この世で最も残忍な男の話
床崎比些志
第1話
ここに来てもう二年になる。人里離れた山奥の建設現場。山間の谷を流れる渓流を堰き止めるためのダムをつくっている。
ふもとの町に通じる道路は未だ開通しておらず、建築資材や食料などはもっぱらヘリコプターやトロッコで運ぶありさまである。それゆえここで働くほとんどの人間は休みの日も山の中で過ごすことが多く、長らく家族や友達とも会えずにいる。
しかし、来春にはいよいよ完成だ。そうすれば山を降り、家族のもとに帰ることができる。日に日に希望に胸をふくらます者が多い一方、憂鬱に感じる者もいるかもしれない。少なくともここにいる間は本当の孤独を忘れることができるからだ。だれもがいろんな事情をきっと抱えているに違いない。二年近くも同じ釜の飯を食っているというのに互いの素性についてだれも知らないままだ。むしろあえて聞かないことがここの暗黙のルールになっているようにもおもえる。
その晩も12月24日だというのにほぼ全員が宿舎の居間にいた。食事が終わると自然の流れで、あらくれ男たちは床に座り、車座になって一升瓶をくみかわしはじめる。酒のつまみはさきいかと柿の種だけのわびしいクリスマスイブ。
となりに座っている初老の小男が頼みもしないのに新しい缶をあけ、笑顔をすりよせながらオレのグラスにビールをそそいだ。半年ほどまえにこの現場に来た男だが、笑うと恵比寿様のように目が垂れて愛嬌がある。どうやらオレに好意を持っているらしい。
正面にすわっているひげ面の巨漢の男がインチキくさい耳障りな関西弁でまくしたてる。こいつも四ヶ月ぐらい前にこの現場に流れてきた。素性の不確かな無法者ばかりの集まりだが、その中でもひときわ粗暴でホラ吹きで自分勝手な男だ。オレの一番きらいなタイプ。
「オマエら、ほんとうの悪党の目ちゅうもん見たことないやろ?」
ひげ面が発した唐突な問いかけに、皆あんぐりと口をあけている。
「ワシが和歌山でタクシーの運転手をしてたころのことや。とある駅前でひとりのお客を乗せてな、お客のゆうとおりに走ってたら、いつのまにやら山の中やねん。そのうち、よりにもよって、とある墓地のまえでエンストしよってな、もうどうすることもできひん。無線で呼んだ代車が来るまでの間、その客と車の中で世間話をしてたら、そのお客が、『あんた、今日の売り上げどれぐらいだった?』ってゆうさかい、けったいなこと聞くねんなあっておもいながらも集金袋をのぞいててん。ちょうどそのとき正面から代車が来てな、それでお客はその車に乗ってさらに山の奥に行ってしもうてんけど、翌朝、そのときの代車の運転手が、山中にとめた車の中で遺体で発見されよったいうねん。連続タクシー運転手殺人強盗犯の一条カズマの仕業や。あのときもう少し代車の到着が遅れとったら、代わりに死んでたんは、ワシやったわ。そのあと、警察といっしょに車載カメラの映像を見てみたら、ワシが運転席で集金袋を開いているときに、アイツ、後部座席で自分のバッグに手をつっこんで、まさにナイフを取り出すところやってん。そのときの一条の目の恐ろしさゆうたら、あれは人間の目やないでえ。あれこそ血に飢えた悪魔や」
小男もまわりの男たちもみな目を丸くしている。巨漢の男は得意げだった。
その様子が、オレには
ーー酔いも手伝い、ガラにもなく一度もしたことのない話を口にしてしまった。
「オレも悪党を知ってる。二十年前の銀座の都市銀行強盗事件を覚えてるか?」
すかさず小男がうなずいた。
「二億円強盗事件だろ。その場にいた客も巻きぞえになって殺された………たしか、幼い子供づれの家族も、犠牲になったんだよね?」
「ああ。じつはオレ、あの場にいたんだ。すみっこにいたから、流れ弾にあたらずにすんだけど、大勢の人が血まみれになって泣き叫びながら死んで行くところを目の前で見た」
「は、犯人の顔を見たんか?」それまでいぶかしげな態度で遠巻きに聞いていた巨漢のひげ面も身を乗り出した。
「覆面をしていたから顔は見てないが、目は見た。冷たい目をしてた。あいつこそほんとうの悪党だとおもった」
みな顔をこわばらせながらだまってうなずいていた。
「たしか、犯人はまだ捕まってないはず……たしか今日が時効だってラジオで言ってたな」
「このまま迷宮入りっちゅうわけやな」とひげ面が口をはさむ。
「いまもどこかに身をひそめているんだろうけど、ああいうのを、人でなしっていうんだろうね」
人のよい小男がなにげなく口にした、人でなし、という表現が、心にひっかかった。
「ーーところが、オレは犯人の違う面もそのとき目撃したんだ」
「なに、なに?」
小男が子犬のように顔をすりよせてきた。この顔を見るとつい口のひもがゆるんでしまうーー。
「犯人が銀行から逃げて行くときに、年老いた老婆にぶつかったんだよ。そしたら、犯人の奴、足をとめて『すまねえ』っていったんだ。本性っていうか、根はいい奴なのかもしれねえ、っておもったね」
「きっと田舎の母ちゃんをおもいだしたんだろうね。そういえば、あの日もクリスマスイブだったね。うん、なるほど、生まれながらの悪党なんていないのかもしれないな」
オレはなにもいわずにうなずいた。
「ところで秘密の暴露って言葉、知ってます?」
小男の言葉づかいが急にあらたまった。
「いや、しらねえが……」
「犯人しか知り得ないことを犯人が白状することですが、しらばっくれながらもどこかで自分のしたことを知ってもらいたいんでしょうね」
オレはただの酒の席の小ネタとおもい、掛け時計をぼんやりとながめながら適当に聞き流していた。
「ーーその強盗事件で犯人が老婆にあやまったっていうのは、マスコミにはいっさい公表されていません。それに銀行の外でのできごとなので老婆以外にその言葉を耳にした人もいないはずなんですよ」
一瞬、背中に冷たいものが走った。
「あなた、ひょっとするとーーXXXXXさんですか?」
それは、まぎれもなく二十年間かくしつづけたオレの本名だった。
それでもオレは黙って掛け時計を見ていた。
(あと、二時間、そうだ……二時間だけもちこたえられたら、オレは自由になれるのだ。………)
ちらりと横目で見ると、小男はオレにむかってなおも如才のない笑顔をうかべている。しかし目の底は少しも笑っていなかった。そしておもむろにニッカポッカのポケットから警察手帳をとりだした。
「すみませんが、ご同行いただけませんか?」
オレはなにも答えず、なにくわぬ顔で立ち上がった。血の気が急激にひきはじめたのか、頭がくらくらする。オレは心の動揺を気取られぬようにわざと大あくびをしてから出口にむかって歩きはじめた。
しかし出口には巨漢のひげ面が腕組みをしながら立っていた。ひげ面は今まで一度も見せたことのないような真剣な顔つきでオレをにらんでいる。
「ぜったい、にがさへんでえ」
やっぱり嫌な奴だ。ーー
(了)
この世で最も残忍な男の話 床崎比些志 @ikazack
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