「端的に言えば大ピンチ」
「女王、わっちに添うのじゃ」
「ふわ、あったかいですねぇ……」
キノコの形の原初のシマモノ、
ここは雲の浮かぶ高さ。高度およそ2000メートル。シマで一番高い山よりもさらに高く、地表面より気温は10℃近く下がる。死ぬほどではないが普通に寒い場所だった。
「おまえなら大丈夫だろ。試しに飛び降りたらどうだ覆面変態男」
寒さを気にしているユハビィをよそに、この高さから落ちたら流石の俺様でも死ぬのではないかなどということを考えているウロノスに向かって、アーティは心無いことを言う。
「馬鹿野郎アーティてめぇこの野郎。俺様はか弱い人間だぞ。せいぜい100メートルが限度だっつの」
「それも普通の人間が粉々になるのに十分な高さだよウロノス氏――そもそもの話をすればこの黒い檻をどうにかせねば飛び降りることさえ叶わん状況ではあるのだがな」
と、黒い檻に平然と触れるミカゲ。怖いもの知らずである。
「檻はこのファッキンアーティ君が責任持ってなんとかしてくれるってよ。ほらさっさとしやがれ。みんな待ってんぞ」
「ずっとやってるけど期待はするな。制御権が拮抗してて向こうに何かされる心配はないけどそれがお互い様って感じだ」
「んだよ使えねぇな。その大層なマフラーは飾りですかァ? あァン?」
「おまえをへし折ることくらいなら今すぐにでも」
「やってみろタコ。ぶった斬って夏仕様にしてやる」
「どうどう……落ち着いて二人とも……今はそんなことしてる場合じゃないですよ……」
「うるせぇ看板娘。俺様の邪魔をしたら超リアルなてめぇの裸婦画を描いてセイバーズ本部フロントに設置するからな」
「ぴぃ…………」
「ウロノス氏は無駄に多芸だからな――公序良俗に反する真似だけは控えてくれるとありがたいのだが」
「ハハハ。誰が歩く猥褻物だ。そう褒め称えるな」
「誰も言ってないし褒め言葉でもない」
とりあえず、口が回るウロノス。
神器を通じて檻の破壊を試みるアーティ。
揉める二人を仲裁するロゼ。
そして、特にすることがないミカゲ。
彼らはまだ知らない。これから何が起こるのかを。
そしてそれはユハビィも、原初たちさえもまた同じで。
シマの深淵が、じわりと音を立てて現世への介入を始めたことを。
発端となった歪さえも、気付いてはいないのだった。
*
ウロノスとアーティ。そして女王の器。おおよそ考えうる中で最強クラスの戦力を一挙に隔離することに成功した歪の姿は、シマの地中深くにあった。
巨大な神器の塔を支える無数の根によりシマの地殻はこじ開けられ、今、その深淵が口を開いていた。その向こうに何があるのかを歪は知っている。
「アーティ。ユハビィ。ごめんね……でも、このシマから出るためにはもう、これしか方法が無いんだ……!! この僕が、神になるしか――!」
この奥に待ち受けるのは、神秘の根源。
この宇宙を形作る全ての真実。
神性を帯びる、あまりにも巨大な意識体。
この星で最も神に近く。
かつて。遥か遠き過去の時間平面。
この何の変哲もない小さな島が、世界の最果ての孤島となるまでの物語。その全て。集約される無念と怨嗟。滲み出た呪詛は少しずつ世界を蝕み、外なるモノはその姿を、その役割を――その【Law】を歪められて。誰かを呪い、誰もから呪われる存在へと、穢れ、堕ちてしまった。
そんな超がつくほどの危険地帯に、通常、ただシマを掘るだけで辿り着くことは決してない。
このシマの地下は確かに数メートル程度掘り下げるだけでも、高濃度の呪詛を含んだ黒土――シマモノの黒い外骨格を形成する暗黒物質が露出することはある。しかしそれらに含まれた呪詛の源泉たる、封印された神秘の根源に至るには、このシマの管理者権限が必要なのだ。それが無い限りは放射性物質にも似た黒土をいくら掘り進めたところで、そこに辿り着くことはない。
管理者権限。即ち――女王の……。
「……あれ……」
――檻の中、ユハビィは軽い目眩を覚えていた。
それは高所で立ちくらみがしたのかと錯覚する程度には軽微なもので、彼女自身、変だなとは思いつつ、特に気に留めることのない異変だった。
黒い檻は。
その中に閉じ込められているモノと、視えない糸で接続されていた。
ウロノスも、ミカゲも、アーティも、ロゼも、原初たちも、そして女王の器であるユハビィとも。
即ち黒い檻の起こすあらゆる行動には、その内側にいる者たち全てが紐付けられるのだ。
女王の器たる意識の介入が認められれば、通常の方法では決して到達することのない禁忌の領域さえ、このシマの中に顕現する。
シマの裏側。
歪は今、ついに、神の前に立つ。
……正確に言えば、神へと至るに足る、莫大なリソースを目の当たりにする。
これが全て手に入れば、この世の生命を超越した別次元のナニカになることが出来る。
根源より湧き出た糸によって紡がれるこの世界を、何段階も飛び越えた位置から俯瞰する存在へと、魂が昇華されるのだ。
そうなればもう、誰にも止めることは出来ない。
シマを包む呪神の結界さえも破壊し、この小さな箱庭から巣立っていくことだって出来るだろう。
期待に胸が膨らみ、高揚感で体が震えた。
だけど歪は気付けない。
確かに彼女は特別な存在だけど、それはあくまでアーティと一つであった時の話。
彼から離れてしまった時点で、彼女の視点は一つ。
シマに眠る闇を暴くのに、それはあまりにも、少なかった。
*
「――傾いてる」
青ざめた顔で、ロゼがそう呟いた。
人間には感知不可能な、ほんの微かな平衡感覚の狂い。
少しずつ、しかし確実に、塔が傾きつつあることをロゼは知覚し、驚嘆する。
「かっ、か、か、傾いてるぅっ!! 倒れるッ、倒れます、この塔!!」
「あん? 風で揺れてるだけじゃねぇのか?」
「真偽は定かではないがこの高さの建造物など聞いたこともない――倒れるとしてもそう不思議なことではあるまい」
「いやいや死ぬっ! 倒れたら死にますからみんな!!」
「オイラは死なないけどな」
「じゃあ俺様も死なねぇなァー。安心したぜ」
「張り合ってる場合じゃないんだってばぁ!!」
この高さの塔が倒れるとして、その先端の速度はどの程度になるだろうか。まぁ考えるまでもなく人間などひとたまりもない。原初のシマモノは何匹か浮いているやつがいるので、地上が近くなれば浮遊して生還しそうではあるが――と、ロゼがちらりと浮いている原初に目を向けると……。
「女王様のご命令でも、私、人間を助けるなんてイヤよ」
あっさりと釘を刺されてしまうのだった。
助けてくれる気は毛頭ないらしい。まぁ、当たり前といえば当たり前だ。
呉越同舟、どちらかと言えば人間側に見えるアーティ少年さえ、完全な味方とは言い難いのだから……。
「……ふむ。確かに若干だが傾いているな……」
「傾いてるから何だってんだよミカゲ氏。どうにもならねぇことなんざいちいち気にしてんじゃねーぞタコ助」
「ウロノス氏ならそう言うと思っていたよ――そしてならばどうしろと言うのかね。この状況では間違いなく全滅だ」
「ったく、仕方ねぇなぁ。俺様がいねぇと何も出来ねぇ赤ん坊どもめ。まぁ任せろ、ちょっと今から修行して空を飛べるようになるからよ」
「ならねーーーーーーよ!!」
滅多に聴くことの出来ないミカゲのツッコミがシマ上空に響き渡る。
表情は努めて冷静だが、完全にいつもの通りの冷静さは失われている様子だった。そんな内心ばかり狼狽えるミカゲに対し、ウロノスは大袈裟に嫌がって見せる。
「あーあーうるせぇなぁ。そう騒がなくても状況が逼迫してることくらい分かってんだよ。いいか? よぉく考えろゴールド級。問題です。ジャジャン。セイバーズの管轄する森林区の中に文字通り天を衝く程のクソデカタワーが突如として出現しました。さぁさぁお仕事の時間ですセイバーの皆さん、まず最初にやることは何でしょう? 5秒以内にお答え下さい」
「……。……塔の調査、か?」
「あ゛ーお利口さんかよてめぇ。我らがフェルエルさんの脳筋っぷりナメんじゃねーぞ。正解はだな――」
――ズン……!
と、腹の底に響くような衝撃が、足元から脳天まで駆け抜けたのは、まさにその瞬間であった。
地震などではない。
誰かがこの塔を力いっぱいぶん殴ったかのような、明確な打撃の感覚。
そう。正解は。
「……時間切れだぜミカゲ氏。正解は、ぶっ壊す――だぜ☆」
「おい、それはそんな『だぜ☆』とか言ってる状況ではないのと違うのか?」
「残念ながら違わないんだなァこれが。まさに状況はてめぇらが考えてる以上にやべぇというお話です。ハハハ分かったか雑魚ども」
「ならば尚更どうしてそれほど他人事のように冷静でいられるのだ……」
「クールになれ。いつも言ってんだろが。さぁてここで追加の問題だが、この塔がブッ倒れるより先に、俺様のクソ弟子のお嫁さんがここまですっ飛んできて助けてくれる確率はいくらだと思う?」
「そんなものほとんどゼロだろう――あの鳥は不死鳥のくせにちょっと朝に弱いぞ。絶対にまだ眠っている頃のはずだ……」
「ククク、大正解だ――生きて帰ったら特別賞与出してやんよ」
「それ、死亡フラ――」
――ズズン…………!!
……そして与えられる二度目の衝撃は、ロゼでなくとも感知可能な塔の傾きを生み出し……徐々に、徐々に、その速度が止むどころか加速していく様は、事態が完全に取り返しのつかないものになってしまったことを、その場の全員に理解させたのであった。
*
「ぴぃぃぃっぃぃぃぃいいいっっ!! おっ、落ち……しっ、死ぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅうううっっっ!!!!」
体は宙を舞い、檻の反対側に押し付けられる。
吊籠式昇降機に乗った時、もしこれが落下しても地面につく寸前に跳躍すれば助かるだろう、などとは誰もが一度は考えただろうが、そんな淡い幻想など容赦なく吹き飛ばす程の重力加速度の暴力により、もはや檻の中の床に足をつけていられる者は誰一人として存在しない。体が完全に浮き上がっているというのにどうやって跳躍しろと言うのか。不可能である。それはたとえウロノスであろうとも同じこと。どれだけの膂力があっても、人間がその力を発揮するには必ずそれを支える足場が必要なのだから。
そしてこの中で数少ない浮遊能力を持つモノ――レイス姉と呼ばれていた、白い布をかぶっている小さな原初のシマモノ、
檻さえ無ければ、これは彼女にとって単なる落下だ。浮いて逃れることはできる。
しかし現状の実態は、巨人の手の中に握られたまま物凄い力で地面に叩き付けられる、と形容した方が正確だろう。そんなもの、鳥や昆虫だって逃れるより先に壁にぶつかってしまう。もはや少しだけ浮けるとかどうとかは関係がなく、地面との激突だけが確定事項だった。
「じょ、女王〜……ちょっと動けない、かも〜……」
「あらら……誰かこの状況をなんとかできる子、いませんか?」
「わっちの能力は燃やすだけじゃ。落下の衝撃で死にはせんが、他のモノを守ることは出来ぬのう」
「まぁ、キノコですもんね、アッシュさんは……。えーっと、レイス姉とライドちゃんは檻から出られたら飛べるんですよね。つまり檻を壊せば……あ、スカーさん! 出番ですよスカーさん、ここらでスパッと檻を……っ」
「くっく。私めの能力は非生物には無効ですよ、我が主」
「えぇっ…………じゃあ、何ですか、さっき閉じ込められてた間、本当は出られもしないのに余裕ぶっこいてたんですか……!?」
「くっくっくっくっくっくっくっく。………………女王。いくら女王のお言葉でも傷つきますよ、私だって」
「え? あぁ、ごめんね……? 意外とデリケートさんなんですね……?」
「くっくっくっく。しかし檻を壊すのであれば適任はおりましょう」
と、そこで
彼女の能力は、
しかしその不気味に裂けた口から溢れてきたのは、意外な言葉だった。
「あぅぅ……シマから離れ過ぎて……能力が出ないよぉ……」
「「「え???」」」
高度二千メートル。
今は少しだけ傾いて、若干低くはなったけれども。
それでもここはまだ、シマのどの山よりも高い場所。
シマから脱出するためにあらゆる場所を検討したウロノスでさえ、一度として来たことのない高さ。
故に、シマから離れることなど考えもしない原初たちが、好き好んで訪れる場所であるはずもなく……。
だから、誰も知らなかった。
原初のシマモノとしての、このシマを統括する最強の能力……それが、シマから離れ過ぎると無力化してしまうなんて。
原初のシマモノは正真正銘のバケモノだから、このまま墜落したところでなんだかんだ死ぬことはないだろう。
しかしユハビィは女王の器ではあっても、その出自が若干特別なものであっても、その体はあくまで普通の人間とさほど変わらない。
もしかしたら多少は頑丈にできているかも知れないが、ウロノスだって死ぬかも知れない程の衝撃を受けたなら、流石に生き残れる保証はなかった。
端的に言えば。
「あー……これ、ひょっとして、かなり……」
大ピンチ、だった。
*
「この高さでまっすぐ倒れたらシマの全長は超えると思うか?」
「微妙だな。ちょっとくらいハミ出して、海ポチャコースもあるかも知れねぇが……まぁウグメの結界には余裕で届かねぇよ。そもそも届いたとしてあいつに俺らを助ける義理がねぇ」
「それもそうだな……」
などという会話に、ロゼは僅かな活路を見出していた。
そうだ、この状況をウグメが把握していないはずがない。これだけ大規模な事象が起き、大量の黒土が地表面に露出してしまったのだ。なんだかんだ文句を言いつつ、きっと助けてくれる。そうに違いない。助けて下さいお願いします――という、ただ藁にもすがる気持ちでお祈りするくらいしか出来ないということに変わりはなかったが。
刻一刻と迫るタイムリミット。
創世神器の片割れを通じて何かを試みているらしいアーティも、黙ったまま動かない。
原初のシマモノとユハビィさえ、割とかなり困っている様子で。
まさに絶体絶命。風を切り雲を裂き、塔の先端はついにその視界に地上の輪郭を捉える。
この速度なら地上まであと十数秒と言ったところだろう。何よりも最悪なのは――その今まさに視えてきた着地点である。
赤黒く変色し、奇怪に変異した植物が群生する、明らかにこの世の場所ではないところ……シマに存在する【禁足区】の一つ、『慟哭の樹海』。
もし何らかの奇跡が起こって無事に着地できたとしても、その場所から生きて帰れる保証はない。ウロノスでさえ極めて高い確率で死ぬことになるだろう。生き残れるのはシマモノの攻撃対象とならない原初たちと、女王の器だけだ。禁足区に住まう赤いシマモノは女王直属であり、器の命令を聞くことはないから、彼女の意思で他のモノを生還させることも不可能である。
「――どっちかって言えば前門の虎のがマシだな」
「ウロノス……?」
地上が近くなり、墜落後もどういう結末が待ち受けているのかが薄っすらと見え始めた時、ウロノスが動く。
「不本意だが、覆面を取る」
「覆面など取って今更何が――!」
ウロノスが覆面を取るということが果たして何を意味するのか。誰も知らない神秘のヴェールの向こう側が、今まさに明かされるのか――と、思われたが次の瞬間、事態はさらに一転した。
アーティが神器の制御権を奪い返し、黒い檻の解体に成功してしまったのである。
……そう、よりにもよって十二分に加速の乗ってしまった、この空中で。
檻さえ壊せば何とかなるだろう、などと言えたのは遠い昔の話。
ことこの状況において檻が無くなれば当然ながら、全員まとめて上空に投げ出される形となる。
「ぎゃああああああああああああああっっ!! バカバカバカアーティ!!!! 何で今さら檻を壊すんですかぁぁぁぁああっっ!!!」
「おまえに馬鹿呼ばわりされるのは心外だな、花屋の看板娘らしき人」
「らしき人じゃなくて看板娘なんだよ!!」
「自分で言うのか」
「あっ、ダメ、私高いところ苦手――」
――と、一頻り叫び終えた後、何かが切れたらしくロゼは白目を向いて明後日の方角へ流れていった。
この速度での落下は空気圧の影響が極めて大きい。姿勢一つでだいぶ位置が変わってしまう。慌ててウロノスが手を伸ばしたが、ロゼの体は僅かに逸れてその手をすり抜けた。
「ア……ッ」
もはやこれまで――かくなる上は(絶対にダメだと思うけど一応お願いしてみる)原初の方々への救援要請だったが、白い連中は軒並み遥か上空をゆっくりと降下中であった。
最初から飛べる連中はスタートラインから既に違うのだ。ユハビィが流れていくロゼを指さして何か喚いているが、原初たちは完全に嫌がっていてやはり駄目そうである。
「あー……すまねぇ看板娘……裸婦画が遺影になっちまうな……」
「裸婦であるところは譲らんのだな――そんなもの葬儀で使えるか変態覆面男氏」
「誰が変態覆面男だ。褒めても何も出ねぇよ」
「おまえ以外の誰もいないし、褒めてはいない」
――ウロノスは村人を可能な限り守るが、それはあくまでも彼の実力の及ぶ範囲内での話である。
いくらプラチナ級が化け物だからと言っても空が飛べたりはしない。それは本当に魔法使いの領分で剣士であるウロノスにはせいぜい空中で平泳ぎをするくらいしかできることがないのだ。落ちれば当然命はない。ロゼを救えなかったことを悔やむ以前に、まず自分も助からない。
覆面を脱ぐという切り札も、この状況において機能するかどうかは怪しかった。
今に至ってしまうとアーティが檻を解体したのは逆効果だったかも知れない。足の踏ん張りが効くという意味では、たとえ天地が逆さまになっていようとも檻があった方がウロノスにとっては少なくともマシだった。
「てめぇのせいだぞアーティ! 何とかしろ!! 俺を死なせたらアトリィの守りたかったあの村はどうなるッ!!」
「独裁者がいなくなればきっとみんな幸せに暮らすだろうな」
「それについては私も全く同感だな――だからアーティ氏、私だけでも助けてはくれないか」
「別にいいぞ。こっち来い。神器で着地する」
「あーッ! てめぇミカゲ!! 裏切るのかッッ!」
「……心配しなくても全員助けるよ……」
アーティは残された創世神器を変形させ、流れ行くロゼごと全員を包み込んだ。
凡そ空が飛べるタイプの魔法使いでもなければ並外れた人間であっても即死する高さであっても、アーティなら着地できる。神器で保護した者を誰一人として死なせることなく、生還することが可能だ。
……本当なら。少し前の自分なら。決してこのような真似はしなかったはずだった。
ウロノスなんかさっさと死ねばいいと思っていたし、他の人間がどうなろうとも、概ね自分とは関係が無かったから。
でも、ユハビィが叫んでた。
ここより遥か上空から『みんなを助けて』と。
届かぬ声を懸命に張り上げていた。
それが、原初のシマモノに向けた言葉ではないことを。
アーティは理解して、行動に移した。
「……うるさいな。聞こえてるよアトリィ……」
暴風に掻き消える程の小さな声でアーティは呟いた。
もう、物理的に誰の声も届かない世界で。
彼方から聞こえてきたのは女王の器の、魂の叫びだった。
歴代の。
女王の器たちの……。
その中にある微かな気配を、彼女の存在を、感じ取ったその瞬間にはもう、アーティの体は勝手に動き出していて――。
「はは……」
そんな自分を俯瞰して、思う。
それまでの生き方を顧みて、呆れ笑う。
「……そうだ。こんなにも楽だった。ただおまえの手伝いをしているだけの生き方は」
檻を破壊できたのは、神器の制御権が戻ったからだ。
――なのに歪が帰ってこない。彼女の意識が、戻ってこない。
アクセスは拒否されたまま。空っぽの赤い腕の制御権だけが、アーティに託される。
「おまえはいつも正しかったから。何も知らないオイラが道を間違えないためには、そうするのが一番、簡単だった……」
歪の身に、彼女にさえ予期せぬ事態が起きたことを。
アーティだけが、理解していた。
「……だから。……間違えてばかりだ。おまえがいなくなった後、オイラが正しかったことなんて、たぶん、ひとつも……」
――歪は家族だ。
どんな形であれ、魂を分かち合う大切な存在だ。
彼女が何を思ってこのようなことをしたのかは分からないが。
もし彼女が今、困っているのなら助けに行くのは当たり前のこと。
アトリィならそうしろと言うだろう。けれどそれはもはや関係なく。
仮に彼女に助けるなと言われようとも、アーティは迷わず歪に手を差し伸べる。
だって、歪は――
「きっとこれからも間違える。だから。……愚かなオイラを、笑ってくれ。今はとりあえず――全員助けてみせるから」
誰一人欠けることなく、辿り着いてみせる。
アトリィが安心して見守ってくれる、そういう未来に。
今、この時から。
それがアーティの、絶対の目標となった。
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