かない淳平が時間を知る手段には、公園や児童館の時計を見るか、夕焼けチャイムを聞くことしかない。

 日が落ちてしまい、古い材木の繋ぎ合わせで生じた壁の隙間から入り込んでくる光が消えると、倉庫の中は真っ暗になってしまうが、まだ明かりが見えることから、外も日が差している時間なのだけは分かる。

 その光だけを頼っていると倉庫の中は薄暗いので、備えている懐中電灯の灯りを向けて辺りを照らすが、どこにも人影は見当たらなかった。

『悪いことしたなぁ』と思う拓也は、アジトから離れて由美子を探していると、鳥居を抜けた神社の外を落ち着かぬ様子でうろついている女性の姿を見つけた。

「拓也君、ねぇ、拓也君よね?」

 はっきりと自分の名前を呼ばれたので警戒心もなく近寄ってみると、呼んでいたのは由美子を連れて福岡に引っ越した由美子の母親だった。

「あ、おばさん、久しぶりです。こんな所で何しているの?」

 拓也が訊ねても由美子の母は慌てた素振りを見せるだけで、「ねぇ、何処かで由美子のこと見なかった?」と、一方的に問いかけてくる。

「さっきまで一緒にいたけど……どうしたんですか?」

 拓也が答えると由美子の母は、「やっぱり……」と言いながら、苦い表情を見せた。

「由美子ね、私に何も言わず家を出て行って、勝手にここへ来ているの」

「家って、福岡から一人で?」

「今朝、朝ごはんの時間になっても顔を見せないから部屋を覗いてみたら、割れた貯金箱が机の上に置いてあってね……それを見て、きっと堀切へ行ったんだって思ったの。福岡に引っ越してきた時から、由美子がお小遣いを貯めていた貯金箱でね、貯まったらお父さんの所へ行くなんて言っていたけど、まさか本当に来るなんて……」

 由美子の母が心配しているのは、小学生が一人で遠くまで来ていることよりも、父親に会いたくて堀切に来ているとすれば、今は別の女性と暮らしていることを由美子は知らないから、それを知って酷く傷心するのではないかと心配している。

「それじゃぁ、由美子は家出をしたってことですか!」

「家出というわけじゃないだろうけど、何も言わずに出て行っちゃったから……とにかく、おばさんはこれからマコちゃんの家に行ってみるから、もしも由美子に会ったら連絡ちょうだい」

 事の経緯をしっかりと理解できていない拓也は、言われるがまま頷いて応えると、由美子の母は急ぎ足で去って行った。

  

 ※

 拓也と由美子の母が去った後、淳平が入れ違いで神社にやって来た。

「じゅんぺい兄ちゃん、おしっこしたい……」

 淳平はぐずりだして腕を掴む恵と歩を、社にある賽銭箱の前で待っているように言い聞かせると、一人でアジトへ向かった。仮にも秘密基地となっている場所をお喋りの幼子二人に見つかると、他の誰かに告げ口されそうで厄介だと思ったからである。

「おーい、タク坊、マコト、いないのかぁ……」

 呼びかけに返答する声は聞こえないが、懐中電灯を紐でぶら下げた照明はアジトを作った時に淳平が設置した物であり、それが点いたままになっていることから、ここに誰かが来ていたことは分かる。

 淳平は以前に家の仏壇から拝借して持ってきた蝋燭にライターで火を点けて明かりを増やすと、ぼんやりとした暖色が辺りを浮き出して視野を広くするが、人の姿は見当たらない。

「何だよ、一体どこに行ったんだよ……」

 事が思うように進まず苛立っている淳平は、頭を掻きむしりながら項垂れると、足元に落ちているゲームボーイを見つけて拾い上げた。それは拓也が忘れていった物であり、電源を切り忘れていた画面には、未だに『Game over』と表示されている。

「何だよ、ゲームオーバーって……何か知らねぇけど頭にくるなぁ」

『電源が入っているのだから、今までここにいたのではないか……』

 鈍感な淳平には、そんな事まで頭が回らず、アジトから離れようとして蝋燭の火を消すが、懐中電灯は消し忘れるような粗忽者。

 誠と拓也の行きそうな場所に心当たりもなく淳平は恵と歩を置いてきた場所に戻ると、神社の神主が泣きべそをかいている二人を宥めていた

「おい坊主!この二人の兄ちゃんか!」

 大きくかぶりを振って否定する淳平を、神主は神職というよりも地獄の主である閻魔のような貫禄を見せて怒鳴りつけると、それに怯えた恵と歩も声を上げて泣き出した。

「こんな小さな子供ほったらかしにして小便我慢させるから、賽銭箱の前で漏らしちまったじゃないか!」

 神主が小便の跡を掃除するように言いつけると、淳平は差し出された掃除道具を渋々受け取り、ブラシを地面に当てて力任せにこすりつけた。

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