「森の奥地へ」


 森林区では、居住区から離れるほど発生するシマモノが強くなる傾向にある。

 なので村人は原則、居住区を離れないこと。

 やむをえず森林区に立ち入る場合も、居住区から離れ過ぎないこと。


 表向きには、そういうことになっていて。

 だけど森林区の奥地へ行ってはいけない本当の理由は、ほとんどの人が、知らない。



 *



 【セイバーズ】は、シマモノの迎撃、及び狩猟を主な任務とする防衛機関である。

 本部は居住区と森林区の境目に設置され、同じように居住区の外周上にいくつかの防衛拠点を構え、そこへ配備された戦闘員セイバーが日夜交代で森林区を監視し、シマモノの脅威から居住区を守っている。


 シマにはそこそこ腕の立つ者が多く流れ着くため、不幸中の幸い、これまでシフト管理に大きな問題が起こったことはなかった。村長が遊び歩いていたり、暇なゴールド級セイバーが森を徘徊していられるのも、その他大勢のセイバーの頑張りで支えられているところが大きい。


 とはいえ人員が増えればその分余裕もできるというもの。

 なのでセイバーズへの入隊試験は、村の大広場にて定期的に開催されていたのであった。


 今日、この日も、月に一度の入隊試験日。

 大広場には最近流れ着いた者や、次の入隊試験に備え村で牙を研いでいた者など、腕に覚えのある屈強な男たちが集まっていた。

 しかし中にはまだ子供のように見える者、明らかに腰の曲がっているお爺ちゃん、果ては小さな女の子まで紛れており、状況は混沌としている。


 そんな様子を仮設テントの下で眺めている、大物が二人。


「はっはっは。今月も愉快な面子が集まったな」

「笑っている場合ですかウロノス。明らかに駄目な人はしっかり弾いて下さいね」

「たりめーだ。俺様の作った組織に、気合いや根性だけの雑魚なんざ要らねぇよ。使えねー奴は全員、地獄の底に叩き落とす」

「言い方」


 変態覆面男ウロノスの暴言紛いの言葉に、その後ろに控えていた女性――セイバーズ本部長、アイネはやれやれとため息を漏らす。

 元々セイバーズはウロノスが立ち上げた組織だが、彼は組織のシステムがある程度完成した時点で責任者の地位を他の者に引き継ぎ、その後は『戦闘員の中で一番強くて偉い奴』という意味不明な役職に収まっていた。曰く、「その方が好き勝手やれるだろ」とのこと。まごうことなきクズである。


 一方のアイネは、シマに流れ着く以前はどこぞの大国で顧問魔術師などという役職についていたそうで、魔法使いとしてかなり高位の存在である上、責任ある立場というものにも慣れていた。その辺りが決め手になり、ウロノスからの強い推薦もあって、本部長の地位に納まったのであった。



「俺は、人間は弱くてもいいんだーなんてガキみてぇな甘ったるいことを言う気はねぇ。このシマじゃあ、強くなきゃ生き残れねぇんだからな」



 欲しいのは、千人に一人の実力者。

 やがてシマに訪れる終末の時、惨劇を飛び越え大空へ羽ばたける、強き翼を持つ者だけ。

 或いは、そこまで辿り着く見込みのある雛鳥だけなのだ。



「…………。……そうですね。少なくとも。弱いことは、強くなろうとしなくてもいいことの免罪符には、ならない。私たちは、強くならなければ、生き残れない」


「――っつーわけで。いっちょ新米どもを揉んでくっかね」



 テントを離れ、ウロノスは広場の中央に設置された壇上へと上がっていく。

 そして、皆の注目を集めた、第一声は――



「全員ッッ、かかってこいやぁぁぁぁああああああああああああ!!!!!」



「スタッフッッ!! あの馬鹿を連れ戻して下さいッッ! スタッフ! スタッフぅーーーーーーーー!!!!!!!」

「無理ですよアイネ様!! 誰があんなやつ止められるんですかッッ!!」



 後に今回の入隊希望者たちは語る。

 あれはまさしく、地獄絵図だったという…………。






=================

【Result】

 入隊希望者数、七十九名

 うち合格者、十八名


 怪我人、八十四名(スタッフ含む)

=================





 *




「おまえはセイバーにはならねーんだな」

「ならないよ。だから俺らは冒険者なんだろ」


 ――青髪で長身の男の問いかけに、ゼンカはそう答えた。


「それもそうだ」


 男は笑う。

 彼の名はアディス。

 かつてシマの外で、ゼンカと共に旅をしていた冒険者である。


 国、政府、組織――そういう柵に囚われず、自由に世界を巡る風。

 それが彼の、冒険家としての理念であり信条であった。

 定義と言ってもいいかも知れない。

 冒険者ギルドを名乗る組織は世界中にあるが、彼から言わせればそういったものは全て邪道だった。

 何処かに属し、ランクだの何だので階級分けされるなど、彼の求める『自由な冒険』にはまるで必要ないのだから。……という拘りが、彼の仲間全員から受け入れられているかどうかは別として。


「どこかの組織に与して、その中で手に入る富だの名声だので満足なんかできるわけねー――だろ? アディス」

「ああ。だからこそ俺らは、広い海を渡る冒険者なんだ」

「風の向くまま気の向くままに」

「海鳥のなく声に誘われて――ってな」

「その結果二人仲良く地獄に落っこちてんだから、世話ないけどな」

「言えてらぁ。はっはっは」


 自分たちの境遇を鑑みて、二人は笑い合う。


 アディスは世界中を旅して来た。

 ありとあらゆる国の有り様を、その目で確かめて来た。

 大陸では、様々な国が所狭しと乱立し、いつ崩れるとも分からない均衡を必死に支え合っている。或いは自らそれを壊し、領地の拡大を目論むところもある。

 組織というものは、始まりはただの善意、大義であったとしても、大きくなるにつれて自らの重みに耐えかね、足元はいびつに歪み、無残にも崩れ落ちていく。そうならないために、最後は足元の問題から少しでも遠ざかろうと大きくなり続け――周囲を巻き込んで壊れていく……。

 例外はなく、そういうものであった。

 全ての国と地域で、アディスはそういうものを目にしてきた。時には崩れ落ちる歪んだ塔の瓦礫から、人々を救い出す手伝いをしたこともあった。あまりにも多くの、まるで意味も意図も見出せない人々の生き死にを目の当たりにして、正直、疲れていた。

 だから彼の冒険は常に、彼だけのものだった。それを分かち合うのは――身内の、ほんの数人だけで十分だと、胸中、そんな思いが強くあった。


「デカくなり過ぎりゃ、自重で潰れる。もしセイバーズがそれで潰れるような組織なら、逆に俺が潰してやるのもいいかもな。被害が、デカくなる前に」

「アディスが言うと冗談に聞こえないんだよな」

「フッ……割と本気でそう思ってるからな。俺は気に入ってるんだぜこのシマ。出られねーってとこを除けば、ここには俺の求める『冒険』がある。それの邪魔になるようなら、誰だろうとぶっ潰すだけだ。はっはっは」

「出たよ削岩鬼さくがんき……」


 悟ったような態度で、やれやれ系みたいな雰囲気を放っているが、実は全くそんなことはなく、割とかなり戦闘狂なアディスである。

 身の丈ほどもある双剣を振り回し、岩をも粉砕して突っ込んでいくこの化け物には、畏敬の念を込めて削岩鬼さくがんきなどという通り名がつけられ、一部の界隈(傭兵とか)ではちょっとした有名人なのであった。


「人間は相変わらず、野蛮……」


 そしてそんな二人の会話に、我が身を顧みる不死鳥の少女、キリム。


 今。この三人が足を踏み入れているのは、森林区の奥地。もうじき禁足区と呼ばれる超危険地帯に踏み入れるかどうかのところであった。


 名目は『調査』。

 本質は……『冒険』だ。



 *



「まぁ実際、セイバーズに所属しちまえばこうやって自由行動も出来なくなるもんな。流石は俺の認めた冒険者だ。こんな孤島に閉じ込められてても、そこだけは忘れちゃいなかったわけだ」


 アディスはそう言いながら行く手を遮る枝葉を大剣で切り落とし、ゼンカとキリムはその後に続く。


「【ヒトツメ病院】の【契約】だな」

「ミリエの話じゃ、魔法っていうよりも呪いに近いらしいよ」

「俺ら戦士組からしたら、魔法も呪いも何が違うのか分からんけどな」

「点と面くらい違うって言ってた」

「おまえはそれで分かるのか?」

「不死鳥からしたら、全然分かんない」

「わかんないかー。まったくかわいいなぁキリムは。よしよし」

「ほぅ……」


「唐突にイチャつくなおまえら。マジで俺が流れ着くまでに何があったんだゼンカてめぇ」

「フフフ、秘密だ」


 なんかモヤッとするアディスであった。


 さて、実のところ、森林区に立ち入ってシマモノと戦うような生活を送るのであれば、セイバーズに加入するメリットはかなり大きい。それはアディスもゼンカも分かっていることだった。

 何より最大のメリットは生命の安全だ。

 なんでもセイバーズには神器の保有者がいるようで、その神の魔法の力によって戦闘中のセイバーが瀕死の重傷を負ったりしても、速やかにヒトツメ病院の病室に転送できるようになっている、というではないか。

 細かいところは企業秘密で実際にセイバーになってみないと分からないが、話を聞くだけでも相当便利なものであることは窺える。


 ただし、その便利な魔法が常時働いているということが、二人の嫌うデメリットに直結している。即ち、セイバーは居場所が捕捉される、というルールだ。

 それによって例えば無断で禁足区へ入ろうとすると、速やかにプラチナ級へ通達され、連れ戻されてこっ酷くお説教をされるというわけだ。

 それを嫌い、アディスはセイバーズには加入しなかった。もししていれば間違いなく即戦力――それもゴールド級の上位、下手したらプラチナ級にも並び得る程の実力を持っているにも関わらず。


 アディスにはやや劣るも、同じく高い実力を持つゼンカがセイバーズに加入しなかった理由は、単に面倒な手続きを嫌ったためだった。

 彼はこのシマでキリムと慎ましやかに暮らしていければそれでいいと思っていたし、結果的に孤児院を運営している今となっては、任務のために防衛拠点に配備されるわけにもいかないからだ。

 同じように様々な理由でセイバーズに加入しない隠れた実力者は村にもいるが、あくまでそれは少数派。

 戦える者たちの大半は、己の力を示すためだったり、安定した地位や名誉のため、世の為人の為、森林区という未知の世界をより安全に歩きたいなど、色々な理由でセイバーとなる道を選んでいる。

 動機がなんであれ、それはそれで立派なことだとアディスは思っていた。


「こんな世界の常識から隔絶された場所で、それでも誰かのために尽くそうってんだから、たいそうご立派なことだとは思うよ」

「アディスは自分中心だもんな」

「おう。俺は楽しく冒険できりゃそれでいい。さっきからずっとワクワクしっ放しだぜ」

「フライアの怒る顔が目に浮かぶなぁ」

「……やめろ。今は考えたくない」


 アディスには仲間がいる。彼を含めて四人。探検隊アディス一家とかいう海賊みたいな徒党を組んでこの島にやってきた。一時、ゼンカもその一員だった時期がある。ちょっとした切欠で共同戦線をはったりした間柄だ。まさかこんな最果ての孤島で再会するなんて、夢にも思わなかった――のはゼンカの方で、アディスはむしろ、ゼンカを追って来たのだった。

 一時とはいえ共に過ごした仲間の一人が、最果ての海域に閉じ込められたなんて聞いて――大人しく自分の冒険を楽しめるほど薄情ではなかったということに一番驚いていたのは、アディス自身だったりした。


 今日、アディスが森林区の奥地に来ていることを、妹分であるフライアは知らない。彼女が他の仲間と共に村に行っている隙を突いた無断外出だった。

 なので拠点としている『大航海アディス丸(船)』に帰って来た彼女が、その壮絶なネーミングセンスを発揮したバカ船長(アディス)の姿が見えないことに気付けば、あとはもう、お察しである。恐らく晩御飯は保証されないだろう。


「もしフライアがド怒りだったら、そん時は孤児院に泊めてくれ。そして飯を作ってくれ」

「泊めるのは別にいいけど飯作りくらい手伝えよ」

「がるる。ゼンカ。私がいながら他の男を泊めるなんて許さないから」

「男はいいだろ男は」

「こないだミリエから借りた本によれば、男同士、というものもあるらしい」

「あんにゃろ……人の嫁に要らない知識植え付けやがったな……!」


 嘲り笑う魔女の顔が目に浮かんだので、脳内で砂をかけて退場させるゼンカだった。



 *




 アディスが島にやって来たのは半年ほど前のことだ。

 そして半年間、居住区に顔出しすることはあったが、基本的にはずっと船で生活していた。

 冒険の大半を海の上で過ごしてきたから、揺れていない地面が何となく落ち着かなかったのだ。

 それに、大きな船である。船内には彼らの個室も当然完備されている。大航海アディス丸は、彼らにとって足であると同時に、家でもあるのだ。

 なのでアディス一家という海賊みたいな括りも強ち冗談ではない。

 同じ家で寝食を共にする彼らには家族のような結びつきがあって、それはこの脱出不能の孤島にあっても変わることはなかった。


「フライアも、ミレーユも……ギグラはどうでもいいが、大事な家族だからな。俺の勝手な行動でこんなシマに閉じ込めちまった。その責任は、取らねーとな」


 ゼンカを追ってシマに入るのは自分だけのつもりだった。

 大航海アディス丸が無ければ、他の面々は海へは出られない。一人で出発して、ゼンカを連れ戻す――そのつもりだった。

 裏切ったのはミレーユだ。フライアとギグラを上手く宿屋に足止めしてもらって、アディスは安全に港を出られる予定だった。ゼンカを追いに果ての海域を目指すこと、巻き込みたくないから一人で出発すること、そして留守中にフライアを任せるということ、たくさん考えて、たくさん悩んで、その上で頼んだのに、ミレーユが全部、台無しにした。



『ダメだよアディス。フライアは、君が守らないと』


 ――本当に、大した奴だ。

 女みたいな顔して、滅茶苦茶頭が良くて、いつもいつも、人の心を見透かしたみたいな物言いをしやがって。

 でも、もしかしたら俺は、そうなる可能性に期待して、ミレーユに託したのかも知れない。

 ミレーユ以外の人間を使っていれば、最初から一人で船を出すなんて簡単な仕事に失敗するはずが無かった。

 そんなことは分かっていたはず。

 なのに俺は、他の誰を使うでもなく、ミレーユに頼ってしまった。

 心の何処かで、こいつらにもついて来てほしいと、願ってしまったのだ。


「俺がミスったんだ。俺が甘えちまった。……だから、俺が取り返す。この失態だけは、必ず俺の手で」


 アディスは言う。


「この半年間、調べて分かったことがある。ミレーユやミリエも同じ見解だった。呪神ウグメの力は、この世界の根底に根付くルールの一部だ」

「根底に、根付くルール?」


 ゼンカが問い返す。

 するとキリムが、獣の耳のような髪を揺らした。


「……【Lawロウ】。この世界における、存在の許可、及び、証明……とかを司る、視えない力」

「ウグメのよく言う、『それが私の【Law】だから』――ってやつか」


 冒険者としてはゼンカも博識な方だが、その頭の中には、彼女らのいう言葉に該当する概念はない。

 ……そう。

 あるはずがない。

 それは、人間がまだ到達していない真理の壁の一つ。

 しかし神に至るべくして生まれた生物、不死鳥であるキリムにだけは、それが何となく分かっていた。その彼女の知恵と知識を借りたことにより、魔女ミリエ、ミレーユ、アディスの三人は調査の末、その壁まで辿り着いたのだ。


 そして同時に、理解もした。

 きっと人間には、その壁は超えられないということを。


 ニンゲンが、ニンゲンのままである限り。


 即ち、ニンゲンを超えた存在に、至らなければ……



「【Law】に干渉する魔法体系、『第七界域カオス』級の魔法、【理外術オウル】。もし、呪神を正面から倒すなら、これが必須になる。私にも少しだけ心得はある――というか、呪神に指摘されるまで、その自覚はなかったのだけれど……でも、はっきり言ってこれは、ニンゲンには、無理。使えない。樹木が空を飛ぶことがないように、人間は理外術を使えない」


 キリムはそう断言する。

 多少なりともその力を使えるからこそ、その力の大きさや特異さを知っているからこそ、彼女の言葉には真実味があった。

 そして、そこまではアディスも分かっている。

 誰に言われるまでも無く、人間として、人間らしく、限度というものは弁えている。

 だから。

 問題は、そこではない。


「ゼンカは神様を信じるか」

「……? 信じるも何も……実際に見ちゃってるからな、呪神」

「見てなければ、信じてなかったか?」

「……それは……どうかな」


 ゼンカは、呪神と会う前の自分の記憶を探るように、空を見上げる。

 生い茂る木々の葉の向こうの空はまだ青い。きっと水平線の向こうは、赤らんでいる頃だろうけれど。


「……神話でさ。大昔にこの世界では、神界と魔界の間で戦いがあって、それでお互いの世界が割れてくっついて――それでこの星が生まれたっていう話、あったよな。で、実際に神器だの遺跡だの、色んな物証があってさ、もしかしたらそれは作り話じゃなくて、真実だったんじゃないか――って話は、結構真面目に、信じてたかな」

「あぁ。俺も信じてた。今も信じている。笑われるから、あんまり言わねーけどな」

「私さえ生まれる前の話。真相は……分からない。そうだったら面白い」


 アディスは、キリムの言葉に頷き、そして話を進める。


「神がいるとしたら、それは神の世界だろう。この世界じゃない。なのに呪神あいつらはここにいて――きっと今も、俺達がこうしてコソコソ島の中をうろついているのに、気付いてやがる。……誰があいつらに、それを許している? ここは人間の世界だ。神がいられる場所じゃないはずだ。もしもいられるのなら……世界の宗教形態はもっと、違う形をとっていたに違いないんだからな」


 この世界に神なんていない。いないからこそ……人はその存在に憧れ、魅了されてきた。だからこそ世界中には色んな信仰の形がある。創作物の神様も、その伝承や姿形は多岐に渡る。全てが真実なら明らかに矛盾するのに、この星ではその全てが、同時に存在することを許されている。

 それは…………神なんて本当は、いないからに他ならない。

 誰も観測できないから……真実が、確定しない。

 確定しないから…………あらゆる主張が許される。

 それが、この世界に存在できる神というものの、限界。


 もし、本物の神が存在し、姿を現し、人々を導けるというのなら。

 宗教は一つだった。神の姿もまた一つだった。ただ一つの真実の形に、収束していたはずだったのだ。

 だから。

 神は存在しない。

 少なくとも、この世界の内側には。


 ――にも関わらず、呪神と名乗る超越者たちが、このシマには確かに存在している。紛れもない神の力を有する超存在が、人間を孤島の中に閉じ込めている。

 きっと確かに彼女らは神なのだろう。だってそうとしか思えない程の力を持っていて、さらに自らを神であると名乗っているのだから。

 だが。だとしたら。

 本来ならば世界の外にいなければならないはずの彼女らに、誰が許可を与えたというのか。

 神がいられるはずのないこの世界に、いてもいいですよという許可を――彼女らがそこに形作られるための許可を、いったい誰が。


 世界の外側にいる神々を、世界の内側へ投影するための『何か』が、あるはず。

 ここは人間の世界なのだから。

 神が存在するためには、それを可能とする『何か』が必要ではないのか。


 存在の条件。


 存在の証明。


 私がそこに“い”ることの――



「――見えない力。ヒトには到底、辿り着けない真理の力。それが……ウグメの言う、【Law】……だとすれば。戦って勝つ以外に、もう一つ、島から出る方法は――ある」


 そうやって、超常の世界へと至るべくひたすらに思考を重ね続け、そして得られた解は。



「【Law】を、破壊する。呪神がこの世界に存在するための、【許可を取り消す】。そうすれば呪神は消え去り、俺達は外へ出られる」


「……………………いや、…………それ、は……」



 ゼンカは言葉を失う。

 何か、反論を言い掛けて、でも、何も言えなくて、自らの手で口を抑える。

 【Law】だの何だのが出て来た時点で、だいぶ話がぶっ飛んでいた。

 ここにきてのアディスの発言は、そこからさらに理解を超えたものだった。

 見えない力が【Law】のはずだ。

 人間には理解も接触もできないはず。

 ……それを、壊す?


「で、…………できるの、か? そんなことが…………俺ら人間に……?」

「一般的な魔法理論では、同じ効果を示す魔法定式スクリプトであっても、簡単な条件をいくつか付与するだけでその性能は大幅に変わるとされている。大抵の場合、『リスク』を設定することで性能が高まる性質がある――と」


 例えば大抵の魔法兵器――第三界域サード級攻撃魔法は、それに必要となる莫大な魔素を稼ぐために数人から数十人単位の魔術師が連携して発動に臨むわけだが、一方でその大人数での魔法発動という行為自体が大きなリスクとなって、魔法の威力を底上げし、第三界域級へと昇華している側面がある。

 連携魔法は一人でもトチったり、何らかの妨害を受けて中断させられたりすると、集められた魔素が暴発して大変なことになるからだ。しかしその危険性こそが、魔法の効果を飛躍的に高める要因でもある。


「一般には魔法定式にリスクを書き込むことで威力が上がる――ってことになってるいるが、ミリエによれば、それは魔法定式側ではなくその大元、つまり魔素の働きの一部である可能性が高いらしい」

「魔法使いの間でも、魔素が何なのかは未だに完全には解明されてない。ミリエですら、うっすらとそんな予測を立てていただけみたい」


 人並みならぬ知と力を備えた魔女でも、仮説と呼ぶことさえ躊躇われる程の、漠然とした予感。

 しかしこの半年間の調査に加え、キリムという神の側の者から与えられた知見が、彼女に何らかの確信をもたらしたらしいとアディスは言う。その後の説明は、キリムが引き継いだ。


「魔素は、全ての源。全ての命の、根底にある何かから溢れ出たもの。宇宙が始まって星が生まれ命が生まれ、そして今も全ての命の一番近いところにずっとある。……だから魔素は、宇宙の始まりに繋がっている――私が何となく感覚で知っていたことを、ミリエは、そう言語化した」


 宇宙なんて、もう何千回も終わりと始まりを繰り返しているのだろう。

 ずっとずっと、何度も何度も、始まっては終わり、そしてまた始まっている。

 幾度となく繰り返す無限の力。

 宇宙のサイクル。

 そこに産み落とされる数多の欠片。

 命の力。生命力。そこから滲み出す小さな粒――魔素。

 それは魂を通じて、宇宙の始まりと繋がっていて。

 きっとどこかで、みんな一つになる。

 そしてまたばらばらに分かれて、永遠に繰り返す。


「たった一粒の魔素には、まだまだ俺達の知らない力があって――【Law】はそこから生み出されたのかも知れない、と」


 ウグメの力は、大きい。

 いや。

 

 はっきり言って異常だ。

 それが神なのだと言われても、到底納得できない。

 絶対におかしい。

 あれだけの力を示せるなんて、論理的に考えてあり得ない。

 ……だが、実際にそれだけの力を持つ存在がそこにあるのなら。


 ――


 ウグメは、即ち――



「呪神たちは、その力を持つに至るだけの『リスク』を払っている。今も、払い続けているのかも。その大きなリスクで、あれだけの力を持つに至った。理外術だろうとなんだろうと、魔法は魔法。原理の根底が同じ魔素の働きによるものだとするなら、そう考えることができる――っていう、話」


 キリムの説明するミリエの立てた仮説の、どこまでが正しいのかは分からない。

 もしかしたら、最初から全て間違っているかも知れない。

 それでも仮説が立ったなら、次に行うのは検証だ。

 つまりこのシマにおける調査活動の最大の目的は、『呪神ウグメの支払っているリスクを暴くこと』。そしてその難題の解決を含め、この島から脱出するところまでが、アディスにとっての今回の『冒険』というわけだ。


「とまぁ飛躍した話になったが、どうせ元々何の足掛かりもない相手なんだ。片っ端から考えて、片っ端から試すだけさ」

「……なるほどね」


 納得したように、ゼンカは答えた。


「だからキリム、珍しく出掛けたがってたのか」


 ……実は今回の調査には、キリムがくっついてきたのではない。

 キリムが先にアディスと森に向かうと言い出し、ゼンカがそれに同行してきたのだ。

 どちらでも特に何かが変わるわけではないが。あまり他人と関わろうとしないキリムにしては、珍しい行動だと思っていた。

 アディスやミリエの独善的な活動にわざわざ知恵を貸すなんて、少しは人間らしくなってきたのかも知れない。

 その内容がどうあれ、ゼンカはそれを嬉しく思うのだった。



 *




 ……禁足区。

 植物は、異形の形。

 枝葉は赤黒く、血に塗れているかのよう。

 空気は淀み、心なしか重力が強まっている感覚すら覚える。

 森林区に踏み込んだ時に感じる死の気配が、より色濃く。

 一刻も早くここから立ち去りたい。

 いいや、立ち去らなければならない。

 だってこんな場所にいたら、自分という存在が永遠に消え去ってしまう。

 誰からも忘れられ、二度と光の当たる場所には戻れない。

 そういう強い強迫観念が、心の奥底から湧き出してきて止まらない。

 ……それはもしかしたら、この地で忘れ去られてしまった亡者たちの、声なき叫びなのかも知れない……。


 もう、あと一秒だってこの場所にいたくない。

 これまで数多の難所を潜り抜けて来たアディスさえ、率直にそう思った。

 ゼンカはここに来るのは二度目で、できれば二度と来たくないとは思っていた。

 キリムはいつも通りに無表情だが、瞳の奥で警戒心はかなり高まっているように見えた。


「……これは……、キツいな………………」


 空気が、重い。

 もはや物理的に重いようにさえ感じる。

 霧がかかっているわけでもないのに、まるで空気の色が違うように思える。

 出発の時間が悪かったか。

 よりにもよって空は夕焼け。赤と青のグラデーション。場所が禁足区でさえなければ絶好の景色だったかも知れない。今だけはあまり、見たくない色合いだった。

 こんなにも……。

 こんなにも邪悪に濁った空間が、このシマに存在していたなんて。

 地面はまるでヘドロのようにぬかるんで――は、いない。

 ちゃんと目を凝らせば、普通の、ありふれた、落ち葉の積もってできた土の道があるだけだ。

 なのに……一歩踏み出すたび、まるで沼みたいに沈むような感覚がある。

 これも果たして気のせいだというのか。

 無数の亡者の腕が、足に絡みついてくるような感覚さえ――全て気の迷いだとでも言うのか…………。

 アディスはこのシマを指して地獄と喩えたが、……正直、甘かった。

 ここが、そうだ。

 この場所こそが…………本物の、地獄……。


「俺には……霊感は、ないんだが……今なら、幽霊も視えそうだ……。……っつーか、ゼンカ、俺の肩、なんかしがみついてね……?」

「馬鹿言うな。何もいねぇよ……」

「そうか……なら安心だ…………」


 アディスには無いが、ゼンカには若干、霊感みたいな能力がある。

 彼の患う『病』の副作用だ。


 『悪魔病』――かつては『悪魔憑き』と呼ばれた、体内魔素に関わる疾患。

 成長期を迎えるまでに、自身の力でその魔素の異常を制御できなければ、次第に体細胞が変異し、全身が悪魔のような姿に変わってしまうという奇病だ。

 最終的な結果はどうあれ、この病を患う者が扱う魔素は特別な力を持ち、場合によっては極めて高い戦闘能力へと変換される。

 外見が悪魔のように変貌してしまう点を除けば目立った弊害はなく、本来であれば『創魔心血フェリオラ』のように天賦の才として扱われてもよい『特異体質』の一つであるのだが――今の時点では、体組織に影響が出るというあまりの特異さ故に、『呪病』に分類されている。


で見ても、特に変わった様子はないな」

「不死鳥の目で見ても、右に同じ」


 ゼンカとキリムは周囲を冷静に観察しながら、そう口を揃える。

 あくまでも異常なプレッシャーを感じるだけで、この禁足区には特に変わった点は見受けられない。実際に植物が変異していることから、土壌に何らかの異常が起こっているというのは恐らく間違いないが、それだけだった。


「ここはシマの一区画に過ぎない。俺達が住んでる居住区とも、シマモノが沸く森林区とも、変わらない――同じ孤島の一部だ。このプレッシャーは大方、森林区と同じがあるからだろう」


 この異常なプレッシャーは、どうせ呪神が定めたルールなのだ。

 人間は居住区にしか住めない、そういうことにしておくための。

 入ってはいけない場所に入ったら、赤ん坊でも即座に理解できる特別な仕組み。

 見えない線引き。

 それを超えれば、魂が悲鳴を上げるようになっている。

 今すぐに引き返せ――と。


「――要するに我慢すりゃいいわけだ……簡単だぜ、ああ簡単だぜちくしょう……」


 ――と、その時。

 先頭を歩いていたアディスが急に立ち止まる。

 ハンドサインで後ろの二人も立ち止まり、小声で問う。


「……どうした」

「何かいる」


 赤い葉っぱの茂みの向こう。

 風で揺れたのではなく、確実に何かが動いたのをアディスは見落とさない。

 ただの野生動物か? と考える必要はないだろう。

 呪神がまるで『絶対に入るな』とでも言いたげに線引きしている区画だ。

 想定は常に最悪を。

 つまり、シマモノがいると考え、即座に三人は戦闘態勢に入る。

 それと同時に――瞬時に逃走する心の準備も。


だったら、すぐ逃げるのよ」

「分かってるよ」


 黒いシマモノならば、全力で狩る。

 禁足区に出没するなど、超がつく程の上位種だ。そんなものを禁足区の外へ連れ出すわけにはいかない。確実にここで狩る。この三人ならば、それが出来る。

 でも。

 白いのは、駄目だ。

 白いのにだけは、手を出してはいけない。

 村でも、セイバーズでも、いつもそういった注意が出されている。

 キリムでさえ、同じように警告している。


 黒か。

 白か。

 …………或いは、そのどちらでもない、未知のシマモノもいるのだろうか。

 このシマは分からないことだらけだ。

 原則、黒くなければ逃げた方がいい――と三人は考えていた。

 そして……身構える三人の前に。

 茂みの向こうから、それは自ら姿を現した。


 黒くない。

 ……なのに、三人は逃げなかった。


 だって、そこにいたのは。



「なんで……あなたが、ここにいるの……」

「嘘……だろ。おまえ……どうやって、ここまで………………」


 アディスは――それの名を知らない。

 でも、ゼンカとキリムは知っていた。

 ああ、よく知っていたとも。知らないものか。見間違うはずもない。

 だって今朝も、一緒に朝ご飯を食べたくらいの仲じゃないか。

 だから見間違えない。

 ……だからこそ、意味が分からなくて――戦慄する。

 目の前に現れた、少女の姿を見て――二人は。



「ゆ、……ユミール…………」






 少女は、くすりと微笑む。

 それが、終わりの始まりだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る