「エンディングⅠ:すべての終わる日に」


「もうやめろッ、ユミール……! 目を、覚ませ……っ!!」



 ――ゼンカが、叫ぶ。

 その身体は、右腕を吹き飛ばされ、人間だったなら立ち上がることなど出来ない程に傷ついていた。

 それでも悪魔病の特殊な魔素により強化された肉体は、ヒトのそれを凌駕し、彼をその場に踏み止まらせる。


 アディスは――ユミールの攻撃を受け、彼方の岩壁に叩きつけられてから、ピクリとも動かない。

 一撃だった。あのアディス程の実力者が、瞬きほどの刹那の隙を与えただけで、なすすべなくはね飛ばされてしまった。

 キリムがその血の力を分け与え、蘇生を試みてはいるものの……どういうわけか、随分ともたついている様子だった。


「ユミール! 家に、帰ろうッ、ユミールッッ……!!」


 必死に呼び掛けるが――その、かつてユミールという名前だった少女は、まるで言葉が通じていないかのように薄ら笑いを浮かべたまま、表情を全く変えてはくれない。

 意思疎通が、できない。

 あれはもう、……ユミールでは、……ない。


 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

 いったい彼女の身に何が起きてしまったというのか。

 に映るユミールの姿は、無数の亡魂に取り憑かれ、さながら死霊の王のような風格を放っている。


 その亡魂たちが呻くのだ。

 声なき声で、何かを必死に、叫んでいるのだ。

 なのにその言葉は全く聞こえてくることはなくて――

 代わりに周囲の景色が、それに応じて歪んでいく…………。

 木々が、大地が、空の色が――このシマの全てが亡者たちの心を映す鏡となったかのように、歪み、歪み、歪み――心を、締め付けてくる。


「……俺の声が、聞こえねぇのかよ……くそったれ……ッ、うぉぉぉおおおおおッ!!」


 ――ゼンカは悪魔病という特異体質により、通常の人間では相反してしまう魔力と膂力を、完璧に両立する。

 体の表面は人間の形を保ちながらも、並大抵のダメージでは怯むことが無い悪魔の如き耐久力を誇り、さらに魔法使いの如き練度の魔技が使用できる。

 言わば魔人。

 彼の戦い方は、まさしく古来より人々の脅威であった魔族の……魔王のそれなのだ。

 欠けた右腕を、迸る青き魔素の魔剣精製リヴァーシェで再構成する。

 無論、そんなものは一時的な応急処置だ。治ったわけではない。いくら体の内側が魔族めいているとはいえ、元は人間。これほどの深手を完全に治すには、やはりキリムの力が不可欠。彼女が戻るまでは、これで耐えるしかない。


「どこの、誰だか知らんけど……うちの子を返してもらうぞ…………ッッ!!」




 *




「――やぁ、ゴショガワラさん。今日も精が出ますなぁ」

「どうもどうも。いやー、馬鹿村長にぶっ壊された畑も、ようやく元に戻って来たとこですよ」

「そいたらまた新鮮な野菜、楽しみにしとりますわぁ。村の方では最近どうにも、作物の育ちが悪いーて問題になっとりましてなぁ……」

「へぇ……? そりゃまた大変だ」


 つい半月ほど前からだったろうか、と――村でゴショガワラに声を掛けた商店のおやっさんは顎髭を触りながら思い出すように言う。

 村の各地で、畑で元気に育っていたはずの作物が、急に栄養を何処かに吸われているみたいに弱り始めてしまったのだという。

 慌てて収穫して保存した分は問題なかったのだが、植えっ放しにしていた作物はついにほぼ全滅してしまったところもあるのだとか。


「川の水に変なの混ざっちまったんかねぇ。シマモノにも、色んなのがおるらしいし」

「うーん……それはほっとけないなぁ。よし、俺が様子見て来ますよ。川の水はうちにとっても生命線だ。他人ごとじゃないですからね」

「おお、そいつは助かります。よろしくお願いしますわぁ」

「ふっふっふ。困った時は何でも、このゴショガワラ率いる『ゲッツ団』にお任せあれ!」




 *



「――あら。今日はなんだか、雑草が多いのだわ?」


 フェルエルとの激闘の痕跡もすっかり残っていない庭先にて、魔女ミリエは首を傾げた。

 そういえば、もう用が済んだので、翼の眷属たちはキリムに返してしまったのだっけ。

 普段はインフィニティが庭掃除を担当してくれていたが、彼女がいなくなるだけでこんなことになってしまうとは――と、緑の絨毯が完成しつつある庭を眺めながら、ミリエは肩をすくめるのだった。


「うーん……ま、いっか。あって困るものでもないのだわ」



 *



 ――孤児院に、一人のセイバーが滞在していた。

 理由は、孤児院の管理をしている二人――ゼンカとキリムが、一週間前から帰ってこないからだった。仕方ないので代わりに子供たちの面倒を見ることになったセイバーが、交代で数名、そこに人員を割くことになっていた。


 今日来ていたのは、ゼンカの友人であるケンゴだった。

 金髪ピアスのヤンキー面だが、中身が熱血で気さくなアホであることは子供たちもみんな知っていたので、誰も怖がりはしなかった。人を中身で判断するのは良いことであると、彼は内心ゼンカの教育方針を評価しつつ――


「……バカヤロー。……どこ行きやがった……」



 消えたのは、二人だけではない。

 岩壁方面に停泊している冒険者一行のリーダー、確かアディスとかいう男も一緒にいなくなったらしい。その妹分である可愛い女の子が必死に手がかりを求めていたのを見掛けた時は、心が痛くなった。どいつもこいつも。


 …………村で。

 いや、このシマで。

 何かが、起き始めている。

 ケンゴは何となく、そう感じていた。

 表向きはいつも通りの時間が流れているようで――だけどこのシマでの生活を支えている足元にある何かが、少しずつ壊れている。そんな漠然とした予感があった。


 何かが、……始まる。

 いや。

 もしかしたら…………のでは、ないのかも知れない。



 *



「ウロノス……!」


 本部を後にしようとする覆面男を、本部長アイネが背後から呼び止める。

 しかし。

 呼び止めたはいいものの……それ以上、言葉は出ない。

 このシマでこれから起きようとしていること。それが何なのかはまだ分からないが、少なくともその結果として村がどのような結末を迎えることになるのかを知っている、数少ない人間だから。アイネはもう、何も言えなかった。


「……そんな泣きそうな顔するな。アトリィが見たら笑うぜ」

「だって、……だって、もう、……これで……」


 ――ここまで来たのに。

 これからだったのに。

 こんなところで。

 どうして。

 なんで。

 嫌だ。こんなの。

 認めたくない……認められない……!


「……嫌だよう、ウロノス……ここで終わりなんて、私、私はっ……」

「――ったく、ガキかよ。我儘言ってんじゃねぇぞタコ助。死ぬほど安心しとけ、俺様はいつだって無敵で最強だろうが。今回も、サクッと勝って来てやっからよ」


 腰に差した刀をポンと叩いてみせ、ウロノスは再びアイネに背を向ける。

 そして、もう二度と振り返ることはない。二度と二人が、顔を合わせることはない。









「終わりはいつも唐突に。誰のところにも平等に訪れる。それでもキミたちは幸せなんだ。だってこの小さな箱庭の中で。仲良くみんな一緒に、その時を迎えることが出来るのだから」


「見に来たのか、俺様がラスボスを派手にブッ倒す瞬間を」


「見に来たよ。僕らの神が降臨する瞬間を」


「しっかり見とけよ、ヨハネ」


「しっかり見てるさ。我が友よ」




 *



「アイネ様…………」


 ――ウロノスを見送り、立ち尽くす彼女の姿を。

 執務室の窓から見下ろしていたのは、彼女にずっと仕えて来た青年、イーベルだった。


 セイバーズとしての仕事は、今日で最後だ。

 全てを終わらせる日が来た。

 もう二度と誰にもあなたを悲しませはしない。

 僕が――あなたの笑顔を、きっと取り戻して見せる。


「――行くぞ。作戦を開始する」


 眼下の、大切な人に背を向けて、イーベルは闇に眼を向ける。

 そこに一人の人物が立っていた。


「おっけー、ベルくん。それじゃあ、始めよっか。

「あぁ。呪いの因果は、僕らの手で破壊する…………!」


 呪神は、殺す。

 一匹、残らず……。


 そして――このシマに訪れる惨禍を、必ず生き残ってみせる。

 たとえこのシマの人間の何人が犠牲になろうとも……アイネさえ生きていてくれるなら――


 それはイーベルにとっての、勝利なのだ。




 *




「――あーもう! どうなってんスか、これぇ……ミカゲさーん! こっちのもダメッスー!」

「…………」


 下級セイバーを引き連れ防衛任務に当たっていたミカゲは、不可解な現象に遭遇していた。

 ここはまだ居住区に近い場所で、森林区とはいえ通常、シマモノの発生頻度は高くはない。それがこの任務中だけで既に十体以上。単純な遭遇率の増加だけでも、良くない兆候なのだが……今日はそれだけではなかった。

 他のセイバーが討伐したシマモノの死体を覗き込む。

 ミカゲの目に映ったのは、真っ黒に変色し、腐敗した肉の塊だった。


「うへぇ……これ、さすがに食べられないッスよねぇ……くっさぁ……」


 過去の記憶と照らし合わせても、倒したばかりの新鮮なシマモノがこのように内側から腐っていたことなど一度もない。というかシマモノは体の外側が黒い殻で覆われているだけで中身は普通の生物であるはずだ。中身が死んでいるのに動くなど、二十年以上シマで生きてきたミカゲの常識では考えられないことだった。


「まずいな……」

「えぇっ……食べたんスか、ミカゲさん……?」

「馬鹿を言うな。食えるわけがないだろういくら偏食家の私であろうともな。それよりシマモノが食料にならないとなると我々は明日から何を食べればいい? これは重要な食料危機になるやもしれん」

「あー、うわぁ、それは困るッスね……そういえば村の作物もダメになってるって言ってましたし……」

「それも川の水が原因だとしたら飲み物まで怪しくなるな。セイバーズの浄水設備で対応し切れればいいが……」


 セイバーズ本部には、森林区を流れる川とつながる浄水設備がある。村人の利用する飲水はそこから引いており、現在は川の調査のために断水状態になっている。一応、このような状況に備えて大量に備蓄はしているが……その総量を村人の頭数で割ると、恐らく二週間程度で底を尽くことになるだろうことをミカゲは理解していた。


(――ウロノス。貴様の言う、終わりの始まりが来たというのか)


 とりあえず、今は防衛任務を続けるしかない。

 中身の腐ったシマモノなどいくら倒しても仕方ないのだが、何よりも数が多いというのが無視できない。

 大方、他の防衛拠点も同じ状況だと考えられる。

 せめてこれから討伐するシマモノの中に、ゾンビでないものが混じっていてくれることを祈るばかりだった。



 *




「ごーしゅーじーんー……いい加減、諦めて出てくるですにゃー……」


 締め切られた扉の前を、特に猫耳などが生えているわけではないが、なぜだか猫っぽい雰囲気で話す少女が、ぱたぱたと行ったり来たりしていた。


「……うー。仕方ない。これだけは使いたくなかったですにゃ……」


 少女は何を思い立ったのか、ポーチの奥底をゴソゴソと漁り始める。やがて取り出されたのは、一冊のノートだった。


「これはご主人が、夜な夜な密かに書き溜めていた秘密のポエム……まずは第一節、空の章より、『黄金色の――」

「うぎゃあっはあぁぁぁぁぁあああああああッッッ!!!!!! やややややややややどりちゃんやどりちゃん何でそれををををををををををををッッッ!!?!?!?!?」

「やーっと出てきたですにゃ、感嘆符のうるさいご主人。そういうことするから閲覧環境次第では変な場所に改行が入ってしまうんですにゃ。ほらほら、さっさと着替えるですにゃ。そんな格好を誰かに見られたら、今度こそ村を歩けなくなるですにゃ。これが小説じゃなかったらレーティングが変わっちゃうですにゃー」

「何の話をしているのかサッパリわからないけどそこまで酷い格好はしてないよっ!!」


 「――などと主張する、ご主人と呼ばれた少女の姿は、しかし彼女の言葉とは裏腹に相当酷いものであった。何せ大事なところをたった三枚の葉っぱで隠しているだけで、事実上ほぼ全裸であるのだから……。」


「勝手な地の文を捏造しないで欲しいんだよ!?」

「大丈夫ですにゃ。やどりは、ご主人がどんな変態でも、最後までお供するですにゃ。どんな恋敵が立ちはだかっても絶対に負けないですにゃ! ご主人の純潔は、やどりが責任を持って死ぬまで守り切ってみせるですにゃ!」

「まずわたしが変態じゃないってことを強めに言っておきたいんだよね……そしてわたし誰とも恋愛とかできないんじゃないのそれは???」

「ご主人が誰かと結ばれようなんて千年早いですにゃ。こんな露出狂の痴女に相応しい男なんて現れるはずがないですにゃ」

「違うもん事故だもん!! わたし悪くないもん!! そして何やどり! わたしを部屋から引きずり出してまで心の傷を抉りたかったの!? もう嫌だよこれ以上傷つくならわたしはこの部屋の中で一生を終えるんだよ!!」

「ごめんごめんですにゃ。よしよし、ご主人は悪くない悪くない」

「うぅ〜〜……」


 ――泣いている『ご主人』の頭を撫でながら、空いた手で手際よくその服を脱がせていくやどり。そのあらわになった白い肌に――


「さっせるかぁぁぁあッッ!!」

「ぎゃふんッッ!? にゃ、にゃにをするですにゃご主人!! 今のは幻の左ハイキック……なぜ今禁じられたその技を!?」

「はー、はー、危ないところだった! させるかよぉやどり!! この白河しらかわせせらぎ! その身のどこにも安売りする場所など一つとして無いと心得よ、この痴れ者めがッ!!」

「ご主人の前世、武士か何かでいらっしゃる……!?」

「残念でしたー、前世は可愛いJKですー」


 脱がされついでに、そのまま外着へと着替える白河せせらぎ――この世界での名前は、セラ。自称、異世界からの転生者。正体不明。謎の相棒、『宿木やどりぎやどり』と共に世界を旅して回り、そして二週間ほど前にシマへと流れ着いた少女である。

 右も左も分からない中、村人たちに助けられ、何とか村の片隅に住居を構えるに至ったのがつい一昨日のことで。

 そして昨日、大入りの買い物袋を真正面に抱えながら歩いていた際、意図せずスカートの正面を思い切りめくり上げたまま村の中を歩き回ってしまったことに帰宅してから気付いたのが原因で、先程まで自室に閉じこもっていたのであった。


「大丈夫ですにゃ、ご主人。みんな何も見なかったていで接してくれるですにゃ」

「わかっているから逆につらいこともあると思うんだよわたしは。いっそイジってくれた方がまだマシだよ……。やーいやーいぱんつ丸出し女ーとか言ってくれ……そしてひと思いに殺してくれわたしを……」

「重症ですにゃ……。あ、そうだ。ならいっそ今日はもうスカートを履かずに歩き回ったらどうですにゃ? 私、そういう文化圏のヒトですが何か? みたいに堂々としていればみんなも察してくれるですにゃきっと」

「えぇきっと察してくれるでしょうね、頭のおかしい女なんだなって!!」


 ――ちゃんと服を着て、セラは外に出る。

 彼女の落ち込んだ気持ちとは裏腹に、今日もシマはいい天気――――――では、なかった。

 まるで。

 彼女の気持ちを代弁するかのように暗雲が立ち込めて。

 そして彼女が外に出てくるのを見計らったかのように、大粒の雨がぽつりと、彼女の頬で弾けるのだった。


「うわぁ。いやぁな天気ですにゃ……。なんだか背筋がぞわぞわするですにゃ」


 やどりがそう言って背中を気にしていると――不意に部屋の方から物音が。

 吃驚して二人同時に振り返ると、先程脱いで椅子に引っ掛けていた部屋着が、床にずり落ちているのが目に留まった。

 ……たったそれだけのことなのに。

 なぜだが、それがとても気になった。

 二人しかいないはずの部屋の中に、まるで……自分たち以外の誰かが、いるみたいな……

 そんな異様な感触が、じっとりと首筋に絡みついているかのように……二人はしばらく、その場を動くことができないのだった。


 そして……はすぐに訪れた。



 *



「うわっ、うわ、わ、わわわっ……!!」


 カタカタ、カタカタカタカタ――始まりはテーブルの上に置かれたコップの音で。それはすぐに、下から突き上げるような大きなものへと変化した。

 地震だ。それもかなり大きな、直下型の縦揺れ。普段、地震などほとんど起きないシマの耐震設計技術はさほど高いものではなく、簡素な木造家屋などはあっという間に屋根から崩落が始まっている。


「何これっ、どうなってんの!?」

「爆発か……? いったい何が起きてる……」


 セイバーズ本部でもそれは同時に観測され、強い揺れによって倒壊するまではいかないながらも、壁や天井に亀裂が走っていた。

 熟練の戦闘員さえ半ばパニックを起こしているのは、そもそも地震という概念を知らない者も少なくないからである。知っていても、実際に経験するのは初めてだという者が大半だった。

 揺れが収まってすぐに伝令が飛び交う。

 負傷者はいないか。

 誰が村の様子を見に動けるか。

 施設内の被害状況はどうなっているか。

 震災の経験はないが、シマモノによってそれに近い規模の攻撃を受けることは稀にある。

 今回の出来事が何に端を発するものなのかは分からないが、即座にそれと同じ対応が行われ、セイバーズ本部はにわかに慌ただしく動き始めたのだった。

 そして本部長のアイネにその旨を伝達しようと奔走していた本部職員が、最初に気付く。

 本部長補佐、セイバーズの非戦闘員のナンバー2、イーベルの姿がどこにも見えないということに。



 *



 果たして、壊滅状態という言葉は相応しいのだろうか。

 村は酷い有様だった。それは間違いない。間違いないのだが、しかし例えば建物が一つ残らず倒壊しているだとか、村中に火の手が上がり逃げ遅れた人々が全滅してしまっただとか、そういうことではない。その意味で言えば村は決して壊滅などしていなかったのである。

 駆けつけたセイバーが思わず言葉を失ったのは――そのあまりにも異様な光景を本部に正確に報告する方法が、思いつかなかったから。


 ――地面を突き破り、謎の植物が広がっていた。

 それが村全体で同様に起こっていて、建物は、地震によって崩れたのか、それとも植物によって破壊されたのか、或いはその両方なのか、区別がつかない状態になっていた。

 いいや、どちらでもいい。

 どちらにしたってこれを何とかしなければ当面この村では、屋根の下で眠ることができないということだけは確かなのだから。

 雨脚は徐々に強くなっている。現在の気候的に凍えて死ぬということはないはずだが、とにかく村人を救出して、早急に屋根のあるところへ避難させなければ。


「――っと、そうだ、ヒトツメ病院!」


 村外れにある診療所、ヒトツメ病院。そこは大丈夫だろうか。並の建造物よりは可能な限り強固に作ってあるらしいが、前代未聞の災害である。

 ……もし、万が一にでも、この揺れによって病院が倒壊し――院長のリシャーダが命を落としているなんてことになっていたら……。


「……っ、冗談じゃない……!!」


 セイバーが安全に命を賭けて戦えるのは、リシャーダがいるからだ。

 彼女の持つ神器の加護があるから、彼らは森林区で戦うことができるのだ。

 ――という詳細な部分はセイバーたちも知り得ない機密事項だが、しかしヒトツメ病院がそういう重要な機能を持っているということ、そしてリシャーダという女の子が独りでその機能を支える役目を持っていることは、みんな薄々わかっていた。

 戦場で命を燃やす戦闘員たちにとって、リシャーダは導きの星であり、癒しの女神であり、憧れの人であり、高嶺の花であり、そして、希望の象徴だった。

 彼女に、もしものことがあってみろ。

 シマは瞬く間に絶望に包まれ、人類はきっと、生存競争に敗れてしまう。

 だから……そんなことは、


「ああ、……駄目だ、……そんな、そんなのってッッ……」


 あってはならない。

 絶対に、あってはならないのだ。

 そんなの絶対に、受け入れられない。


「嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だッ、うわぁぁぁぁぁぁあぁぁあぁぁあぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああッッッ」



 ――あの、診療所に不釣り合いな、不気味な大きな目玉のシンボルマークが……今はどこを探しても見当たらなくて。

 激しい揺れと、地面を突き破って出てきた数多の植物によって、既に原型を僅かにも留めていないその瓦礫の山があのヒトツメ病院だなんて。



「信じない、信じないッ、おれは信じないぞッ、あぁぁぁあッッ、違う違う違うこんなのおれの現実じゃない! これはおれの住む世界の話じゃないんだッ、こんなのは幻想、誰かが作りやがった幻に決まってるッッッ!!! 誰か、助けて、おれを、おれのいた世界に帰してくれぇぇぇええぇぇぇぇぇえッ!!」



 ――――その、まるで天へと登ろうとしているかのような植物の中でも、ひときわ大きな茎の先に。

 ……まるで、磔にされているかのように、……胸を貫かれて、……強まる雨でも未だ洗いきれない程の血を流し、絶命している少女が……



「嫌だ、嫌だッ、誰か……なんでもいいから、……誰か、なんとかして……なんとかしてくれよぉぉぉおおおぉぉぉぉぉぉおおおおッ……!!」



 とてもよく見知っている、リシャーダの顔をしていることなんて……

 彼は、最後まで、信じなかった。


 最後の、……最期まで。



 *




「マジのバケモノじゃん、キミ」


 ――ウロノスから、ヨハネと呼ばれていたあの毛玉は、今は人間と同じ姿に変わっていた。

 白い髪の、こめかみの辺りからはウグメと同じような黒い角が生えている。

 そしてその彼の目の前で村長、ウロノスは――覆面を外した姿で、刀を持って立ち尽くしていた。

 覆面の下に押し込んでいたのか、男にしては非常に長い髪で。

 彼はそれをポニーテールみたいに頭の後ろで縛ると、それはさながらどこかの国の古の剣士のような風貌に見えたのだった。


 ウロノスの足元で、シマモノではない謎の巨大な怪物が、瀕死の重傷を負って身悶えていた。……いいや、瀕死の重傷などではない。致命傷のはずだ。生物であれば確実に絶命していたであろう決定打が、幾度となく打ち込まれていたのだから。

 なのに、死なない。

 この生き物は、それでもまだ死ねない。

 そういう生き物を、ウロノスは知っていた。


「……予感は、あったんだよ。そういう規模の能力を持ったバケモノがいるってんなら、そいつはひょっとしなくても――ってな。ヨハネてめぇ。知ってて黙ってやがったな」

「だってキミならそれくらいは予測してるだろうなって思ったからね。言うのは野暮かなと思ってさ。で、どうするの。殺せない相手を。それでも死ぬと信じて、倒し続ける?」

「………………」


 ――未知なる不死鳥が、また動き出そうとしている。

 最近知り合った不死鳥キリムからの情報によれば、不死鳥の不死性は他種族から生命力を奪うことで成立する特殊能力であり、それを枯渇させれば一応、殺すことは可能であるということだ。

 しかし不死鳥は生物進化の終端。

 宇宙の終わりに神へと至る者。

 最後の瞬間までというただそれだけにおいては、他のどんな生物にも決して負けることはない。生存競争において、たとえ勝てはしなくとも、決して負けることもない生物。永遠に引き分けを続けられる、それ自体がまるで生物全体の鳥籠のような存在。それが不死鳥なのだ。

 即ち、という、最悪の鏡写し。


「……チッ。……詰みだな」


 普通、ウロノスは真剣勝負を投げたりはしない。

 どれほどの劣勢に立たされても、最期の一瞬、勝ちを意識した相手が僅かな隙を見せる可能性がコンマ数パーセントでも残っている限り諦めることはない。

 そういう決して折れることのないずば抜けた精神の強さこそが、今日こんにち、彼を最強で無敵の存在へと至らせた最大の要因であった。


 その彼が、初めて。

 真剣勝負――生きるか死ぬかの戦いの中で、初めて。

 刀を、捨てた。

 相手に何かされたでもなく、不意に手が滑ったとかでもなく――明確に自らの意思をもって、勝負を続けることを、放棄したのだった。


「……ウロノス」

「うるせー。コイツがまた動き出すまでの間くらい、タバコでも吸わせろ。……あ? くそ、火ぃつかねぇなクソ雨がよ」


 不死鳥と相対すれば誰だってそうする。

 人間が不死鳥に勝てるわけがないと諦める。

 ただ、彼の場合は少しだけ違う。

 彼は不死鳥の有する、あまりにも卑劣な最終防衛ラインまで辿り着いたのだ。それ自体が十分に誇るべきこと。ただ実力の差で勝てないといって勝負を諦めたのではない。彼は、人間が不死鳥に勝つ方法が存在しないという事実に、理論ではなく、その実力をもって実際に辿り着いたのだ。

 だから――初めて勝負を捨てたにしては、彼の表情はどこか晴れやかだった。


 『やるだけやった。』

 それは、あまり好きな言葉ではなかったが。

 なるほど今の状況に立ってみれば、それほど悪い感情ではないと思ったのだった。



「呪神なら、不死鳥も殺せんのか?」


「さぁ……どうかな。僕らにも制約は多いからね」


「戦えば負けねぇって顔はしてんな」


「――? そう? 僕が? ……そうか。そんな顔をしたのか、今。僕は……」



 ――そんな二人の最期の会話を、不死鳥はしかし、黙って見守ってなどくれはしない。

 いいや。この不死鳥には、そもそも意思などあったのだろうか。

 最初から最後まで、まるで機械か、植物のように淡々と、襲ってくるウロノスを迎撃しようとしていただけに見えた。

 その鋭い嘴が再生を終えて、ウロノスを照準する。



「あばよ悪友」


「じゃあね親友」



 それが二人の、最期に交わした言葉となった。



 *



 死。

 死だ。

 死が迫ってくる。

 このシマのどこにも、もう逃げ場なんてない。


 地中から現れる謎の植物は明確な意思をもっているかのように人間を襲う。

 空を飛べない人間なんて、どこに隠れても無駄。

 立ち止まればすぐさま足首を掴まれ、ゲームオーバー。

 非情の終末。終わりの始まり。ほんの数分の間に、悲鳴も嗚咽も、何も聞こえなくなった。静まり返った村は、昨日までの光景が思い出せないくらい村人たちの流した血で真っ赤に染まっていて、この世の地獄が具現化されているかのよう。


 ――ただ素敵な恋がしたい。

 それくらいのささやかな夢はきっともう叶わない。

 やどりが、命を捨てて逃してくれなければ、今頃はもう植物の餌食になっていた。

 息を切らせながら、それでも賢明に走る。目指すは玄関口。シマの唯一の入り口の砂浜。海へ出れば。とにかく陸地から離れさえすれば、生き残れるかも知れない。だから走って、振り返らずに逃げてと、やどりが最期にそう叫んだ声が耳から離れない。


「はぁっ、はぁっ……はぁっ、うっ、ぐ、えぐっ……やどり、やどりぃっ……!」


 泣きながら、それでも足は止めない。

 せめて生き残ること。それだけが、やどりの想いに報いる唯一の方法だから。

 崖みたいな坂道をほとんど転がるような格好で滑り落ちて――砂浜に辿り着くと、そこには謎の植物群の姿は無かった。

 まだここまで侵食されていないだけか、それとも海水が染みた砂浜には流石に生えてこられないのか――どちらにせよ海へ逃れるチャンスだった。


 ……波打ち際までやってきたところで、海の上から顔を出している人魚の存在に気がついた。


「――っ! ……えっと、……メロウ、だっけ、ウグメの仲間の……何、邪魔しに来たの……!?」


 メロウは応えない。


「……あぁ、そうか、わかった……! そういうことッ……つまり、あんたたちなんだ! 全部、あんたたちの仕業なんだッ、こうやって人間を閉じ込めてまとめて食い散らかすのが、あんたたち呪神の――」


 ――メロウは、次第に激昂するセラの言葉を受け流すように、近くの岩の方を指差す。

 いつものように馬鹿みたいな仕草はまるでせず、ただ何も言わず、岩陰の方を指し示す。


 そこに、数人乗れるかどうかの、小舟が二つ、寄り添うようにして漂っていた。


「…………何。……それに乗って、逃げろっていうの……?」


 メロウは何も言わない。


「……ふざけないでよッ、どういうつもり!? なんでわたしだけは助けるの!? これが、この悪夢がッ、あんたたちの仕業じゃないとでも言いたいわけ!? 信じられるわけないでしょこのバケモノッ!! 誰があんたたちなんか信じるのよッ、本当にあんたたちが悪者じゃないっていうなら――ッッ」


 セラは、悲痛な声で、訴える。


「やどりを、……みんなを、助けてよっ……。あんたたちの、すごい力で、なんとかしてよぉッ……」


 メロウは……その言葉に、セラと同じくらいの――或いはそれ以上の苦しげな表情を浮かべ、……何も言わず、とぷん、と、海の底へ姿を隠してしまう。

 独り残されたセラは、奥歯を噛み締めつつ、波を踏み分けて小舟に乗り込んだ。


 こんな船では大陸まで行けるわけがない。

 ウグメに阻止されるまでもなく途中で沈んでしまうだろう。

 ほんの一時、シマから避難するためだけの時間稼ぎにしかならない。

 本格的な大降りとなった雨の中、それもどこまで期待できるやら。


 激しい波が打ち寄せる割に、吸い込まれるみたいに小舟は、非力なセラの力でも簡単に岸を離れていく。ウグメが絶対に譲らない限界境界線はまだまだ先の方だが、とりあえずここまでくれば大丈夫だろう――そう思えるくらいの沖合までやってきた。


 そして振り返る。

 ほんの数日過ごしただけの不気味な島影をその目に焼き付ける。



「何なのよ、……あれは」



 ――怒りと恐怖で考えのまとまらないセラの視界に飛び込んできたのは。



「なんで、どうして今なのッ!? それと関係があるっていうの!? ねぇ、」



 百年に一度しか咲かないといわれる、花が。

 このシマの全域に分布している、世界樹の花が――



「わけわかんないよ……教えてよ、誰か……っ」



 一斉に、その花を咲かせていた。

 暗い暗い雨雲の下。

 僅かな魔素マナを放ち、ぼんやりとした黄金色に輝くそれは、あまりにも不気味で、そして……あまりにも美しい。


 不可思議な世界樹の一斉開花に目を奪われる、セラの真下で。

 ゆっくりと音もなく。

 船より遥かに巨大な深淵が、巨大な口を開けて迫る……。




 彼女は、自分が死んだことにさえ気付かない。

 何が起きたかなんて、わかるはずもない。

 それでいい。

 たぶん、それが一番、マシに終わり方だから……。






 *





 ――翌朝。


 嘘みたいに晴れ渡った最果ての孤島は、とても静かだった。


 耳をすませど、聞こえてくるのは、寄せては返す波の音。


 それから、少しずつ戻ってきた海鳥の声くらいのものだ。


 もう、ここには誰もいない。


 誰一人として、残ってはいない。


 だから、ここで何が起きたかなんて、誰にもわからない。


 あの終末の日、孤島で、誰が、何をしたのか。


 その結果、この物語がどういう未来へと結ばれたのか。


 それを知る者は、もう、いない。





 それとも。


 あなたは、知っているの?


 あなたなら――知っていたんじゃないの?





 咲き誇った世界樹は、その黄金の絶景が幻の如く、一晩で全て落ちて。


 シマはまた、百年の眠りにつく。









【エンディングⅠ:すべての終わる日に】




***************

 実績を達成しました。


◆神殺し


 物語をこのまま進行する場合、

 百年後へスキップします。


 それではまた、この場所で……

***************


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