「顕現する黒き塔」



 およそ百年先の未来。

 ウグメが、ラヴィアに返したモノは――今、…………





 *





「やめておいた方がいいと思います、ロゼさん」



「な……、え……?」


 ――驚きは、即座にそれ以上の恐怖で塗り潰される。

 その手に握り締めた刃物は一瞬のうちに、赤黒くボロボロの姿に腐食していた。

 まるでそこだけ数千年の時を飛び越えたのかの如く、唐突に。なんの前触れもなく。

 何かの魔法を使われた気配すらない。普通は魔法なら魔力の流れが発生するから、魔力を感じ取れる者であれば誰でも気付くことができる。しかしこの刃を腐食させた現象には、それが一切なかったのだ。

 そのことは即ち、この現象がこの世界で通常の生物が扱うことのできるとは、根底から異なる力であることを意味する。

 この世界に定められたルールの、外側から引き出された力。理外術……呪神たちが『OWLオウル』と呼ぶ、権能。それと同質の……。人類が作り上げた叡智を嘲笑う幻想。思い描く夢をそのまま紡ぎ出すかのような、奇跡の御業。……ただし。

 それは奇跡と呼ぶにはあまりに禍々しく、怨嗟の念で歪んでいた。

 誰が見ても明らかに、ただこの世界の破滅だけを求めた能力だった。


 一呼吸の後には、ロゼの手の中に武器と呼べるものは影も形もなく。

 腐食が手にまで及ばなかったのは、この白い直方体の怪物の手心だったのだと理解する。

 ここは、完全なる死地。

 相手がその気ならとっくに死んでいた。

 この身が不死鳥であろうとも関係がない。

 確実な死。この場所にはそれがある。そのことを全身で分からされたから、ロゼは一歩も動けない。相手の許可が降りるまで、次の行動の一切を取ることができなかった。



「ダメですよフラン。ワタシの、えっと、遠い未来のお友達……の、お友達……? です。お友達のお友達はお友達なので、フランともお友達ということです。おーけー?」


「……。……にへぇ。フラン、おーけぇ」



 白い壁の化け物はそう言ってにやぁと微笑むと、ロゼから少し離れる。

 解放されたロゼはその場にへたり込み、やっと許された行動は、ユハビィの顔を見上げることだった。

 そんな彼女と目の高さを合わせて、ユハビィは言う。


「ロゼさんは優しいですから。ワタシを刺したらきっと苦しむことになってしまいます。たぶん、刺されたワタシ以上に……」


 何のことを言っているのかは、分からなかった。

 ただ、恐らく殺されることはない流れだということだけを理解したのだった。


「てめぇは確か――花屋の看板娘」


 話し合いの最中に現れ、勝手に白いシマモノに取り押さえられた挙げ句、今は無様に尻もちをついている少女の顔に、ウロノスは見覚えがあった。

 花屋の看板娘。名前は確か、ロゼ、とか言ったか。

 しかし思い出せるのはそれくらい。

 村の大通りの片隅にある花屋で見かける、特に目立つところのない地味な女だ。

 このような場所で出会うなどということは、絶対にないはずだと思われていた人物だった。

 そんな薄い印象の奴が――何かの見間違いでなければ、たった今ユハビィを殺そうとしたのだ。

 それが何を意味しているのかを見破れないウロノスではない。

 

 その中にはもしかしたらウロノスさえも知り得ない情報が含まれている可能性も……。


 問い質さなければ。

 セイバーズを結成し、村の長を名乗り、呪神と友達になって酒を交わし、長年このシマの調査を続けてきたウロノスとて、シマの全てを知っているわけではない。むしろ知らないことの方がたくさんある。だから。

 ロゼがこのシマの何を知っているのか。

 何か一つでも、自分の知らない情報を有しているのか。

 どんな些細なことでもいい。それが知りたい。

 生き残るために必要なのは情報だ。

 ロゼという降って湧いた存在を、徹底的に問い質さなければ――


 村を守るために概ね合理的な行動を取るウロノスが、一歩踏み出さんとした時。

 それを遮る意図は特になかっただろうけれど――ユハビィはへたり込んだままのロゼに再び声をかけた。


「あぁ……やっと」


 それはまるで。


「やっと見つけました――


 生き別れた家族との、再会のシーンのように見えた。




 *




 ロゼの、もと来た世界での。

 この時間軸からはもう永遠にたどり着くことのない、封鎖された分岐においての。

 この時代では、この時間軸では、本人とウグメ以外は誰も知らないはずのそれを、ユハビィは口にする。

 なぜ。

 どうして。

 それを知っている人間など存在するはずがない。

 だってその名前は遠い未来にキリムが与えてくれたもので。

 今はまだ、この世界には存在しないはずの――。



「うまく説明ができないんですけど、ワタシが今こうして生きているのって、リィ……ロゼさんのおかげなんです。どこか遠い、こことは違う世界、無数に広がる可能性の海を渡って、今、この時代の、このシマに流れ着くことが出来たのは……」


 と、そこまで喋ったところでユハビィは、ちらとウロノスの方を見る。

 そして、ちょっと喋りすぎたかも知れない――と、微妙な顔を浮かべた。


「あのー、ウロノスさん。一応確認したいんですけど。ロゼさんが村の敵ではないことをワタシが保証したとして、どれくらいの意味があります?」


 うっかり行動を早まったばかりに、女王の器よりも断然怪しい存在になってしまったロゼについて、ユハビィは訊ねる。

 ウロノスはその質問の意図を吟味した後、俺の保証も足しておく、とだけ答えた。怪しいは怪しいが、あくまで怪しいだけであって、敵ではないことは見ていれば分かるのだ。興味はあくまでもその女が何を知っているのかの一点のみ。白いシマモノに返り討ちにされて無様に転がっている奴がこのシマの真の敵であるなど考えたくもない。


「ありがとうございます。ロゼさんの正体については、あんまり追求しないでくれると嬉しいです」

「――だとよ。感謝しろよ看板娘。代わりに他のことは洗いざらい吐かせるから覚悟しておけ」

「ぴぃっ……!」

「それとユハビィにも、話せる範囲で全部聞かせてもらうぞ」

「おぉっ、つまりそれを話すまではワタシも死なずに済むということですね!? 寿命が伸びてよかったです!」

「なんだその価値観……元よりもう殺す気はねーよ」


 ウロノスはしれっと言う。


「そんな空気じゃなくなったしな」

「フフフそんな強がらなくて良いんですよ。素直にワタシたちに勝てないって言えばいいんです」

「よーしてめぇら全員そこに並べ。三枚に開いてやる。誰からだ」

「あはははっ」


 そんな風におどけてみせて。

 笑いながら距離を取るその姿さえ、どことなく、似る。

 かつて唯一、肩を並べることの出来た友の姿に。

 ……容姿は、まるで全然、似ても似つかないのだけれど。


 雰囲気が。

 本質が。

 魂の波長が。

 似通っているから、そう感じるのか。

 もしかしたらそこに、女王の器が、女王の器たる理由が、あるのかも知れないが……。


 ほんの一瞬でもウロノスはそこに、アトリィがまだ生きているかのような錯覚を感じてしまったから。

 もう、殺せない。

 あんな無様な敗北は、二度とごめんだと強く思っていたからこそ。

 ウロノスは既に、ユハビィに手を出すことができなくなっていたのだった。


 それは他の誰でもないウロノスの心の中の話なので、誰が知ることでもないのだが。こんな覆面男の言い分など誰が信用するのかわかったものではないのだが。それでもユハビィは、彼の言葉を信じる。彼の無念を、後悔を、恐らくこのシマの中で一番知っている女王の器の自分だけは、彼を信じて受け止めなければならないと無意識に、心のどこかでそう思ったから……。


 ――かくしてロゼは観覧席のミカゲに引き渡されたが、しかしその身柄を預かってからミカゲは苦言を呈した。


「こいつは姿を消せるのだろう? 観覧席に捕まえておけと言われたところで私には約束しかねるな」

「逃げようとしてもぉ、レイス姉が見つけてくれるから〜、問題なぁし」

「ああついにこの私も直方体と会話をしてしまった――帰ったらこのことを誰に自慢しようかね」

「ふひひ、サインあげようか?」

「それは要らん」

「んが…………女王〜〜〜、こいつ、無礼〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

「ミカゲさんはそういう人なんですよ、フラン。気にしたら負けです」

「気にさせるだけで勝ってしまうとは私も罪深くなったものだ……長生きはしてみるものだな」

「えぇ存分に長生きして下さい、生きていればきっと良いことはあったりなかったりしますから☆」

「ないパターンもあるのか」

「あったりなかったりすることに一喜一憂するのが人生だと思うんですよ」

「思ったより深いな。なるほど人生か…………」


 などと中身の薄い会話をしつつ。

 がどれのことを指しているのかは不明だが、そういえば一番最初にロゼを確保したのも彼らだったことを思い出す。この中のどれかが、透明人間をも見つける能力者なのだろう。ロゼが姿を消そうとも、必ず見つけてくれるならば頼もしい限りだとミカゲは思うのであった。


 ところが、そんな顛末に誰もが気を緩めた時。



「――数が、合わない。器が一つ足りない」



 白い布を被ったオバケのような姿のシマモノが突然、ふわりと宙を舞い、女性の声でそう言った。



「どうしたんです、レイス?」

「女王――下がって。知らないヤツがいる……がいる……」



 レイスと呼ばれた原初だけが感知した、極めて小さな異変は。

 しかし次の瞬間には真っ黒な鉄の檻の形となって、その場の全員を飲み込むのであった。




 *



「わぁ、なんですかこれ」


 ユハビィは目を輝かせながらそんなことを言っていたが、決してそんな余裕のある状況ではない。

 黒い帯状の格子が地中及び上空から同時に展開され、まるで鳥かごのように、会合に集まっていた者を閉じ込めたのだ。

 その速度は光の如く、誰一人として逃げ出すことはできなかった。


「おいアーティ、てめぇの仕業か?」

「だったら何でオイラもかごの中にいるんだよ」

「……。全員逃げられないように閉じ込めてブチ殺すため――とか」

「そうして欲しいなら今すぐやってやろうか」


「ふたりともやめて下さい。ワタシのために争わないで!」


「「いやおまえのためでは断じてない」」


「仲良いなこいつら――それよりアーティ氏。そのマフラーは何なのか訊ねてもよろしいか?」


「うん?」



 ミカゲの問いにアーティが振り返る。すると視界の端に、創世神器【探求、結束、或いは掌握クルーエル・アームズ】の赤い腕の方を担当するマフラーの左半分だけが、檻の外に向かって蛇のようにずるずると這いずっていくのが見えた。

 人間は通れない程度の隙間をするりと抜け出し、マフラーは檻の外に。そして一人の人間の姿を形作る。


「あ……。いびつ……」


 それは、アーティの頭の中の友達。

 イマジナリーフレンド。

 アトリィに少しだけ似た――いびつという名の女の子だった。


「やっほー、皆さん初めまして。アーティの心の友だち、歪ちゃんでーす」

「やっほーじゃねぇ。何してんだ、歪」

「何って決まってるじゃん。アーティ、キミを! 助けに来た!! ビシッ!」

「オイラも檻の中なんだが」

「いいんだよそれで。役者は舞台の上にいるべきなんだから」


 歪は文字通りの意味で、アーティと心を分かつ存在である。

 だから神器の制御権も、半分だけ与えられている。

 もっとも、平等さや対等さが欲しかったというより、創世神器の規格外の性能を使いこなす上で、二人で片腕ずつ分担した方が効率が良かったからという話だが。

 しかし、今まで彼女がこんな風に実体を伴う人の姿を成したことは一度もなかった。

 自ら考えて行動できる特別なイマジナリーフレンドとはいえ――まさか本当に人前にその姿まで現すなんて。


「あーっ!」


 ――と、そこでフランが思い出したように声を上げ、フォークみたいな手で歪を指す。


「女王! フラン思い出した! あいつが、女王のことフランに教えてくれたやつ!」

「え? そうなんですか?」

「――ふむ。言われてみれば確かに造詣はやや異なりますが同じ気配、同じ声ですね」


 スカーも、赤い帽子を揺らしながら同意する。


「むぅぅぅぅぅ、さてはおまえぇ、裏切ったのかぁ? フランを騙したのかぁぁあああ?」

「いやいやいやいやいや裏切るも何も最初から味方ではなかったでしょうよっ。だいたいあの日はボクが偶然知ってた女王の器に関する情報を対価として差し出して無きゃ、ボクのこと殺す気満々だったじゃない!」

「えぇぇ? あれぇ? うぅん、そうだっけぇ」

「そうでしたよ、フラン。あなたの早とちりです。ごめんなさいしなさい」

「うー。ごめんなさぁい」

「まったくもう……ほんと恐ろしい連中だよ原初は……。そうやって檻の中で大人しくしているのも、その気になればボクなんか一瞬で殺せちゃうからなんでしょ」

「えぇ、そうですね。女王に危害を加えるのであれば。姿。お望みとあらば今すぐにでも」

「ひぇ……惨劇の赤帽子スカーハット……視界に入っただけで斬られる能力……やだやだ。殺意しかないじゃん。もっと平和に暮らそうよー……」


 歪は露骨に嫌そうな顔をしながら、大して意味はないが僅かに距離を取る。

 ……しかし口ではそんなことを言いつつ、余裕がありそうなのは歪もまた同じだった。

 それは明らかに、原初に殺されないという自信の現れだ。


「私達の平和に暮らしに、あなたたちは要らないわ」


 と、レイスが言うと場は静まり返った。

 その言葉が、原初たちの存在理由をそのまま全て説明したも同然だったからだ。


「ねぇ教えて。あなたは私達を閉じ込めて何をしたいの。何をするつもりなの」


 続けて、レイスが問う。まるで尋問のような口調で。

 檻の中と外が一瞬、反転したかのような感覚が歪を襲う。

 閉じ込められているのは間違いなくあいつらだ。けれど死地にいるのは自分の方なのだ。その証拠に。


「気に入らない解答だったら、右足をもらうわ」

「では私は左腕を」

「きゃは☆ あたしはアタマぁ! 上半分!!」

「あーっ、ずるい、ライドちゃん! わたしは下半分! 胴体まで!」

「ふひへへへっ、フランは、左足ぃ」

「え、え? え? これ、わっちも何かもらわなきゃいけない流れなのじゃ? 別にどこも要らないのじゃ……」

「ではアッシュは残った右腕をお好きなように。要らなければ、いつものように灰も残さず焼き払うのがよろしいかと。フフフ」

「スカー……わっちをなんだと思っておるのじゃ……まぁ、確かにどうせそうするのじゃ……」


 ……などと白いバケモノたちが口々に喚いているではないか。

 気に入らない解答って何だよ。そんなのおまえの気分次第じゃん。好き勝手に言ってくれる。ま、聞かれたからには答えてやるけどね――と歪は肩をすくめてヘラヘラ笑う。


「冥土の土産に教えてあげるよ。ボクの目的、それは――語るより見せた方が早い☆」


 歪が、両手を大げさに広げてみせた瞬間。

 黒い檻は地中から出現した巨大な塔に運ばれ、凄まじい勢いで空高くに運ばれた。


「うおおおおっ、なんじゃこりゃ! アーティてめぇ何しやがる!!」

「オイラじゃねーよ歪がやったんだよ」

「てめぇのイマジナリーフレンドっつったろうが! 何とかしやがれ!!」

「なんとか、ねぇ」


 自律行動をするとはいえ、アーティの心を分けて作り出された存在だ。創世神器も今は二つに分かれているがこれは元々備わっている変形能力の範疇であり、物理的に二つになっていても接続は切れていない。つまり本体側であるアーティから強制的に歪の行動を制御することができるはずである……が。


「…………」

「どうしたアーティ。何黙ってんだ」

「アーティさん?」

「ブロックされた」

「あ?」

「だから。オイラからの接続が拒否された。あいつはもう、この方法じゃ止められない」

「おいおいおいおい。自分の分身の反抗期に振り回されてんじゃねーぞクソガキ」


 アーティに、狼狽える様子はない。

 初めての反抗。予想外の現象。

 シマで一番高い山よるもさらに高いところまで運ばれて、一転して追いやられた窮地の場面でそれでも彼の表情は。


「こんなこと初めてだ……歪、おまえは…………」


 しかしむしろ、少しだけ楽しそうに見えた。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る