「やめておいた方がいいと思います」
あの、シマ最強の。
いや、この世界で最強の人間と言っても過言ではないウロノスほどの男が。
まるで抵抗の余地もなく用意された席に案内され大人しく着席させられる光景を、生きている間にお目にかかることがあろうとは。
観覧席、らしい一角に同じく座らされていたミカゲはやや感動を覚えながらも、同時にそれが真に意味するところを理解し、内心ではうっすらと恐怖に似た感情を抱いていたのだった。
――即ち、今。
この場所を取り囲んでいる者たちは。
個々の実力はともかく。
総合力において間違いなく、ウロノスの手には負えない相手なのだ。
アーティとウロノスが駆け引きの末に激突し、その壮絶な戦いの決着を迎えるかに見えた、あの瞬間。
目に見えはしなかったが、壁と呼称するより他にないであろう何かが突如として出現し、二人は弾き飛ばされた。
それもまたここに集まった者たちの中の、誰かの能力。
普通の魔法とは違う、異能。
超常の――神秘の力。さながら具現化された幻想のような。
(これが、【原初の】…………)
――通常の、黒い外骨格に包まれたシマモノとは全く対照的な姿。
光を浴びて煌めくような、真っ白な姿の――白いシマモノ。
それが今、ミカゲの目視可能な範囲内に四体。
キノコのような姿のナニカ。
薄い直方体のナニカ。
本から飛び出たようなナニカ。
布らしきものを被ったナニカ。
どれも真っ当な生物の形状ではない。
子供の落書きめいた姿がそのまま立体化したかのようだ。
けれどそこに宿る威圧感は紛れもなく本物のバケモノで。
ミカゲが名前まで知っているのは、その中の二体のみ。
一つはシマ北西部の入江にある離れ小島とシマを結ぶ禁足区――【一本橋】に定着する禁忌の菌類。
恐らくキノコがモチーフであるシマモノ、【
もう一つはなぜか禁足区を飛び出して森林区を徘徊している、接触厳禁の不気味な直方体。
薄型の直方体。歩く壁のシマモノ、【
その外見から『白いシマモノ』と呼ばれているが、セイバーズの機密資料においては【原初のシマモノ】と記録されている。
呪いによって生まれる黒いシマモノとは異なる、このシマ本来の住人たち。
シマ固有の在来種。
この地において、全ての権限を有するモノ――という意味で、そう記されているらしい。
(動けん……どうしようもない。どうしようもなく詰んでいる)
ずっと隙を伺っていたミカゲだったが、とうとう諦め、脱力した。
原初のシマモノはゴールド級セイバーどころか、そもそも人間の手に負える存在ではないのだ。
プラチナ級なら生きて逃げ切ることはできるかも知れないが、戦って勝つのは不可能ではないかとも言われている。
(出し抜かれたと言ったな、ウロノス)
これはもはやそんな段階ですらない。
既にチェックメイトなのではないのか。
おまえの挑もうとしていたゲームは、始まった時にはもう、終わっていたのではないのか――
ミカゲはウロノスを睨みながら心の中で悪態をつく。
観覧席なるコーナーに案内され、用意された椅子に座らされている彼にとって、やれることはそれくらいしかなかった。
ユハビィはあくまでも温厚に、どうぞ座って下さい、後で飲み物をご用意しますね――などという態度だったが。
原初のシマモノ数体に囲まれた状態でそんなことを言われても、遠回しな脅迫としか思えない。
動いたら殺す。
騒いだら殺す。
逆らったら殺す。
暗にそう言っているとしか。
そしてそれは単なる脅しではなく。
原初のシマモノには、それを実現するだけの力が、本当にある。
「――ユハ子。私達はこれからどうなる。やはり死ぬのか?」
まぁ、それはそれとして。そんなことでいちいち怯えて言葉を選んだりするような性格ではないミカゲは、同じく観覧席に座っている本日の標的だった少女――ユハビィにそう訪ねてみた。
するとユハビィは元々丸い目をさらに丸くして、首を傾げて答える。
「いや、むしろ殺されるのはワタシの方だと思ってた――というか、現在進行形でそう思っているんですけど」
あ、もちろん死ぬ気はないのでそうなったら逃げますけどね――と付け加え、彼女は中央のテーブルに向かって着席している覆面男の姿から視線を切らない。彼女の中でも未だに、ウロノスが敵になるかどうか、その答えは出ていないようだった。
「大人しく座ってくれて、ひとまず安心しました。やっぱり話し合うのは大事だと思います。例えその結果、分かり合うことができなくとも」
「……いつ知った。自分の正体を」
「……いつだと思います?」
含みのある質問返し。恐らくこちらの想定よりも遥かに前から、彼女には自覚があったのだろうと、ミカゲは察する。
と、その頃にようやく、この会談の場に連行されるのを渋っていたアーティが心底嫌そうな顔をしながらテーブルの前に現れた。その隣には新たな白いシマモノ。頭部だけが赤い特徴的な姿は、ミカゲの知るセイバーズの情報と一致する。
(やれやれ
【
そんな化け物が人前に姿を見せておきながらまるで紳士のように穏やかに振る舞っているのは、にわかには信じられない光景だ。
ここに案内される際に聞いた、ユハビィが女王として原初たちを統制しているという話も、どうやら信用に値するのかも知れなかった。
「…………」
「…………」
――そして無言の対面を迎える、アーティとウロノス。
本日の主役が、一堂に会して。
「――というわけで、アーティさん。村長さん。思う存分に語らって、決着をつけちゃって下さい! ワタシとミカゲさんは、観戦席で見守っていますので!」
「「いや、どうしてこうなった???」」
状況を理解しているのは、この場をセッティングしたユハビィただ一人だけなのであった。
*
「ユハビィには悪いけど、話すことなんか別にないんだよ。オイラは――いてぇ!」
と、言って一度は素直に座ったくせにまた立ち上がって去ろうとするアーティに、ユハビィはポップコーンを投げた。
「アーティさん。状況が分かってないんですか?」
「状況……」
そう言われたので周囲を見渡すが、どこもかしこもバケモノしかいない。
覆面変態男はともかくとして、白いシマモノに至っては敵意さえ感じる。
なるほどユハビィの合図一つで皆殺しの準備が万端であるということだけは理解ができた。
随分と凶悪になったじゃないか。さすがは女王の器に選ばれただけのことはある。自分がどういう存在なのかを、正しく理解しているようだった。
「安心したぜユハ子。今のおまえならどこに行ってもやっていけるよ」
「何を言ってるのか全然分かんないんですけど。いいですかアーティさん、よく聞いて下さいね!?」
「はい」
「これはワタシの、生きるか死ぬかの大事な局面なんですよ!! アーティさんの出方次第でワタシがウロノスさんに殺されてしまうかどうかが決まると言っても過言ではないのです! もっと! 真面目にやってくれなきゃ困ります!! 聞いてるんですかこの冷血爬虫類!!」
「はい、聞いてますごめんなさい……」
ものすごい剣幕で怒鳴られ、思わず謝ってしまう。
そんな彼の姿は山小屋暮らしをしていた頃には特に珍しくもなかったりするのだが、ウロノスとミカゲからすれば、とても意外なものだった。
あのアーティが。
傍若無人の朴念仁が。
こともあろうに、年端も行かない少女の姦しい声に萎縮して謝罪の言葉を口にするなんて。
「アーティさん、その気になれば
「まぁ。うん。そうね。そうです……」
「――そこ! 笑ってる場合じゃないですよウロノスさん!!!」
「はいッ!」
「ぶふっ」
図星だった。
実際アーティが詰られる姿を覆面の下でニヤニヤしながら眺めていた。
覆面をしているからバレるわけがないと思っていたところ唐突に矛先を向けられ、思わず数十年ぶりの良い返事をしてしまったウロノスの醜態に、今度は観覧席のミカゲが吹き出す。まともな性格をした大人は、残念ながらここには一人もいない。
「わ、笑ってねーよ」
「嘘おっしゃい!! 分かってますよその覆面の下でずーっと薄ら笑ってたことくらい! え? 嘘でしょ? まさか覆面してたらバレないとか思ってたりするんですか? どんだけ甘やかされて来たんです? ちょっと愚かが過ぎやしませんか? 普通に分かりますけど! あの、もしかしてバカにしてます? さすがに怒る時は怒りますよワタシだってッ!!」
「もう怒ってるじゃねーか言い過ぎだぞ馬鹿。俺だって傷ついて涙する夜もあるって言われてるんだぜ?」
「はーーーー!? まだ全然怒ってませんけど。ワタシを怒らせたら大したもんですけど!? 面白い寝言を言わないで下さいさては寝てるんですか!? 起きろこの変態覆面男!!」
「キレッキレじゃねーか……」
原初に囲まれている手前、そこまで言われてもウロノスとて強くは出られない。
惨たらしく死にたくなければ大人しくこの謎の座談会に興じるしかないのである。
と、そこへ
湯呑を覗き込むと、光を吸い込むドス黒い色をした飲み物が湯気を立てていた。
これが原初流のおもてなしというわけか……。
恐らく命に関わる何かを試されているのかも知れない。
「あ、コーヒーですそれ」
「湯呑にコーヒーを注ぐんじゃねぇ」
「アーティさんもどうぞ」
「どうも」
お茶(コーヒー)と茶菓子は観覧席にも配られ、原初たちも含めてみんなで一服。
それから改めてユハビィの仕切りにより、第一回シマ会談が開幕したのであった。
議題は――
“ワタシやっぱり死んだ方がいいですか?”
*
「――俺のことを恨んでるんだろ」
ウロノスは不意にそう切り出した。
会談が始まっても誰も何も話そうとしないので、仕方なく最近の趣味についてユハビィがお喋りし始め、次第に世界平和や宇宙の真理にまで話が広がりつつあった頃のことである。
ちなみにこんなにも中身のない話を無限に続けられるやつがこの世にいるのか、とウロノスは内心本気で頭を抱えたし、観覧席のミカゲに至っては完全に眠っていた。凄い度胸だった。
一方、ユハビィの話に中身がないのはいつものことなので、アーティはいつも通りBGM感覚で適当に聞いたり聞いてなかったりした。2:8くらいで。つまりほぼ聞いてなかった。
「はい? 別に恨んでませんよウロノスさん? 何なんですか急に。それよりワタシがこの先の人生の中でいつか盆栽のプロで食べていくかも知れないっていう話の続きなんですけど」
「いやちょっともうマジで黙って。おまえのことじゃねーよ。何だこの座談会? 主役が入れ替わってんだろ完全に。手段と目的を履き違うな」
「え? ……。あっ……、そ、そうでした。どうぞどうぞ続けて下さい!」
「この知性の欠片もない流れに続かされる俺の気持ちも考えろ。……ったく」
茶菓子を放り込んで、一呼吸。
――それにしてもあの覆面、どこから食べ物が口に入っていくのだろうか。ずっと見ていたユハビィにさえ、その真相は未だに分からない。
まさか覆面と見せかけて本当にそういう顔なのだろうか……。
それについて興味本位で訊ねてみたかったが、流石に二度も三度も話の腰を折るのは申し訳ないかと思い、自重するユハビィだった。
少しの間を置いて、ウロノスは改めてアーティに向けて告げる。
それは彼らにとって最も重要な、本当は、他のどんな会話よりも先に確認すべき言葉だった。
「――恨んでるよな。俺のことを。何せおまえの大事な大事なアトリィを殺したのは、この俺なんだからな」
かつてウロノスは、アーティにとって一番大事だった人を殺した。
だから彼は恨まれていて、こうして話し合う場にあってもずっと、睨まれている。
今更、誰に確認するまでもない、そんな当たり前のことを。
アーティは一瞬、奥歯を噛み締めてから。
「当たり前だ」と、答えようとした――その時。
「あ
「はい、ダウトー!」
*
「「「え???」」」
三人のリアクションが被った。
アーティも、眠っていたと思われていたミカゲも、そしてウロノスもきっとその覆面の下で、一様に同じ顔をしていた。中でも一番驚いていたのはアーティだった。
だって、彼は。
アトリィはウロノスが殺したということを、ずっと信じて。
そして――だからウロノスを、ずっと憎み続けてきた。
「何、言ってんだ、ユハビィ」
「嘘はよくないですよウロノスさん。ワタシは、ちゃんとみんなで話し合うために、この場を作ったんですから。今はそういうのはいいんです」
……それが、嘘……?
「どういう、ことだよ……」
それが、嘘、だとしたら、この数年間は。
「……どういうことだッ、
この数年間は――何だったのだ。
そんな下らない嘘に踊らされて、山小屋に引きこもって、ぐるぐると、腹の底に怨嗟の念を抱えたまま過ごしてきた今日までの時間は――いったい、何だったと言うのだ……!
認めない。認めない。そんなの認められるはずがない。
――アトリィを殺したのはウロノスだ。
もう、事実なんてどうだっていい!
そうでなければ許されない……ッ!
「アーティさん。ウロノスさんは、ヒトを殺したことなんかありませんよ。きっと今日まで一度も。恐らくシマに流れ着く前でさえも」
「……何で、…………そう言える」
「そう視えるから、とワタシが言ったら。どれくらいの意味がありますかね?」
一度、ユハビィは空色の瞳を閉じて。
再び開いて見せた時。そこには赤い光が宿っていた。
それはまるで一つ上の階層から世界を俯瞰するかのような、底の知れない不気味さがあって。もしもこれがユハビィの姿でなかったなら、間違いなく、もっと危険な存在であるかのように感じられたはずだった。
……視えているのだ。
その赤い瞳には、この世ならざるモノの
また目を閉じると、次に開いた時にはもう、いつもの空色の綺麗な瞳に戻っていた。けれどそれはきっと表面的な問題で。彼女に視えている世界は何も変わってはいないのだろう。どことなく、そういう憂いのようなものが感じられることにアーティは気付く。
これが、器の力なのか。
……いや、そんな力まで備わっていたなんて、アーティも知らない。
そもそもこのシマの中に、【女王の器】が何なのかを正確に説明出来る者など存在しないのだ。それは女王本人を含めてさえも同じこと。己の正体など、誰にも説明できない。
「ヒトを殺したことがあるかどうかで言うなら、今まさに観覧席で自分は関係ありませんな顔をしているミカゲさんの方がよっぽどですよ。何十人、なんてものじゃないですよね」
「何を言うか。私はヒトなど殺したことはない。ヒトは、な」
「何をもってヒトと呼ぶのかは、ヒトそれぞれですねぇ……」
「しかし意外だな。ウロノスともあろう者が一人の人間も殺したことがないとは思いもよらなんだ。どうだ試しに一人くらい殺してみては――存外やみつきになるやも知れないぞ?」
「馬鹿にしてんのかてめぇ。人を殺さざるを得ないのは、そいつが弱いからだろうが。俺には無縁なんだよ」
「それはそう」
全くもってその通り。
ヒトがヒトを殺すのは、端的に言えば、生かしておくと手に負えないからだ。
救いようのない犯罪者。或いは自身に危害を加えてくる者。放置すれば先に自分が死ぬかも知れない――そういう存在。即ち外敵。生物としての、生命を脅かすモノ。もしくはそう錯覚させられるほどに不愉快な対象と出会ってしまった時。人間は、人間を殺すという禁断の選択肢に至ってしまう。
しかし絶対強者であるウロノスには、それがない。
何者も彼の命を脅かすことはできないし、彼を恐怖させることも決してない。
故に、敵対した者は数多あれど、彼は一度も他人の命を奪ったことはなかった。
二度と立って歩けない程の重症を負わせた回数は数多あったとしても、彼が直接人間を殺したことは、一度としてない。
それは誰も知らないはずの、紛れもない事実であった。
――ところがユハビィは怪訝な顔をする。
彼女にとってウロノスが人殺しであるかどうかはさほど問題ではなかったが、しかし他者の命を奪う理由についての価値観が、やや異なっている様子だった。
「現実から目を背けないで下さい、ウロノスさん。敵じゃなくても、殺すに足る理由はあるじゃないですか」
その瞳の奥底に、あの赤色が揺らめく。
「だって。だからアトリィさんは死ぬことになって。ウロノスさんは自分が殺しただなんて嘘をつくことになって」
まるで何かを主張したいかのように……。
「――これからワタシも、死ぬかも知れないんじゃないですか」
*
――その会合を見守っている少女がいた。
白いシマモノに囲まれながらも平然と行われる対談はそれぞれの胸中を暴き、少しずつその秘められた過去を紐解いていく。
もしかしたらその先に重要な答えが見つかるかも知れないから、少女――ロゼはその身に宿した不死鳥の権能をもって、誰にも悟られることなく、観覧席の余った椅子に腰掛けていた。
(アトリィっていうプラチナ級のセイバーがいて、それを村長が殺したってところまでは調べていたけど……嘘だったんだ)
こんな重要なイベントが発生することを知ったのは、些細な偶然からだった。
それまではこのことはおろか、ユハビィが女王の器であることさえも知らなかったくらいだ。
(ウロノスを追ってきたら、なんだか凄い大当たりを引いたわ、きっとこれは!)
ロゼが探しているのは『呪神ウグメを殺し得るほどの力を持った怪しい人物』。
なので案の定というべきか、現状ウロノスがその容疑者の筆頭であった。
特に、セイバーズ本部に忍び込んで機密文書を盗み読み、ウロノスの罪について知ってしまったことが理由としては大きい。
その情報は、『あいつは村を守るのを口実に権力を握り、何か途轍もなく悪いことをしているに違いない』『こんなの絶対にウロノスが犯人じゃん』などとロゼの思考をミスリードしてしまうのには十分で――だからここ数日、彼女はウロノスの行動を監視していたのだった。
しかし、分かったことと言えば彼が概ねいつも村にいることや、たまにゲッツ団の畑から作物を盗んで暮らしていること、呪神ヨハネが化けた謎の毛玉生物と昼間から酒盛りをしたりしていること。
そして時々ヒトツメ病院に赴いてはリシャーダ院長やアルギウス副院長と雑談を交わし、稀にセイバーズ本部に赴いては訓練所でフェルエルの戦闘訓練に付き合ったりしていること――くらい。
とりあえずダメ人間であるということだけは、疑う余地がなく。
けれど呪神を殺すなどという大仰なことができるような人物とは、到底思えなかった。
それでも不審な動きはあるし、謎も多い。だからあと少しの間は監視を続けようと、そう思っていた矢先の今日である。思わぬ収穫に、ロゼを胸を高鳴らせていた。
(来てよかったー! 村長はたぶんハズレだったけど……でも、もっと大きな魚がかかったわ……!)
アトリィを殺したというのが嘘で、ユハビィが語った通り誰も殺したことはないのなら、ウロノスはあくまでも怪しいダメ人間というだけであって、悪い人間ではないということだ。村を守るために、嫌われ者の立場さえ甘んじて引き受けている――そういう人物なのかも知れない。それならそれで何も問題はなく。だから今、一番注目すべきなのはあの少女。ユハビィだ。
(あの子が、……器。新しい、女王の……)
――ウグメによれば。
このシマに
それはおよそ百年に一度の周期で、儀式めいた手順をもって、シマの中にいるその資格を持つ者が自動的に選ばれるようになっているのだとか。資格というのはもはやお馴染みの【Law】だかなんだか、この辺りはロゼには理解の及ばない話であったが、とにかく今、女王の器が発見されたという事実が重要だ。
『――普通は女王の器に選ばれた時点で、その正体がバレるような動きはしないだろうけれど。だからどうやって探したところで、見つかることはないのだろうけれど。それでも一応、あなたの能力なら、万に一つの確率で器を見つけることができるかも知れない』
このシマの未来を救うための、ロゼに残されている時間は極めて少ない。
タイムリミットは推定あと半年もなく。刻一刻と終わりの時が迫っている。
ただし、そうなってしまう前に。
万に一つの確率で女王の器を発見し、破壊することができたなら?
(一番、欲しい、時間が手に入る……)
少なくとも今回のラヴィアの復活は不可能となり、シマを襲う災厄は一旦、百年先まで見送られる。
そうすれば犯人を見つける時間制限は、事実上、失われるのだ。
犯人はどうせシマの人間なのだから、人間に設定されている寿命というタイムリミットまで、こちらはウグメが殺されないように見張っていればいい。ただひたすら逃げ続けていれば勝てる。そういう簡単な勝負に持ち込める。ロゼの能力は、その方が得意で。だからそうなったなら、彼女の勝利はほとんど確定する。
『女王の器は仮に殺されてもすぐに次の候補者に移し替えられる。だが器というのは、封印状態にあるラヴィアが辛うじて動かせる僅かなリソースを割き、百年に一度の準備によって形作るモノ。そう何度も容易には移し替えは利かない』
つまり――
『今回は既に一度、アトリィという器が死んでいる。恐らく、次のストックはもう無いはずだ』
こちらにとって致命的なタイムリミットを、撤廃することができるのだ。
『敵じゃなくても、殺すに足る理由はある』
先程彼女が口にした言葉だが、まさにその通りだと思う。
ユハビィは決して、敵というわけではない。
それでも、彼女が生きていることで、約束された災厄が訪れるというのなら――。
ロゼの懐には常に小さなナイフが隠されている。
ほんの少しだけ、他人から気付かれにくいという特性は。
そんな刃渡りが人差し指ほどしかない刃物でさえ、容易にその目的を達成させるだろう。
観覧席を離れ、懐からナイフを取り出し、ユハビィに近付いていく。
あと少し。ほんの僅かな距離を詰めれば、この切っ先が彼女の首を貫く。
人体の、切ってはならない場所を、切断する。
いくら女王の器でも、ベースは人間だ。人間が死ぬ程度のダメージを与えれば、ちゃんと死ぬ。ウグメもそこは保証していた。
さぁ。
――心臓が、激しく脈打つ。
暑いわけでもないのに、汗が頬を伝う。
手が震える。やれ。
……当たり前だ。
これから私は人を殺すのだ。
未来のためなどと聞こえの良いことを建前にして、やるんだ、こんな年端もいかない女の子を、殺そうとしているのだ。
ロゼ――いや、リィフ。思い出せ未来の惨劇を。あの悪夢を決して呼び覚ましてはならないのだ。そのためになら、多少の犠牲など――
(耳が痛い、心臓の音が五月蝿い、しっかりしろ私……例えウグメを殺す犯人が見つかるとしても――どちらにせよこのタイムリミットだけは排除しておかなきゃいけないんだ……!)
この星を守るために。
あんな無惨な未来など決して訪れさせないために。どんな犠牲でも払うと誓ったはずだ。私は。
どんな罪でも背負っていくとそう決めて過去の世界に戻ってきたのではなかったのか。
災厄の不死鳥は、永遠の眠りにつかせなければならない。決して目を覚まさせてはならないのだ。
キリムを、ゼンカを、守り、そして未来へ送り届けることが私の――このシマの未来を守るためなのだから。
これはそのために、どうしても、本当に?、必要なこと――なのだから?
(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい――)
どれだけ謝ったって、許されない。
だけど、許されなくていい。許してくれなくて構わない。
それでも謝るけれど。謝るしかないけれど。届かない声で。
その言葉を口にし続けるけれど――どうかあなたの命を奪う私を、許さないで。
「あの。それは、たぶんやめておいた方がいいと思います、ロゼさん」
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