「致命的な思考停止」
「お姉様〜…………」
イルフェは心底嫌そうな顔をしながら、フェルエルの顔を見やる。
本当は彼女だって、敬愛するプラチナ級のセイバー様にそんな顔を向けたくはない。
しかしそうでもしなければこの状況からは逃れられないのではないかと、必死に助けを求めようとした結果がこれなのだから、誰が彼女を責められようか。
しかしフェルエルは、そんな甘えなど許さないのだった。
「はい、そんな顔してもだめー。もう決定事項だから。期待しているよイルフェ。さっさとプラチナ級になって私を手伝ってくれるのだろう?」
「それは……、確かにそう言いましたですけどぉ……うぅぅぅぅぅ……」
駄々をこねるイルフェの後ろで、ユハビィはただニコニコしていた。
イルフェに心底嫌がられていることを露ほども気にしていない。それどころか裏表なく素直な感想を顔に出す妖精族の亜人に対し、逆に好感すら抱いているようだった。
「よろしくお願いします! イルフェさん!」
「何でこいつこんな前向きなの!? いーやーだーっ! 私お姉様と一緒じゃなきゃ防衛任務行かないーっ!」
「そんな絵に描いたような駄々っ子フレーズを口走られても普通にお仕事だから無理だぞとしか……。そもそも私一緒じゃなくても、普段から任務やってるだろう?」
「そんなことないもんいつもお姉様と一緒だもん。ほら、眼を閉じればいつだってそこにはお姉様の凛々しいお姿が」
「じゃあ別に問題ないだろ、今日もよろしく頼むぞイマジナリーお姉様」
「うぇぇぇええんっ、お姉様のいじわるぅぅぅぅっ!」
――例の海産物襲撃事件から、六日ほどが経過していた。
村の復興プロジェクトの一環として実施されたセイバーズの臨時募集を利用し、入隊試験をスキップして訓練生となったユハビィは、事実上の入隊試験及び戦闘訓練を兼ねた初めての防衛任務として、シルバー級セイバーのイルフェとチームを組み、【森林区】の防衛拠点へと向かうことになったのであった。
そんな彼女らを誰にも悟られることなく追跡する、マフラーを巻いた少年が一人。
そして。
『さて、ここまではアーティ、キミの思惑通りってところかな?』
「……まぁ、……そうかな。概ね、な」
それに寄り添う、もう一人。
しかしそこに、ヒトとしての姿は、ない。
生物としての影も形もなく――それでも彼女はアーティの隣にいて。
そしてアーティと共に、物語の行く末を観測する。
彼女の名は
アーティだけにしか観測されない、秘密の友達――だった。
*
「あたし、弱いやつなんか認めないわ」
「へぇ、そうなんですか。ちなみにワタシはお茶碗に米粒を残したままごちそうさまと言うのだけは、絶対に認めないです!」
「自己紹介じゃないわよ?!」
ユハビィは一向に折れる気配を見せなかった。
こんなにも露骨に毛嫌いされているにも関わらず、である。
理由はいくつかあったが、一番大きいのは、イルフェを放っておけないと思ったから、だろう。
彼女はアーティと違って感情が表に出る分、本心も読み取りやすい。だからその他人を遠ざけようとする言動の裏側にあるものが、ユハビィには簡単に見破ることができた。
――それは、不信感だ。
イルフェの中には、他人への憎悪や恐怖が渦巻いている。
それはきっとシマに流れつくまでの彼女の人生に関係があって、今はまだ、踏み込むべき話題ではない。
けれどそれはそれとして、せめてこのシマの中でくらい、みんなで仲良くできた方がいいではないかとユハビィは思うのだ。
だから、どれだけ突き放すような態度を取られようとも、決して諦めたくはないのだった。
……まぁ、それはそれとして。
「ところでイルフェさん、実はワタシのこと、任務中の事故を装って殺そうとか思ってたりしますよね」
「ぎくッ!!!!!!」
あまりにも内心が垂れ流しのように分かりやすすぎるイルフェには、先に釘を打っておくことを忘れない。
予想通りのリアクションで答えてくれたイルフェに対し、ユハビィは思わず、笑いだしてしまうのだった。
*
「……なんでそんな笑うのよ。自分が殺されるかも知れない話で」
「いえ、そこは全然笑ってないですよ? あくまでイルフェさんが面白かったので!」
「ひどくない!?」
「ワタシを殺す計画を練っておきながら何を言い出すんですかあはは」
一頻り笑い終えた後には、イルフェも観念したように、ユハビィを突き放そうとするのはやめていた。
ほとんど心を読まれたにも等しい物言いをされ、抵抗することの無意味さを理解したからだった。
「……ねぇ。あたしってそんなに分かりやすい?」
「――って、いつもみんなから言われてるんですよね、分かります」
「そこまでなの!? そこまでヤバいのあたし!?」
「いやもうヤバいなんてもんじゃないですよ。獣人さんじゃないのに、尻尾が見えるレベルです。フェルエルさんが近くにいた時なんかもう千切れ飛ぶのかってくらいブンブン振ってましたよね、尻尾」
「ないわよ尻尾なんか!! あるかっ!」
「あははははは」
笑うユハビィを前に、イルフェは大きなため息をつく。
まさか自分がそんなに分かりやすいタイプだったなんて、ということよりも、それをこんなよく知らない新入りに指摘されてしまった事実の方が若干ショックだった。
「はぁ……。情けないわ……あたしはあたしが情けない……」
「いやいや、全然情けなくなんかないですよイルフェさん」
ユハビィは、落ち込む顔を覗き込んで明るく言い放つ。
「ワタシはイルフェさんみたいな人、かっこよくて好きですよ☆」
それはあまりにも屈託のない笑顔だった。
皮肉っぽさは一切感じられず、本心からそう思っているのだということが伝わってくる。
他人からここまで真っすぐな好意を向けられたことなんか、今まで一度たりともない。
動揺したイルフェは思わず顔を背け、唇を噛んだ。
(やだ……どうしよう、何これ……)
――先程本人に見抜かれた通り、「ユハビィは防衛任務中に不慮の事故で死にました」と報告する計画が、割と本当に彼女の脳内には存在していた。
何なら、どうすれば証拠を残さずシマモノの仕業にでき、そしてフェルエルからの信頼を損なわずに済むのかという二つの問題を解決する素晴らしいアイディアが唐突に降りて来てでもしてくれたなら、すぐにでも実行に移す気満々だった。
しかし今、そんなドス黒い心境とは全く異なる気持ちが、イルフェの中に芽生えつつあった。
それは今日までの人生の中で一度たりとも、あのフェルエルに対してすら感じたことのないもので――だからイルフェ本人にさえ、それが何なのか、皆目理解もつかない。
(あたし、マジでこいつのことぶっ殺そうとか考えてたのに……っ、あたしとお姉様の間に割り込んでこようとする羽虫くらいにしか、思ってなかったはずなのにっ……!)
明確な、殺意とは真逆の感情。
弱いやつなんて、認めないつもりだったのに――
「あ、イルフェさん! シマモノです! どうしましょう?」
「どっ、どうするって、そんなの決まってるでしょ……!」
経験の浅い後輩を後ろに下げ、自ら前に出る所作はあまりにも自然。
今更吹かせる
「しっかり見て覚えなさい、シマモノとの戦い方ってやつを!」
「はぁい☆」
普段の防衛任務の時よりも軽快な動きで、彼女は二足獣型シマモノの屈強なフィジカルに、果敢に挑んでいくのだった。
*
(いやっ、無理っ、つっよ……!!)
――シマモノが大地に沈んで動かなくなったのは、数分に及ぶ死闘の後だった。
本当は今すぐ肩で息をしながら座り込みたいところであったが、ユハビィの手前、「全然余裕でしたけど?」な態度は一切崩せない。
何でこんなに強がらなくてはならないのだろう。
冷静に考えると自分でもわけの分からないことをしている自覚は湧くのだが、今更やめられるものではなく、渋々強がりを続けるしかないのだった。
(まぁ、強がり云々は置いといて、……今は、コイツよね)
イルフェはまだシルバー級だが、実質ゴールド級に匹敵する実力は有している。これは彼女が勝手に自認しているのではなく、フェルエルや他の上位セイバーらも認めるところではある。
それがここまで苦戦するシマモノなど、このような【居住区】にほど近いエリアに現れていいものではない。
倒したシマモノの死骸を見下ろしながら彼女は、先日からの異変がまだ終わっていないことを理解する。
……そもそも何が正常で何が異常なのかを正しく判断できるほど、シマのシステムに精通しているわけではないのだが。
(これ、私じゃなかったら死んでたんじゃないの? いやでも私が単独で倒せたんだから、他のシルバー級でも群れれば負けたりは……いやいや、だからってこんなのと連戦なんかしたらいつものシフトじゃスタミナ保たないってば!)
「さっすがイルフェさん! こんな強そうなシマモノも倒しちゃうなんてすごいです!」
「ま、まぁね! 当然でしょ、今はシルバー級だけど、実力だけならほとんどゴールド級と変わらないんだから!」
――強がってそれを口にしてしまうと、尚更思う。
だからこそ問題なのだ、と。
ゴールド級が単騎で苦戦するシマモノなど、もはや【禁足区】クラスだ。
イルフェはまだ禁足区のシマモノと対峙したことはなかったが、話だけは聞いている。
通常黒いはずのシマモノは、禁足区という危険地帯では徐々に赤みを帯び始め、完全に赤い個体になれば、その戦闘性能は単体でも都市一つを壊滅させるに足るという。
しかしそれらは海底のシマモノ同様、禁足区に隔離された存在であり、居住区どころか森林区にすら現れることは有り得ない。
それが今までの常識だ。
絶対にそうだという確証があったわけではないが、長年蓄積された経験による、漠然とした現実なのだ。
そしてたった今、その常識は脆くも崩れ去った。このことを一刻も早く、報告しなければならない。このままでは村の防衛体制は、あまりにも不十分なのだと。
(……伝えてどうなるの? 足りないのよ、根本的に人材が……っ)
「……イルフェさん?」
「何でもないわ。さて、と――」
同じシマモノと再び遭遇したら、恐らく次は勝てない。
あとほんの少しくらいなら戦うことは出来るだろう。けれどシマモノが倒れるよりも、こちらの
流石にそんな無様を晒す前には帰る――が。
(ユハビィは、帰れないのよね、まだ……)
セイバーに支給されている帰還用の魔導具は……臨時入隊であるユハビィには、まだ与えられていなかった。
理由は単純で、在庫が無いから。
ならば予備にでも作っておけという話なのだが――このシマの中ではそれも難しい。
何故ならシマの中において人間に採掘可能な鉱石など、量も少なければ、品質も劣悪。通常であればおおよそ魔導具制作に使えるものではないのである。
そんな、ほぼほぼ都市部であれば見向きもされないようなゴミクズ雑魚石を、ヒトツメ病院とかいう神器と連動させられる水準まで加工可能な技術開発部の連中が飛び抜けた変態なのであって――本当ならこんな便利な魔導具の開発に辿り着くことすらなかったはずなのだ。
だから、臨時に加入した新入りにまで行き届いていないことに、文句など言えないことは分かっている。
……分かってはいるのだけれど。
それでも他にどうにか手はなかったのかと、思わずにはいられなかった。それは。
(……そうか。あたし、今、こいつを死なせたくないって思ってるんだ……)
弱いやつなんか守ったってロクなことにならないのは、分かってるはずなのに……。
この初めてまともに向き合った後輩を、死なせたくないと思う自分がいた。
そいつはじっとこちらを見つめていて。少しでもユハビィを見捨てようなどと考えると、途端に悲しそうな目をするのだ。
(分かってるわよ。見捨てない。ちゃんと無事に帰すから)
そんな目で訴えかけられなくたって、そもそも既にユハビィだけでなく自分の身も危険なのだ。
任務を放棄してでも、本部への帰還が最優先事項。
さっさと撤退して情報を伝え、指示を仰ぐのが合理的である。と、いうわけで。
「――ホントなら次のセイバーと交代する時にまとめて持って帰るんだけど、流石にこのサイズはまとめられないわね。せっかくだから回収作業もここで経験しておきなさい」
「はーい☆」
などとでまかせを言い、自然な流れで本部への帰還に目的を変更する。
実際は倒したシマモノは回収専門の部隊が後で勝手に回収してくれるので、戦闘員の仕事ではない。
「ロープ、持ってきてる? このサイズはちょっと予想してなかったからあたしのじゃ足りないかも」
「はいっ! バッチリです! 今出しますね」
「おっけ。んじゃあたしは頭側やるから、あんたは」
このロープも普通に便利だから携帯しているだけであって、シマモノ回収用などという用途のアイテムではなかった。
何も知らないユハビィは当然、疑問に思う余地もなくロープを準備し始める。実に完璧な流れだ。我ながら天才ね――と悦に入るイルフェの脳内には、当初ユハビィを抹殺する闇の計画があったことなどはもう、微塵も残ってはいないのだった。
これでスムーズに帰還できそうだ、と安堵しかけた時だった。
倒したシマモノにロープをかけようと、ユハビィがその黒い外骨格に触れた瞬間。もう動くはずのないシマモノの体が、ぴくりと反応を示す。
「――離れてッ!!」
弾かれたように飛び出すイルフェの眼の前で、蘇ったシマモノが跳躍する。
まだそんな元気が残っていたのか?
いや、或いは死んだフリを?
獣型なら、そういう生態があったのかも知れない。
基本的にシマモノは無から生まれるのではなく、黒い外骨格に包み込まれるベースとなる生物が存在する。その行動には元となった生物の特徴が強く反映され、例えば概ね草食獣よりも肉食獣の方が戦闘性能が高かったりする。
今戦ったシマモノは、恐らく元々は熊のような獣だったはずだ。馬鹿みたいな膂力と見掛けの鈍重さを裏切る機敏な動きはいかにもそれっぽいとイルフェは思った。
熊が死んだフリなどするだろうか?
聞いたことがない。逆だろう、普通。熊に出会ったら死んだフリをするのだ。まぁ、それで助かるかどうかは知らないけれど。
(――いやいや、何を馬鹿なっ、この私がシマモノの検死を誤るわけない! ちゃんと殺した! その呪殻の奥の、壊れたらダメな臓器を片っ端からぶっ壊した! 切られちゃダメな血管だって何本も!!)
イルフェの戦闘スタイルは、ゴールド級セイバーであるケンゴのそれに近い。
彼と同様、戦士としての一線を超え、魔法と格闘を巧みに両立している。
それを可能とするのが、妖精族の亜人としての、先天的な
魔力操作に優れる妖精族は、身体能力を鍛えることが容易ではない反面、それでも上手く鍛え上げれば超一流の魔法戦士になれる素質を持つ。
生まれながらに過酷な環境を生き抜いてきた彼女は、ついに特別な魔道具を利用することなく、相反する二つの技能を束ね、より高次元の能力へと昇華した。それは外の世界においてはあまりにも絶大かつ規格外の能力で、だからこそ彼女はこんなちっぽけな孤島の住民など、一人で十分殲滅可能である――などと思い上がっていたのだがそれはさておき。
彼女の武器は、振るう刃の当たり判定を魔力によって伸縮させる拡張斬撃と、
それらが実現する高水準の攻防バランスと機動力は、決してシルバー級に収まるものではない。
その彼女が、呪殻をも貫通する拡張斬撃によって数多の急所を貫き、自らの手で絶命させたと主張するのだから、それはきっと間違いではないのだ。
何かが間違っているのだとしたら、この死んだはずのシマモノが再び元気を取り戻して暴れ出したことの方が、よっぽどの間違いである。
「ごぉぉああぁぁぁああああ!!」
「!!!!」
先端に鋭い爪を備える剛腕が狙ったのは、すぐ近くにいたユハビィではなく、慌ててその間合いに飛び込んだイルフェの方だった。
一瞬。
本当にごく短い刹那の狭間で、イルフェの思考は停止した。
――意味が、分からない。
普通、シマモノは一番近い人間を襲う。
だからこの場合狙われるのはユハビィの方で、だからあたしは彼女を救うためにこうやって飛び出したのではなかったのか。
実際ほらシマモノの真下にはまだ突然の出来事で行動が追いついてないユハビィが固まっている。そっちの方が絶対に近いハズ――否。
今、考えていいのはそこではない。現実に目の前に迫ってくる死の概念を対処する、それ以外のことなど決して考えてはいけないものだった。
致命的な思考停止。
シマモノとの戦闘における禁忌。
絶対にやってはならないと、あの覆面変態男から常々言われ続けてきた失態――既に目の前まで迫っていた鋭い爪は、イルフェの判断力を完全に追い越していて。
……故に、それは純粋な生存本能だったと言っていい。
死と隣り合わせの日常を過ごしてきた彼女だからこそ成し得た、無意識による防衛行動。何もしなければその振り下ろされた剛腕と地面の間に挟まって、骨も内蔵も何もかも破壊されて即死していたはずだった。そんな不意打ちに対し、本当にギリギリのところで回避行動が間に合って――
「……ッッ、あぁぁっ、ぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあああああああああッッ」
――辛うじて命の代償は、その右腕だけで済んだのだった。
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